26:蘇りの王子は己の死後を知る
床に伏せるアルフレッドを見つけたのは、彼を起こしに来たメイドである。
普段のアルフレッドは起床予定の時間より早く起き、身形を整え、自ら淹れた紅茶を飲みつつ起こしに来たメイドを出迎えていた。
時には先に部屋を出て、メイドを見つけるや朝の挨拶と共に「起こしに来なくていいから」と冗談めいて告げてることもある。その規則正しさと言ったら無く、世話役やメイド達が「自分の仕事がなくなってしまう」と笑いながら話す程であった。
だがその日だけは違った。
メイドが幾度扉をノックしても返答は無く、他の召使達に彼を見かけなかったかと尋ねても誰もが首を横に振る。
アルフレッドが起きて部屋を出た様子はなく、そして室内で起きている様子も無いのだ。
こんな珍しいことがあるのかとメイドが驚愕を覚えつつ、それでも本来の仕事を務めようとノックを続ける。だが一向に返事は無く、室内で誰かが動いている気配もない。
いったいどうしたのかと疑問を抱き、そして扉の鍵が開いていることに気付くとゆっくりと押し開け……。
「前日はパーティーがあり、アルフレッド様はお酒を飲まれていました。メイドもその時までは、前日の疲れと酔いで深く寝ているのだろうと考えていたようですが……」
扉を開ければ、床に伏せるアルフレッドの姿。
驚いたメイドが慌てて駆け寄るも返答どころか呼吸をしている様子もなく、悲鳴と共に人を呼び、誰もが駆けつけ、医者が呼ばれ……。
そして凶報が流れた。
アルフレッドが死んだのだ。いや、発見時既に死んでいたのだから、彼の死が周知の事となったというべきか。
その後ジルの指揮のもとアルフレッドの遺体は聖堂に眠り、レナードが盗み出しカティナの元へと運んだ。事の流れと重要性を考えれば、レナードにはよくぞ三日でアルフレッドの遺体を盗み出せたと言いたくなる。
どれだけ大変でリスクを負っただっただろうか。犯人が特定できない中では、一人で行動することも難しかっただろう。それどころか、一時は死因究明のために医者に解剖を頼むという話まであったのだという。
「ジル様がアルフレッド様を傷つけたくないと訴えて事なきを得ましたが、どうなるか定かでない時は気が気じゃなかった。まさか陛下に意見するわけにもいきませんし」
「そうか、遺体が綺麗だったのは姉さんのおかげか。体が崩れていたらこうやって動くのも難しかったから、全て打ち明けたら礼を言わなきゃな」
冗談めいて話すアルフレッドに、レナードが呆れを込めた溜息を漏らす。
そんな二人のやりとりを眺めつつ、カティナは聖堂内の光景を思い出していた。今日も溢れんばかりに花が捧げられ、ジルにより美しく管理されているのだろう。
そこにアルフレッドの遺体は無いのに。そして花を贈る者達は誰もが赤を纏うのだ。アルフレッドを偲びつつ、トリスタンに取り入るために。
清らかにも打算にもなりきれない、情と欲の合わさった王宮と聖堂。
これが生きた人間の柵なのだとしたら、これほどまでに気持ちの悪いものはない 。
余波一つ届かない墓地で暮らしていて良かった、そうカティナが考えれば、表情に出ていたのかレナードが困ったように眉尻を下げた。
彼は黒を纏っている。だがこの広く絶えず人が行き来する真っ赤な王宮では、たとえ彼が全身に黒を纏っても埋もれてしまいそうだ。
「この王宮をどうか非情と思わないでください。突然の不幸にトリスタン様は随分と憔悴されていました。ですが周囲の視線が己に注がれていると悟るや気丈に振る舞い、アンバー様もトリスタン様を支えようと努めています。誰もが皆、悲しみに暮れたいのを堪えているのです」
「……リドリーも?」
「あの方は誰より先に赤い服を着だしました。そりゃもう呆れてしまう速さです。……まぁ、アルフレッド様の凶報を聞いて駆け付けたのもあの方が一番早かったんですが」
当時の事を語るレナードの口調はどこか不満そうだ。
