35:蘇りの王子とそこに宿る面影
深い眠りの中で、ゆっくりと意識が戻る。
溶けるような思考と視界が「まだ寝ていよう」と甘く誘い、体は暖まった布団から拒否するかのように重い。
そんな睡魔と微睡みの中でも徐々に視界がはっきりとしだせば、目の前には眠るアルフレッド。深緑色の瞳は今は閉じられ、どれだけカティナが見つめても開くことも、ましてや微笑んで見つめ返してくることもない。
まるで小屋に運ばれて来た、遺体だった時のようだ。そう考え、カティナがそっと彼の額にかかる金の髪を指で払った。
「アルフレッド」
と、小さく名前を呼ぶ。
擽ったかったのか、それとも自分を呼ぶ声を聞いたからか、アルフレッドがもぞと身動ぎし、閉じられた瞼からうっすらと深緑色の瞳が覗いた。
だが思考の八割はまだ夢の中なのだろう、「カティナ?」と尋ねてくる彼の声は随分と微睡んでいる。
「すまない……また魘されてたか?」
「大丈夫、ちゃんと寝てたよ。ごめんね起こしちゃって」
「いや、平気だ。でも、もう少し……」
もう少し眠りたいとアルフレッドが途切れ途切れに訴えてくる。その声は既に寝言に近く、カティナは苦笑を浮かべつつ彼の額から目元へと指を滑らせた。
眠っていても彼の体温は上がらず、目を閉じるよう促すために触れた瞼も冷たい。そのまま手を彼の胸元に添えても、心臓の鼓動は感じられない。
確かめるように少し手をずらしても、指先だけで触れても、寝間着の下には人肌の暖かさも鼓動もない。
「カティナ、擽ったい」
「動いてない」
「俺の心臓か? そうだな、もう動いてない。もう動くこともない」
目を瞑りながらアルフレッドか話す。
いつ眠ってもおかしくないその口調に、これ以上彼の眠りを妨げるのは酷だと彼の胸元から手を離そうとし……まるで捕らわれるように手を掴まれた。
アルフレッドの手が、男らしく大きく、それでいてしなやかで白い手が、逃すまいとカティナの手を包み込む。
「アルフレッド?」
「冷たくて嫌か?」
「冷たいけど嫌じゃないよ。でも擽ったくて眠れないでしょ?」
「俺の体も、俺の心臓も、全部カティナのものだ。好きなだけ触ってくれ」
嬉しそうにアルフレッドが微笑む。それに対し、カティナも柔らかく笑んで再度彼の胸元へと手を添えた。
人肌の暖かさはない。鼓動も伝わってこない。
だけどこれは私のものだ。
ずっと永遠に、朽ちることなく。
それを実感するように冷たさを堪能すれば、眠りについたのだろうアルフレッドの体からゆっくりと力が抜けていった。掴まれた手も、軽く動かせば解けてしまいそうだ。
薄く開かれた唇は微かな呼吸を漏らす。それを見つめ、カティナはそっと身を寄せると眠るアルフレッドを倣うように目を瞑り己の唇を重ねた。
彼の手も唇もひんやりと冷たく、その冷たさは何より心地良い。
それから数時間後、ふわりと漂う紅茶の香りに、カティナがもぞもぞと布団に包まりつつ起き上がった。隣にアルフレッドは……居ない。
もう起きているのかと周囲を見回せば、カップを二つ持ったアルフレッドがちょうど部屋に入ってきた。
寝ぼけ眼のカティナが面白かったのか「おはよう」と笑う。その身形は既に整えられており、今朝も彼が早く起床していたことが分かる。
「カティナを起こすには、声を掛けるより紅茶を淹れた方が良いかもしれないな」
「私の方が先に眠らなくなったら、毎日アルフレッドの寝起きを笑ってやる」
「それは楽しみだ」
穏やかに笑い、アルフレッドが紅茶の入ったカップを差し出してくる。
「さっきメイドが朝食を持ってきたよ。姉さんから伝言で、夕方にはドレスの仕立てが終わるだろうって。案内が来るらしいから、その時には部屋に居た方がいいな」
「ドレス……。自由に動けるのも今のうちかな」
「残り僅かな自由だ。朝食を取ったら散歩にでも行こうか」
苦笑混じりにアルフレッドが誘う。正装は着なれコルセットとは無縁の彼にとってはまさに他人事なのだろう。
その態度にカティナは一度咎めるように睨みつけつつ、それでも紅茶を一口飲んで散歩には行くと頷いて返した。
「夜の食事会で犯人の目星を着けたいところだな。……そこが最大で最後のチャンスかもしれない」
そう話すアルフレッドの声色は低く、真剣味を帯びて警戒心すら感じさせかねない。
だが事実、アルフレッドの追悼の場となれば彼が死んだあの晩の話になるだろう。アルフレッドは誰と居たのか、何を話し何をしたのか、それとなく聞き出すには恰好の場である。
とりわけ前日がパーティーだったのなら尚のこと、アルフレッドの目撃者は多いだろう。パーティーとなれば皆が第一王子に声を掛け、少しでも話をしようとしたはずだ。
田舎出で事情の知らぬアルとカルディアが幾つか尋ねたところで誰も疑問を抱くまい。
更に食事会にはレナードも警備を兼ねて呼ばれているのだから、今夜ほど動きやすいものはない。
「殺されたにしては、この通り俺の体は傷一つない。となると毒を盛られた可能性が高いが、あの夜のパーティは立食式だった……」
「飲み物に毒を入れて、給仕に運ばせるとかは?」
