誓い
事後処理をサイモン元帥とルークに任せたレン達は、大広間に向かった。レン達が大広間の扉を開けると中に居た者達が一斉にレン達に目を向けた。
「ああぁ!陛下ぁ!ご無事で」
と、クラウドがリュート・キュービックの襟首を掴み振り回しながら大声で言った。コノハをめぐる決闘は、まだ続いていたのだった。
「マルス殿下、何とかして下さい」
と、クラウドがうんざりだといった顔をして言った。マルスが傍に居た貴族に何があったんだと聞くと大笑いした。
「で、殿下ぁ!わ、私リュート・キュービックは本気であなた様の妹君をお慕いしておりまする、どうか、どうか兄上様、我が想いをお認め下さい」
と、リュートは、クラウドに振り回されながら必死になってマルスに懇願した。
「はははは、コノハ良かったな、お前を好きになってくれる男がいて」
「冗談じゃないわ、私は嫌よ、そんな事よりお兄ちゃん達なんでそんなに泥んこなの?服だってボロボロじゃない」
と、コノハが言うと周りに居た貴族達も気付き始めた。
「陛下、一体何があったのですか?今までどちらに?」
「ロイヤー元帥もマルス殿下やラーズ殿下まで」
「ドラクーンの方々までおられる」
もうクラウドとリュートの決闘どころではなくなった。クラウドも遊びは終わりだとリュートに言い決闘を止めた。
「ま、待てっ!逃げるのか!」
と、リュートがクラウドに挑みかかる。見かねたレンは、マルスに止めるよう言った。
「おい、いい加減にしろ、妹を想う気持ちは分かった、けどなぁ妹にも好みってのがあるんだよ、俺の察するところ…お前は妹の好みじゃない、諦めろ」
「そ、そんな…コ、コノハ様、コノハ様ぁ!」
と、リュートは、コノハに駆け寄ろうとしたがマルスに襟首を引っ掴まれた。
「さっき色々あってな、俺達は気が立ってるんだ、素直に言う事聞かねぇと」
と、マルスは、物凄い形相で言い、叢雲の柄に手を掛けた。テランジンは、リュートの友人らしい貴族に声を掛け、リュートに諦めるよう説得させた。
「さぁ祝賀会は終わりだ、我々が何をしていたのかは後日知らせる、解散!」
と、テランジンが祝賀会の終わりを告げた。レンは、協力してくれたラードン大使達ドラクーン人に朝食だけでもご馳走しようとマルス、ラーズ、テランジンを連れ食堂に向かった。
「ラードン大使、タキオン殿、ワイエット殿、ご協力ありがとうございました」
と、レンは、皆を代表してドラクーン人達に礼を言った。
「いえいえ、そんなこたぁ全然構いやしやせんがね、しっかし驚きましたねぇ、アークみてぇなのがまだ残ってたなんて」
と、ラードン大使が言い先に出された飲み物を一口飲んだ。マルスは、ジャンパールに帰ったらアーク・ワイリーが住んでいたと言うアシナラの山奥を調べてみると言った。
「あの野郎がアシナラの山奥でどんな生活や修行をしていたのか調べる必要がある、あの山自体に何か力をつける秘密がありそうな気がする」
「そうだね、あの山には皇族のお墓もあるし、カムイ家の先祖であるタケルヤとその従者達が何か残してるかも知れないね」
と、ジャンパールで育ったレンが言った。
「俺も付き合うぞ、マルス、丁度ユリヤの実家に行く予定だったからな」
と、ジャンパール人であるユリヤを妻に持つラーズが言う。レンは、少し寂しそうな顔をした。まだ王子の身分なら自分も一緒に行けたかなと思った。
「良いなぁラーズ、僕も一緒に行きたいなぁ」
「あははは、お前は無理だな、国王陛下がそう簡単に国を空けられるかよ、ヨーゼフが生きてたら怒られちまうぞ、それにこんな事は国王のお前がやる事じゃない、俺達に任せろ」
