14:墓守淑女は墓地で学ぶ
『流れるような優雅さで、それでいて余裕を見せて。満面の笑顔は駄目よ。まずは儚げに瞳を伏せて緊張してることを訴えて、ゆっくりと顔を上げて柔らかく小さく微笑むのよ』
そう教えてくれたのはシンシアだ。
彼女の礼儀作法は美しく気品があり、そして教え方は優しく心地よかった。まるで彼女の言葉が耳から入り体に溶け込み、手足を導いてくれるかのような錯覚を覚えるほど。
その一言一言を思い出し、そして手本を示してくれる姿を思い描いて真似る。――それと同時にギャンブルの「お、なんだ可愛いお姫様だな」という声と、ヘンドリックの「淑女のパンプキン!」という荒ぶった声も反芻されるが、今は脳裏の隅に追いやっておく――
そうしてゆっくりと顔を上げて小さく微笑みながらアンバーを見れば、彼女は意外だったと言いたげに琥珀色の瞳を丸くさせていた。その瞳とかち合えば、彼女もまた柔らかく微笑む。纏っていた警戒の空気がほんの少し解けたように見える。
彼女を囲んでいた取り巻き達もカティナを見つめており、一身に視線を受けるのはなんとも居心地悪いとカティナが心の中でぼやいた。
落ち着かない。たが目深に被って顔を隠すフードは無く、ここで帽子を被るわけにはいかない。だからこそ誰を見るでもなく周囲を見回し、はにかむように微笑んだ。
『何をするべきか分からなっても、ただ微笑んでいればいいのよ』
これもまたシンシアが教えてくれたことだ。
「二人とも、明日の昼は空いているかしら? 話を聞きたいの、もしよければ一緒にいかが?」
穏やかに笑いながら誘ってくるアンバーに、アルフレッドが光栄だと返す。
カティナもまた――内心では面倒だと思いつつ――頷いて返した。
アンバーの瞳は多少和らいではいるものの、まだ見透かさんとする厳しさが窺える。ここで下手に断れば、より彼女に疑われるだろう。
だからこそか応じれば、アンバーが嬉しそうに笑った。小さな振動を受けて彼女の髪を結ぶ赤いリボンが揺れる。赤いドレスに赤いリボン、左手首に巻かれた薔薇の飾りが着いたブレスレットだけが黒い。
おや……とそれを見てカティナが疑問を抱いた。だが問うより先に、アンバーが話し出してしまう。
「では、時間になったらメイドを呼びに行かせます。故郷のお話ももっと詳しく聞きたいし、楽しみにしているわ」
「私も……アンバー様とお食事が出来るなんて、夢のようです」
嬉しい、と小さく付け足すと共にカティナがはにかんで笑った。
これもまたシンシアから教わった術だ。
『こう言っておけば、より美味しい食事とそして豪華な贈り物が期待出来るのよ』
そう悪戯っぽく笑うシンシアの姿が脳裏をよぎる。――あと「懐かしい、私もよく可愛い娘たちに微笑まれて賭けで勝った金を貢がされたな」と500年前を懐かしむギャンブルと、「悪女だ……」と恨めしそうにつぶやくヘンドリックの姿も過ぎる。そのうえ何人かの亡霊達が墓石の下で悲鳴をあげていたのだから、当時のカティナが呆れ果てたのは言うまでもない――
だが今は周囲に呆れつつもシンシアに教わっておいて良かった、そう思う。
なにせアンバーが少し照れくさそうに「そこまで言われるなんて」と苦笑を浮かべ、取り巻き達も心なしか見惚れるように呆然としているのだ。そのうえアルフレッドまで見つめてくる。
彼等の表情に嫌悪や警戒は無い。それどころかはたと我に返ると共に話しかけてくる態度は、どことなく友好的にさえ思える。
効果は抜群、墓地に帰ったらシンシアに報告しよう。
そうカティナが心の中で呟く。
きっと彼女は喜んでくれることだろう。「カティナの役に立ったわ!」と月夜を背景にふわりと浮かび上がり、青白く灯る体で舞う彼女の姿が容易に想像できる。
そうしてアンバー達と分かれ再び王宮内を歩き出せば、アルフレッドが「彼女の洗礼だよ」と告げた。
「洗礼?」
「あぁ、リドリーが誰か連れてくると、アンバーはいつもああやって話し掛けるんだ。一瞬の挨拶だけなら誰だって取り繕えるが、長く話をすれば仕草や言葉遣いにボロが出るだろう。彼女はそれを誘って相手を見定めるんだ」
