4:蘇りの王子と変わらぬ決意
深緑の彼の瞳と目が合い、カティナが微かに表情を和らげた。あぁそうだ、この色だ……と、遠い昔に向けられた、記憶にある唯一暖かな瞳の色を思い出す。吸い込まれそうな瞳の色、森の奥深くで息吹く木々のように色濃く、そして落ち着きを感じさせる色。
生気を失った白い肌に深緑の瞳は一際色濃く映え、まるで彫刻に嵌め込まれた宝石のように見える。
青年はその瞳をゆっくりと細め、まるで懐かしむようにカティナを見つめた。何か話そうとしたのだろう形の良い唇が動くが、声にならずヒュッと軽い音が漏れる。
青年が喉を押さえ、深緑の瞳を丸くさせた。声が出ないと驚くその仕草にカティナは苦笑を浮かべ、用意しておいたマグカップを彼に差し出す。
中には暖かな紅茶、幾分冷めてしまったかもしれないが、冷え切っていた彼の体にはちょうどいいだろう。少なくとも、喉は暖めてくれるはずだ。
「さっきまで死んでたから、動けないのは仕方ないよ。一晩経てばある程度は自由になるはずだから」
「……そうか。久しぶりだな、カティナ」
絞りだしたと言いたげに掠れる彼の声に、カティナが頷いて返す。
次いでゆっくりと彼の胸元へと指先を添えた。露わになった彼の上半身、左胸の心臓を中心に描かれた紋様。それがまるでカティナの指に反応するかのように胸の内から青白く灯った。
綺麗、と見惚れるようにカティナが小さく呟く。感嘆の吐息を漏らし、彼の肌の内に宿る炎を感じようと指を這わせる。白い肌が青白く灯る光景は、カティナにとって暖炉の赤い炎より暖かみを感じさせるものだ。
だが見惚れるあまり触り過ぎていたのだろう、青年がくすぐったそうに小さく身を捩って笑みを零した。カティナが慌てて手を離せば、それと同時に彼の胸元に宿っていた青白い灯が肌の内へと収まっていく。
「久しぶりだね、アルフレッド」
そうカティナがやわらかく笑って彼の名を口にした。
アルフレッド、この国の第一王子の名前。その才知と凛々しさから、跡を継げば賢王になると称えられていた青年の名前だ。
この墓地に暮らすカティナが知る、数少ない”墓石に刻まれていない名前”である。――彼の現状を考えると、"この墓地にある墓石には刻まれていない名前"と言った方が正しいが――
「カティナ、ここは君の家か?」
「うん。何も無いけど、休むぐらいなら出来るよ」
苦笑を浮かべて「それぐらいしか出来ないけどね」と話しつつ、カティナが彼にローブを手渡す。これもまた、今カティナが着ているものと寸分変わらぬ黒一色のローブである。
洒落っ気も無く、王子が着るような代物ではない。それどころか女性用だが、大きく余裕を持った造りだから問題はないだろう。他のものが良いと言われても、似たり寄ったりなものしか持っていない。
……いや、持ってきてくれない、と言うべきなのかもしれない。なにせ衣服の調達を頼んでも、いつだって荷馬車に積まれているのは黒いローブだけなのだ。
だがさほどカティナは気にしておらず、文句を言う気も無かった。
スルリスルリと亡霊が冷気と共に擦り抜けていくこの墓地において、重要なのは洒落っ気より暖かさである。シンシアとヘンドリックは「もっと着飾ればいいのに」だの「可愛いパンプキンはきっとどんな服でも似合うのに」だのと煩く言ってくるが。
そんな二人はと言えば、
「し、死んだ人間が動いているわ……。なんて恐ろしいの……!」
「悪魔だ、幽霊だ、悪霊だ! パンプキン、こっちに来るんだ!」
と、高い棚の上に避難しつつ怯えていた。
カティナが思わず瞳を細める。これにはふわふわと漂っていたギャンブルも呆れの色を見せ、アルフレッドに至っては目を丸くさせている。
「司祭様を呼んで!」
「悪魔祓いだ! 幽霊退治だ!」
「お前ら鏡見てこい……といっても写らないんだよな」
盛大に溜息を吐いてギャンブルが呆れ口調で二人を諭す。
