43:聖堂で終幕を
ジルの言葉を切っ掛けに、聖堂内に耳を傷めかねないほどの沈黙が続く。
だが当の本人だけは己の発言と周囲から注がれる視線に気付いていないのか、もしくは気付いたうえで気にかけていないのか、彼女は「アルフレッド!」と声を荒らげると共に目の前で再び死んだ弟へと駆け寄った。
だが触れようと伸ばしたジルの手が、手袋を剝ぎ取られた白い肌を晒す手が、パンッ!と高い音と共に叩かれた。
アンバーだ。彼女はアルフレッドの亡骸を庇うように抱き留め、伸ばされてきたジルの手を払った。途惑いを宿していた瞳がジルに向けられるや厳しさを増し、まるで憎しみを込めるかのように彼女を睨み付けた。
「アルフレッド様に触らないで! 誰か、誰かその女を捕えなさい!」
荒々しいアンバーの拒絶の声に、硬直状態にあった者達が一瞬大きく肩を震わせ息を呑んだ。
捕える、等と本来であれば王女に対して許されるわけがない。そのうえジルのことを『その女』と呼ぶび声を荒らげる、才知あるアンバーを知る者からしてみれば信じられない光景と言えるだろう。
だが今それを指摘する者は居らず、そして周囲の者はまるでアンバーに触発されたかのようにジルへと視線を向けた。その瞳に疑惑の色が浮かぶ。
箱にしまった、とは……。
その意味を察し、一人また一人と顔を青ざめさせ驚愕を露わにした。
か細い声で身を寄せ怯え合う者、信じられないと顔を背ける者、中には陰惨な事実に頽れる者すらいる。警備もようやく我に返り、駆けつけてきた騎士達と共にジルを取り押さえた。
強引な扱いにジルが呻く。痛みを覚えたのか、その表情に苦痛すら浮かぶ。それを見たトリスタンが躊躇いの表情を見せ姉を呼んだが、彼の足は動きが鈍く、歩み寄ることも出来ずにいる。
「アルフレッド様!」
そんな中で声をあげたのは、遅れて聖堂に駆けつけてきたレナード。
彼はアンバーに抱き留められるアルフレッドへと駆け寄ると、跪くようにしゃがみ込みその瞳を覗き込んだ。
そして深緑色の瞳に輝きが無いことを見て、小さく息を呑むと共に眉尻を下げる。屈強な彼らしからぬ、酷く悲しく泣きそうな表情だ。
「レナード……やっぱりアルはアルフレッド様だったのね?」
「えぇ、彼は再びこの王宮に戻ってきていたんです……。ですが、もう……」
「そんな、知っていれば私……。ひどいわ、二度も失わせるなんて」
「ひどい」と零した言葉と共にアンバーの瞳から涙が溢れだす。
それに対しレナードもまた心苦しそうに表情を顰め、アンバーに声を掛けようとし……全身に伝った悪寒に瞳を見開いた。
数人が小さな悲鳴をあげる。何かを見たわけではなく、何かに触れたわけでもない、それでも背筋が凍るような寒さを感じたのだ。だが皆一様というわけではなく、身を震わせ浅い呼吸を繰り返す者も居れば、それに対して怪訝そうな視線を向けている者も居る。
いったい何かとレナードが周囲を見回し、ゆっくりと開かれる扉に目を見張った。
この騒動だ、人の行き来はあって当然。むしろ今すぐに増援の騎士が来てカミーユやトリスタンを守るべきである。もしくは騒動を聞きつけた野次馬が事態を知りに来たか。
だが今この聖堂に来ようとしているものは、増援の騎士でもなければ野次馬でもない。
もっと別のもの、何か違うものが来る……。
そう己の本能が訴えるのを聞き、レナードがゴクリと生唾を呑んだ。呼吸が浅くなり額に汗が伝う。
だがアンバーは気付いていないようで、アルフレッドの頬に落ちた自分の涙を拭っている。
そうして彼の瞼を閉じてやり、呼びかけるように名前を口にしようとした。だがその言葉が「どうして」と疑問の言葉に変わったのは、閉じたはずのアルフレッドの瞳から深緑色が覗いているからだ。
先程の濁ったものとは違い、今は微かながらに光を宿している。
元より信じられぬ事実の中、より信じられぬ光景を前にアンバーが息を呑み、再びアルフレッドの名前を呼ぼうとする。
だがそれより先に、
「アルフレッド」
と、彼を呼ぶ別の声が静まった聖堂内に響いた。
この状況下、一目で異常と分かる中で響くこの落ち着き払った声に、誰もが視線を向ける。
