42:蘇りの王子は革命の夜の悪夢を辿る
「走れアルフレッド、舞台は聖堂だ!」
そう告げるのは、アルフレッドの隣を並走するように浮かぶギャンブル。
彼の姿に恐れをなし、アルフレッドを止めようと出てきた者達も顔色を青ざめさせ立ち尽くしていた。浅い呼吸を繰り返し指先一つ動かせず硬直するあたり、金縛りでもあっているのか。
仮にギャンブルが故意に彼等を金縛りに合わせたとすれば、さすが500年の亡霊である。そして同時にそれほどまでに激昂しているということだ。それでも彼は冷静を装い、アルフレッドの視線に気付くと煽るような笑みを浮かべた。
「チャンスは一度、誰に賭けるか腹は括ったか?」
この期に及んでも賭け事にたとえて話してくるのだから、さすがと感心するべきか相変わらずと呆れるべきか微妙なところである。
だが口調こそ普段通りだがギャンブルの表情には以前の穏やかさは無く、アルフレッドにこそ余裕を取り繕ってはいるものの、捕えようと向かってくる騎士達を睨み付ける眼光は随分と鋭い。一睨みで震えあがらせ、その歩みどころか動きすらも制してしまう。
500年経とうと、鼓動をとうの昔に止めようと、胸の内に湧き上がる感情というのはそうそう隠せるものではないらしい。
そんなギャンブルに、アルフレッドは僅かに考えを巡らせたのち「酒だ」とポツリと呟いた。
「……姉さん秘蔵の酒、あれだ」
「なるほど、酒なら怪しまれずにカティナにも飲ませられる。だが酒ならば他にも死者が出ているはずじゃないか?」
「あぁ、だからそれだけじゃない。酒と薬指。思い出したんだ、あの夜も……いや、あの夜だけ、俺は彼女の素手にキスをした。左手の義指にな」
「なるほど、二つが合わさって始めて毒になるのか。酒を飲ませ、左手で引き金をひく……お前もカティナも、相当な悪女に気にいられたな」
走りながら話すアルフレッドを、ギャンブルが冗談めかして、それでいて隠しきれぬ怒気を含んだ声で茶化す。
それを横目に、今度はアルフレッドが尋ねた。もちろん、彼の発した言葉についてだ。彼ははっきりと、まるで分っているかのように「舞台は聖堂だ」と告げてきた。
そして今まさにその聖堂に向かって走っているのだ。時間が無いとはいえ道を間違えればそれで終わる、断言する根拠ぐらいは聞いても良いだろう。
「なぜ聖堂だと分かる?」
「勘だ」
「……勘?」
「理屈や御託など愚の骨頂、信じられるのは己の勘だ。500年で培った勘が、あの子を思う私の勘が、舞台は聖堂だと訴えている」
そう断言するギャンブルに、アルフレッドが隣を走りつつチラと彼に視線をやった。
脳裏に過ぎるのは、以前に聞いた彼の死因。賭け事の負けが込み、そのうえ覚えのない負債まで被せられ借金取りに殺されたという悲惨な末路……。
そんな人生の果てに亡霊として残る彼の断言、しかも根拠は勘のみ。疑うなという方が無理な話だ。
とりわけ今はカティナの命、そしてカティナとアルフレッドの悲願と未来が掛かっているのだ。まっとうな思考であれば足を止めて考え直すところである。
ギャンブルもそれは自覚しているのか、横目でアルフレッドを一瞥するとニヤリと口角を上げた。青白く灯る彼の目元が歪む。
「どうしたアルフレッド、私が信用できないか?」
「……いや、信じるよ。ギャンブル伯、俺はあんたの勘に賭ける」
走りながらアルフレッドが告げれば、ギャンブルが更に笑みを強めた。
死後であっても紳士的な彼らしくない、酷く歪んだ笑み。それでいて「アルフレッド、お前も堕ちておいで」と告げてくる声は愛おしむように優しい。
そんなギャンブルと共にアルフレッドは聖堂へと向かい……そして駆けつけた勢いのまま扉を開いた。
中に居たのは、アルフレッドの身内にあたる極わずかな者達。きっと食事会を終え、アルフレッドが眠る聖堂で彼を偲ぼうと考えたのだろう。
この騒動はまだ彼らの耳に届いていないのか、一様に驚きこそするが警戒の姿勢までは見せていない。それでも異変を感じ取り、扉横に立つ警備が不自然に硬直しているのを見ると表情に怪訝そうな色を浮かべた。ギャンブルに対しても同様、亡霊とまで考えが至らないのか訝しげに視線を向けている。
とりわけ、今のアルフレッドは眼帯を外しているのだ。以前に話していた傷跡など一つもないその目元に、眼帯が顔を隠すためのものだと知ってより警戒心を強めたのだろう。今まで騙されていたと、そう猜疑心を抱く者すらいるかもしれない。
トリスタンがアンバーを小声で呼び、カミーユが己の妻を庇うように引き寄せる。
一瞬にして聖堂内の空気が張り詰めるが、それを破ったのはこの空気に似合わぬジルの「あら」という暢気な声だった。
