19:庭園に舞う黒衣の王女
微睡む意識の中、カティナがゆっくりと目を覚ました。
人肌に暖まった柔らかな布団を体に巻き付けるように手繰り寄せて起きあがれば、自分の体を包むのは淡いクリーム色のワンピース。黒いローブではないその見慣れぬ格好に、一瞬瞳を丸くさせ……次いで「あぁそうだった」と小さく呟いて頷いた。
ふわりと銀の髪が揺れる。これを結ぶリボンもまた淡いクリーム色である。昨夜見たときに部屋着には惜しいと思ったが、一晩空けて見直してもやはり感想は変わらない。
こんな洒落たワンピースを着て眠ったのかと、改めてそんな実感を抱いてしまう。
そんなことをぼんやりと考えつつ緩慢な動きでリボンを解いて手櫛で髪を整えていると、クスと小さく笑う声が聞こえてきた。
見れば、ソファーに座るアルフレッドが紅茶を片手に楽しげな表情でこちらを見ている。
彼はすでに着替えて身嗜みを整えており、まるで今すぐに茶会に招かれても問題ないと言いたげだ。そんな出で立ちで愛でるように瞳を細めて見てくるのだから、まさに寝起きといった様子のカティナはなんとも言えない気恥ずかしさを覚えてしまう。
思わず頭を掻いて誤魔化せば、それがまた楽しかったのかアルフレッドが更に笑みを強めた。
「二度と起きなかったら……なんて話をしたが、思い返してみると生前の俺は寝起きが良かったんだ。寝坊なんて一度もしなかった」
「なにそれ。私が起こすって言ったのに、なんだか騙された気分」
「それじゃ明日の朝はカティナより早く起きても寝たふりをしてるよ。ほら、紅茶飲むだろう?」
カティナがふくれっ面で訴えれば、アルフレッドが笑いながらカップを差し出してくる。
暖かな湯気と香りが漂う紅茶だ。これを寝起きに飲めるのなら、彼が先に起きるのも悪くない……と、そんなことを考えつつカティナがカップを受け取った。一口飲めば、まだ残っていた微睡みを美味しい紅茶が優しく流してくれる。
「明日は私が淹れてあげる」
「それは楽しみだ」
「明後日はアルフレッドね。これから毎日交代で淹れよう」
「あぁ、そうだな。これから毎日……終わりなくずっと……」
改めるように、そしてどこか自分の中に落とし込むように、落ち着いた声色でアルフレッドが答える。その表情はどことなく嬉しそうに見え、カティナがカップからあがる湯気越しに彼に視線をやった。
瞳を細めて愛でるようにこちらを見てくる。笑っているのか、泣きそうなの分からない、嬉しそうにも切なげにも見える不思議な笑みだ。
いったいどうしたのか、そうカティナが首を傾げれば、アルフレッドが己の持つカップに口を付けた。まるで落ち着かせるようにゆっくりと一口飲めば、彼の喉がコクリと動く。
「きみと朝を迎えられるんだ……」
そう呟くアルフレッドの言葉に、カティナは彼を見つめたまま「朝じゃなくて夜に起きるけどね」とだけ答えた。
運ばれてきた朝食を取り、王宮内を見て回る。
といっても深入りは避け、当たり障りのない場所だけだ。仮に王宮深くまで足を踏み入れて誰かに――それこそレナードやアンバーに――見つかりでもすれば、いったい何をしていたのかと問いつめられかねない。
ゆえに「物珍しさから」と言って誤魔化せる程度の場所を歩いて回り、ふとカティナが窓の下を歩く女性の姿を見つけて足を止めた。
眼下に広がる庭園。赤と白の薔薇が咲き誇るそこを、黒いドレスを纏った女性が周囲の美しさを堪能するかのような足取りで歩いている。この真っ赤な王宮において、彼女の黒いドレスは妙に目を引く。
そんな彼女は見つめられることに違和感でも覚えたのか足を止め、周囲を見回し始めた。動くたびに金の髪がふわりと揺れ、そうしてこちらを見上げると「あら」と声をあげた。
「貴女、カルティアね?」
澄んだ声で尋ねてくる。
太陽の光を受けて彼女の金糸の髪が輝き、風にのって声を届ける。朗らかに笑えばまるで花が咲き誇るように華やか。その姿はこの庭園のように美しく、それでいて漆黒のドレスが妙に浮いて見える。
まるで絵画にインクを一滴垂らしてしまったかのようではないか。だからこそ目が離せない。
「リドリーから貴女達のことを聞いているの。少し話がしたいわ。そっちに行っても良い?」
「いえ、その……私達が行きます」
彼女が誰かは知らないが、王宮にいるのだからそれなりの身分なのだろう。――自分達のようにリドリーが勝手に連れてきた人物でなければ、だが――
そんな相手を来させるわけにはいかないと考えカティナが告げれば、庭園の女性が一度頷き「待ってるわ」と風に揺れる髪を押さえて表情を綻ばせた。
彼女の名前はジル。この国の第一王女、アルフレッドの姉である。
アルフレッド曰く快活で自由奔放な性格をしており、美しいものが大好きなのだという。
