37:亡き第一王子へ捧げられる献花
「アンバーは魅力的な女性だ。カティナと出会っていなかったら、彼女に恋をしていたかもしれないな」
「それもきっと幸せだっただろうね」
「あぁ、でも今の俺は彼女に恋はしていない。尊敬も信頼も抱いているが、心まで捧げられるのはカティナだけだ」
はっきりと告げてくるアルフレッドの言葉に、カティナが表情を綻ばせた。
彼の言葉は真っ直ぐに胸に届き、暖かく溶かして甘い痺れを誘う。こんな感覚は初めてだ。自然と鼓動が高鳴るが苦しさは無く、むしろ浮遊感に似た心地好ささえある。
もしも人ならざるものになって心臓が脈打つことをやめたなら、もうこの胸の高鳴りは味わえないのだろうか……。それは惜しいと、そんならしくないことを考えてしまう。
それほどまでなのだ。
そんな心地好さと擽ったいような気恥ずかしさに浸っていたが、扉の向こうから人の声と気配がしたことで揃って視線を向けた。
朝の聖堂、それも第一王子を亡くしたばかりなのだ。いつ人が来てもおかしくない。
「みんな俺に会いにきてくれるんだな。……ここに俺は居ないのに」
騙しているような罪悪感を抱いたのだろうか、アルフレッドの眉尻が下がる。瞳が揺らぎ、切なげに扉を見つめている。
そんな彼に対し、カティナは美しく飾られた祭壇と彼を交互に見つめ……そっと手を伸ばした。アルフレッドのひんやりとした手を擦り、指先を軽く握りしめる。
「ここに眠っているのは、皆が慕っていた第一王子だよ」
「第一王子?」
「そう、この国で生まれて、この国のために生きた第一王子」
「……そうか。それならきっと皆がここに来る意味があるな」
カティナの言葉で多少は気が楽になったのだろうか、アルフレッドが苦笑を浮かべた。彼の手は相変わらず冷たいが、それでも握り返してくれる。
それとほぼ同時に、ギィと音が響いて聖堂の扉が開かれた。
姿を現したのは数人の男女。
カティナには見覚えのない者達だがアルフレッドには覚えがあるのか、彼等を見つめ、その手に花束があるのを見ると僅かに瞳を揺るがせた。
懐かしくもあり、それでいて切なくもあるのだろう。複雑な胸中が彼の瞳に映る。
だがもちろんそれを口にすることは出来ず、当然だが彼等に声を掛けることも出来ない。ここにいるのはアルフレッドではなく、彼が慕っていた第一王子でもなく、只のアルなのだから。
「……行こう、カルティア」
そうアルフレッドに促され、カティナが頷いて返した。
カルティアと呼ぶ声が僅かに揺らいでいるのは、きっとカティナをカルティアと呼ぶことで今ここにいる己がアルフレッドではないと言い聞かせているのだろう。
現に擦れ違い様にアルフレッドが頭を下げても、返ってきたのは言葉ではなく軽く片手を上げるだけの簡素な仕草。せいぜいチラと一瞥してくるだけだ。
静まり返った聖堂で話すまいと考えたのか、それとも田舎出の二人には声を掛ける必要も無いと考えたか。どちらにせよ、呼びとめも振り返りもしない互いの態度は余所余所しさしかない。
そうしてカティナがアルフレッドに続いて扉を出ようとすれば、切なげに彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
だがこちらに向けてではなく、祭壇で眠る亡き王子を偲ぶ彼等にそれを見つめるアルフレッドを振り返る様子はない。
彼等が偲ぶ第一王子はあの祭壇に眠っている。
だから今ここにいるアルフレッドは私があの墓地に連れて帰るんだ……。
そうカティナが心の中で呟き、歩き出すアルフレッドの後を追った。
聖堂を出て王宮内を歩く。
今夜の食事会の為だろう、行き交う給仕達はどことなく慌し気でそして誰もが深緑色のものを運んでいる。
今夜の食事会をアルフレッドの瞳の色で染めるためだ。ジルが主催なのだから、きっと追悼会といえど豪華で煌びやかに違いない。
「少し楽しみだね」
「楽しみ?」
「うん。だってみんなでアルフレッドの事を話すんでしょ? 私の知らないアルフレッドの昔話が聞ける」
それが楽しみだとカティナが話せば、アルフレッドが気恥ずかしそうに頭を掻いた。
今夜の食事会はみんなでアルフレッドの思い出を語り、それを追悼とするのだ。アルとして参加するとはいえ結局はアルフレッドなのだから、彼からしてみれば恥ずかしいことこのうえない。
もちろん、身分を偽っているのだからどんな話題が上がっても恥ずかしくても止める事は出来ないのだが。