リドリーが誰より先にトリスタンに取り入ろうと赤い服を着たことは気に入らないが、アルフレッドを思い直ぐに駆け付けたことは認めざるを得ない……と、こんなところなのだろう。
仲が悪いわけではないのかとカティナが見上げれば、視線の意味を察して居心地の悪さでも感じたのか、レナードの黒い瞳が不安げに泳ぐ。
そうしてついには「何か?」と言って寄越すのだ。なんとも分かりやすく、彼の表情が険しくなっても今更臆する者でもないとカティナが肩を竦めて誤魔化した。
「リドリーはレナードをあしらうのが上手かったからな。それにあの厄介な性格を俺もアンバーも言及せずにいたから、レナードは余計に毛嫌いしてるんだ。でも認めないわけにもいかないんだろ」
「複雑なんだね」
「そうでもないさ。リドリーの方は面倒だの頑固だの言ってるがレナードを気に入ってるみたいだし、あの二人ならこれからも上手くやれるだろ」
アルフレッドが笑いながらスープを掬って口に運ぶ。
時刻は既に夕方を過ぎており、窓の外は日が落ち夜の闇が広がっている。
あの後もレナードとしばらく話をし、彼が職務に戻ってしばらくすると夕食が運ばれてきた。もうこんな時間なのかとカティナが時計を見上げてしまった程である。
だが確かに見上げた時計は夕刻時を示しており、外も日が沈み夜の闇が広がり始めていた。盛り上がりこそしなかったが、それでも随分とレナードと話し込んでいたのだろう。
ならば聖堂は明日にしてせっかくの食事を堪能しようと考え、今夜もまたカティナの部屋で二人向かい合って食事をすることにした。
そうして取る食事は、どれもが豪華で流石王宮の一言に尽きる。
盛り付けは美しく、細かに切られ描くようにソースを掛けられた食事はまるで芸術品のようだ。もちろん味も一級品で、肉一欠片でも一流のシェフが時間を掛けて染み込ませたことが分かる。
だがそんな王宮の食事を前にしてもアルフレッドの手の動きは遅く、スープを少し掬って口にするだけだ。目の前の皿へと向ける視線は歓喜も食欲の色も一切なく、厨房のシェフが見たらこれほど食わせがいのない相手はいないと嘆きかねない。
「カティナ、俺の料理も食べるか? 人参の花もある」
「別に人参の花が好きなわけじゃないよ。それに食欲が無くても少しくらい食べておいた方がいいよ、墓地に行ったらこんな豪華な食事出来ないし」
「そういえば、墓地の食事はどうしてたんだ?」
アルフレッドの問いに、カティナが答えようと口を開きかけ……ムグと噤んだ。
墓地での食事を思い出したのだ。そして思い出したがゆえに、目の前の豪華な食事と頭の中で比較してしまう。圧倒的な差どころではなく、同じ食事と分類することすら烏滸がましい。
なにせカティナの食事と言えば、定期的に運ばれてくる食材を調理したものと、野菜の切れ端を入れて作ったスープが定番メニューである。時々はパンや森で得た木の実を添えるが、それだって見栄えではなく腹の足しのためである。
味も見栄えも一級品の王宮の食事が常であったアルフレッドからしてみれば、カティナの作る食事は貧相どころではない。これが食事なのかと疑ってもおかしくないものだ。
思わずカティナが「第一王子様のお口には合わないかも」と告げれば、アルフレッドが慌てたように「そんなまさか!」と声をあげた。それを聞き、カティナが彼へと視線をやり……一瞬漂った冷ややかな空気にふるりと体を震わせた。
窓が開いていただろうかと周囲を窺うも、それに気付かずアルフレッドが話を続ける。
「カティナが作る料理ならなんだって喜んで食べるさ!」
「当然だろ。それに、俺は飲んだことがないがパンプキンが作るスープは絶品に違いない! たまに煮えきっていないのか険しい顔でゴリゴリと人参を咀嚼してるが、そんなパンプキンも愛らしい!」
「カティナ、これからは二人で作ろう。一緒に作って、一緒に食べるんだ。俺は料理なんてしたことないが……ん?」
おや、とアルフレッドが話の途中で言葉を止めた。
カティナも割って入ってきた聞き覚えのある声に目を丸くさせ、キョロキョロと声の出所を探る。