「出来ないこともないが、食べ物同様に飲み物も厳重なチェックがされている。それに、俺がいつ何をどこで飲むか分からないんだ、暗殺の方法としては良い手だとは言えないな」
「それなら、直接触れて口に入れさせたり、アルフレッドの手にあるお皿やコップに気付かれないように入れるとか……」
「これでも第一王子だ、不用意に他人に近付いたり触れさせたりはしない。……気を許した人以外は」
「誰といつまで居たのか、それだけでも分かれば良いんだけど」
「だいぶ酔っていて記憶が朧気だが、あの悪夢が確かなら最後に誰かと部屋に戻ってるはずなんだが……」
誰かの手が伸ばされ……そこでアルフレッドの悪夢は途絶えている。靄が掛かって思い出せないのだ。
そこからメイドに発見された朝に繋がるのなら、犯人はあの夜最後までアルフレッドの側にいた者。
だが当然あの夜のアルフレッドの行動は調べが入っているはずだ。それでも疑惑が上がらないあたり、最後にそばに居た者が特定出来ていないのか、それともそばに居ることが当然過ぎて疑いに繋がらないのか……。
いったい誰なのか、だけど誰であっても酷な結末に繋がってしまう。
そうカティナが気遣うようにアルフレッドに視線をやれば、彼は深緑色の瞳を揺らがせ……そして前を向くと共に目を見開いた。
「父さん」
と、ポツリとアルフレッドが呟く。
道の先に居るのはレナードとリドリー、そして……カミーユだ。
どこかへ行く途中なのかこちらに気付くと足を止め、リドリーがアルとカルティアを呼んだ。
アルフレッドが小走りめに駆け寄り、カミーユに頭を下げる。カティナもそれに続けば、二人の挨拶にカミーユが穏やかに笑んで返してきた。
貫禄と雄大さを交えた声色と口調。父親の記憶も王を慕った記憶もないカティナにとって、彼が纏うものが父性なのか権威なのかは分からない。
「カルティアと……君がアルか」
カミーユの言葉にアルフレッドがより深く頭を下げる。
どこか少しぎこちないのは、父を前に「先立った息子」の感情が募りアルを演じきれないからだろう。苦しげに細められた瞳は見ていて痛々しい。
だがそのぎこちなさも強張った表情も、傍目には一国の王を前に緊張しているとしか映らないのか、カミーユとリドリーが苦笑を浮かべている。対して事情を知るレナードだけは酷く苦しそうだ。
「トリスタンが君を気に入った理由が少し分かる気がするな。瞳の色や顔付きかアルフレッドに似ている」
「……そう、ですか」
「あぁすまない、故人に似ていると言われても良い気はしないな。だがどうしても、同じ年頃の者を見かけるとアルフレッドの面影を探してしまう……」
深く息を吐くように話すカミーユに、アルフレッドもまた痛々しい声色で労りの言葉を返す。
二人が纏う空気は重く、そんな中リドリーがはたと思い出したかのように「そういえば」と話題を変えた。
あえてカティナに対して声を掛けるあたり、きっとアルフレッドとカミーユを気遣いこの場の空気を変えようとしているのだろう。
「二人共、ジル様から今夜の食事会に誘われてるんだってな」
「はい。是非にとお誘い頂きました」
「ドレスコードもあるが、着る服はあるのか?」
「ジル様が用意してくださるそうです」
そうカティナが答えれば、リドリーが納得したと言いたげに頷いた。曰く、昨日の今日では服の手配も出来ないのではと案じていたらしい。
そんなリドリーとカティナのやりとりを聞き、カミーユが「そうか」と呟いた。
――ちなみにその間レナードがリドリーに対し「リドリー様も招待されているんですね」と嫌そうに告げ、「なんだ、そんなに嬉しいのか」とあしらわれている――
「ジルが朝から機嫌が良くてな。随分と浮かれているから何かあったのかと思った」
「そんなにですか?」
「あぁ、私と話してる最中も心ここにあらずだった。もう十分知ってると思うがあの子は綺麗なものが好きでね。カルティアを着飾らせることが出来てよっぽど嬉しいんだろう。すまないが、食事会の時も相手をしてやってくれ」
「は、はい……光栄です」
はしゃぐジルを思い出しているのか、カミーユが僅かに表情を和らげる。
だが次の瞬間には眉尻を下げ、「アルフレッドのことも……」と呟いた。その声色は悲痛な色しかなく、感傷のあまり無意識に吐露してしまったと言いたげだ。
『アルフレッド、私の綺麗な弟……』
耽るように呟いていたジルの声が脳裏を過ぎる。
大事な弟、そのうえ美しいのだから当時のジルの熱の入れようは相当だっただろう。宝箱にしまおうと嬉しそうに話しながらアルフレッドに纏わりつくジルの姿が容易に想像できる。
だがその光景を思い出せば懐かしさより胸の痛みが勝る、そんな複雑さを誤魔化すように笑うカミーユに、レナードが見ていられないと言いたげに声を掛けた。
「陛下、そろそろお時間が……」
「そうだな。二人共引き止めてすまなかった。また夜にでも話をさせてくれ」
「はい、ぜひとも」
どことなく惜しむように別れを告げてくるカミーユに、アルフレッドもまたせつな気な声色を押し隠すように返す。
カティナはただ黙って頭を下げ、去っていく彼等の背を見送った。