「どうしたの、アル。カルティアは? ちゃんとさいごまでエスコートしなきゃ駄目じゃない」
「……貴女に礼を言いに来た」
「私に?」
何のことか分からないと言いたげにジルが首を傾げた。ふわりと揺れる金の髪、それを押さえる手は深緑色の手袋で覆われている、
そんな彼女にアルフレッドが近付き、まるで誘うように片手を差し出した。周囲の警戒の色が強まる。それでいて誰もが身動ぎ一つ出来ずにいる中、ジルだけがアルフレッドに対して柔らかく微笑み応えるように右手を彼へと伸ばした。
深緑色の手袋で覆われた右手。普段ジルが求める挨拶だ。手にキスを贈られると察し、ジルが嬉しそうに笑う。
……だが互いの手が触れる寸前、彼女の表情が驚愕のものへと変わった。
アルフレッドが彼女の右手を取る直前、まるで用があるのはこちらではないと言いたげに強引に腕を伸ばし彼女の左手を掴んだからだ。
ジルが瞳を丸くさせ、それを見ていた周囲の者も息を呑む。カミーユが娘の名前を呼び、金縛りに呻いていた騎士がそれでも動こうと藻掻く。
だがそれでもアルフレッドはジルの手を放すことなく、彼女の肌を覆う手袋を強引に奪い取った。きめ細かなが肌が顕になる。細くしなやかな指と、……そして肌とは違う色を見せる薬指。
「俺を綺麗に殺してくれてありがとう、おかげでもう一度殺されることが出来た」
そう告げて、アルフレッドがジルの手に、薬指の義指に口付けをした。
シン、と周囲が静まる。
その沈黙を破ったのは、真っ先に我に返ったカミーユ。突如飛び込んでくるや娘に無礼を働くアルフレッドを咎めようと声を荒げ……その瞳を見開いた。
先程までジルの手を強引に掴んでいたアルフレッドが、今は苦しげに表情を歪めている。喉を押さえ浅い呼吸を繰り返し、傍らに浮かぶ青白く灯る男に対し口を開いた。ひゅっ、と掠れた声が彼の口から漏れる。
「良かっ、た……二度目は……まわりが、はや……」
まわりが早い、そう言いかけアルフレッドが深緑色の瞳を揺るがせた。言葉の代わりに彼の口から血が溢れ、一度咳き込むと真っ赤な雫が床に散る。
それを見下ろすようにアルフレッドが俯き……そしてそのまま倒れ込んだ。
ギャンブルが腕を伸ばしたのは、不可能だと分かっていても咄嗟に支えようとしたのだろう。だが実体の無い彼にそれは叶わず、腕をすり抜けアルフレッドの体が床に叩きつけられる。
開かれたままの瞳は光無く澱み、唇は喋りかけたまま声を発することなく動かない。ただ一度だけアルフレッドの胸元に青白い光が灯ったが、それも直ぐさま彼の胸の内に吸い込まれるように消えていった。
濃紺に偽っていた髪が、まるで魔法が解けるようにゆっくりと金に戻る……。
「……アルフレッド様?」
ポツリと呟いたのはアンバーだ。
深緑色の瞳に金の髪、それらはかつて共に国を支えようと決めた男のもの。
だが今目の前にいる彼には生気がなく、アンバーが悲鳴のようにアルフレッドの名を呼んで駆け寄った。
「アルフレッド様、アルフレッド様! あぁ、なんで、どうして……!」
アルフレッドを抱き起こし、アンバーが悲痛な声で呼びかける。
その場にいた誰もがその声を聞きそれでも動けずにいる中、己の左手を隠すように押さえたジルが「アルフレッド」と呟いた。
「アルフレッド、私の綺麗な弟……どうして、アルフレッド……」
アンバー同様、ジルもまた混乱の中で答えを求め、譫言のようにアルフレッドの名を口にする。
彼女達に限らず、この場にいる誰もが同じように答えを求めているだろう。アルがアルフレッドだったとしてもここにいる理屈が分からず、そもそもアルとアルフレッドが同一人物だと理解しきれぬ者もいる。
だが今目の前で倒れアンバーに抱きかかえられているのは、確かにアルフレッドなのだ。亡き王子、本来ならば今この場にある祭壇で眠っているはずの人物。
カミーユが顔色を青ざめさせ彼の名を呼び、その隣に立つ彼の妻はあまりの事態に目眩を起こしたか夫の腕に縋りつくように支えられている。
どうして、と。
絞り出すように漏らされた言葉は今度は誰のものか。
誰もが事態を理解出来ず、疑問と混乱と驚愕を綯交ぜにした表情で立ち尽くすだけだ。微かなざわつきが上がるが、誰一人として答えを見出だせるわけがない。
どうしてアルフレッドがここに居るのか。
どうしてアルと偽っていたのか。
どうしてジルの左手を取ったのか。
どうして、どうして、どうして……
「どうして……ちゃんと箱にしまっておいたのに!」
ジルの悲痛な叫びに、混乱と動揺が渦巻いていた聖堂内が水を打ったように静まり返った。