威勢の良い青年の声、誰のものかなど確認するまでもない。カティナを『パンプキン』と呼ぶのは一人しかいない……。
「ヘンドリック卿?」
そうカティナが墓地にいるはずの騎士の名を呼び、招かれるように窓へと向かう。
そうしてカーテンを空けようとし……スルリと部屋に入り込み、それどころか体をすり抜けていったヘンドリックの冷気にあてられふるりと小さく体を震わせた。相変わらずひんやりと冷たい。
だがヘンドリックが今更それを気遣うわけがなく、彼は部屋に入るや恭しくカティナの前に跪いた。豪華な王宮の一室、青白く灯る騎士が跪く姿は幻想的で物語めいて見える。
「このヘンドリック、愛しいパンプキンの求めに応じ馳せ参じた!」
「ヘンドリック卿も伸びてきたの?」
「あぁ、かなり強引な方法だから腹から千切れかねないが、なんとか伸びてくることが出来た」
「千切れちゃうの? 大丈夫?」
「ギャンブル伯が『千切れたら上半身と下半身どっちが早く帰ってくるか賭けになるな』って言ってたから問題ないだろ。それよりパンプキン、俺はパンプキンの方が心配だ」
自分のことはどうでも良いのかあっさりと話し終え、ヘンドリックが眉尻を下げてカティナを呼ぶ。
跪き片手を差し出してくる姿はまさに騎士だ。
それに応えるべくカティナも片手を彼へと伸ばした。手を乗せるように、それでいてすり抜けてしまわないように、青白く灯る手のうえに己の手を浮かせる。
指先にひんやりとした冷たさが伝ったのは、きっと触れたからだろう。冷たさはあっても触れている感触も手応えも無いのだが。
「実体を失い墓地に囚われることがこんなに恨めしいなんて、99年一度たりとて思わなかった。パンプキン、貴女のそばに仕え守ることの出来ない無力な騎士を許してくれ」
「許すも何も、そんなに想ってくれることが嬉しいよ」
「何かあれば必ず貴女の元に駆けつけると誓おう。可愛いパンプキン、だからどうか、有事の際にはこの騎士の名をっ……!」
名を呼んでくれとでも言おうとしたのだろう。だがそれは叶わず、ヘンドリックの姿があっと言う間に消えた。……というより、窓に、その奥に広がる夜の闇へと吸い込まれていった。
その早さと容赦のなさいったら無く、思わずカティナが目を丸くし、「ヘンドリック卿?」と早々に彼の名を呼んだ。だがあいにくと今回は返事が無く、彼が駆けつけてくる様子もない。
「シンシアの時より早かったな」
とは、窓を開けて外を覗くアルフレッド。あまりの早い展開と退場についていけなかったと言いたげだ。
カティナも彼の隣に立ち、ヘンドリックが消えていった夜の闇を見つめた。眼下には王宮と街の明かりが灯り、まるで星のように延々と広がっている。
そのずっと先には墓地があるのだろうか。だけどあの墓地は暗い森に囲まれており、眼下の明かりのような華やかさはない。灯るものといえばカティナの小屋の明かりと、外を歩く時に手にするランタンだけだ。
その明かりは小さく、きっとこの王宮からは見えないだろう。
「ヘンドリック卿はまだ99年しか経ってないから、多分あんまり伸びてこられなかったんだと思う」
「そうか。でも腹から千切れるよりはマシだろうな」
物騒なことを言って再びテーブルへと戻っていくアルフレッドに、カティナが肩を竦めて返す。確かに腹から千切れることに比べれば、この強制送還はまだマシといえるだろう。
だが今頃墓地では早すぎるヘンドリックの帰還をシンシアがこれでもかと馬鹿にして笑い、罵り合いの喧嘩が勃発しているに違いない。
墓地に帰って最初に取りかかるのが二人の仲裁とは、なんとも気が重くなる話ではないか。自分を間に挟み、スルリスルリと体をすり抜けながら訴え喧嘩するシンシアとヘンドリックを想像すれば、自然とカティナの体が震えてしまう。
もちろん、彼等の冷気を思い出してである。
ギャンブル伯が二人を宥めておいてくれれば良いけれど……。そうカティナが一抹の望みを抱きつつ、ゆっくりと窓を閉めた。




