13:亡き王子の婚約者
通された客室は即席で用意されたものとは思えないほど広く、調度品も豪華なものが揃えられていた。そのうえベッドは天蓋付き。
墓地の小屋とは全くの別世界ではないか、これで一人一室なのだからさすが王宮である。
あまりの広さと豪華さにカティナがどこに居るべきか分からず部屋の隅に座っていると、室内に軽いノックの音が響いた。
出入口の扉からではない。壁に設けられた隣室と繋がる扉だ。
応えるように開ければ、そこにはアルフレッドの姿。眼帯を外し、深緑色の瞳が左右揃ってカティナを見つめてくる。
「通路に出ずに会えるのは便利で良いね」
「そうだな、これなら話がしやすい。この扉は両側からカギが掛けられるようになってるから、カティナの方からカギをかけておいてくれ。開けてほしい時はノックする」
「なんで? 私カギかけないから、好きに開けて良いよ」
「えっ……」
カティナの発言に、アルフレッドが息を呑む。
白く陶器のような彼の頬が少し赤らんで見え、カティナが不思議そうにその顔を覗き込んだ。だというのにすぐさま顔を背けられてしまうのだから、まったくわけが分からない。
「アルフレッド、私なにか変なこと言った?」
「……いや、なんでもない。俺もカギを掛ける気はないから、カティナも好きな時に来てくれ」
「うん、わかった」
「それじゃ、王宮内を案内するから行こうか。……あ、そうだ」
ふと何か思い出したのか、アルフレッドが足を止める。
次いで彼はカティナの部屋に半身乗り出すと、もう一つの扉、通路に繋がる出入口の扉を指さした。
「あっちはちゃんとカギを掛けなきゃダメだからな」
そう告げてくる彼の口調は冗談めかすものではなく真剣みを帯びている。それどころか「誰も入れないように」と念を押してくる。
これにはカティナも赤い瞳を丸くさせ「当然でしょ」と返した。
墓場の亡霊達は施錠も関係なく壁を擦り抜けて入ってくるが、それでもカティナは小屋にいる時はカギをかけて寝る前には施錠の確認も怠らずにいた。扉を要する者など居ない墓地で暮らしていたが、カギを掛ける習慣はちゃんとある。
それを訴えればアルフレッドが僅かに瞳を細め、次いでどこか嬉しそうに笑った。
「出来るだけレナードには会わないようにしたいな。もしくは、あいつが動き出す前に全て話してしまうか……」
どう動くべきかと歩きながら悩むアルフレッドに、カティナもまた考えを巡らせる。
レナードはあの瞬間、カルティナの正体に気付いたはずだ。
そして彼はアルフレッドの遺体が本来あるべき場所に無く、カティナが管理していることを知っている。他でもない、レナード本人が墓地に運び込んだのだ。
だからこそ、カルティナがカティナであることに気付けば、アルとアルフレッドの繋がりも疑うだろう。さすがに『死んで再び動き出す』などという奇怪な発想には至らないだろうが、そこに何か隠されていると勘繰るはずだ。
正体を暴くなり王宮から追い出すなり、なにかしら動くだろう。それならばいっそ味方に引き込むべきか……そうアルフレッドが呟く。
それに対して、カティナが『もしも』を考えてアルフレッドに声を掛けた。
「レナードがアルフレッドを……ってことは無いの? あ、でももしそうなら私のところにアルフレッドを連れてこないか」
「それは在り得ないな。レナードはずっと前から王宮のおべっか合戦に嫌気がさして、早く金を貯めてさっさと故郷に帰りたいって言ってたんだ。俺を殺すメリットがない。だからあいつを選んだ」
人選に間違いはなかった、そうアルフレッドが悪戯っぽい笑みで笑う。深緑色の瞳が細められ、眼帯で覆われていてもなお蠱惑的な魅力を見せる。
きっと己に施されていた防腐処理のことを言っているのだろう。
だが事実レナードはアルフレッドの遺体を盗み出し、防腐処理を施してカティナの元まで届けてくれた。その果てに今があるのだから、人選は間違えてなかったと言える。
仮にリドリーに任せでもしたら、今頃アルフレッドの遺体は本来の通り聖堂で眠っているだろう。もちろん、棺に入っているはずの宝石達はリドリーの手に渡り、真っ赤な上着に代わっている。
「仲が良かったの?」
「誰と?」
「レナードと。彼の話をしてる時のアル、なんだか楽しそうだから」
そうカティナが話せばアルフレッドが僅かに瞳を丸くし、確認するかのように己の口元を押さえた。「そんな顔をしていたか?」と不思議そうに尋ねてくるあたり、自覚は無かったのだろう。
その仕草と表情が面白く、思わずカティナが笑みを零す。だがそれがまたアルフレッドには居心地が悪いのだろう、参ったと言いたげに濃紺の髪を掻いて肩を竦めた。
「こんな身分だ、誰彼構わず気兼ねなく……なんて接することが出来なかったからな。だからこそ、遠慮なく王宮への不満を口にしてくるあいつの性格は逆に清々しくて信頼出来た」
「それを仲が良いって言うんじゃないの?」
「そうかもな。少なくとも『俺の遺体を盗み出してくれ』なんて突飛も無い事を頼めたのはレナードだけだ。最初は熱でもあるのかと言われたけど」
