15:聖堂前の肖像画
王宮内は広く、かつひどく入り組んで複雑な造りになっている。そのうえあちこちに置かれた真っ赤な装飾品が方向感覚を鈍らせ、案内や見取り図が無ければ迷いかねない程だ。
だがアルフレッドは死ぬ直前までここで生活していたのだ。彼にとってはいかに広く複雑であろうと勝手知ったる場所、王宮内を進む歩みに迷いはなく、当然だが道を間違えることもない。
カティナはそんな彼の隣を歩きつつ、時折擦れ違う人を相手にシンシア直伝の『擦れ違う相手を虜にする方法』を実践していた。ちらりと視線をやって目を合わせ、擦れ違う瞬間に小さく微笑むのだ。別れを惜しむように流し目で追えば完璧……と。
「凄いね、さすがシンシアが教えてくれた技。殆どの人が振り返るよ」
「カティナ、やめなさい。なんだってシンシアはそんな事を教えるんだ」
「それが誇りなんだって。シンシアは社交界の花で、彼女に会いにパーティーに来る男の人も少なくなかったらしいよ。男の人は誰もがシンシアの事が好きで、だから争いになるのを恐れて結婚相手を決めなかったって言ってた。『自由に生きたかったの』って。でも、それでシンシアは……」
言いかけ、カティナがふと足を止めた。道の先に大きな扉が見える。
細かな掘り込みのされた立派な扉だ。その上には、扉に負けじと立派なつくりの肖像画が掛けられている。
「あれって……」
肖像画を見上げ、カティナがポツリと呟いた。
金糸の髪の端正な顔立ちの青年と、栗色の髪に金の飾りを付けた麗しい女性。二人が微笑み合って並ぶ様子を描いた美しい肖像画だ。
誰かなど確認するまでもない、アルフレッドとアンバーである。
もちろんアルフレッドは髪を紺に染めて片目を眼帯で覆い隠す『アル』ではなく、正真正銘この国の第一王子『アルフレッド』として描かれている。生前の彼だ。
絵画だというのにその凛々しさや聡明さは失われず、楽し気に微笑み合う様は見惚れるような美しさではないか。色を揃えた正装や互いの髪色を模した飾りはより両者の見目の良さを引き立て、仲の良さを見る者に訴えかけてくる。
今この瞬間にも二人の口が動き出し、何かを話してはクスクスと上品に笑みを零しかねない。
そんな肖像画をぼんやりとカティナが見上げていると、アルフレッドが同じように見上げ「ここに飾られていたのか」と呟いた。
「王宮に来た時、トリスタンの肖像画があっただろ。以前はあそこにこの肖像画が飾られてたんだ。それが今はここか……まぁ、当然と言えば当然かな」
「ここって?」
「この扉から聖堂に繋がっている。俺が……アルフレッド王子が眠っている場所だ。本来なら、ね」
弔いの意味を兼ねてこの肖像画が飾られているのだろう。だがそれを当の本人が見上げているのだから不思議な話ではないか。
まさかこの肖像画を描いた画家も、そしてアンバーさえも、死後のアルフレッドがこの肖像画を眺める事になるとは思いもしなかっただろう。
そうアルフレッドが笑いつつ肖像画を見つめた。
描かれているアルフレッドと同じ深緑色の瞳。それが微かに揺らいだのは、生前を思い出しているからか、それとも刻一刻と腐敗する体のせいで瞳が光を失いかけたからか。
「この肖像画を描かせた時、画家に『婚約者らしく仲睦まじくしてくれ』って言われたんだ。だけど俺達の間に恋愛感情なんてものは無く、仲睦まじくなんてどうすれば良いのか分からなかった。酷いもんさ、考えれば考えるほど他所他所しくなって、画家を随分と困らせた」
「でも、肖像画のアルフレッドとアンバーは凄く楽しそうに笑ってるよ」
「あまりに画家が困るもんだから、なにか盛り上がれる話題は無いかと二人で考えたんだ。でも生まれも趣味も読書の傾向も、好きな音楽も何一つとして合わなかった。だけど国政についての考え方は同じだった」
