都に現れたイビルニア人?
ラインの館から東にあるヘブンリーを目指してレン達一行が馬を進めている頃、ジャンパールではエレナが都の女学校の寮でレンの手紙を何度も読み返していた。
「レン達無事にランドールまで行ったんだ…マルス皇子もとんだ災難に遭われたのねウフフフ」
手紙は、北ランドールで書いたものだった。マルスがカレンに股間を蹴られた話しが書いてある。手紙を机の上に置きぼんやりと窓から外を眺めていると部屋の扉を叩く音がした。
「どなた?」
と、エレナは、返事した。
「私よ、ユリヤよ」
「まぁいらっしゃい」
エレナは直ぐに扉を開けた。黒髪のエレナと変わらないくらいの背丈の美少女が立っていた。彼女の名は、ユリヤ・アンドリエ、アンドリエ子爵家の令嬢である。エレナに初めて出来た同級生の友達だった。エレナは、ユリヤを部屋に招き入れた。
「エレナは良いなぁ、こんな部屋で一人で暮らせるんだもの」
と、ユリアは、部屋を見回し言った。綺麗に整理整頓されている。
「いつも一人じゃないのよ、コノハ皇女が来るから」
「ああそっか、コノハ皇女と一緒に居るんだったわね、今日はコノハ皇女は?」
「フフフ、最近成績が悪いからと皇后様に部屋に閉じ込められて無理やり勉強させられてるってお付きの方から連絡が来たわ」
と、エレナは、ユリヤにお茶を出しながら言った。ユリヤは皇后様とも親しいエレナをまじまじと見た。平民の子がどうして皇帝家族と親しいのだろうと思った。都の女学校も本来ならばエレナの様な平民の娘は入れない。入れたのもコノハやナミ皇后の口添えがあったからである。
「私ねずっと思ってたんだけど、どうしてエレナはコノハ皇女や皇后様と親しいの?」
と、ユリヤは出されたお茶を飲みながら言った。
「そ、それは…」
エレナは、直ぐにレンを思い浮かべ頬を赤くした。
「何?どうして顔が赤くなるの、何か凄い秘密がありそうね、言いなさいよぉ」
と、ユリヤは、エレナをくすぐりに掛かった。
「あはははは、や、止めて話すから話すから」
エレナは、まずレンの事を話した。
「ええぇ?!じゃあエレナはサモン公爵の婚約者って事よね?父が言ってたわ、あの若さで公爵家を継ぐって凄い事だと」
と、ユリヤは目を輝かせて言った。エレナは、マルスの事も話した。
「なるほど、マルス皇子にお城に招待されたのね、それで陛下達と知り合ったのかぁ…でもそれだけでそんなに親しくなるの?」
エレナは、レンが本当はトランサー王国の王子だと言おうと思ったがやっぱり内緒にした。
「レンのおじい様が皇帝陛下に物凄く信頼されててレンも小さい時から月に一、二度はおじい様と一緒にお城に行ってて、もう家族の様な感じだって陛下が仰ってたわ」
「ふ~んそうなんだ、それでレンさんの恋人であるエレナも家族の様な感じになったのね」
「そう言う事になるのかな、あはは」
と、エレナは少し照れながら言った。
「そう言えばマルス皇子って無期限のご遊学って聞いたけど、そのご遊学にレンさんも一緒に行ってるのよね?寂しくないの?」
と、ユリヤは何となく言った。当然エレナにすれば寂しい、心配で眠れない事もある。しかし、本当は、レンがトランサーの王となるための旅だとは言えない。エレナは、寂しいと言うより難しい顔になった。
「ご、ごめんなさい、それは寂しいわよね、当たり前の事聞いてホントごめんね」
と、ユリヤはエレナの顔を見て慌てて言った。エレナは、本当の事を言えない後ろめたさを感じた。
「大丈夫よ、必ず帰って来るから」
と、だけエレナは言った。それからしばらく部屋で雑談していると扉を叩く音がしたのでエレナが出ると急ぎ講堂に集まるよう言われた。エレナとユリヤが講堂に向かうと他の女生徒達で一杯だった。
「何かあったの?」
と、適当に隣に居た生徒に聞くとイビルニア人の事で話しがあるとの事だった。講堂の檀上に女校長と軍関係者の男が現れた。
「みなさん」
と、女校長が話し始めた。最近、都でイビルニア人を見たとの報告があった。複数人確認されていて、いつどこに現れるか分からないとの事だった。
「とにかくイビルニア人の脅威がある以上、午後五時以降の外出を禁じます」