「俺を殺した犯人を探れると思ったが、これは辛い食事会になりそうだ……」
「きっと素敵な話をたくさん聞けるね」
クスクスと笑いながらカティナが告げれば、アルフレッドがムグと口を噤んだ。
そうしてしばらく居心地悪そうにしたのち、「それなら」と話し出した。
「それなら、俺は墓地に帰ったらギャンブル伯達からカティナの昔話を聞こう」
「私の?」
「そうだ。カティナばっかりずるいだろ。俺だってカティナの話を聞きたい」
「あんまりおもしろい話は無いと思うけど」
「俺だって、自分ではそう思ってるさ」
どこか拗ねたような口調のアルフレッドに、思わずカティナが笑みを零した。
そっと寄り添って軽く腕を触れさせて宥めれば、不満そうだった彼の表情も徐々に和らいでいく。
「私の事もアルフレッドの事も、たくさん話そう。これからずっと一緒だもん」
「あぁ、そうだな。今までの人生を一日ごと振り返ってもいいかもしれない」
「きっとシンシアやヘンドリック卿も話したがるよ。200年に99年、ギャンブル伯も加われば500年」
「500年前の話か、それも楽しそうだ」
「賭け事の話ばっかだろうけどね」
ギャンブルのことだ、嬉々として当時の賭け事を語り、そしてアルフレッドに勝負を持ち掛けてくるだろう。チェスやカードを買って帰ったなら尚更だ。
その周りを、自分の話を聞いてくれとシンシアとヘンドリックがふわふわと浮いて付き纏い、他の亡霊達も生前の話に花を咲かせ……。
その光景のなんと愛おしいことか。王宮のような華やかさこそないが、それ以上のものがある。
そう考え、カティナが「早く帰ろうね」とアルフレッドの腕に触れた。
早く墓地に帰りたい。
そのためには、アルフレッドにはもう一度死んで貰わなければならないのだが……。
ドレスの用意が出来たとジルに呼ばれ、通された部屋でカティナは彼女指示のもと使い達に飾り付けられた。
丸みを帯びた緩やかなシルエットのドレス、深緑色の布は見ているだけで吸い込まれそうなほど美しく、少し動くだけで細部にあしらわれた金の飾りが優雅に輝く。
カティナの銀の髪がドレスの色合いに映え、その美しさと言えば、姿見を前にカティナがこれは誰だと首を傾げてしまったほどである。今まで黒一色のローブしか着てこなかったのだから仕方あるまい。
自分のようでいて、自分ではないような……そんな不思議な感覚を味わっていると、ひょいと背後から腕が伸びていた。深緑色の手袋で覆われた細い腕が、まるで遊ぶようにカティナの頬を撫でる。
「どう? もとは私のドレスだけど、カルティアに似合うようにアレンジさせたの。銀の髪に合わせて白いレースも増やしたわ」
「ジル様、ありがとうございます」
「良いのよ。美しいカルティアをより美しく出来て、私も幸せ。……あら、これは造花?」
カティナの髪に飾られた花に気付き、ジルが手袋で覆われた指先で花弁を突っつく。
「アルがくれたんです。これならずっと枯れないって」
「そう、綺麗ね。私も造花は好きよ。生花の儚さは無いけれど、造花ならずっと美しいままだもの。……今夜のカルティアにはぴったりだわ」
「……今夜の私には?」
「えぇ、そうよ。ずっと、ずっと綺麗でいるの」
うっとりと恍惚とした表情でジルが頬を撫でてくる。
姿見に映る彼女もまた今夜の食事会のために深緑色のドレスを纏い、黒いドレスの時とはまた違った妖艶さを纏っている。金の髪にも同色の髪飾りが輝き、彼女が優雅に腕を動かすたび手袋にあしらわれた金細工が揺れる。
「飾り付けも終わったし、食事の用意も出来た。あとはその時を待つだけよ」
声を弾ませつつジルがカティナから離れた。
まるでこのままクルクルと回って歌い出しそうなはしゃぎようではないか。
「カルティアはアルにエスコートされてね。きっと素敵、誰より輝かしいわ。なんて楽しみなのかしら」
「えぇ、私も楽しみです」
「待ってるから、遅れちゃ駄目よ」
そう最後に告げ、ひらひらと手を振りながらジルが部屋から去っていく。
それを見送り、カティナは再び姿見に映る自分の姿に視線をやった。
まるで別人のようだ。これならばそこいらの令嬢と並んでも引けを取らないだろう。
それでも……
「墓地の皆に見せたかったなぁ」
と呟いてしまう。
どれだけ華やかなドレスを纏っても、絢爛豪華な食事会を前にしようとも、結局心はあの薄暗い墓地にあるのだ。




