22:二人の王子
「カルティアと申します。ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ありませんでした」
「いや、こちらの方こそ突然すまない。姉さんがどうしてもカルティアを見せたいって言って聞かなくて」
慌てて頭を下げるカティナに、トリスタンが苦笑と共に告げてくる。その言葉こそ謝罪を示すものだが、口調も態度も余裕を見せるあたりがやはり王族だ。
ジルもトリスタンもこちらの都合などお構いなしに現れたが、彼等は王族なのだ。それも王女と王子、普通であれば謁見の許可を求めた上で丁重に挨拶をしなければならない存在である。もちろんご機嫌伺いの言葉を添えて。
だが当人達には遅くなった挨拶を咎める気はないようで、トリスタンは「畏まらなくていい」とカティナに頭を上げるよう促し、ジルに至っては「美しい所作ね」とカティナの品の良い挨拶を愛でてきた。
そこに王族らしい堅苦しさはなく、カティナが心の中で安堵する。
アルフレッドが居ない今――そもそも、彼は自分がいなくなったことに気付いてくれただろうか?――王族二人を相手にするのは気が重い。500年前から99年前の礼儀作法は分かるが、現代のそれは教わっていないのだ。
そのうえ相手は王族なのだから、なにかあれば正体がばれるどころか不敬罪になりかねない。
だがジルもトリスタンも気負うような厳格さはなさそうで、これなら多少落ち度があっても許してくれそうだ。それどころかジルはご機嫌でカティナの銀糸の髪を撫でており、トリスタンも柔らかく微笑んでいる。
「兄の凶報を聞いて遠方から来てくれたそうだな。わざわざ出向いてくれたのに今まで礼も言えず、昼食の場にも顔を出せず申し訳ない」
「いえ、そんな……私とアルが無理を言って押し掛けただけですから。……それも、リドリーおじさんに頼んで」
リドリーの名をあえて口にし、カティナが返答を待つようにじっとトリスタンを見つめた。彼もまたリドリーの性格と迷惑な性質を知っているだろうと踏んで、だからこそ疑っていないのかと暗に尋ねたのだ。
それを理解したのか、トリスタンが分かりやすく肩を竦めた。
「リドリーおじさんか」と苦笑を漏らして呟くあたり、『アルとカルティア』が本当はリドリーの親族ではなく、金を積んで王宮に連れて来てもらったことは既に気付いているのだろう。
ジルもまた気付いているようだが「カルティアは綺麗だから良いのよ」と明後日な断言で済ませてしまった。
「レナードが、身元は分からないが兄を偲ぶ気持ちに偽ってる様子はないって言ってたんだ。あいつはリドリーが連れて来た者は片っ端から疑ってかかるが、そのぶん信用出来る。それなら弟として出迎えて礼を言うのは当たり前だろう」
「……そういうものですか?」
「そういうものだよ。相手がどんな身元だろうと、兄を偲ぶ気持ちには感謝と敬意を示したいんだ。喪に服せない薄情な弟なりに、せめて少しでもね」
上質の布で仕立てられた上着、そこに輝く銀の飾りを握りしめてトリスタンが話す。その声色は穏やかなものだが、飾りを握りしめる手には力が入っているようで、布に皺が寄っているのが見えた。
薄情な弟とは、兄を亡くしても華やかに着飾っている己のことを言っているのだろうか。だが喪に服せないとはどういうことなのか。
黒い服など好きに着ればいいのに……だがさすがにそれを口に出せずに出かけた言葉を飲み込んだのは、トリスタンが悲痛そうな表情で眉を顰めているからだ。
少なくとも、彼には喪に服したいという気持ちはあるのだろう。だがそれが叶わない、だからこそ苦しんでいる……。
なぜか? それが分からずカティナが彼の名を呼ぼうとした瞬間、それより先にジルが不満げな声色でアンバーの名を口にした。
「アンバーってば、カルティアが居るなら私も昼食会に誘ってくれてもよかったのに」
「誘われなかったんですか?」
「そうよ。アンバーとはあまり仲が良くないの。私と彼女の性格を考えれば、そりが合わないのも分かるでしょ」
「……うぅん」
己のことながらあっさりと言い切るジルに、カティナがなんと返せば良いのか分からず言葉にならない返事をする。
だが確かに、厳しさと気高さを持ち合わせるアンバーと自由奔放なジルでは合わないだろう。真逆とさえ言えるかもしれない。
だがそれが分かってもはっきりと言えるわけがなく、カティナがどう話題を変えようとあぐねいていると、まるで助け船のように部屋にノックの音が響いた。
ジルが入室の許可を出せば、ゆっくりと扉が開きリドリーが顔を覗かせる。
その後に続くのはアルフレッドだ。彼は室内にカティナの姿を見つけると安堵の表情を浮かべた。
「あらリドリー、どうしたの?」
「カルティアの姿が見えませんので探していたんです。まさかお二人と一緒に居たとは知らず、邪魔をして申し訳ありません」
「あら良いのよ。私がカルティアと話がしたくて、強引に誘っちゃったの」