そこに居たのはカティナだ。銀の髪をふわりと揺らしながら歩いてくる。赤い瞳は真っすぐにアルフレッドへと向けられている。……いや、アルフレッドだけを見ており、他の者達が息を呑もうと後退り音をたてようと一瞥もしない。
その姿は皆が知るカティナ、偽りのカルティアだ。
それでも周囲は倒れるアルフレッドを見ても顔色一つ変えることなく、不安そうな素振りすら見せない彼女に気圧され、数人は顔色をより青ざめさせて後退った。
違う。
と、勘の良い者なら恐怖に似た違和感を覚えただろう。
レナードとトリスタンがその最たるものか。彼等は表情を強張らせ、トリスタンが震える声でカティナを呼んだ。だがその声に、かつての友好的な色は無い。
アンバーも違和感に気付いたのか、小さく体を震わせている。
だがカティナはそんなアンバーにも一瞥することなく、周囲が距離を取るように道を譲る中、アルフレッドの元へと歩み寄った。
「アルフレッド、起きて」
そう淡々とした声で、それどころか愛おしささえ感じさせる穏やかな声でカティナが告げる。
平然としており、まるで極平凡な朝に起床を促しているようではないか。とうてい今まさに――それでいて再び――死んだ者に話しかける口調ではない。
それどころか、彼女はアルフレッドの容態を窺うこともしないのだ。状況を見れば眠っているわけがないと分かるはずが、それでも再び口にしたのは「ねぇ起きて」という言葉。
だが今それを指摘できるものなどおらず、それどころかカティナに声を掛けられる者すらいない。
……アルフッド以外は。
「おはよう、カティナ」
ゆっくりと体を起こすアルフレッドに、周囲から小さな悲鳴があがる。
だが当の二人は周囲のことなど、それどころか震え畏怖の視線で見上げてくるアンバーにすら気をかけることなく、互いの手を取り合った。
指を絡めて握り合い、どちらともなく笑みを零す。
「良かった、間に合ったんだな」
「うん、アルフレッドも大丈夫そうで安心した」
「あぁ、もう大丈夫だ」
アルフレッドが深く息を吐く。
全て終わったと言いたげなその様子に、青ざめ震えながら見つめていたアンバーが怯えを露わにしながらも口を開いた。
「……アル、フレッド……様……?」
その弱々しい声に、アルフレッドが彼女に視線をやる。
「すまないアンバー、ここまで事を荒立てるつもりはなかったんだ」
「……本当に、アルフレッド様なのね。なんで……どうして……」
「もう全てが終わった。俺の望む通りになったんだ。だから泣かないでくれ」
アルフレッドが詫びるように告げ、次いでトリスタンへと視線を向けた。
アンバーを宥めてくれと言いたいのだろう。それを察しトリスタンがアンバーへと駆け寄った。しゃがみ込む彼女の手を引き立ち上がらせ、頽れないようにとその背に手を添ええる。
アンバーもまたトリスタンに寄り添い、縋るように彼の服を掴む。怯えを隠しきれぬその姿は普段の凛とした彼女らしからず酷く弱々しく映るが、こんな奇怪な光景を目の当たりにしたのだから仕方あるまい。
青ざめる表情は今この瞬間にも泣きだしそうなほどで、対してそれを支えるトリスタンの表情には何があろうと受け止めようとする決意が見える。
彼の瞳が真っすぐにアルフレッドに向かい、確認するように「兄上」と小さく呼んだ。
「トリスタン、大事にしてすまなかった。しばらく大変だろうが後を頼む」
「……はい」
「レナードも、どうか協力してやってくれ」
「乗りかかった船です。最後まで付き合いますよ」
溜息交じりに返すレナードの言葉に、アルフレッドが「悪いな」と苦笑しつつ返す。
そうしてアルフレッドは再びカティナに向き直ると、軽く息を吐くと共に表情を綻ばせた。
嬉しそうで、どこか安心したようで、それでいて少し泣きそうな表情。カティナがその頬を撫でてやれば、深緑色の瞳をゆっくりと閉じて深く息を吐いた。
「帰ろうアルフレッド」
「……あぁ、もう終わったんだ。帰ろう」
アルフレッドが頷いて返す。
彼の目尻に溜まった涙が白い頬を伝い、カティナの指に触れた。
全てが終わり、ようやく彼が零せた涙だ。




