25:黒の騎士に突きつける事実
「不慣れなものですから、きちんとしたものが飲みたければメイドをお呼びして淹れ直します」
そう告げてレナードが紅茶の手配をする。
本人が言う通りその動きはぎこちなく、茶器を動かすたびにカチャンカチャンと甲高い音が響く。王宮で行われる紅茶の手配というには優雅さに欠け、これが良い家柄の子息令嬢であれば見ていられないと彼を下がらせていただろう。
だが元よりレナードは王宮を守る騎士なのだ。剣を手に国に害成す者を討つのが仕事であり、ティーポットを片手に紅茶を注ぐことは全くの畑違いである。
そのせいかやたらと時間が掛かり、カティナが受け取った紅茶は通常のものより随分と色濃かった。試しにと一口飲むや口内に渋みが広がり、慌てて砂糖を二つ入れてしまう程である。
それでもまだ飲んだ後に喉奥に渋みが残るのだからよっぽどだ。
これは手際の問題だけではない……。
大方、扉の前で室内を窺ったり入室のタイミングを計っていただのだろう。その間紅茶はティーポットの中で刻一刻と色と味を濃くし……そしてこの有様だ。
これでもかと濃度を高めてどす黒くなった紅茶とレナードを交互に見れば、カティナの言わんとしていることを察し己の失態に気付いた彼が眉間に皺を寄せつつ「申し訳ありません」と詫びてきた。
そんなやりとりにクツクツと笑う声が割って入ってくる。
見ればアルフレッドが楽しそうに瞳を細め、受け取った紅茶に砂糖を入れて混ぜている。
「レナードに紅茶を上手く淹れる器用さなんて無いよ。零さなかった褒めたいぐらいだ」
「……随分な言いようですね」
「そりゃ、今まで何度も零されたからな」
笑いながら話しアルフレッドがティーカップに口をつけ……「本当に渋いな」と眉を潜めた。小さく舌を出すのは不味いと訴えているのだろう。
そんなアルフレッドに対し、カティナは何も言わずチラと一瞥するだけにとどめた。
「あぁ、言うことにしたんだ」と、心の中で呟く。もちろん、何を誰に等と言うまでもない。レナードへと視線を向ければ、彼は皿に載せたケーキを手にしたまま動きを止め、黒い瞳を丸くさせている。
「……今まで、何度も?」
「あぁ、お前の不器用はそう簡単には治らないだろう。たとえ、俺が死んでもな」
「何を言って……」
淡々と告げるアルフレッドに対し、レナードの声は徐々に声量を失っていく。
告げられる言葉からアルフレッドの正体を察し始め、それでいて信じられないと己の中で否定が浮かんでいるのだろう。混乱と葛藤の極限に違いない。
手にしていた皿が彼の手からスルリと落ち、高い音を立ててティートロリーに落ちる。割れこそしなかったがチョコの盛られたケーキが倒れて無残に崩れた。
だが今のレナードにはそれを戻す余裕も、ましてや汚れた皿を拭う余裕もないようだ。ただ黒い瞳でじっとアルフレッドを見つめている。
そんなレナードの視線にアルフレッドが小さく笑みを零し、まるで見せつけるように眼帯を外し……、
「防腐処理ありがとうな。おかげでまだ動ける」
と、深緑色の両の瞳で見つめ返した。
「……アルフレッド様?」
「馬鹿だな、そんな黒い騎士服なんて着て。お前も赤い服を着ればいいのに」
「なんで、だって貴方は……」
呼吸が浅くなっているのかレナードの厚い胸元が小刻みに上下する。
そんな彼を横目に、カティナは自分も何か説明するべきかと考え口を開きかけ……、
「アルフレッド様に何をした!