悪びれることなく説明し、ジルがそっとカティナの背中を押してくる。
彼等の元へ戻るように促しているのだろうか。それに従いカティナがアルフレッドのもとへと向かう。見送るジルはリドリーとアルフレッドの順に右手を差し出し、甲にキスをされると満足そうに笑った。
「どこに行ったのかと思ったよ」
「ごめんね、一言いっておけばよかった」
「いや、すぐに気付かなかった俺も悪かった。……それに、おかげで会うことが出来た」
呟くように話し、アルフレッドがトリスタンへと視線を向ける。
兄弟の再会だ。もっともトリスタンはアルフレッドの事情を知らず、「君がアルか」とまさに初対面と言った様子で話しかけている。
……死んだ兄とは気付かずに。
「兄のために遠方から来てくれたと聞いた。確か、以前に兄を見かけたことがあるらしいな」
「えぇ、アルフレッド様をお見かけしたことがあるんです。一度きりですが」
「そうか、たった一度か……。それなのにわざわざ来てくれたんだな。だというのに城内も俺もこの有様だ、ガッカリさせただろう」
アルフレッドに見つめられることが辛いのか、それとも己のふがいなさに耐えきれなくなったのか、トリスタンがふいに顔を背けた。
赤い瞳が逃げるように足元を泳ぐ。その表情は見ているこちらの胸まで痛みかねないもので、アルフレッドが労るように彼を呼ぼうとし……一瞬出かけた「トリスタン」という言葉を飲み込んで「王子」と呼んだ。
カティナが彼を見上げれば、眉尻が下がり深緑色の瞳が切なげに細められている。きっとトリスタンの名前を呼びたいのだろう、兄として弟を労り、そして気苦労をかけたことを詫びたいに違いない。
だがそれは許されない。なにせ今のアルフレッドは『トリスタンの兄アルフレッド』ではなく『アルフレッドの凶報を聞いて駆けつけたアル』でしかないのだから。
「王子、そのように自分を責めないでください。立場や世間的な問題もあるのでしょう」
「……そうだな」
「アルフレッド様が亡き後でも王宮は落ち着いています。それはきっと王子がいらっしゃるからです」
「あぁ、ありがとう」
アルフレッドが労るように声をかければ、トリスタンが顔を上げて僅かながらに表情を柔らげた。
そうして壁に掛かっている時計を見上げ「もうこんな時間か」と呟く。
「今度時間を作るから、落ち着いて話をしよう。兄の話を聞かせてくれ」
「光栄です」
「トリスタンとアルが話をするのね。そうしたらカルティアは私と庭園を散歩しましょう。美しい庭園に美しいカルティア、きっと絵になるわ。それとも、やっぱり宝石箱にしまっちゃおうかしら。たくさんの花を敷き詰めて、きっと綺麗だわ。ねぇカルティア、庭園と宝石箱どちらがいい?」
「是非庭園でお願いします……」
「そう? それなら庭園でお散歩ね」
その光景を想像しているのか、ジルがうっとりとした表情で語る。綺麗、素敵、と浮かされるように口にするあたり、心はすでに庭園へと出かけてしまったようだ。
まさに自由奔放といったジルに、話題に出されたカティナはもちろんアルフレッドやトリスタン、それどころかリドリーまでもが言葉を失ってしまう。
「姉さんは随分とカルティアの事を気に入ったようだな。カルティア、滞在中できれば話し相手になってくれないか?」
「え、えぇ構いません……」
第二王子であるトリスタンから直々に頼まれれば断れるわけがなく、カティナが頷いて返した。
どうやらトリスタンもジルの美しい物好きには手を焼いているようで、「すまないな」と告げてくる言葉には手に負えないと無言の訴えが込められているように聞こえてならない。
そうしてジルを見つめる表情は、呆れと諦めそれでいて家族への愛も混ざったなんとも言えないものだ。
だがその表情はどことなくアルフレッドに似ている。きっとアルフレッドが生きていた時は二人して自由奔放な姉に振り回されていたのだろう。
「カルティア、引き留めて悪かった。そろそろ午後の会議が始まるから、これで失礼する。姉さん急ごう、遅れるとまたアンバーに怒られる」
「そうねぇ、面倒くさいけど仕方ないわ」
渋々といった表情で歩き出すジルをトリスタンが宥めながら急かす。その姿は姉と弟とは思えず、どちらが年上なのか分からなくなりそうだ。
そうして二人が去れば、部屋の中が一瞬にしてシンと静まりかえった。
「うまくやったな」とはそんな静けさを打ち破ったリドリーの言葉。大方うまくトリスタンとジルに取り入ったと、田舎出のくせにやるじゃないかとでも言いたいのだろう。
そんなリドリーに対してカティナは何と返していいのかわからず、ただ肩を竦めて返すだけにした。チラとアルフレッドを見れば、彼はリドリーに対して返す余裕もないのかじっと二人が去っていった扉を見つめている。
その深緑色の瞳は切なげで、形の良い唇が微かに動き、
「……ごめんな、トリスタン」
と消えるように小さな声をもらした。




