44:永遠へ続く帰路
『亡き王子が再び死ぬために戻ってきた』
などと、いったい誰が信じられるというのか。
よくて戯言扱い、たちの悪いジョークにすらならないと聞き流す程度。それどころか王族への侮辱と取り憤慨する者も少なくないだろう。
中には、そんな嘘をついてまで隠したいことがあるのかと詮索する者も出るかもしれない。とりわけアルフレッドを殺した犯人が実の姉ジルだと判明したのだ。余計なことを――それも誰も信じられないような奇怪なことを――話せば噂を呼び、国民の疑念に繋がる恐れがある。
それを危惧したカミーユがあの晩聖堂にいた者達に緘口令を敷き、そして偽りのあらましを世間に公表した。
今回の事件は、田舎出の少女カルティアを気に入ったジルが起こした犯行。アルフレッド殺害を模して行い、彼女はその罪も合わせてアルに押し付けようとした。
たが運良くカルティアは一命を取り留め、そして犯人を突き止めた……と。
無理のある話だ。きっとそう遠くないうちにボロが出るだろう。
緘口令を破り他言する者が出るかもしれない、アルとカルディアなどという男女は存在しないと突き止める者が出るかもしれない。
だがもしも事実が露呈したとして、いったい誰が信じるというのか。突飛すぎるこの話を、王の反感を買うリスクを追ってでも追求する者はそういないだろう。
「たいていの人間は興味よりも保身が勝るものですよ。それでもしつこく探ってくる者がいるなら、金を握らせてやればいい」
そうあっけらかんと話すのはリドリー。
なんとも彼らしい話ではないか。隣に立つレナードが呆れを顕に表情を渋くしている。
レナードからしてみれば、今回の真相をあの晩聖堂にいなかったリドリーが知ること自体不服なのだろう。「どうしてリドリー様が……」と不満そうにぼやいている。
その態度はあまりに露骨すぎるが、今更リドリーが気に掛けるわけがない。彼はレナードの眼光を一瞥するだけで、それどころかカティナに対して肩を竦めておどけて見せた。
それがまたレナードの怒りを買うのだから、まさに悪循環である。――もっとも、リドリーはその悪循環こそ楽しいと言いたげたが――
そんなやり取りを見かねたのか、アルフレッドが宥めるようにレナードを呼んだ。
「そう嫌がるな、レナード。リドリーは他でもないアルとカルティアのおじさんなんだ。事情を話さないわけにはいかないだろ」
「それは分かりますが……」
「いやしかし、偽りとはいえアルフレッド様と親族になれたのは光栄ですな」
笑いながら話すリドリーを、レナードがきつく睨みつける。もちろん、これもまた意味がないのだが。
カティナとアルフレッドが思わず顔を見合わせる。別れの時でも二人は相変わらずだ。……いや、別れの時だからこそ、ふだんらしく振る舞おうとしているのか。
そうカティナが考えていると、アルフレッドが改めるような声色でリドリーを呼んだ。
「リドリー、騙していてすまなかった」
「お気になさらず。アルフレッド様のお役に立てられたこと、誇りに思います」
「それに、その……俺は生前、貴方を悪く思っていた。そのことも謝りたい」
そうアルフレッドが素直に謝罪の言葉を口にする。
以前はリドリーのことを『金さえ貰えれば王宮に無関係な輩を連れてくる厄介な男』と考え、そのうえ小心者と侮ってもいたのだ。
だが実際のリドリーは細かな事に気が利く男である。アルフレッドの凶報を聞いて誰よりも早く駆けつけたのは彼だったという。
欲も深いが、同時に情も深いのだろう。
そもそも彼が本当に厄介なだけの男であったなら、とうの昔に面倒事を引き起こしていたはずだ。
それを――もちろん小心者などとは本人を前にしては言えないが――アルフレッドが詫びれば、リドリーが苦笑と共に肩を竦めた。
「アルフレッド様にどう思われていたか、それぐらいなら気付いていましたよ」
「すまない……」
「謝る必要はありませんよ。自分で言うのもなんですが、我ながら厄介な性分ですからね。しかし私のような者が一人ぐらいのさばっていた方が良いんですよ。国が寛大でいられるのは平和な証拠です」
豪快に笑いながら言い切るリドリーに、アルフレッドもまた笑って返す。善良とは言い難いが悪質というほどでもない、自覚はしても直そうとはしない。なんと気風の良い厄介さだろうか。
だが確かに、国としてあるのなら彼のような男の一人や二人抱え込む狭量は必要なのかもしれない。