と、マルスは、明るく言ったが本当は、寂しかった。子供の頃の様に二人で野山を駆け回りたかった。
「しかし、サモン公とヨーゼフ公には驚きましたな、まさかあのお二人が一時的にですが復活されるとは…いやはや不死鳥の剣の力には驚かされます」
と、雰囲気が湿っぽくなった事を感じたタキオンが話題を変えた。そこへエレナ、コノハ、カレン、ユリヤそしてデイジーを抱いたリリーを連れディープ伯爵が食堂にやって来た。
「おはようイーサン、もう具合は良いのかい?」
「おはようございます陛下、皆様、はい、すっかり良くなりました」
と、昨日は、腹を壊して祝賀会に参加出来ず休んでいたディープ伯爵が答えた。
「ところで皆様のお召し物が随分と汚れておりますが、何かあったので?」
と、何も知らないディープ伯爵がレン達を見て言った。エレナ達も不思議そうに見ている。レンは、アーク・ワイリーの事を話した。
「ええっ?!そんな事があったの?」
「ああ、皆、一度は死にかけたんだぜ、もう駄目だと思った時だ、奇跡が起きた」
と、マルスが言い、エレナ達の反応を待った。
「き、奇跡ってどんな?」
と、コノハが目を輝かせて兄に聞く。マルスは、もったいぶってなかなか話そうとしない。
「何よぉ、気になるじゃない、早く話して」
「ふふん、レンお前から話してやれ」
「これさ」
と、レンは、エレナ達に不死鳥の剣を見せた。
「不死鳥ラムールが一時的にだけど壊された銅像を通しておじいさんとヨーゼフを甦らせたのさ、しかもすこし若返らせてね、そうだなぁテランジンよりちょっと年上って感じだったかな?」
「ええっ?その剣ってそんな事も出来るの?」
「おじい様とヨーゼフ様が」
「うん、僕達が何をやっても歯が立たなかったアークをおじいさんはまるで子供扱いだったよ」
「フウガ爺はわざとアークを覚醒させイビルニア人の血を完全に目覚めさせたんだ」
と、やや興奮気味にラーズが言い、半イビルニア人が覚醒しようと無駄だという事を半イビルニア人を作り出したグライヤーに知らしめるためだと話した。
「グライヤーってあなたがイビルニアで倒したという」
「そうだユリヤ、今は暗黒の世界に居るはずだ、連中が死ねば皆暗黒の世界に行くという」
「それでフウガ爺とヨーゼフさんは?」
と、コノハが言うとレン達は、残念そうな顔をした。そして、この世に復活出来る時間は、夜明けまでで完全に明けてしまうとあの世に帰れなくなると話した。
「え~?でも銅像が生身の身体になったんなら何も帰る必要ないじゃない、何で帰っちゃうの?」
と、コノハが納得出来ないといった顔をしながら言った。
「確かに言われてみれば…ってそうじゃないだろ?その身体は元々銅像なんだぞ、本当の身体じゃないんだ」
「ふ~ん、でも私も会いたかったなフウガ爺とヨーゼフさんに、ちょっと若かったんでしょ?」
と、コノハは、フウガがレンを連れて宮中に参内していた頃を思い出した。あの時見たフウガは、もうおじいさんだった。それからレン達は、フウガとヨーゼフの思い出話しをして朝食を終え、ラードン達ドラクーン人を帰した。アーク・ワイリーとの戦いで疲れ果てていたレン達は、寝る事にした。テランジンだけは、妻と娘と共に自分の屋敷へ帰って行った。
この日の夕方に目覚めたレンは、事後処理を任せていたサイモン元帥とルークから報告を受けた。大臣達を集め会議し、昨夜殺された門番兵達十五人と練気隊士二人は、職務中の殉職として二階級特進させる事にした。そして、葬儀は、王政府で行う事として式部大臣であるラストロに任せた。
「これで遺族達の心も少しは安らぎましょう」
