33:墓守カティナと賭事の亡霊
カティナの中で、自分の人生は変わらず哀れである。
アンバーやカミーユの言葉でそれに気付かされた。そして一度気付いてしまった事実は覆しようがない。
あの墓地は暗く静かで、煌びやかなドレスも輝かしい宝石も無ければ豪華な食事も食べられない。それどころかまともな明かりすら小屋に灯るものだけだ。ランタンはひび割れていて時々点かない時がある。
そんな墓地に囚われた墓守の人生、これは哀れとしか言いようがない。
仮に墓地での生活をジルや他の令嬢達が強いられたなら、きっと己の不遇を嘆いていただろう。耐えきれないと逃げてしまうかもしれない。アンバーやトリスタンだってどれだけ我慢出来るか。
だがアルフレッドはそれでも構わないと言ってくれた。むしろ自分と居られるならそれで良いと、初めて会った日からずっと望んでいたと言ってくれたのだ。
「だから私も気にしない。どんなに哀れな生活だろうと、墓地の皆とアルフレッドが居てくれればそれでいい。自分を可哀想なんて思わない」
そうカティナが告げれば、目の前で青白い影がふわりと揺れた。
アルフレッドが呼ばれて部屋を出ていった今、室内にはカティナしかいない……はずである。それでも誰かに向けるように話す様は、傍目には奇怪に映るだろう。それどころか話に相槌をうつかのようにカティナの目の前で影が揺れるのだから、奇怪を通り越して恐怖さえ誘いかねない。
だがカティナはそれを気にするでもなく、窓辺に置いた椅子に腰掛け、淹れたばかりの紅茶を一口飲んだ。
「嬉しい事を言ってくれる。きっとシンシア嬢やヘンドリックが聞いたら喜んで跳ね回るだろうな」
「相当うるさくなるだろうから言わないでね。教えるのはギャンブル伯だけ」
「私だけか、それはより嬉しいな。あいつらを真似て少し跳ね回ってみせようか」
冗談めいて話すギャンブルに、カティナが笑って返した。なにがあっても落ち着きを失わず、そして跳ね回る亡霊達の面倒を見ている彼ならではの冗談である。
この部屋に来た時も彼は窓の前で品良く待ち、カティナが窓を開けて「どうぞ」と招いてようやく入ってきたのだ。窓はおろか壁さえもすり抜ける実体のない体をしているくせに、仰々しく「これはご丁寧に」と頭を下げる。王宮だからだろう。
飛び込んでくるどころかスルリと体をすり抜けてくるシンシアやヘンドリックと違い、やはり彼は落ち着きがある。これが没後500年の余裕というものか。
「しかし、わざわざ紅茶と椅子を用意して待っていてくれるなんてな」
「シンシアとヘンドリック卿が来たから、今夜はギャンブル伯だと思ったの。ギャンブル伯なら長く話が出来るでしょ」
「他に誰か居たら問題になりかねないとしばらく様子を伺うつもりだったが、窓辺で待つカティナを見た瞬間思わず飛び込みそうになった」
カティナが待っていたことがよっぽど嬉しいのだろう、ギャンブルが愛しそうに瞳を細めて頭を撫でてくる。といっても実際に触れることは出来ず、髪の上でふわふわと透き通った手を揺らすだけだ。
頭上から降り注ぐひやりとした冷たさに、カティナふるりと一度体を震わせて紅茶を飲んだ。人肌と違い彼等のスキンシップは触れれば触れるだけ体を冷やすが、冷えたならば暖かいものを飲めばいいのだ。
優しい手を拒否など出来るわけがなく、しようとも思わない。
そうしてふとカティナが部屋の扉に視線をやった。
アルフレッドはギャンブルが来る数分前に出て行ってしまった。仕立てで計り直したいところがあるらしく、「時間は掛からない」との事だったが流石にまだ戻ってくる様子はない。
三人でゆっくりと話をしたかった……。そうカティナが惜しめば、ギャンブルが穏やかに笑った。頭上で揺れていた手がするりと透けてカティナの頬を擽る。もちろん、実際に擽ってくるのは肌ではなく冷気だが。
「なに、二人で墓地に帰ってくれば話なんて嫌ってほど出来る。時間は永遠にあるんだからな。……まぁ、墓地だとうるさいのが二人付き纏うが」
「そうだね、これから先ずっと話が出来るもんね。たまには静かにしてほしいけど」
「それに、明日はそのジルって女の食事会に行くんだろ? 私と話すより、そっちの準備をした方がいいんじゃないか?」
「食事会の準備なんて分からないよ。ドレスだって興味ない。墓地の皆に見せられるなら嬉しいけど」
「私も見たかったな。そうだ、墓地に帰ってくる前にどこかに寄って洒落た服を買ってきたらどうだ」
可愛い服をと提案してくるギャンブルに、カティナがしばし考え……ふると首を横に振った。
全て終わったなら早く皆の待つ墓地に帰りたい。その途中でどこかに寄るのなら、買うのは服ではなく花だ。
そうカティナが話せば、ギャンブルが不思議そうに「花?」と首を傾げた。
「なんでわざわざ花を買うんだ?」
「普通の花じゃないよ。あのね、これ……」
待ってて、と告げてカティナが一度立ち上がる。ドレッサーから持ってくるのはスカーフの上に置いて大事に保管していた花。
王宮に来る前、立ち寄った服屋でアルフレッドが買ってくれたものだ。
あれから丸二日経とうとしているのに花は未だ枯れる様子なく、初めて見た時と変わらぬ姿を保っている。試しにとカティナが花びらを突っついても軽く揺れるだけだ。
「カティナ、その花は?」
「これ、枯れない花なの」