そう話すアルフレッドはやはりどこか楽し気だ。
だが次いで道の先を見て、その深緑色の瞳を切なげに細めてしまった。一瞬にして表情を変えてしまった彼を案じ、カティナが窺うように道の先へと視線を向ける。
その先に居たのは、一人を取り囲みこちらに歩いてくる集団。
囲まれる女性は栗色の髪をきっちりと編み込み、彼女が足早に歩いても髪が乱れる様子はない。身に纏う真っ赤なドレスは鮮やかで、彼女の歩みに合わせて優雅に裾を揺らす。髪を編むリボンも赤い。
優雅でいて琥珀色の瞳は厳しさを宿してこちらを捉え、まるで見透かされるような威圧感にカティナがほんの少しアルフレッドに身を寄せた。
「……アル、あの人は?」
「彼女はアンバー。俺の……アルフレッド王子の婚約者だ」
「婚約者?」
予想外のアルフレッドの言葉にカティナが驚いたとオウム返しをする。
婚約者だというのに、アンバーのドレスは取り巻き達に負けじと、それどころか誰よりも鮮やかな赤なのだ。そのうえ赤いリボンまでつけている。
華やかにかつ足早に歩く姿に悲壮感はなく、婚約者が亡くなったばかりだとは到底思えない。
それを口にしようとするも、それより先にアルフレッドが慌てたように「違うんだ」と話し出した。心なしか、彼の表情には焦りの色が見える。
「婚約者といっても親が決めたことだし、別にアンバーの事を愛してたわけじゃない」
「そうなの? 好きじゃないのに結婚するの?」
「彼女は政の手腕があって、だから次期王妃として婚約したんだ。もちろん彼女もそれは理解している。お互い愛は無いがこの国のために生きようって話していた。愛が無いのは双方同意の上だ、だから勘違いしないでくれ」
「勘違い? 何を? ねぇアル、落ち着いて」
必死に訴えるアルフレッドをカティナが落ち着かせ、次いでアンバーに視線をやった。
綺麗な女性だ。そのうえ次期王妃に選ばれるほどの才知を持っているというのだから、カティナが臆してしまうのも無理はない。
聞けばアンバーは幼い頃から次期王妃になるためにありとあらゆる勉学に励み、そしてなるべくして第一王子の婚約者になったのだという。
それを語るアルフレッドの口調は相変わらず焦りの色しかなく、そこに婚約者を語るような熱っぽさはない。むしろ話せば話すだけ必死さが増す。
「彼女とは信頼関係はあったが、それだけだ。男女の関係には一切至ってないし、手だって繋いでいない。お互い第一王子と王妃候補として出会って務めを果たすために婚約した、それだけなんだ」
「だから落ち着いてってば。アンバーがこっちに来るよ」
なんとかアルフレッドを宥めるも、それでも最後にアンバーとの間に愛が無かった事を念を押してくるのだからよっぽどだ。
いったい何を必死になっているのか……そうカティナが疑問を抱くもあいにくと確認する時間は無い。
「リドリー伯の親戚……だったかしら」
よく通る声で尋ねてくるアンバーに、いつの間にやら冷静さを取り戻していたアルフレッドが恭しく頭を下げた。カティナがここはアルフレッドに任せようと一歩下がる。
彼女の口調は優雅で優し気でありながらどことなく裏を含んでおり、きっとリドリーの親族にアルとカルティア等という男女が居ないことを知っているのだろう。そもそも、彼女が才知に富みアルフレッドの婚約者であったなら尚の事、リドリーの悪癖について知らないわけがない。
長旅を労ってくれるが向けられる視線はどこか冷ややかで、値踏みするような厳しい色を宿している。
そんなアンバーに対し、アルフレッドは落ち着き払った態度で焦ることなく嘘を貫き通していた。
口にするのは設定だけの故郷と、「アルフレッド様の凶報を聞いて居ても経っても居られず」という心にもない言葉。
今の彼は『アル』として話しているのだ。その口調は丁寧でいて距離を感じさせ、かつて婚約関係があったとは思えない。
交わされる会話を聞きつつ、カティナが赤い瞳を細めた。
愛が無かったと彼は言っていたが、それでも共に生きると決める程には信頼していたのだろう。
そんな相手に対し、全て偽って初対面を取り繕う。そのうえアンバーは赤いドレスを纏っているのだ。
今のアルフレッドの心境を考えればカティナの胸に言いようのない感覚が湧き、まるで何かがつかえているような息苦しさを覚える。
だがそんなカティナの心境を他所にアルフレッドは『アル』として話を続け、アンバーもまた嘘と分かっていても『リドリーの親戚』を相手に話をしていた。
「……カルティア、だったかしら?」
ふとアンバーに名を呼ばれ、カティナがはたと顔を上げた。
一言も発することなく黙り込んでいるのを不思議に思ったのか、もしくは挨拶を求められているのか、アンバーがじっとこちらを見ている。
それに対してカティナは深く息を吸い……、
「お初にお目にかかります、カルティアと申します」
と、そっとスカートの裾を摘まんで腰を落とすと共に頭を下げた。
彼等のことをとやかく言う資格はない。なにせカルティアを名乗る己の声もまた白々しいのだ。