特に庭園の手入れは王女でありながら自らが管理するほどで、枯れた花はもちろん枯れかけた花も許さず、花びらが寄れた薔薇でさえも美しくないと摘んでしまうらしい。常に最良の状態を維持することを求め、その拘りは周囲が呆れてしまうほど。ゆえに王宮の庭師は昼夜問わず薔薇を一輪一輪管理しなければならず、その労務は過酷と言えるだろう。
庭園の庭師に比べれば、とは誰もが一度は口にする言葉である。もちろん、自分の職務が楽だと言う意味でた。
もっともジルは美しさを保つためには人員も金も惜しまないため、王宮の庭師の仕事は過酷でありながら国の重役に並ぶ高給なのだという。
「その庭師も見目が良くないと雇わないんだから、姉さんの拘りはよっぽどだよ」
「厳しい人なの?」
「いいや、綺麗なものが好きなだけだ」
肩を竦めてアルフレッドが笑う。
その表情は穏やかで、懐かしんでいるような色を見せる。きっと姉弟の仲は良好だったのだろう、困ったと姉を語るわりに彼の口調はどことなく楽しげだ。
そうしてアルフレッドの案内のもと庭園へと向かえば、待っていたと言わんばかりにジルが小走り目に駆け寄ってきた。
彼女のドレスが揺れる。ふんだんに使われた黒色の布が波打ち、細かに飾られたレースとスパンコールがより裾を優雅に舞わせる。
黒一色でありながらそのドレスは華やかで眩しく、きつく絞られた上半身が腰の括れと胸元を強調している。ドレスの色合いとスタイルの好さが合わさって妖艶さを醸しだし、それでいて駆け寄ってくる姿は少女のようだ。
そんなジルはカティナのもとまでくると柔らかく微笑み、そっと手を伸ばしてきた。ドレスと同色の黒い手袋、布に包まれた細い手がカティナの銀の髪に触れる。
「綺麗な髪。遠目で見た時も綺麗で見惚れてたけど、近くで見てると見惚れるどころか触りたくなっちゃうわ」
「そうですか?」
「えぇ、日の光を受けて輝いて凄く綺麗。それに赤い瞳も、肌もとても白いのね」
「肌は日に当たらないだけです」
「羨ましいわ。私も庭園にでる時は日傘を差してるんだけど、どうしてもね。でも本当に、髪も瞳も肌も綺麗だわ、まるで宝石箱にしまわれていたみたい……」
死んだ人間を棺にならばまだしも、生きている人間を宝石箱にとはおかしな表現だ。そうカティナがきょとんと目を丸くさせるも、ジルは焦がれるような声色で誉めて銀の髪を梳いてくる。
その手を今度はカティナの頬へとするりと滑らせ、指の腹で撫でてきた。
くすぐったさに思わずカティナが瞳を細める。
「白い肌に赤い瞳、銀の髪……なんて綺麗なのかしら。アルも綺麗だけど、その眼帯はどうしたの?」
「昔怪我をして、その傷を隠してるんです」
「そう。貴方も綺麗なのに勿体ないわね」
カティナの頬を撫でつつジルがあっさりと告げる。
その口調には眼帯と下にあるという傷を労る様子はなく、本心で惜しいと思い、そしてその思いのまま「勿体ない」と口にしたようだ。次いで右手を差し出すのは挨拶を強請っているのだろう、アルフレッドが意を汲んで彼女の黒い手袋で覆われた右手を取り、会釈するように頭を下げるとその甲にキスをする。触れるか触れないか、既のところだ。
それを満足そうに受けるやジルは再びカティナへと視線を戻すと、見惚れるように顔をのぞき込んできた。
「カルティアは綺麗ね。傷一つ無いわ」
ジルの手が髪を梳き、そしてカティナの銀糸の髪を束に分ける。どうやら三つ編みにしたいらしく、するすると慣れた手つきで編み始めた。
だがその手をぴたと止め、次いで溜息混じりに「せっかく綺麗なカルティアを堪能していたのに」と不満げに呟く。
いったい何かとカティナが彼女の視線を追えば、足早にこちらに近付くレナードの姿。どうやらジルを呼びに来たようだ。
「最近は庭園を見ていてもすぐに誰か呼びに来るのよ、嫌になっちゃう」
「忙しいんですね」
「そうね。でも仕方ないわ」
第一王子であるアルフレッドが亡くなりジルも多忙なのだろう、それを思ってかジルがどこか遠くを見るように視線をそらした。
「アルフレッド、私の綺麗な弟……」
呟かれる彼女の声は吐息に近いが、すぐさまその憂いを帯びた表情を華やかなものに変え、手早くカティナの髪を編み終えた。
クルリと踵を返すと「またね」と告げて歩き出す。黒いドレスの裾が彼女の歩みにあわせて揺れ、その姿はまるで飛び立ち優雅に舞う蝶のようだ。
そうしてレナードに急かされてジルが去っていけば、庭園に残されたのは「相変わらずだ」と姉の自由奔放さを苦笑するアルフレッドと、三つ編みされた銀の髪を撫でるカティナ。
「姉さんはああいう人なんだ。まぁ、悪い人じゃないから」
「生きてる人間に誉められたの初めて」
「……俺だって誉めただろ」
「アルフレッドは生きてる人間じゃないよ。見て、三つ編みしてもらっちゃった」
嬉しい、とカティナが表情を綻ばせて歩き出せば、アルフレッドが「俺だって前から」とつぶやきながらそれに続いた。




