課長 曽根崎の憂鬱
第二部です。曽根崎課長の仕事ぶりをご覧ください。
勤続15年。大学卒業と同時に入社したこの会社で、辛いことも楽しいことも経験してきた。きっとこれからも多くの経験を積んでいくのだろう。
今の仕事で満足と言えるほど枯れてはいないが、これまでなんとかやってきたという自負はある。若い頃は思うように出来なかったことも、今ではそれなりにやれていると感じる。課長という役職に就いてからは仕事上で大きな責任を負うようになり、その重さを支えられるだけの自信もついた。
これからも、きっと、多くの経験を積んでいくのだろう。
ただ、これからの人生で私の想像を超えるようなことが、果たして起こるのだろうか。
そのようなことを考え始めた、その年の4月。
私の下に新入社員がやってきた。
「4月より入社しました、日比谷アツシです。皆さんと一緒に頑張ります!よろしくお願いします!」
まばらな拍手。
まだ幼さの残る顔つきをした新入社員、日比谷君は緊張が抜けていないのか、挨拶をした姿勢から微動だにしない。空中の一点を見つめたままの表情は、「緊張」をウィキペディアで調べたらトップ画像に掲載されるようなものだった。
「はい、よろしくね。それじゃ日比谷君は、しばらく曽根崎君から色々教わってね」
「はい!よろしくお願いします!」
赤羽部長からの自然なスルーパスを受けて、私は事務的に一歩前に出た。部長の指示は大雑把すぎて指示とも思えないが、彼との付き合いもそれなりに長い。私もやるべきことは把握している。慣れとは業務の効率を上げるが、いかんせん、モチベーションは上がり難い。つまり、機械的な仕事をしがちになってしまう。
「営業部第一営業課課長の曽根崎です。よろしくお願いします」
「はい!よろしくお願いします!」
元気なことは結構だが、そこまで緊張されるとこちらもやり難い。私はやはりいつも通りに、新人の緊張を解す行動を選択した。
「まぁ、そんなに堅くならずに。コーヒーでも飲むかい?」
「はい!よろしくお願いします!」
……今のは危なかった。予期せぬところでツボに入ってしまった。吹き出したことを咳払いで誤魔化して、コーヒーを用意する為に席を立った。
彼にその気は無かったのだろうが、天然だとしたら余計にいいセンスをしている。素の顔を見てみたいものだ。
そこからはまた、ルーティーンに任せて時間を過ごす。具体的な業務内容の前に心構えを重点的に学ばせるのは、この会社の創業者の思想らしい。そのことに対して始めのうちは疑問も抱いていたが、任された仕事をこなすのが企業人だと割り切った頃から、会社の方針について不満を覚えなくなった。これもまた、経験もしくは怠惰と呼ぶのかもしれない。
日比谷君は終始真面目に話を聞いていた。その姿勢を眩しく思うのと同時に、彼の心の壁のようなものも感じていた。営業マンとして、それ以前に同僚として、彼の本音を聞いてみたいと思うのは自然なことだと思う。だが、しかし、今時の若者とのビジネス抜きの会話などしたことがない。自分自身も口が達者な方ではないし、さて、どうしたものか。
「あの、曽根崎さん、ちょっと質問いいですか?」
私が考え込んで生じた間で、日比谷君の方から言葉を発してきた。
「ん、ああ、どうぞ?」
これには虚を突かれてしまった。まさか出社一日目の新人が話題を振ってくるとは。驚きつつも、どんな話題か興味を覚えながら、彼の質問を促した。
「曽根崎さんは初任給で何買いました?」
ん?
「ん?」
うっかり、思ったことをそのまま口にしてしまった。質問の意図がまったく読めない。
「いや、初任給って親にプレゼントを買ったり、お世話になった人にお礼したりに使うって聞きますけど、俺お世話になった人っていっぱいいてどうすればいいかわかんないんですよ!」
なるほど。初任給の使い道とは、なかなかいい話題選びだ。誰でも経験することだし、その人の人となりも掴める。新社会人の振る話題としても適当だろう。そして、さりげなく自分の交友関係が広いことをアピールしている。これは私の返答次第で、彼との距離感が定まるな。
……そうだな、ねだるな、勝ち取れ、だな。
彼の素を引き出す為に、私は一歩踏み込むことを選んだ。
「そうだね。私は、妻へプレゼントを贈ったよ。当時は恋人だったが」
「へぇ!いいですね!どんな物を贈ったんですか?」
私は、当時の情景を思い出す。
「魔砲少女ラジカルななこのポスターをね。作画担当の書き下ろしだったんだ。かなりレアだよ」
日比谷君の表情が固まった。
さて、ここからどう切り返す?