16:聖堂にて
急かすようにジッと見つめてくるレナードに、アルフレッドが小さく息を吐いた。疑り深さを前に参ったと言いたげではないか。そこに困惑する様子も焦る様子もなく、むしろ慣れに似た色さえ見える。アルフレッドとして話が出来るのであれば「昔からこうなんだ」とでも溜息交じりに言いそうなほどだ。
そんなアルフレッドが小さく肩を竦め、次いでカティナに視線を向けてきた。
徐々に細められる深緑色の瞳に見つめられ、いったいどうしたのかとカティナが首を傾げる。
「アル?」
「……初めてお見かけした時は、佇む姿の美しさに言葉を失った。その瞳に映りたいと思い、鈴の音のような声で名前を呼んでほしいと願った。幼い頃のほんの一瞬だが今でも鮮明に思い出せる。あれほど見惚れ、隣に居る事を願う相手はきっともう二度と現れないだろう」
どことなく熱に浮かされるようにアルフレッドが話す。まるで本人を前にして語りかけているかのようで、愛おしむように細められる瞳に見つめられカティナが僅かにたじろいだ。彼の言葉が耳に届き、体中に熱がめぐりそうだ。そんな錯覚を覚える程、今のアルフレッドは淡々とした口調ながら熱意的に話している。
穏やかで冷静で生前も己の死を考えるほど達観している彼に、こんなに熱い感情があったなんて……。
自分の事ではないと分かっていても、見つめられたまま語られると胸が締め付けられて息苦しさを覚える。そんな胸中の訴えから逃れようと視線を逸らせば、アルフレッドが小さく笑ってレナードへと向き直った。
「立場の違いは分かっている。でも役に立ちたいと思ったんだ。……何を失っても、何をしても」
「……それほどまでに」
「あぁ、それほどまでにずっと思ってた。名前も、姿も、髪と瞳の色も……忘れたことも無ければ、忘れようとも思わなった」
そう思い描くように告げるアルフレッドの瞳には、はっきりとした強い意志が感じられる。
レナードがそれを真っすぐに見つめ返すことで受け止め、次いで頷いて返した。その表情は僅かながら納得したと言いたげで、どことなく感心の色も含んでいる。
きっとアルフレッドの話を……『アル』の話に偽りは無いと考えたのだろう。そして、それほど強くアルフレッドを思い、そして私財をリドリーに払ってでも彼を偲ぶため王宮に来た意思を認めているのだ。
だがそれでも険しい表情を変えないのは、話こそ信じたがまだ身元に関しては疑っているからか。『カルティア』が『カティナ』であることに気付いているのだから尚の事、先程の話が真実であったとしても一から十まで信用するわけにはいかないのだろう。
逆に自分の存在が仇になった……そうカティナが心の中で呟いた。
きっと王宮に来たのがアルフレッドだけだったなら、レナードももう少し警戒の色をやわらげていたはずだ。もしかしたら先程の話を聞いて、『アル』を信用し、それどころか誠意を感じ取っていたかもしれない。
だがあいにくと現状レナードの警戒は解かれておらず、僅かに見せていた感心の色も今は消えてしまっている。後に残っているのは眉間に皺を寄せた険しい表情だけだ。
「大変貴重な話をありがとうございました。それほどまでにアルフレッド様を慕っておられたとは……。明日アンバー様と食事をするそうですが、俺も同席を許されております。より詳しく話を聞かせて頂けるのでしょう、楽しみです」
「なんだレナード、お前も同席するのか」
「……リドリー様もですか」
「そう露骨に嫌そうな顔をするな。アルとカルティアを連れてきたのは私なんだから、二人が呼ばれれば私に話が来てもおかしくはないだろう」
「……そうですね」
リドリーと話せば話すほどレナードの眉間の皺が深くなっていく。
『アルとカルティア』が怪しいことに変わりはないが、そもそもの諸悪の根源が隣に居る事を思い出したのだろう。言わずもがな、諸悪の根源とは身元のはっきりしない者を王宮に連れてくるリドリーの事である。
