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1:墓守カティナと墓地の亡霊

 

 微睡むような意識の中、浮上するように緩やかにカティナは目を覚ました。

 良く寝た、とふわと欠伸をしながら起き上がり目を擦る。夢を見ていたような気がするがどうだったろうか、よく覚えていない。

 そうぼんやりとする夢の記憶を辿りながらベッドから降り、手早く着替えるのは黒一色のローブ。飾りも模様もなくシンプルとさえ言えないそれは、カティナのような年頃の少女なら、それどころか年頃でなくとも嫌がるような野暮ったさである。

 だがカティナは気にすることなくローブを纏うと、銀の髪を雑に梳かして一つに結いた。もちろん、結くのは髪飾りなどと呼べるものではない。せいぜいリボンといったこれまた黒一色の紐だ。

 そうして手早く身嗜みを整えると、机の上に置いてあったクッキーを一枚齧りながら窓辺へと近付いた。


 カーテンを開ければ窓からは眩い朝日が……差し込まず、夜の闇が広がっている。

 月明りに照らされて視界に写るのは鬱蒼とした森と墓地。とうてい良い景色とは言えないが、カティナにとっては見慣れたものである。むしろ今夜は月明りが強く、眼前の陰鬱とした光景を清々しいとさえ感じていた。

 そんな景色を眺めていると、カティナの頭上から白く細い腕がゆっくりと伸びてきた。青白く灯る煙のように儚い腕、それが抱き着くようにカティナの首に絡まり……そしてすっと首をすり抜けていく。その瞬間首筋からひんやりとした寒気が伝い、カティナが小さく体を震わせた。


「おはようカティナ、ねぇ私の墓石を磨いてちょうだい。またカラスが粗相をしたのよ。最低よね」

「おはようシンシア。貴女のお墓はカラスに人気だね」

「まったく嬉しくないわ。以前だったら私を慕う男達が昼夜問わず張り付いて美しく磨いてくれたのに……あぁ、あの男達はどこに行ったのかしら」

「それっていつの話?」

「300年前の話ね」

「その人達も墓石の下に居ると思うよ」


 そんなことを話しつつ、カティナがタオルと石鹸を用具箱から取り出してカゴに入れた。上質のタオルと香りの良い石鹸、これで墓石を綺麗に磨くとシンシアはとても喜ぶのだ。そのうえ森で摘んできた花を添えると数日はご機嫌である。

 現に今も墓石を磨いてもらえることが分かると青白く灯る表情を綻ばせ、ふわりと舞い上がるやカティナの頭上で踊るように優雅に回りだした。

 彼女の顔に月が透ける。レースとリボンがあしらわれたクラシカル――今でこそクラシカルだが、彼女が纏っていた当時は最先端だった――ドレスも夜の闇を透かし、青白く灯ってカティナの視界に映る。

