34:堕ちるように帰る
陰鬱と湿気た空気が漂う暗い墓地の中、「戻ってきたわ!」「戻ってきたぞ!」と男女の声があがる。
それと同時に青白い灯りが墓地に飛び込み、勢いよく一つの墓石にぶつかった。
だが衝突の激しさに反して音は上がらず、墓石が揺らぐこともない。それどころか墓石には傷一つ着くことなく、ただ青白い灯りがふわりと一瞬掻き消えるだけで、それも衝撃をものともせず直ぐさま人の姿へと変わった。
長旅を終えたと言いたげにふぅと一息つき、上着を払って着くはずのない埃を落とす。傍らにトランクでも持っていそうな素振りだ。
言わずもがな、ギャンブルである。
「おかえりなさいギャンブル伯! ねぇカティナはどうだった? 元気にしてた?」
「ギャンブル伯、パンプキンは大丈夫だったか? 何か困ってはいなかったか?」
帰還の余韻も与えず飛びつくように纏わりついてくるシンシアとヘンドリックに、ギャンブルが溜息混じりに落ち着けと宥めた。
もっともそれで二人が落ち着くわけが無く、「カティナは?」「パンプキンは?」と左右から挟みこんで質問責めにしてくる。その喧しさと言ったらないが、今更な話である。現に他の亡霊が止めに入ってくることもない。
仮にカティナが居れば「ギャンブル伯は疲れてるんだから」とシンシアとヘンドリックを宥めてくれただろうに……そう考え、ギャンブルが盛大な溜息と共に肩を落とした。
残念ながらここにカティナは居ない、そもそもカティナ不在がゆえの質問責めである。
「二人共落ち着け。カティナは元気だったよ。紅茶を淹れて私が来るのを待っててくれた」
「まぁ、わざわざ待っててくれたのね。その光景が目に浮かぶわ、なんて可愛いのかしら!」
「私が来ると窓を開けてくれてな。律儀な子だ」
「親切で優しくて気が利いて可愛い、やっぱりパンプキンは素晴らしい!」
ギャンブルがカティナの事を話せば、シンシアとヘンドリックが興奮を隠す気も無く騒ぐ。
可愛い麗しい素晴らしい……と、相変わらずといった溺愛具合に、ギャンブルが思わず苦笑を浮かべた。カティナには二人を宥めておくと言ったが、この騒ぎようを前にすると宥めきれる自信が無くなってしまう。
なにせ今この瞬間にでも二人はカティナ会いたさを拗らせ、我慢出来ないと王宮に向かいかねない程なのだ。
邪魔になってはいけないと考え一晩一人と決めておいたが英断だった、そう心の中で呟く。そうでもなければ、この二人は常にカティナの元を訪ねて彼女達の邪魔となっていただろう。その度に引っ張られて墓地に戻されまた王宮へ……と忙しない。
ならば今ここで質問責めにあってでも引き留めておくべきだ。そう考え、ギャンブルがふわりと己の墓石に腰掛けた。
話を聞けると察し、シンシアとヘンドリックもまた手近な墓石の上に座る。
「アルフレッドにはジルという姉がいて、カティナをたいそう気に入ったらしい。昼食に呼ばれて、明日はドレスを着て食事会だという」
「カティナを気に入るなんて、見る目のある女じゃない。カティナはどんなドレスを着るのかしら。きっとどんなドレスでも可愛らしいわ!」
「パンプキンのドレス姿、きっと可愛く麗しいに違いない!」
「造花をたくさん買って帰るって言ってたな。造花なら枯れないから、墓地中に飾るんだと」
「お花! 私達のために花を買ってきてくれるのね、なんて優しいのかしら。早くカティナとお花を飾りたいわ」
「両手に花を抱えるパンプキン……あぁ、その姿は想像しただけで愛おしい」
シンシアとヘンドリックが愛しそうにカティナを呼び、ふわふわと浮かぶ。ドレス姿で花を抱えるカティナの姿でも思い描いているのか、愛しそうに呟く言葉は随分と熱っぽい。
そんな二人程ではないが、今夜は墓地中がどことなく落ち着きのなさを見せていた。
きっとカティナを案じ無事でいるかを聞くためだろう、他の亡霊達も己の墓石の上で漂っている。普段は滅多なことが無ければ顔を出さぬ者もいるあたり、カティナ不在がどれほどこの墓地に影響しているかが分かる。そして彼女がどれほど愛されているかも。
亡霊達が総出で、と考えれば恐怖の最たるものだ。だが実際はたった一人の墓守を、それもまだ年若い少女を案じて出てきているに過ぎない。
そんな墓地を見回し、ギャンブルが深く息を吐くとふわりと浮き上がった。
浮かび上がることになんら苦はない。重力もさして感じない。王宮での滞在こそ出来ず結局引っ張られて戻されたが、墓地にいる限りは自由だ。
浮かび上がっても落ちることはない。勿論、地面に叩きつけられることもない。
まるで背もたれを倒した椅子で微睡むように宙に身を預けその浮遊感を堪能すれば、月の光が筋となり腹を通って墓石を照らした。
「華やかな王宮で煌びやかな物に囲まれて、それでもあの子の心はここにある」
元は王女であるジルのものだというのだから、明日の晩にカティナが着るドレスはさぞや美しいものだろう。当然、それに似合った飾りをあしらって貰えるはずだ。
それを纏い王宮で食事会……そこに追悼会という名目があったとしても、墓地での生活とは比べものにならないほも豪華なはずである。カティナから聞いたジルという女の性格を考えれば尚のこと。当然、料理も比べものにならないだろう。
だというのにカティナはそれを楽しみにする素振り一つ見せず、それどころか着飾った自分の姿を墓地の皆に見せたかったとぼやいた。そのうえ早く帰りたいと、花を買って帰るとまで言ってくるのだ。
カティナの心はこの墓地にある。
どれだけ華やかな場に行こうと、どれだけ権力のある者に気に入られようと、絢爛豪華な食事会に招かれようと。カティナにとって居るべき場はこの墓地で、押し付けられた墓守の人生こそが最良なのだ。
生きているのに、これから先いまとは違う人生を生きていけるかもしれないのに、彼女の頭にはその願望が欠片もない。
永遠の自由とは名ばかりに墓地に囚われ、僅かな時も離れられず引き寄せられる亡霊達となにが違う?
これを哀れと言わずになんと言う。
だがその哀れさすら愛おしい。
「早くここまで墜ちておいで、可愛い可愛い……哀れなカティナ」
そうギャンブルが呟けば、夜空に浮かぶ月に黒い雲が掛かった。