善良なだけではやっていけない……そうカティナが小さく呟いた。ジルの行動が全て善意からくるものだったからこそ、彼女の中に殺意も悪意も欠片ほど無かったからこそ思う。
「トリスタン様には、私のような厄介な男を使いこなすぐらいの王になって頂かなくては」
「厄介でのさばっていると自覚しているなら、少しは自重されたらいかがですか」
「こういう馬鹿真面目ばかりの国になったら困る」
レナードの嫌味を軽々とあしらい、リドリーが楽しげに笑う。またこの流れだと思わずカティナがつられるように笑みを浮かべた。
だが次の瞬間はたと振り返ったのは、覚えのある声を聞いたからだ。
見れば、トリスタンとアンバーが小走りにこちらに向かってくる。トリスタンは上着の胸元につけた赤い飾りを日の光に輝かせ、アンバーもまた真っ赤なドレスを優雅に揺らしながら。
「良かった、間に合ったわ」
そう安堵するように息を吐いたのはアンバー。
元より多忙なところをあの事件を迎えて更に多忙を極める中、それでもわざわざ見送りに来てくれたのだ。
それどころか、墓地へと向かう馬車も彼らが手配してくれた。田舎出の来賓に対しては異例の扱いとも言えるだろうが、アルとカルティアが事件を解決したのだからと結論付けて誰も深く探ろうとはしない。
偽ることなく話を出来るようにとアンバーが人払いをさせたのも、事件の真相を知らぬ者は「当事者だけで話したいのだろう」と解釈して気遣ってくれる。もちろんあの場にいて真相を知る者は言わずもがなだ。
誰もが見送ることなく、探ること無く、邪魔をすること無く、そして多忙なトリスタンとアンバーに時間を作ってくれた。
この労りこそ、彼等がどれだけ慕われているかの証だ。そしてその一端は亡き第一王子が築いたものでもある。
「二人共、忙しい中わざわざ悪いな」
「そんな、当然です兄上」
「トリスタン、大変だろうけど後を頼む。必ず力を貸すから……だから、何かあれば手紙をくれ」
あえてアルフレッドが『手紙』と言い切ったのは、きっと墓地には会いに来るなということなのだろう。
トリスタンは第二王子であり、次代の王だ。そんな彼が足繁く廃れた墓地に通っていたのでは、要らぬ噂を立てられかねない。ジルのことがあったのだから、不穏な要素は徹底して避けるべきだろう。
なにより、アルフレッドはもう彼等とは違う“別のなにか”、人知を超えたものなのだ。
数年は変わらずに接していられるかもしれないが、十年二十年経てばその違いから目を背けられなくなる。トリスタンが老いても、アンバーとの間に生まれた子が老いても、その子供の子供が……と彼等が長い時間を経ても、アルフレッドは今となんら変わらないのだ。
ならばいっそ、今のうちに袂を分かつべきだ。そう遠回しに訴えるアルフレッドに、トリスタンが「でも」と躊躇いの言葉を口にした。
「でも兄上、しばらくは残ってもいいじゃありませんか。父上達だってそれを望んでます」
「二人とはもう話をしたよ。何度も残るように言われたけど、ちゃんと理解してもらった」
「それならせめて、アルとしてたまにこちらに来るぐらいは」
「トリスタン、分かってくれ、お前が兄として慕っていたアルフレッドはもう死んだんだ。お前がするべきことは、カボチャ畑に帰る田舎出のアルを引き止めることじゃない、アンバーと共にこの国を守ることだ」
「……はい」
「一緒に生きていけなくてごめん。せめて、国を想う気持ちは聖堂に残していくから……」
苦しそうな声色で告げ、アルフレッドがゆっくりとトリスタンを抱きしめた。トリスタンもまた震える手でアルフレッドの上着の背を掴み、弱々しい声で兄を呼ぶ。
そんな二人の姿をカティナが眺めていると、隣にアンバーが並んだ。
眩いほどの赤いドレス。その赤は、トリスタンを支えこの国を守ると決めた彼女の決意の色だ。聖堂での晩こそ怯えと戸惑いを隠せずにいたが、今は凛とした気高さを纏っている。
そんな彼女の片腕には、今日も黒い薔薇のブレスレットが飾られている。アンバーがそれを一瞥し取り外すと、カティナへと差し出してきた。
「カティナ、受け取って」
「え、そんな、こんな高価そうなもの頂けません」
「いいの。今回のお礼と、それに墓地の墓守のことを憐れと言ったお詫びだから」
「でも……」