「枯れない……? あぁ、造花か。私の時代にはちゃちなものしか無かったが、今の造花は随分と凝ってるな。本物そっくりだ」
興味深そうにギャンブルが造花を覗き込んでくる。
もしも彼に実体があったなら、手に取って上から下からと眺めていただろう。試しにとカティナが角度を変えて見せれば、「おぉ」と作りの細かさに感嘆の声を漏らすのだからよっぽどだ。
「シンシアは花を飾ると喜ぶけど、花はすぐに枯れちゃうし、森の花は年中咲いてるわけじゃないでしょ。でもこれならずっと飾っていられる」
造花をたくさん買い込んで、シンシアの墓はもちろん墓地中に飾るのだ。
何種類も買って飽きたなら入れ替えればいい。生花の儚さや瑞々しさは無いが、造花ならば終わりなくずっと愛でていられる。枯れることなく永遠に。自分達と同様、花も時間と無縁になるのだ。
そうカティナが話せば、ギャンブルが穏やかに笑った。
ふわふわと銀の髪の上で手を動かして撫でてくれる。もしも彼が実体を有していれば、今頃カティナの髪はぼさぼさになっていただろう。
「ところでカティナ、花もいいがチェス盤なんてどうだろう」
「チェス盤?」
「あぁ、そうだ。それにカードも良いな。カードがあればポーカーが出来る」
花より娯楽と言いたげなギャンブルに、カティナが相変わらずだと肩を竦めた。
洒落た服すら届かないあの墓地に、チェスやポーカーといった遊道具が届けられるはずがない。唯一あるものと言えば手製のチェスだけだ。
盤面は紙に線を引いただけ、駒は適当な小物を見繕う。無様どころか傍目にはチェスとさえ映らないだろう。
その駒だって動かせるのはカティナだけだ。だが生憎とカティナはチェスには興味が無く、勝負に燃える亡霊に挟まれ、交互に出される支持のもと駒を動かすのは面倒でしかない。
それを訴えるようにカティナがギャンブルを睨み付ければ、言わんとしていることを察したのかギャンブルが誤魔化すように白々しく笑った。そのうえ「そういえば」と無理に話題を変えてくる。
「私もそろそろ帰らないといけないんだが、アルフレッドはまだ戻ってこないな」
「アルフレッドもポーカーとチェスが好きだと良いね」
カティナが茶化すような口調で答えれば、ギャンブルが参ったと頭を掻いた。
軽い音で扉がノックされたのはちょうどその時だ。まるで室内の会話を聞いていたかのようなそのタイミングに、ギャンブルが「助け船だ」と笑う。
そうしてカティナが声を掛ければ、ゆっくりと開かれた扉から顔を覗かせたのはアルフレッド。中に入るや急ぎめに扉を閉めるのは、ギャンブルを誰かに見られたらと考えての事だろうか。
「悪い、思ったより時間が掛かった」
「大丈夫? 何かあったの?」
「採寸自体は直ぐに終わったんだが、姉さんに捕まって食事会やカティナのドレスについて話を聞かされてたんだ」
参ったと言いたげにアルフレッドが肩を竦める。
どうやら相当苦労したようで、その光景を想像して思わずカティナが笑みを零した。
きっとジルは熱意的に、そして止めるタイミングを与えず話をしていたのだろう。むしろよく切り抜けてこられたものだとアルフレッドを労いたくなってくる。
「ギャンブル伯、来てたんだな。間に合ってよかった」
「あぁ、だが私もそろそろ戻らないとな。没後500年の亡霊とはいえ、そう長く墓地は離れられないようだ」
体が引っ張られるのだろう、ギャンブルが窓の外へと視線を向ける。
もう帰ってしまうのかとカティナが別れを惜しめば、またふわりと頭を撫でてきた。耳がひんやりとするのは擽られたからだろうか。
「私だってギリギリまで居たいが、話しの途中で耐えられなくなって退場なんて間抜けな姿は曝したくないからな。誰のようにとは言わないが」
「……やっぱりヘンドリック卿は墓地で馬鹿にされてるんだ」
「あの戻り方は無様としか言いようがない。向こう100年は笑ってやるつもりだ。もちろんカティナも、私達と一緒に100年あいつを笑うだろう?」
愛しむような声色でギャンブルに問われ、カティナが頷いて返した。
『早く人間をやめて戻っておいで』と、そう言いたいのだろう。全てを終えて人ならざるものになれば、100年だって200年だって彼等と笑っていられるのだ。――100年も笑われ続けるヘンドリックに同情も湧くが――
「すぐに帰るって墓地の皆に伝えておいて。特にシンシアとヘンドリック卿に」
「あのうるさい二人はなんとか宥めておく。ところでアルフレッド、お前さんチェスは出来るか? ポーカーは好きか?」
「チェス? ポーカー? ……まぁ、それなりに。チェスは結構強い方じゃないかな」
「そりゃ良い! 帰ってきたら100年は勝負に明け暮れようじゃないか」
楽しみだと笑い、ギャンブルの体が浮かび上がった。
きっと徐々に体が引っ張られているのだろう、その体がゆっくりと窓辺へと近付いていく。それでも表情は穏やかに笑い、カティナへと手を伸ばしてきた。
青白く透明な手が優しく頬を添えられる。肌の感触は無いが、ひやりとした冷たさが頬を覆われる心地良さに変わる。
「可愛いカティナ、早く帰っておいで」
そう最後に優し気な声で告げ、ギャンブルの体がふわりと煙のように消えた。
どこへ行ったかなど考えるまでも無い。墓地に帰ったのだ。
ギャンブルらしい落ち着きのある去り方だ。そう考えつつカティナが窓の外を眺めた。




