20:遠い記憶のカボチャ畑
アンバーの使いに呼ばれ、昼食の場へと向かう。
その一室は応接を兼ねているのかシンプルながら品良く調度品が置かれ、窓から覗く庭園の爽やかさとカーテンを揺らして入り込む風が居心地の良さを感じさせる。
王宮でありながら堅苦しさを感じさせず、それでいて気高さは忘れない。身分のある者達が気軽に食事と談笑を楽しむための部屋だ。
カティナとアルフレッドが通された時には既にアンバーをはじめとする面々が揃っており、各々がなんともそれらしい反応で迎えてくれた。
アンバーは優雅に微笑んで「座って」と促してくるが、その瞳はどことなく笑っていないように見える。彼女を取り囲む者達はチラと一瞥して頭を下げるだけで、すぐさまアンバーに向き直ってしまった。
今日も彼女は真っ赤だ。赤いドレスに赤い羽根の髪飾り。黒い薔薇のブレスレットだけがやはり浮いて見える。
いや、彼女だけではなくこの部屋にいる誰もが赤い。
唯一レナードだけが黒い正装を纏っているが、厳しい視線を向けてくるのでカティナは注視せずに一瞥するに留めておいた。彼の隣に座るリドリーが「まったくこいつは」と言いたげに肩を竦めている。
他にも数名が席についており、リドリーを覗けば比較的みな年が若いと言えるだろう。気負わないようにとアンバーが気を利かせて同年代を集めてくれたのか、もしくは彼女の息が掛かった者で固めたか……。
そんな中でもアンバーの隣が空いていることにカティナが気付くと、言わんとしていることを察したのか彼女が「多忙な方なの」と申し訳なさそうな表情で肩を竦めた。
はたして、多忙な方とはいったい誰のことなのか……そうカティナが首を傾げれば、隣でアルフレッドが「トリスタンだろうな」と小声で教えてくれた。
「その席はトリスタン様ですか?」
「えぇそうよ。二人の話をしたら是非ご一緒したいって。でもご多忙でいつ来れるか分からないから、先に始めてしまいましょう」
アンバーが背後に立つメイドに声を掛ければ、それを合図にテーブルに料理が運ばれ始めた。
暖かなスープに、円状にソースを掛けられた肉。真っ白な大皿にちょこんと載せられた料理はどれもが一口サイズだが、口に含んだ瞬間に味と濃厚さが満足感を与えてくる。
さすが王宮と言える豪華な料理で、昨夜の夜食でさえ立派だと感じていたカティナには眩しさすら覚えかねない。自給自足の小屋での食事が嘘のようだ……とりわけ、今目の前にある人参なんてまさに別世界である。
「人参が花の形になってる。凄い、綺麗、可愛い、美味しい」
「見惚れてると思ったら迷わず食べたな」
「凄く美味しい」
「それは良かった」
カティナがご機嫌で食べ進めれば、隣に座るアルフレッドが苦笑を浮かべる。
人参の花をフォークで摘んで口に運ぶ彼の仕草は、流石王子と言える優雅さだ。だが美味しいと表情を綻ばせることもなく、かといって不満を言うわけでもない。
淡々と食べるわりに、それでもアンバーと視線が合うと料理を褒めて感謝の言葉を告げる。こんな豪華な食事は食べたことがないと話すアルフレッドに、思わずカティナが心の中で「嘘つき」と呟いた。
食べ慣れているのだ。彼からしてみれば王宮の食事も皿の上で咲く花も見飽きたもの、今更愛でる必要もなければ、食事の美味さに驚愕することもない。
なんというシェフ泣かせか。もっとも、この場において人参の花を愛でているのはカティナだけなので、それを訴える気にはならないが。
そんな食事を進めていると、レナードが「ところで」とカティナとアルフレッドに視線を向けてきた。
彼の瞳が厳しさを増す。それを見て、カティナが「きたか」と心の中で呟いた。
尋問タイムだ。心無しか、アンバーの表情もどことなく厳しさを増して見える。
「アル様とカルティア様は遠方から来られたと聞きました。どのような場所なのか、お話を聞かせては頂けませんか?」
「レナード、お前なぁ……」
「リドリー様、何か問題でも? 俺は同じ故郷を遠くに持つ身として、是非とも話を聞ければと考えただけですが?」
「……それが話を聞きたがるやつの顔か」
リドリーが盛大に溜息を吐く。なにせレナードの表情は険しく、疑って掛かっているのが丸分かりなのだ。