次いで彼はふわりと浮き上がるとシンシアとヘンドリックのもとへと向かい、彼等の体を掻き消すように擦り抜けた。着いてこい、ということだろう。彼がよくやる仕草だ。
「こいつらが居たら碌に話も出来ないだろ。外で子守しててやるよ」
「ありがとう、ギャンブル伯」
「なに、積もる話もあるだろう。ごゆっくりとは言えないけどな」
そう最後に告げてギャンブルがふわりと壁を擦り抜けていけば、シンシアとヘンドリックも名残惜しそうにしつつも彼の後に続く。
騒がしい二人がいなくなり、室内がシンと静まった。――微妙に小屋の外から「幽霊退治を!」だの「悪魔祓いを!」だのと聞こえてくるが、あの二人に関してはギャンブルが宥めてくれるだろう……と、カティナは丸投げを決め込むことにした――
そうしてアルフレッドをテーブルへと促し、おぼつかない足取りで進みぎこちなく椅子に座るのを見届け、紅茶を淹れ直すと自らもまた彼の正面に腰かけた。
「こうやって君と会っているってことは、俺はやっぱり死んだのか」
「残念なことにね」
「どれくらい経った?」
「ここに運ばれてきて三日、その前にも三日は経ってるみたい。防腐処理がちゃんとされていて助かったよ」
「防腐処理……。そうか、あいつちゃんとやってくれたんだな。それで俺の体はまだ腐るのか?」
「今は霊魂を体に留めて死を引き伸ばしてるだけだから、いずれは器が腐って霊魂も意識も維持できなくなる」
「悠長に過ごしていられないってことだな」
深く息を吐いてアルフレッドが己の体を見下ろす。
青白い手。動き暖を取ったことで先程よりは幾分ましになってはいるが、誰が見ても冷ややかな生気の無さを感じるだろう。彼はそんな己の手を左胸に添え「動いていない」とポツリと呟いた。
その言葉に、カティナが頷いて返す。
心臓が動いていないのは当然だ。彼は既に死んだ。今は動けて生前同様の意識を持っているが、かといって生き返ったわけではない。
カティナは彼を再び動かすことは出来ても、死を覆すことは出来ない。
時間が経って彼の体が霊魂を維持できないほどに腐り崩れるか、もしくは繋ぎとめる糧のカティナが死ぬか、そうなった場合彼は再び死に戻る。
……もしくは、もう一度同じ死を遂げて生と死の枷から外れるかだ。
そう暖かな紅茶を飲みながら淡々と説明すれば、己の体を見下ろしていたアルフレッドが顔を上げてジッと見つめてきた。
深緑色の瞳が真っすぐにカティナを捉える。
「俺の気持ちに変わりはない。カティナ、君はどうだ?」
「私も変わってない」
決意を示すアルフレッドの声とは対極的に、カティナは平然と、当然の確認とでも言いたげに返した。
彼と約束を交わしたのは五年前だ。あの時から今まで、王宮で暮らし多くの者達に囲まれて育った彼には決意を揺るがせる何かが起こり得たかもしれないが、カティナは違う。五年前から、それどころかもっと前からカティナは墓守で、この墓場とそこに漂う亡霊達だけが世界の全てだったのだ。
だからこそ、五年前の決意が変わるわけがない。
それを訴えるように見つめて返せば、意図を察したのかアルフレッドが頷いた。
「カティナ、誰が俺を殺したのか突き止めよう。君が協力してくれるなら、俺は俺の人生を……人としての人生を君に捧げる。必ず同じ人物に殺されると誓おう」
はっきりと告げてアルフレッドが右手を差し出してくる。骨ばった男らしい手。
生きている人と触れるのは何年ぶりだろうか、そんなことを考えつつカティナは応じるように彼の手に己の手を重ねた。
だが次いで僅かに瞳を細めたのは、重ねた手から伝ったのが人肌の暖かさではなくひんやりとした冷たさだからだ。まだ肌も少し硬い。
とうてい生きている人の手の感触ではない、長年他者と触れあわずにいたカティナでも分かる。
だがその冷たさはカティナにとっては人の温もりより馴染みのあるもので、彼の深緑色の瞳をジッと見据えて笑った。