そして、翌朝トランサー国内にアーク・ワイリー事件が公表され世間を騒然とさせた。まだそんな奴が居たのかと恐れる者や憤る者、隣近所に引っ越してきた者を半イビルニア人じゃないのかと疑う者など誰々が怪しいと役所へ密告する者まで現れた。
「ははは、えらい騒ぎになってるな」
と、マルスが笑いながら言った。
「笑い事じゃないよ、役所じゃ朝から大変だと聞いてるよ」
と、レンが困った顔をして言った。そして、部屋の窓から見える中庭に目を向けた。庭の中央にある花壇には、銅像を置く台座が設置されている。それを見たレンがハッと思い出した。
「忘れてた!マルスが持って来た三体目の銅像」
「ああっ?!あぁぁ、そうだったあのクソ野郎のおかげですっかり忘れてたぜ」
と、マルスも忘れていた様子だった。ラーズは、やれやれといった顔をした。
「二人共、情けないな俺はずっと気になってたんだぞ」
「なら早く言えよ、という事で早速設置に掛かろう」
と、マルスが勝手に決め三体目の銅像を設置する事になった。銅像は、庭の片隅に置かれていた。ディープ伯爵が魔導重機を扱える役人を呼び銅像を花壇の中央にある台座まで運ばせた。
「よぉし、良いだろう」
「じゃあ、早く布を取っ払おうぜ」
と、ラーズが銅像に巻かれてある白い布を取り払った。
「うわぁ!こ、これは…おじいさんと僕だ」
銅像は、幼いレンを連れ歩くフウガの姿だった。レンは、嬉しそうにフウガに付いて行く。フウガは、にこやかにレンを見て手を伸ばしている。
「まぁ子供の頃のレンね、殿下、どうしてこれを?」
と、エレナが銅像を見上げてマルスに尋ねた。
「うん、これはな」
と、マルスは、この銅像を作らせた経緯を話し出した。レンが国王になった時、ジャンパール皇帝でレンの伯父であるイザヤは、甥っ子のレンに育て親であるフウガの銅像を贈ろうと決めた。その事を聞いた侍従長が何か思い出し自分の机の中を調べた。その時、ある一枚の写真が出て来たのだ。古い写真である。侍従長は、偶然、皇后ナミに用があったのでついでにその古い写真を見せた。その写真をナミは、大変気に入りイザヤに見せた。イザヤも気に入り侍従長を呼んで写真の事を聞いた。
「何でも昔、皇室の写真機を買い替えた時にさ、当時ただの侍従だった侍従長がたまたまお前を連れて歩くフウガを見て試し撮りしたんだとよ、現像してみて結構良く撮れてたから自分の机の中にしまってたんだってさ、それで今回銅像を作る事になって、思い出したんだろう」
「そうそう、それで母上がこれも銅像にして贈ろうって言ってね、もっと早く届けるはずだったんだけど、まさかヨーゼフさんが死んじゃうとは思ってなかったから、今度はヨーゼフさんの銅像を作る事になって」
と、今度は、コノハが話した。マルスは、うんうん頷いて聞いている。レンは、設置された銅像を見て当時の思い出が走馬灯の様に流れた。あの当時は、皇帝や皇后をただの気の良いおじさんとおばさん程度にしか思っていなかった。フウガと一緒に城に行けば遊んでくれるマルスやアルスが居る。幼いレンにとって城は、楽しい場所でもあった。レンは、その当時の事を思い出し胸が熱くなった。
「そうだ…あの頃はお城がどんなところで伯父上や伯母上がどんな立場の人なのか分からなかった、僕はただおじいさんに付いて行けばマルスやアルス、コノハと遊べるとだけ思ってた…懐かしいなぁ」
と、レンは、言い涙を溢した。マルスやコノハの目にも涙が光っていた。もうあの頃には、戻れないのだ。
「どうだ、ここに置いて良かっただろう?」
「うん、マルスありがとう、伯父上と伯母上には改めてお礼を言うよ」
