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僕のこと、あなたのこと

作者: 鬼火

 

潮騒の波動が生命力を持って力強く押し寄せてくる海岸線。

牙を失った僕はあなたの言葉を聞いていた。

霧らう空の綻びから月の仄明かりが差し込む海岸線。

あなたと同じく生きている僕はあなたの言葉を聞いていた。

海のようなあなたの言葉。

僕はそれを聞いていた。


その実、僕は、世間の人々の露知らぬ、僕の隠し持つ鋭い牙を見せつけるために、一度口を大きく開いて世間に噛み付いた。

しかしそれが一体なんの意味を持っていたのだろう?

狂犬はたやすく権力に覆われ、狂気は権力の鋳型の一つとして理解されてゆく。

期待していたような確変は……訪れなかった。

あまりに弱々しい僕の牙では自分自身や手に届く範囲の人々をしか傷つけることのできぬのをまざまざと知った。

僕はそれを怖れた。

僕が傷つけたかったのは手に届く人々ではなかった。

世間に噛み付いたはずだった。

誰もそのことを理解しようとしなかった。

そうやって外部を敵にしようとするのは自分でもうんざりする。

けれども事実を述べていくと必ずそういう結論に帰着するのだった。

僕に収斂してゆくはずだった悪の観念が、世間一般に概念として放出されていた。

そして自らの腕に傷痕を残し、牙は抜け落ちた。


あなたにそのことを打ち明けた。

震える声で打ち明けた。

賽を投げ打つ覚悟、あなたを失う覚悟であった。

なのに どうして?

呆気にとられるほどに

あなたは平生の顔を崩さない。

僕は救われた。

メビウスに火をつけた。

あなたの指もほんの僅かに代赭色に染まっただろうか。

暗くて大きな公園の道を踏みしめた。


そして僕らは海へと旅立った。

行き交う車の死に絶えた高速道路を疾走する。

あなたの好きな音楽で車内が充たされた。

あなたの青春を創り上げた音楽で充たされた。

その空間にいられることが僕の幸せだった。

あなたといられることが幸せだった。

些細な失敗で奈落に落ちてしまうだろう狭すぎる小径を通って海岸線に辿り着いた。

あなたは笑顔。僕も笑顔。

それでも僕らの心には穴が開いている。

お互いに知っていた。

二人は砂浜に面する堤防に腰掛けた。

潮風に流されるあなたの甘い香りがした。

高地の野花のようにか細い身体で潮騒を跳ね返し、月光を浴びるあなたがそこにいた。

僕らはお互いに、ボロボロに傷ついている心を曝け出した。


すると

あなたの手が伸びて

僕の頭に触れた。


柔らかく 柔らかく。


僕の勇気は燃え立った。

反逆の牙の代わりに勇気の翼を授かった。

太陽に溶かされずどこまでも飛べるイカロスの翼。

僕はあなたを抱き寄せた。

去年の夏のあの日から夢にみていたあなたを抱き寄せた。

そして一つの失敗を犯した。


それから二人はさめざめと泣いた。

これから先の物語はどうなるの?

錯綜する糸をどう解けばいい?

解けば解くほどに絡まるこの糸を?

それを誰も教えてくれやしない。

海と月とが僕らを見守っている。

騒ぐ心を落ち着けるように。

それが何かの合図だったのだろうか。


もう行きましょう


そう言って


最後にあなたは


腕を広げた。


僕の居場所が そこにあった。


あなたの胸に飛び込んで


優しい腕に包み込まれて


脈打つ鼓動を


確かに聞いたんだ。



忘れ得ぬ記憶の瞬間を


命に


刻み込んだ。

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