と、女校長は、厳しい顔つきで言った。今度は、軍関係者の男が話し出した。
「暗くなるとイビルニア人の力が増します、我々も全力でイビルニア人の捜索に当たってますが皆さん絶対に油断は禁物です、先ほど校長先生が仰ったように午後五時以降、暗くなってからの外出は絶対に控えて下さい」
この後も話しが長々と続き講堂を出たのが午後五時前だった。
「もう、今日はどこにも行けないね、残念…」
と、ユリヤが言った。エレナとユリヤは、九年生で午後七時まで外出は許されていた。ユリヤは、買い物に行きたかったようだった。
「また明日にしましょ」
と、エレナは気さくに言った。ユリヤは、気を取り直し明日一緒に買い物に行こうと約束して寮の自分の部屋に帰って行った。エレナは一人自分の部屋に帰った。部屋でぼんやりと過ごしているとレンの手紙に書いてあったイビルニア人の事を思い出し急に怖くなった。
「嫌だなぁ何でこんな時にコノハは居ないの」
と、愚痴を言った時、急に部屋の扉が乱暴に開いた。エレナは心臓が飛び出るんじゃないかと思うほど驚いた。
「じゃじゃ~~~ん!」
と、言って入って来たのはコノハだった。エレナは、落ち着くまで少し時間が掛かった。
「も~う、びっくりしたじゃないのってコノハお勉強は?」
「うん、もう済んだから良いの」
と、言ってコノハはエレナに抱き付き顔を胸に埋めた。エレナはもう慣れていた。
「イビルニア人の話し聞いてないの?」
と、コノハに聞いた。
「知ってるよ、都に出たんでしょ、私は大丈夫よ護衛がついてるから」
と、コノハは気軽に言ったが、事件はこの日の夜に起きた。部屋でくつろいでいたエレナとコノハは、もう遅いので寝ようと言ってベッドに入ろうとした時、外から悲鳴が聞こえた。何だろうと思い窓から外を見た。何とユリヤが校舎の方を見て地べたにへたり込んでいた。
「ユ、ユリヤ?」
「ああ、お姉ちゃんの友達の?」
「そう、どうしたのかしら?こんな時間に」
「行ってみよう」
と、エレナとコノハは、護衛官二人を従えユリヤの元に駆けつけた。ユリヤはぶるぶる震え校舎を見つめていた。エレナは、抱き起そうとしたがユリヤは、腰が抜けて立てないでいた。
「どうしたの、ユリヤ大丈夫?」
「ああ、あああ、イイ…イビルニア人が出たの」
「ええっ?」
エレナ達は驚いた。ユリヤは、寝る前に便所に行って部屋に戻ろうとした時、人影らしきものを見た。好奇心の強いユリヤは、何だろうと思い人影を追ってみた。まさかイビルニア人が学校に現れるとは夢にも思っていない。そして、エレナの部屋から見える辺りまで来た時、物陰から急に全身黒ずくめの物体が目の前に現れたのだ。
「そ、それで叫んだら校舎の方に行っちゃって…」
そう言うとユリヤは、エレナに抱き付き泣いた。よほど怖かったのだろう。こんな時のコノハは、妙に冷静になる。護衛の一人に応援を呼びに行かせた。
「応援を呼んだから大丈夫よ」
と、コノハがユリヤに言った。ユリヤは、コノハに気付くと慌てて立ち上がり挨拶しようとしたが、腰が抜けて思う様に立てなかった。
「こんな時に良いよ別に」
と、コノハが笑顔で言った。気が付くと寮の窓から明かりが漏れ出した。外の様子がおかしいと思い始めた生徒達が起き始めた。どこかの窓が開き何かあったのかと聞いて来た。コノハに付いている護衛官がイビルニア人が出たと言い、絶対に部屋から出るなと言った。窓の鍵を閉める音があちこちで聞こえた。先ほど応援を呼びに行った護衛官が十人ほど兵士を連れて帰って来た。その中に何とコノハの兄、アルス皇太子が居た。
「お兄ちゃん?、何でお兄ちゃんが?」
と、コノハは、驚いて言った。アルス皇太子は、真剣な顔をして答えた。
「馬鹿、お前達に何かあったらマルスやレンに顔向け出来ないだろ、それでイビルニア人はどこに?」
「ああ、あの、こ、校舎に走って行きました」
と、ユリヤは、まさか皇太子に会えるとは夢にも思っていなかったのでイビルニア人以上に衝撃的だった。アルスは、優しくユリヤに微笑み兵士五人にこの辺りを警戒するよう命じ、自分も含め兵士五人で校舎に向かった。
「かっこいい~~」
と、ユリヤがうっとりしていると、コノハが言った。