一般的なマナーならまだしも、ふとした瞬間の佇まいや受け答えまでは一朝一夕では取り繕えない。アンバーはそれを見て、相手の程度を測るのだという。
それを聞いてカティナが慌てて自分の言動を振り返った。失敗や落ち度は無かったと思う、シンシアに教わった通り淑女を演じられたはずだ……。
だけどもし無意識にボロを出していたらどうしよう、そうカティナが不安を抱くも、アルフレッドが「大丈夫だ」と笑った。そんな彼をカティナがじろりと横目で睨みつける。
「知ってたなら先に言ってくれれば良かったのに」
「まさかこんな早く会うとは思ってなかったんだ。それに、何かあればフォローを入れるつもりだった。だがその必要も無かったな。それどころかアンバーさえ一目置くような優雅さだったよ、どこで学んだんだ?」
「シンシアだよ。彼女がレディの嗜みって色々と教えてくれたの」
「食事のマナーも?」
「もちろん」
得意気にカティナが返せば、アルフレッドが「それは良かった」と頷いた。
今でこそ鬱蒼とした墓地をふわりと舞っているシンシアだが、かつて彼女は華やかな社交界に身を置き社交界中の男を魅了していた。
時に完璧なマナーを見せては厳格な男を虜にし、時に砕けたマナーを見せて隙のある女を演じて男の庇護欲を誘ったのだ。全て完璧だからこそ、巧みに使いこなす事が出来る。そんな彼女直伝のマナーである。
とりわけシンシアのマナーは彼女が生きていた300年前のものであり、それを完璧にこなすカティナはアンバーの目には『古き良きマナーを大事にする淑女』として映ったことだろう。
「それにギャンブル伯やヘンドリック卿もよく教えてくれたし、他の皆もたまに教えてくれた。99年前から500年前のマナーまでは一通りこなせるよ」
「それは俺の方が教えを乞わなきゃいけないな」
「あと、食事の最中に異性をアピールする方法も教わった」
そうカティナが何気なく話せば、アルフレッドがピタリと足を止めた。
「……異性を?」
「そう。食事の最中にちらっと物言いたげに視線をやったり、口元を拭く時に相手の視線を誘って小さく笑ったり……」
一生どころか永遠を墓守として過ごす予定のカティナにとって不要としか言えない技術だが、教わることが楽しかったのだ。
そして時にはギャンブルやヘンドリックを相手に実践もした。テーブルに置かれたのは一人分の食事だが、食事風景は賑やかと言えるだろう。――ギャンブルは「おいおい、没後500年のおじさんを魅了してどうするつもりだ?」と笑い、ヘンドリックは「魔性のパンプキン!」と荒ぶったのは言うまでもない――
「せっかくの食事だから、ちょっとくらい試してみようかな」
「カティナ、これから俺達は俺を殺した犯人を捜さなきゃいけないんだ。もしかしたら明日の昼食の場にその犯人が同席するかもしれない。迂闊な行動はしない方が良いだろう」
「でもちょっとくらい」
「カティナ」
「レナードあたりを」
「カティナ」
「……分かった」
アルフレッドから言いようのない圧力を感じ、カティナが降参を示すと共にコクコクと頷いた。
奥深くまで進んだ森のような深緑色の彼の瞳が、いまだけは炎のような意思を宿しているように見える。柔らかく微笑んでいるはずなのに、何故だか纏う空気は重々しい。
だがカティナが断念したのを見て取るや、パッと表情を普段の穏やかなものに変えてしまった。それどころか何事も無かったかのように「行こうか」と歩き出す。
そんなアルフレッドに対しカティナもまたいったい何だったのかと首を傾げつつ歩き出し、その最中にポツリと「それじゃアルで試そうかな」と呟いた。
「俺で?」
「そう。食事の最中にちらっと見たり、小さく笑うの。これで惚れない男はいないってシンシアが言ってた」
カティナが話せば、それを聞いたアルフレッドが「今更だ」と笑った。随分と楽しそうな笑みだ。
いったい何が今更なのか? だがそれをカティナが尋ねるより先に、アルフレッドが「聖堂に行こう」と道を曲がった。




