32:遠い記憶の前奏曲
アルフレッドの言葉に、カティナが何も返せずに彼を見つめる。
はじめて見た時とは、カティナが一族の者に連れられてこの王宮に来た時のことだろうか。
それを問えば、アルフレッドが知っていたのかと驚きの色を浮かべた。
「レナードが教えてくれたの。私、その時まで王宮に来たことすら忘れてたよ。でもあの時、アルフレッドは私のことを見てたんだね」
「あぁ、本当に偶然だけど君を見かけた。……一瞬にして心を奪われたよ。可愛く、綺麗で、何より輝いて見えた。もちろん今もだけど」
照れ臭そうに、それでいてこちらの反応を煽るように告げてくるアルフレッドに、カティナがムグと口を噤んだ。
今だけは彼の言葉への上手い返し方が思い浮かばない。それどころか、彼の口から発せられる一言一言が心臓をしめつけてくる。心音が体の奥底まで響いているような、言い得ぬ感覚が体を巡る。
そんな落ち着きを失った鼓動を宥めるため一度咳払いをし、カティナが先を促すようにアルフレッドを見つめた。その反応で満足したのか、彼は穏やかに嬉しそうに笑っている。
「あの瞬間、見惚れるだけで声を掛けることも出来なかった。後から散々悔やんだよ。そしてカティナのことを調べだしたんだが、ひた隠しにされてて名前を知るだけでも苦労した」
「そんなに大変だったんだ」
「名前を知った時の事は今でも覚えてる。それからは何度も繰り返し口にした、呼ばない日は無かったんじゃないかな。必ず会いに行くから待っててくれと、そう何度も話しかけた……」
「だからあの日、墓地に来てくれたんだね」
「本当はもっと前に会いに行きたかったんだけどな」
いかに心を奪われていたとしても、アルフレッドは第一王子だ。王位継承者としての責任があり、迂闊な行動に出れば国を巻き込みかねない。下手に姿を消せば直ぐに捜索が出されるだろう。
全てをかなぐり捨てるわけにもいかず、かといって一度抱いた想いを諦めることも出来ない。感情のままに行動しても上手くいかないことは分かっていたが、日毎想いは募っていく。
理性と感情の板挟みだ。
「家族も国も関係ないと、全て捨てて墓地に向かえば良かったのかもしれない……。だけど俺はそんな無責任なことは出来なかった。家族も国も、ちゃんと愛してたんだ」
「アルフレッドが無責任に捨てるような人だったら、私の方が受け入れられないよ」
「そっか、なら俺の判断に間違いは無かったんだな。……だから全て整えた。当面の資金を得て、どこに行っても生活出来るように様々なことを学んだ。俺が居なくなった後を継げるようにトリスタンに学ばせ、何かあれば支えになるよう婚約者にアンバーを選んだ」
その日々を思い出しているのだろうか、アルフレッドが記憶を辿るように深緑色の瞳を細めた。
カティナを想い、墓地に行く日を胸に、それでも第一王子として務めていた。……いつか居なくなる第一王子として、いつか自分が居なくなっても国が揺れずに平穏を保てるように。
周囲に気付かれずに全てを整えるのは大変だっただろう。そうカティナが視線で問えば、アルフレッドが小さく笑って「演技は上手いんだ」と肩を竦めた。
現に誰一人彼の思惑に気付かず、そして彼の思惑通りに国は今夜も平穏を保っている。トリスタンは兄を失った悲しみを隠し時期王位継承者として務め、彼の隣には彼の象徴である赤を纏ったアンバーがいる。
「そうして準備を整えて、カティナを迎えに行った。初めて墓地に行った日だ」
覚えているか? と問われ、カティナが頷いて返した。
忘れられるわけがない。墓荒らしさえ来ない墓地に、見目麗しい青年が訪れたのだ。
素性を隠すために身形こそ質朴なものを纏っていたが、穏やかな物腰と口調から品の良さを感じさせる。そのうえ彼は穏やかに微笑んで名前を呼んでくれた。
「私の中で〝生きた人間”と言えば、仏頂面で食材や生活必需品を運んでくる人ぐらいだったから、アルフレッドを見た時はビックリしたよ」