レン達は、しばらく銅像を見ながら中庭で過ごした。城内の大臣達が集まる部屋では、半イビルニア人対策が話し合われていた。アーク・ワイリーの様に山奥で暮らしている半イビルニア人が居るかも知れないと調査隊を各地方の山に送り込む事になった。
「特にハーツ山はザマロやブラッツなどイビルニア人と関わりが深かった者の山でした、過去にザマロ派だった貴族や金持ちなどが所有していた山や森、ティアック家を祀る墓の付近など重点的に調べる事としましょう」
「あと港以外から侵入する事も考えられますので、今さらながら我々海軍はトランサー国内の沿岸などを重点的に調査します」
と、サイモン元帥とテランジンが集まった大臣達に話した。
「うむ、その様にしてくれ、しかし…不死鳥の剣には誠に驚かされる、イビルニアではレオニール様を甦らせ、最近では子供にわざと盗ませてサイモン殿と巡り合わせたり…して此度はレオニール様らの危機を救うべく一時ではあるが我が友ヨーゼフとサモン公を甦らせるとは」
と、ジャスティ大臣が感慨深げに言い自分は、そろそろ引退しようと考えている事を他の大臣達に話した。
「なんと仰せになるのです!引退などまだまだ早うございますぞ」
「いいや、わしの様なジジイがいつまでも大臣職にあっては若いもんが育たぬわい、今にして思えば…ヨーゼフが隠居した時にわしも隠居すれば良かった」
と、ジャスティ大臣は、目を細めて言った。
この日の夕食時にマルスは、そろそろ国に帰るとレンに告げた。ラーズも妻ユリヤの実家であるアンドリエ家にご機嫌伺いも兼ねジャンパールに同行すると言う。
「マルスもラーズも本当にもう帰っちゃうのかい?」
「ああ、いつまでもお前達に世話を掛けるわけにはいかん、帰ってアーク・ワイリーが住んでたアシナラの山奥を調べにゃならんしな」
「そんな顔するなよレン、俺達は何時でも来れるんだから、なっ」
と、寂しそうな顔をするレンを見てラーズが励ました。エレナも親友であるユリヤや妹の様な存在であるコノハ、カレンとの別れを惜しんでいた。
「ユリヤ、カレンさん、赤ちゃんが産まれたら直ぐに連絡してね、無事に元気な子を産んでよね」
「分かってるわよエレナ、うふふふ、心配性ね」
「大丈夫です、お姉様」
「もう、お姉ちゃんも早くレンの子を産んでよね」
と、コノハに言われエレナは、顔を赤らめた。エレナの隣でレンは、ぼんやりと何か考えていた。そして「そうだっ!」と、急に大きな声を上げ皆を驚かせ、同席していたディープ伯爵に声を掛けた。
「ねぇイーサン、今日は夜釣りに出かけようと思う、マルスもラーズも直ぐには帰らないんだろ?」
「ははぁ、それはよろしゅうございますが」
「ああ、今日明日に帰る訳じゃないから俺は行っても良いぜ」
「うん、夜釣りなんて久しぶりだな」
「やったぁ!マルス、ラーズありがとう」
「んじゃあ、私も行く!」
と、コノハが元気よく手を挙げて言った。カレンとユリヤも行くと言い出したが、エレナが夜風はお腹の子に障るかも知れないからと止めた。
「そうね、じゃあ私達は留守番ね」
そして、夜も更け日付が変わった頃、レンはマルス、ラーズ、コノハを連れミトラ率いる近衛隊に守られ、魔導車に乗りお忍びで釣り場へ向かった。釣り場に選んだのは、何と軍港だった。と、言っても軍艦が並ぶ港で釣りをするわけではない。以前、シンが軍港の近くにいかにも大物が潜んでいそうな磯場があるとレンに話していた。レンは、その事を思い出し、今回の釣り場に選んだのだ。
「シンが言うには誰にも荒らされていないはずだから魚は警戒心が薄いだろうって」
「ほほぅ、そりゃ楽しみだな、今夜の食卓に誰が釣った魚が出るかな」
そうこうしているうちにレン達を乗せた魔導車が軍港前に到着した。同じく魔導車でレン達を先導していたミトラが門番兵に声を掛けた。