現に彼が話し出すや部屋の空気が張り詰め、同席する年若い令嬢達が気圧され表情を強張らせている。もっとも、そんな中でもアンバーだけは冷静を保ち、それどころかこの機に乗じようと判断したのか「私も聞きたいわ」と続いた。
明確なまでの疑惑の視線に、アルフレッドが小さく溜息を吐く。そうして彼が話し出そうとしたのだが、レナードに「失礼」と遮られてしまった。
「昨日はアル様から話を聞きましたので、出来れば故郷の話はカルティア様からお聞かせいただきたい」
「私?」
「えぇ、何か支障がありますか?」
「……いえ、何も支障はございません」
獲物を狙う獣の如く眼光鋭く睨み付けてくるレナードに、カティナが心の中で白旗を上げた。さぁ話せ、ぼろを出せ、そう彼が言っているような気がしてならない。
そもそも、彼はカルティアがカティナだと気付いているのだ。そのうえで話を仰ぐのは「墓地の話しか出来ないんだろ、ほらさっさと尻尾を出せ」と、こういうことである。
なんて意地の悪い……。
思わず出そうになる溜息を無理に飲み込み、どうしたものかと考えを巡らせる。チラとアルフレッドを見れば彼もまたこちらを横目で窺ってきた。
その瞳がどことなく心配そうな色を含んでいるのは、アルフレッドもまたカティナが墓地しか知らず、そして墓地と墓石と亡霊の話しか出来ないと考えているからだろう。
だが事実、カティナは墓地しか知らない。
一帯に墓石が並び、湿気た空気が漂い、森に囲まれているため常に薄暗いあの墓地だけだ。王宮のような立派な建物はおろかまっとうな家も店もなく、あるのはカティナの住処である簡素な小屋だけ。
もちろんそんなことを話せるわけがなく、ならばとカティナがゆっくりと口を開いた。
「話をするのも恥ずかしいほどの田舎です。華やかなものも面白いものも一つとして無い、あるのは一面のカボチャ畑」
「……カボチャ?」
その光景を思い描くようにカティナが話せば、レナードやアンバーが意外だと言いたげに目を丸くさせた。
アンバーを取り囲む令嬢達も小声で「畑?」だの「随分と田舎ね」だのと小声で話をしているが、幸い話の真偽を疑っている様子はない。
そんな反応を眺めつつ、カティナが話をつづけた。
一面を緑で覆われたカボチャ畑。
収穫を待つだけの退屈な日々、疲労ばかり溜まる面倒な収穫の日。
良く言えば平穏であろうその光景に、若者が満足出来るわけがない。誰もが洗練された華やかな王都を夢見て、いつかこんな田舎を出るのだと夢を語って食べ飽きたカボチャ料理を口にする。
質素で面白味の無い光景と、退屈なだけの時間……。
「でも離れてようやく分かりました。一面に溢れた緑がどれだけ美しいか、その中に実るカボチャのオレンジは何より華やかで、あの光景はどんな絵画にも引けを取らない。豪華な昼食会に呼ばれても、美しい庭園を窓から覗いても、ふとした瞬間に思い描くのは見飽きたはずのカボチャ畑なんです」
「……そうですか。俺も田舎出だから分からなくもないですね」
カティナの話に感化されたのか、レナードがポツリと呟いた。その表情はどことなく故郷を懐かしんでいるかのようで、少し和らいで見える。
「カボチャ畑……随分と遠くから来たのね」
とは、レナード同様に表情を和らげたアンバー。彼女もまたカティナの話を信じたのだろう。
いや、レナードやアンバーだけではない。彼女の取り巻きも同じようにカティナの話に心打たれたと言いたげで、中には顔を見合わせて次の旅行は田舎を巡るのも悪くないと話をしている。リドリーでさえ、どことなく感心したと言いたげにカティナに視線を向けてくるのだ。
唯一アルフレッドだけが話のからくりを察し、小さく笑ってカティナを呼んだ。
「素敵な故郷だ。……なぁ、パンプキン」
「もう、パンプキンって呼ばないでよ」
クスクスと笑うアルフレッドをカティナが小声で咎め、拗ねるように唇を尖らせる。だが次の瞬間はたと顔を上げたのは、同席する一人の令嬢がカボチャ料理について話しかけてきたからだ。
これを無視できるわけがなく、ヘンドリックの話は後にしようとカティナはカルティアとして対応することにした。