「本当はね、このブレスレットでアルフレッド様を偲んでいたの。トリスタン様を示す赤いドレスを纏っても、せめて片腕だけはって。アルフレッド様が隣に立ち国を支える相手として私を選んでくれたから、一番彼の近くにあった片腕を……」
「アンバー様……」
「でもその必要も無かったわ。だってアルフレッド様ってば王宮に戻ってきてたんだもの」
自分の弔いが無駄になったとでも言いたげに、アンバーかチラとアルフレッドに視線をやって肩を竦めた。
拗ねたようなその仕草と口調は普段の気高さを纏う彼女らしくなく、別れを前に強がっているのが分かる。繕いきれぬのか時折見せる表情は酷く苦しげで、それを隠そうと穏やかに笑う姿もまた悲痛でしかない。
だからこそカティナは深く言及せず、礼を告げると共にブレスレットを受け取り己の腕に着けた。黒一色の薔薇のブレスレット。きっの黒のローブによく合うだろう。
「アンバー様、ありがとうございます。こんな綺麗なもの着けて帰ったら、きっとみんな驚きます」
「あの時アルフレッド様のそばにいた亡霊ね。他にもたくさんいるなんて信じられないわ。……でも、貴女達の帰りを待ってるのね」
「はい、アルフレッドの事も待ってますよ」
そうカティナが教えれば、アンバーの表情に安堵の色が浮かんだ。
そんなやりとりを続けていると、ガタと音を立てて一台の馬車が止まった。
トリスタン達が用意してくれた馬車。墓地に向かうためきらびやかな装飾こそ無いか、作りはしっかりしている。素人目でも上質と分かる馬車だ。御者も品の良い者で、アルフレッドトカティナに対して恭しく頭を下げてきた。
カティナが乗り込もうとすれば、アルフレッドがエスコートするように手を差し伸べて支えてくれる。その姿はまさに王子様だ。
そうして彼に促されるまま馬車に乗り込み窓を開ければ、トリスタンとアンバーが最後にと別れを告げてきた。二人とも悲痛そうな色を浮かべ、それでももう惜しむまいと、引き止めるまいとしているのが分かる。
その後に立つリドリーは、最後に一度アルフレッドに対し頭を下げ、次いでカティナと目が合うとまるで親戚の子を見送るかのように手を振ってきた。彼の隣ではレナードが深く頭を下げており、それを見たアルフレッドが窓から身を乗り出して彼の名を呼んだ。
世話になった、と。
その言葉はきっと生前のことたけではなく、死後のことも含んでいるのだろう。
レナードが居なければ、今もアルフレッドは聖堂の棺にしまわれたままだった。彼が遺言を守り、そして処断されるリスクを負ってでも遺体を盗み出し墓地に運んでくれたからこそ、今に至ることができたのだ。
その感謝の言葉にレナードが顔を上げる。どこか切なげで、それでいてようやくアルフレッドを見送れると晴れやかさも見える。
そんな別れのやりとり中、ゆっくりと馬車が動き出した。
カティナの中に疑問と焦燥感がわく。まだ来ないのか……と、そう心の中で呟きつつ見送る者達に声をかけ、ふと顔を上げた。
厳かに佇む王宮の一室、日の当たるテラスには、まるでこちらを見守るように寄り添い立つ男女の姿……。
「アルフレッド、あれ……」
カティナがアルフレッドに声を掛けようとし、彼の横顔に出かけた言葉を飲み込んだ。
彼はテラスを見上げることなく遠ざかるトリスタン達に視線をやっている。……まるでそちらを見上げられないと言いたげで、彼の白い頬に滴が伝った。
「いいんだ、昨日話をした」
「……そっか」
「見送りもいらないと伝えてある。俺が耐えられないから……」
トリスタンに残るように縋られた時でさえ、アルフレッドの瞳には切なげな色が浮かんでいたのだ。これが父であるカミーユや母からもとなれば胸の痛みは一層増す。
さすがにそれは耐えられないと呟くように話すアルフレッドに、カティナがそっと彼の手を握った。
王宮が遠ざかる。
見送りに出たトリスタン達の姿も王宮のテラスから見つめるカミーユ達の姿も、今はもう見えない。
それでもアルフレッドは遠ざかった景色を眺めていた。まるでカティナの方は向けないと言いたげに、涙を流す己の顔を見せまいとしているかのように……。
窓の縁を握る彼の手が震えている。その手の甲に、また一滴涙が伝い落ちた。深い呼吸は小刻みに震え、無理に己を落ち着かせようとしているのが分かる。
カティナはそんなアルフレッドをゆっくりと抱き寄せ、掠れた声で名前を呼んでくるその唇を塞ぐようにキスをした。