もっともいかにレナードが眉間に皺を寄せようがリドリーが己を省みることはなく、それどころか「行くぞ」と彼を促して歩き出した。
だがその直後にはたと何かを思い出したかのように足を止め、カティナに近付くと手にしていた花束を差し出してきた。
ふわりと包みの中で花が揺れる。
白と淡い黄色の花が飾られた綺麗な花束だ。中央には薄灰色の花弁に赤い雌しべの花が飾られている。
全体的に色合いは淡く統一されており、真っ赤な上着を羽織り宝石の着いた指輪をつけるリドリーには些か似合わない。どちらかと言えば、彼はトリスタンへのアピールも兼ねて真っ赤な薔薇でも持っていそうだ。
「リドリーおじさん、これは?」
「二人とも花は用意してないだろ。聖堂に行くならこれを持って行くといい」
「私が持って行って良いの? リドリーおじさんも聖堂に行くんでしょ」
「今日じゃなくても私はいつでも来れる。……それに、あれが一緒に居たら感傷にも浸れないだろ、どっかに連れて行く」
周囲には聞こえないよう声を潜めて話し、リドリーがチラと横目でレナードに視線を向けた。「あれ」がレナードの事だと言葉にせず告げてくるのだ。嫌悪を現したその視線はわざとらしく冗談めいていて、カティナがきょとんと眼を丸くさせるのを見ると今度は悪戯っぽく笑った。
それに対してカティナもまた笑みを零し、彼から花束を受け取った。
白い包みに白いレースが花を優しく包み、手元には金のリボンが巻かれている。ふわりと花弁とリボンが揺れる様はなんとも言えぬ美しさだ。
「それじゃアルとカルティア、今日はもう疲れただろうから早く休むと良い。ほらレナード、行くぞ」
体躯の良いレナードの背を軽く叩き、リドリーが歩き出す。
ここまで促されれば従わないわけにはいかないのだろう、レナードが渋々と言いたげにリドリーの後を着いて行った。
二人が遠ざかるのを見送り、どちらともなく改めて扉へと向き直って中へと進んだ。
聖堂の中はしんと静まっており、どこかから冷ややかな空気が伝う。
細かに描かれたステンドグラスは今でこそ夜の闇を背後に深い色合いを見せているが、日の明かりを受けていたらさぞや眩く幻想的に輝いていたことだろう。
王宮を覆いつくしていた赤もここまでは浸食できなかったようで、全てが白を基調に淡く彩られている。まるで隔離された別世界に来たかのようではないか。
そんな聖堂の最奥、二段三段と上がったところにはアルフレッドの肖像画が掛けられており、そして数え切れぬほどの花が飾られている。
白く眩いほどの花達はステンドグラスと合わさって神秘的な印象を与え、美しい花弁を広げ咲き誇る姿は故人を偲んでいるようにさえ見えた。その光景は圧巻であり、荘厳とさえ言える。
枯れた花など一輪としてない。
常に手入れをし、水をやり、そして誰もがこの場に花を捧げていることが分かる。
その光景の美しさに、カティナが赤い瞳をゆっくりと細めた。
リドリーの花は置くと共に無数の花達に埋もれてしまう。それほどまでに花が飾られているのだ。そして埋もれてしまうと分かっていても、誰もが皆この場に花を持ってくるのだろう。
「……アル?」
聖堂に入るや一言も発しなくなってしまったアルフレッドを案じ、カティナが彼を窺おうと振り返り……出掛けた言葉を飲み込んだ。
先程まで平然とリドリーやレナードと話していたアルフレッドが、今は堪えるように顔を伏せている。濃紺の髪を垂らし、その肩が小さく震えている。
「アルフレッド……」
「多少は弔ってくれていると思っていたんだ。だけど皆トリスタンに取り入るのに必死だろうと思って……それがまさか、こんなに……」
「綺麗だね。お花がこんなにたくさん」
「あぁ、そうだな……。なぁカティナ、俺はやっぱり……」
死んでしまったんだな。
震える声で問うアルフレッドに、カティナは彼の肖像画を見上げつつ頷いて返した。