 生前は血色よく頬は愛らしく色が差し、赤い口紅がよく似合っていたと褒められたらしい。ドレスも眩い赤だったと聞くが、今の彼女の姿からは想像出来ない。

 だがそれも仕方あるまい。シンシアが色を纏っていたのは生前……それも300年も前の事なのだ。


「女は美しさこそ全ての時代だったのよ。美しい内に死ねた私は幸福だわ。葬儀では数え切れないほどの男が泣いて、私の棺に縋っていたの」


 己の葬儀を語るシンシアの口調に暗いものはなく、当時どれだけ嘆かれたかを思い出しているのだろうふわふわと浮かぶ彼女はどこか夢心地だ。

 その姿にカティナが苦笑を浮かべ……、


「何が美しい内だ、結構な年まで生きていたそうじゃないか。貴殿のような女のことを〝若作り”と言うんだぞ」


 と割って入ってきた声に表情を顰めた。また始まる……と思わず溜息交じりに呟いてしまう。

 そんなカティナの呟きに気付くことなく声の主はふわりと姿を現すと、青白く灯る姿でカティナの前に跪いた。

 生前に着用していた時は濃紺だったという騎士の正装も、雄々しさを与えていたという黒い髪も瞳も、今は全て青白い。凛々しく精悍な、夜の闇を透かす騎士。


「おはようヘンドリック卿」

「おはよう可愛いパンプキン。そこの若作りが霞むほど、今宵も貴女は愛らしい」

「素敵な言葉をどうも。でもいい加減にしないと今夜も……」


 シンシアの怒りを買うよ、と忠告を口にしかけ、カティナが言葉を飲み込んだ。もう遅いからだ。

 なにせ頭上から冷ややかな空気が伝っている。底冷えしそうなこの冷気、発生源はもちろんシンシアである。

 見れば彼女は麗しかった顔を憎悪の色に変え、緩やかに揺れていた長い髪をまるで蛇のようにうねらせている。

 怒りの度合いを示すように青白い炎を周囲に宿らせ、その姿は常人が見れば恐怖に竦み上がり悲鳴をあげることすら出来ずにいただろう。

 もっとも、いかにシンシアが怒れどカティナは今更彼女の姿に恐れを抱くことなど無く、軽い溜息を吐いて肩を竦めるだけだ。三日に一度は行われるこのやりとり、いちいち竦み上がっていては身がもたない。


「なにが若作りよ! 死んで100年も経っていないこの青二才が!」

「年増のヒステリーはなんて恐ろしい。俺は名誉の死から99年、来年で100年だ。愛しのパンプキン、その時は祝ってくれるだろう?」


 誘うような声色でヘンドリックがカティナに手を差し出せば、シンシアが邪魔をするように体当たりで割り込んでくる。

 もっとも、二人とも体がぶつかったところで実体は無いのだ。いかに勢いがよかろうとするりと擦り抜けるだけで、怪我をすることも無ければ死ぬことだってない。カティナを奪い合ったところで肩に手を置く事すらできないのだ。

 ……ただ、カティナとしてはスルリスルリと彼等の体が擦り抜けるたびに冷ややかな空気が触れる。巻き込まれるだけ時間の無駄、それどころか寒い思いをさせられるだけ損だ。

 そう判断し、カティナは二人の間を擦り抜け、さっさと墓石を磨いてしまおうと歩き出した。




 バルテナ墓地。大国の外れにあるこの墓地は、99年前のヘンドリックを最後に誰も葬られることなく今に至る。

 陰鬱とした空気が纏い、周囲を鬱蒼とした森が囲む。墓地全体を薄気味悪さが包み、主要地から離れた辺鄙な地ということも相まって誰もが足を運ぶことを気味悪がったという。

 元よりわけありな者達が多く葬られていたこともあってか、葬られた者達の親類も次第に訪れなくなり、主要地近くに見晴らしの良い墓地が出来て以降今では国民の記憶から忘れ去られていた。墓地もまた、墓石の下に眠る者達同様に死に至ったのだ。

 カティナはそんな墓地で唯一の〝生きた人間”である。そしてこの墓地を守る墓守だ。

 墓荒らしすら来なくなったこの土地で、いったい何から何を守れば良いのか定かではないが……。


「当面の敵はカラスかな……。あ、こらまた近付いて。こんなところに居ついても美味しいものなんてないよ、別の墓地に行きな」


 しっしっ、とカラスを追い払いつつシンシアの墓石を洗う。

 彫り込まれた文字は彼女の享年とその美しさを称えており、その文面からどれだけ愛されていたかが分かる。まさか300年経って新米亡霊と喧嘩するとは当時の彼女も取り巻きも夢にも思うまい。

 そうカティナが肩を竦めつつ濡れたタオルで墓石を拭う。遠くから聞こえてくるのは騒がしい亡霊の喧騒。確認せずとも分かる、シンシアとヘンドリックが喧嘩しながら近付いてきているのだ。

 巻き込まれる前にさっさとシンシアの墓石を綺麗にしよう。そうすれば彼女も機嫌が良くなるし、あとはヘンドリックを宥めればいい。そうカティナが算段を立てつつ墓石を磨く手を早め……ザァと強く吹き抜けた風に銀糸の髪を揺らされ、慌てて押さえると共に顔を上げた。



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