という荒々しい怒声と共に、瞬時に伸ばされたレナードの手に胸倉を掴まれた。強引に押し上げられれば背筋が伸ばされ、体が浮きかけて爪先が床のカーペットを擦る。
突然の事にカティナは避けることもましてや悲鳴をあげることも出来ず、驚いて開いた口からはただ空気が漏れるだけだ。
アルフレッドが慌ててレナードの名を呼ぶが、激昂する彼はその声も耳に入っていないのか一際険しい眼光で睨み付けてくる。
「レナード、やめろ! 落ち着け!」
「貴様! 全て知っていて、あの時アルフレッド様の遺体を受け取ったのか! こんな事のために!」
怒鳴りつけられ胸倉を掴まれたまま揺さぶられ、カティナが苦痛で眉を潜める。何か言ってやりたいところだが、この体勢ではまともに話せない。
仮にカティナがどこにでもいる平凡な、それこそ田舎のカボチャ畑で育った少女であったなら、今頃恐怖で震えあがって涙ぐんでいただろう。今のレナードはそれほどまでの迫力なのだ。
だが生憎とカティナは墓守で、今更生きた人間に凄まれた程度で臆するものではない。苦しいと訴えるように冷ややかにレナードを見据え、アルフレッドに制止されて彼がようやく手を放すとよれた襟元を直した。
「あぁビックリした」という言葉は、我ながら驚愕の色は皆無である。
「落ち着けレナード、これは俺が決めてカティナに頼んだことだ」
「ですがアルフレッド様、どうして……」
激昂から一転、アルフレッドに諭されるやレナードの表情が青ざめていく。
眉尻が下がり声が震え、険しかった表情も苦し気に歪み、相手を貫かんと鋭かった眼光も今は酷く痛々しい。一寸前の形相が嘘のようだ。
そんなレナードに対し、アルフレッドは落ち着き払った態度で「酷い顔だな」と彼を茶化した。もっとも、言葉こそ冗談めいてはいるもののアルフレッドの声もまた微かに震え、笑おうとしているのだろう頬が引きつっている。
カティナはそれに気付いたものの、指摘をすることも言及することもなく一瞥するだけに止めた。
不要な発言をして再びレナードの怒りを買うのは御免だ、怖くはないが胸倉を掴まれるのは苦しかった。なによりアルフレッドを労わってやりたいところだが、この冗談が彼の精一杯の強がりだと分かる。
ならばここは彼の無理を見なかったことにして強がりにのってやろう……そう考えたのだ。
そうしてレナードを交え、三人でテーブルを囲んで今までの事を話す。
レナードが運んだアルフレッドの遺体をカティナが動けるようにしたこと。だが時間が経てば彼の腐敗は進み魂が維持できなくなる、それまでに彼は同じ死を辿らなくてはいけないこと……。
それが叶えばカティナは禁忌を犯し人ならざるものへと成ることが出来、アルフレッドも腐ることなく永遠に居られる。
そのために王宮に戻ってきたのだとアルフレッドが話せば、元より青ざめていたレナードが耐え切れなくなったのか頭を抱えて俯いてしまった。
あまりに突飛な話すぎて信じられなくなったのだろう。だが目の前には死んだはずのアルフレッドが居り、そもそもこの突飛な話をしているのがアルフレッド本人なのだ。
到底信じられる話ではなく、それでいて作り話だと言い切れぬ確かな証拠が目の前にいる。
事態を理解しきれず頭痛でもおこしたか、額を押さえる手の隙間から彼の眉間に皺が寄っているのが見える。
「三流作家だってもっとマシな話を書く……」
辛うじて絞り出された彼の皮肉は尤もで、これにはカティナとアルフレッドが顔を見合わせてしまった。
確かに、こんな話を信じろという方が無理な話だ。『死んだ人間がもう一度死ぬために帰ってきた』等と、素面では到底話せることではない。
だがレナードは信じることにしたのか、かなり渋い表情と重苦しい口調ながら「それで」と話し出した。
「それで、この事は他には誰が?」
「いや、話したのはお前だけだ。誰が俺を殺したのか予想もつかない現状、容易に打ち明けることは出来ないだろ」
「そうですね……」
「全て終わったら俺はカティナと墓地で暮らすんだ。それも考えれば、おいそれと周囲に言いふらす必要はない。……話すようなことでもないしな」
「不用意に話せば混乱を招くでしょう。俺も遺体を盗んだと訴えられるのは御免です。ジル様に知られたら、弁明する間もなく処断されかねません」
「……ジルが?」
処断等という物騒な単語と共にジルの名が出て、カティナが驚いてレナードに視線をやった。
彼は眉間に皺を寄せたまま、カティナの視線を真っすぐに受けている。ジルの名前を訂正する様子はなさそうだ。
明るく美しく気さくな彼女が、いったいなぜこのように言われているのか。
確かに、第一王子であるアルフレッドの遺体を盗み出したとなれば重罪である。「忌み子の墓守に遺体を渡した」等と言えば王宮側の怒りを買うのは明白、弁明も許されず処罰される可能性だって高い。
当然と言えば当然、王位継承云々を抜きにしてもこれは死者への冒涜でしかなく、反逆心しさえ言える。国はもてる力すべてでレナードを罰するだろう。
だがその筆頭にあえてジルの名前を出したことが理解出来ずにいると、そんなカティナの疑問を察したのか、レナードが説明するように話し出した。
「聖堂の祭壇はジル様が取り締まっています。『麗しいアルフレッドがいつまでも綺麗でいられるように』と仰り、今も庭園以上に厳しく管理されている。なのに実はアルフレッド様の遺体が無いなんて知ったら……」
「断首で済めば御の字かもな」
想像するのも恐ろしいと言いたげにレナードが表情を顰めるが、それに続くアルフレッドは苦笑を浮かべており、どこか茶化すような様子さえ見せている。
だが次の瞬間にはその表情を真剣なものにかえ、落ち着き払った声でレナードを呼んだ。
「知っている限りで良い。事件のあらましを……俺が死んだあの晩からの事を教えてくれ」
まるで覚悟の上だと言いたげなアルフレッドの落ち着いた声に、レナードが僅かに瞳を細め……ゆっくりと口を開いた。