「国政? そんな難しい話をしてたの?」
「男女の会話とは思えないだろ。画家に描かせている最中、年内の外交計画について随分と盛り上がったよ」
どの国に使いを送るか、いつどの順番で諸外国を招くか、国家間のやりとりは、輸入輸出の取り決めはどこまで譲歩すべきか……。
政という話題で盛り上がり、互いの意見に関心したと頷いて称え合い、そして意見が一致すると微笑みあったのだという。
国費だの政策だのとあがる単語は婚約関係とは思えないほど堅苦しいものだが、肖像画は音声までは伝えてこない。
きっと画家も『描いてしまえばこっちのものだ』とでも考え、心の中で耳を塞ぎながら二人を描いたに違いない。
当時を思い出してアルフレッドが笑みを零す。
頬を染めるでもなく焦がれて愛おしむでもなく、ただ純粋に懐かしんでいる笑みだ。そこに本当に婚約者らしい恋愛感情が無く、それでいて第一王子と王妃候補としての敬意と信頼があったことが分かる。
そんな彼の横顔をカティナは見つめ、次いで聞こえてきた「アルとカルティアじゃないか」という声に慌てて振り返った。
そこに居たのは花束を抱えたリドリーと……そして険しい表情のレナード。リドリーは不思議そうに、そしてレナードはこちらの動向を窺うように、対局的な表情ながらに二人ともこちらに歩み寄ってくる。
「二人とも、そこで何をしてるんだ?」
「ここにアルフレッド様が眠っていると聞いたんです。だから、せめてご挨拶をと思いまして」
そう淡々と話すアルフレッドに、カティナもまた頷くことで肯定した。
『王宮内を散策していた』などと言えるわけがない。ましてや『アルフレッドを殺した犯人を捜していた』などともっての外。
そんなアルフレッドの話にレナードが訝し気に眉を潜めた。
彼の瞳は真っすぐにカティナに向けられており、優雅を取り繕いつつ見定めようとするアンバーの視線とはまた違った警戒を宿している。こちらは随分と露骨で、敵意が体に突き刺さるように伝わってくるのだ。
もっとも、第一王子を失った直後なのだから、謁見の申し出どころか身元もはっきりさせぬまま王宮を訪れた二人に対して疑いを抱くのも仕方がないだろう。
むしろレナードが警戒するのは王宮の警備を任される者として当然であり、赤い派手な衣服を競い合うように纏って訪問者を気にもかけず招き入れる方がおかしいのだ。
だがそれが分かっても凝視されるのは気分が悪く、カティナがどうしようかとアルフレッドを見上げた。彼は平然とした表情のまま、焦りの色一つ見せていない。
そんなアルフレッドをしばらく見つめていると、痺れを切らしたのかレナードがゆっくりと口を開いた。
「凶報を知り駆けつけたと聞いたが、お二人はアルフレッド様と顔見知りだったのですか?」
「小さい頃に一度だけお見かけした。多分、本人は覚えていないどころか俺に気付いてもいなかっただろうけど」
「小さい頃ですか。その時のアルフレッド様のお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
自分は幼い頃のアルフレッドを知らないから、そう説明するレナードは、誰が見ても思い出話を強請っているようには見えない。
アルとカルティアから話を聞き出し、矛盾を探そうとしているのだ。
警戒心はあるが取り繕う器用さは無いのか、彼の口調も視線も、さぁボロを出せと言わんばかりの露骨さである。
リドリーもそれを察したのかレナードを制止しようとしたが「故人を懐かしむことに何か問題が?」という手痛い一言を喰らって黙り込んでしまった。
リドリーからの援護は望めそうにないか……とカティナが心の中で呟く。元より期待していたわけではないが。