「近衛師団国王陛下付き隊長のミトラ・クリスエス大佐である、連絡は入ってるな?」
「はい、ただ今門を開けます」
門番兵四名が門を素早く開けレン達を迎え入れた。レンは、魔導車の窓から顔を出し「ありがとう」と言うと門番兵達は、整列して敬礼した。レン達を乗せた魔導車は、軍港に入港して海軍本部前を通り過ぎ、中型の艦が泊まってある前で止まった。
「この艦にお乗り下さい、磯場までご案内致しまする」
と、連絡を受けていた当直の士官が言って来たのでレン達は、魔導車を降り艦に乗り移った。艦が動き出し十分程でシンが話していた磯場に到着した。
「ここかぁ、確かに大物が居そうな予感がするなぁ」
「では陛下、昼前にお迎えに上がりまする」
「うん、僕のわがままに付き合わせてごめんね」
「滅相もございませぬ、ご存分にお楽しみ下さい」
と、恐縮しながら士官は、艦に戻り軍港に帰って行った。レン達は、直ぐに竿を出し準備を進めた。その間、ミトラ率いる近衛隊らが近辺を見回る。コノハは、仕掛けが上手く出来ないとマルスを困らせていた。
「あ~も~上手く結べない、あ~!針が服に…ねぇお兄ちゃん取ってよ」
「うるせぇなぁ!自分で何とかしろ、こっちも忙しいんだ」
と、携帯用の魔導灯の明かりを頼りに仕掛けを作っているマルスが面倒臭そうに答えた。既に準備を終わらせたレンがコノハの服に引っかかった針を外してやり仕掛けを作ってやった。
「はい、コノハこれで良いよ、後はエサを付けるだけだよ」
「ありがとうレン…うっはぁ~~気持ち悪い」
と、レンが差し出したエサを見てコノハが言った。餌箱の中で細長い虫がうねうねと動いている。コノハは、震える指先で虫を摘まむと虫の口から針を刺した。
「後は、これを折ってと…良しコノハ、海に投げて」
と、レンは、浮きの先に付けた小さな半透明の棒を軽く折り光らせた。棒の中には、衝撃を与えると光を放つ液体が入っている。コノハが先に釣りを始める。浮きが海面で光りぷかぷかと浮いている。
「マルス、ラーズ準備は出来たかい?」
「ああ、やっと終わった」
「こっちも良いぞ」
レン、マルス、ラーズが同時に仕掛けを海に投げ込んだ。四つの浮きが海面で光り浮いている。空には、星々が輝きを見せている。
「奇麗ね」
「だろ?だから夜釣りが好きなんだよ」
と、久しぶりの夜釣りにレンは、ご満悦だった。そして、最初に反応を見せたのは、先に仕掛けを投げ込んだコノハの竿だった。コノハの浮きが勢いよく海に消し込んだ。
「あっ?!私の浮きが!」
「コノハ、合わせろ!」
「えいっ!」
と、コノハが竿を立てた。竿が大きくしなる。糸巻からじりじりと糸が出て行く。なかなかの大物の様だ。コノハは、糸を巻き取る取っ手をクルクルと回した。
「うっ?!うわぁぁ、すっごい重いすっごい重い」
「頑張れコノハ!」
コノハは、重さに耐え何とか糸を巻き取る。海面を叩く魚の尾が見えた。
「い、今の見たかい?結構デカいよ」
「ああ、デカかったな…ほら、浮いてきたぞ、おおぉ良い大きさだな」
しばらくして、疲れを見せた魚が海面に浮いて来た。近衛兵の一人が素早く網で取り込んでくれた。
「おめでとうございます、姫様」
と、魚を取り込んだ近衛兵がコノハの前まで来て魚を見せた。一メートル近くあった。
「おおぉ、デカいな、コノハよくこんなの釣ったな」
と、ラーズが妙に感心した。レンもマルスも負けてられないとエサを付け替え仕掛けを海に投げる。思わぬ大物が釣れるのが夜釣りの醍醐味でもある。コノハが思わぬ大物を釣り上げた後、レン、マルス、ラーズも魚を釣り上げたが、コノハの釣った魚の大きさには及ばなかった。レンは、仕掛けをもっと深く落としてみる事にした。そして、夜明け頃、レンの竿が大きくしなりを見せる事になった。