「普段は私の事なんか気にもしないのに、きっとお姉ちゃんが居るからだよ」
「駄目よそんな事言っちゃあ」
と、エレナがコノハを窘めた。
一方、校舎に向かったアルスは、いつでも刀を抜ける状態で見回っていた。
「あれは?…扉が少し開いてるな…」
と、ある教室の扉が少し開いてるのに気付いたアルスが小声で言った。しかし、先ほどからおかしいと感じていた。レンやマルスの手紙には、イビルニア人が近くに居る時や対峙した時など、いつも何とも言えない嫌悪感を感じると書いてあったが、そう言ったものを全く感じなかった。上位者のイビルニア人ならばジルドやグライヤーの様に感じないかも知れない。アルスは、イビルニア人と対峙するのがこれが初めてで分からなかった。
「やっぱり、変だな」
「どうかなさいましたか、殿下」
アルスは、兵士達に説明した。兵士達も嫌悪感を感じないと言った。
「とにかく気を付けて行こう」
と、アルスは言って兵士達を連れ少し扉の開いた教室に向かった。扉の隙間から中を見たが誰も居ない様に感じた。居ない事を確認するために思い切って教室に入った。すると机の影に隠れている者を見つけ誰だっと声を掛けると隠れていた者は慌てた様に立ち上がり、襲い掛かって来るどころか逃げようと窓を開け始めた。全身真っ黒でフード付きマントを纏っている。どう見てもイビルニア人だ。
「逃げえるぞ!待てぇ」
アルス達は、イビルニア人に襲い掛かった。イビルニア人は、窓がなかなか開かないので諦め近くにあった机や椅子をアルス達に投げ始めたが四つ五つ投げると息を切らし、また逃げようとした。
「ひいぃぃぃ~~」
と、教室の扉の方へ行こうとしたので兵士が扉の前に立ち刀を構えた。
「お、お助け~」
と、イビルニア人が言いアルス達に土下座した。
「何だ?」
と、アルス達は、拍子抜けした。アルスは、兵士に教室の明かりをつけさせイビルニア人をまじまじと見た。フードを取れと言い顔を見ると冴えない中年の男だった。その場で訊問すると男は、若い貴族の娘に興味があり、最近都にイビルニア人が目撃された事を利用してイビルニア人に成り済まし女学校に侵入し女生徒を襲おうとしたのだった。ユリヤに悲鳴を上げられビビった男は、夢中でこの教室に入り隠れていたのだ。話しを聞くうちにアルスの顔が怒りで真っ赤になって来た。
「この大馬鹿者っ!」
と、言ってアルスは男を思い切り殴り倒した。
「この非常事態に便乗して事もあろうに女学校に侵入して女を手籠めにしようとは、この不届き者めが」
と、まだまだ怒りが治まらないアルスは、男に馬乗りになって殴りかかった。四五発殴ったところで兵士が止めに入った。
「殿下、お止め下さい、お手が汚れまする」
「ふぅ~ふぅ~、連れて行け」
と、アルスは、兵士達に命じ男は軍の施設に連行された。落ち着きを取り戻したアルスは、騒ぎは収まったと学校関係者に言ってコノハ達が居る部屋に向かった。
「お兄ちゃん、どうだったの?イビルニア人の首刎ねたの?」
と、コノハは、普段は居るのか居ないのか分からない大人しい兄がイビルニア人を相手に戦って来たと思い込んでわくわくして聞いた。アルスは、残念そうに首を横に振って言った。
「ただの変質者だったよ、おかしいなと思ったんだマルスやレンの手紙に書いてある様な感じが全然しなかったんだ…捕えてみれば冴えない中年男の変態だ、馬鹿馬鹿しい」
「なぁ~んだ、つまんないのぉ」
「で、でも本物じゃなくて良かったじゃないですか殿下」
と、エレナは、励ました。アルスは、納得いかない様な顔をして頷いた。
「しかし、あんなのが出て来る世の中だ、いつ本物のイビルニア人に遭遇するか分からないから君達、十分気を付け給え」
そう言ってアルスは、城に帰って行った。ユリヤだけがうっとりとアルスを見ていた。
「まぁ本物じゃなくて本当に良かったわ、騒ぎも収まった事だし今日は三人で寝ましょ」
と、エレナが言うとコノハもユリヤも賛成しエレナを真ん中にして川の字になってベッドに入った。コノハは、エレナを抱き枕の様にして寝て、ユリヤは、皇太子に会った事に興奮して眠れそうになかった。エレナは、レンが今頃、無事に旅をしているのか心配しながら眠りに就いた。