「あぁ、そうだな。カティナは俺を見て驚いて、そして平然と俺の話を聞いていた。不遇を嘆くことも孤独を訴えることもなく……。もしもそのどれか一つでも口にしていたら、俺はカティナを浚ってどこか遠くへ行くつもりだったんだ」
「私を? 浚う?」
物騒なアルフレッドの発言にカティナが驚いて尋ねる。
浚う等と尋常ではない。だがアルフレッドに冗談を言っている様子はなく、それどころか「本気だったよ」とかつての自分の意思をはっきりと肯定した。
「カティナを浚って、君の一族も誰も追ってこられない場所へ連れて行ってしまおうと思っていたんだ。だけどカティナはここでの生活に不満も苦労も無いと言いたげで……だから俺は浚うのを諦めて、もう一つ別に考えていたことを話した」
「……自分が殺されたら、誰が犯人を探りたい」
「あぁ、そうだ。あの時俺は国や家族を守る為だと話した。それは嘘じゃない……だけど本当は」
ふと言葉を止め、アルフレッドが手を伸ばしてきた。指先からそっとカティナの手に触れ、優しく握ってくる。
温かさの無い、冷たい手。肌は白く少しかたい。
その手にゆっくりと指を絡められ、カティナが小さく体を震わせた。亡霊達の擦り抜けるスキンシップとは違い、肌と肌が触れ合う。
ひんやりとした冷たさがスルリと滑るたびにカティナの肌を敏感にさせ、絡められれば言いようのない感覚が伝う。冷たいのになぜか熱い。彼の冷たさが熱に変わり体中を駆け抜け、そして心臓を締め付ける。
「アルフレッド……」
「本当は、犯人捜しよりもカティナのそばに居たかったんだ。蘇って、カティナと居られるならこれ以上の事は無い。もし失敗しても、カティナの居る墓地で眠ることが出来る」
それがどれだけ幸せなことか、まるで訴えるように語るアルフレッドに、カティナが彼と彼に握られた己の手を交互に見た。
生気のない白い肌。だがカティナだって日の光とは無縁の生活を送っているのだ。生気が無いとまでは言わないが、肌は白く健康的とは言えないだろう。
そんな二人の手が重なり、指を絡ませ合い時に互いの肌を堪能するように指を擦る。その光景はどことなく退廃的だ。
「アルフレッド、私の生活は哀れなんだって」
「哀れ?」
「うん。誰も居ない墓地で、誰にも知られずに暮らすのが哀れで可哀想って」
もしもアルフレッドが同じ人間に再度殺されることが出来たなら、そして彼も共に墓地に帰るというのなら、そんな哀れな生活を送らせてしまうことになる。それも終わりなく、尽きることも無く永遠に……。
それが躊躇われるとカティナが小さい声で告げれば、アルフレッドが深く息を吐いて「カティナ」と呼んできた。
落ち着いた優しい声。だが彼の手は声に反して力を増し、強くカティナの手を握ってきた。先程までの優しく擽ったい触れ方ではなく、まるで離すまいとしているかのようではないか。
「カティナ、他の誰が君の生活を憐れもうとも、俺は君と居たい」
「でも、墓地での生活には何もないよ。こんな豪華な部屋も、食事も、洋服も……それに誰もいない……」
「君が居るだろ。俺はそれだけで良い。あの日からずっとカティナの事を想っていた。そばにいることを願い、何度も君を浚おうとした。それが許されないのなら自ら命を絶とうとも考えた。君といられるなら死ぬのは怖くなかった、誰に何度殺されても構わない」
真っすぐに見据えて語ってくるアルフレッドに、カティナが小さく息を吐いた。彼の一言一言が胸に溶け込み、深緑色の瞳が心臓を締め付ける。
だが次の瞬間しめつけられていた心臓が跳ね上がったのは、アルフレッドの手が絡めていた指を解き、頬に触れてきたからだ。
頬を掌で覆われれば冷たさが伝わる。親指の腹で優しく撫でられると、冷たいはずが肌の内に熱が点ったような錯覚を覚える。
そうしてカティナが逃げないことを察すると、アルフレッドがゆっくりと身を寄せてきた。深緑色の瞳が細まっていく。閉じられる間際まで、彼の瞳に映っているのはカティナだけだ。
「……アルフレッド」
小さく彼の名を呼んでカティナも目を閉じれば、唇に柔らかな冷たさが触れた。