「来たっ!」
と、浮きが海に消し込んだのを確認したレンは、大きく竿を立て合わせた。竿が今までにないしなりを見せた。糸が物凄い勢いで出て行く。
「おおぁ!何だぁ?真っ直ぐ沖へ向かってるぞ!」
「今度はこっちに向かってるぞ!レン、根に入られたらお終いだぞ!」
「うん…分かってる…って、ううぅ、重い!」
「レン、頑張って!」
と、マルス、ラーズ、コノハは、もう自分達の釣りどころではなくなったと仕掛けを回収してレンを応援した。ミトラや近衛兵達も固唾を飲んで見守る。レンが糸を巻き上げると巻き上げた分また糸が出て行く始末である。
「一体何が掛かったんだ?海獣かぁ?」
「いや…多分、あいつだよ、ジャンパールにも居たろ…クエバタだよ、きっと」
「何っクエバタ?…にしても暴れ過ぎだろ?」
「うん…クエバタだよ、昔…おじいさんが釣った事があったんだけど、その時は取り込む寸前で針が外れちゃってね…よぉし、絶対釣り上げてやる!」
クエバタとは、この世界では高級魚の一種で大型魚である。最大二メートル、重さ百キロ、釣るには専用の竿や仕掛けを用いるのが一般的なのである。
「奇跡だよ、こんなの…まさかトランサーの海に居るとは思わなかったな」
レンは、一時間近くクエバタと思われる魚と格闘した。空には既に太陽が昇っている。いつでも取り込めるようにと近衛兵二人が足元を海水で濡らしながら網を持って身構えてる。
「陛下、魚体が見えました、赤茶色に黄色の斑点が見えました」
と、網を持った近衛兵が叫ぶように言った。
「ほら、間違いないよ、クエバタだ」
「浮いて来たぞ!」
と、ラーズが叫んだ。近衛兵が言ったように赤茶色に黄色の斑点模様がついた紛れもないクエバタだった。しかし、大きさは一メートルを超えた程度だった。近衛兵二人は、逃さぬよう慎重に網に取り込み二人掛かりでレンの前まで持って来た。
「おめでとうございます、陛下」
「おおぉ、やったなレン、今夜はこいつで決まりだな」
と、マルスがまじまじとクエバタを眺めて言い、ミトラや近衛兵達が拍手した。レンは、照れ臭そうに頭を掻いた。この後、釣りを続けたが小さい魚しか釣れなかった。昼前になり約束通り士官が迎えに来たので竿を納め釣った魚を保冷箱に詰め持ち帰った。
城に帰ったレン達は、直ぐにエレナ、カレン、ユリヤ、そしてディープ伯爵を呼び釣果を知らせ、風呂に入って少し眠る事にした。三時間ほど眠ったレンは、目を覚ましディープ伯爵に今朝釣った魚を夕食に出すよう命じた。マルス、ラーズ、コノハが目を覚ました頃には、すっかり日も暮れていた。
「あ~腹が減った、晩飯にしようぜ」
と、マルスがまるで我が家に居るかの如く言い、皆を笑わせた。そして、この日の夕食には、レンが釣り上げた高級魚クエバタを中心に魚料理が食卓に並んだ。マルスは、コノハとリュート・キュービックの一件で迷惑をかけたクラウドを食堂に呼び出した。
「妹が迷惑をかけた、今宵は一緒に食べよう」
「いやぁ迷惑だなんて、とんでもないです、お役に立てて光栄であります」
と、クラウドは、恐縮した。
「はい、クラウドさん座って座って」
と、コノハが半ば強引にクラウドを席に座らせ、レンとエレナがクラウドに礼を言い食事が始まった。皆、レンが釣り上げた高級魚クエバタに舌鼓を打った。調理をしたケイン料理長は、皆の顔を見て満足そうにしていた。
「うめぇ!初めて食べたがこんなに美味かったのか、ランドールの海にも居るのかな?居るんなら是非とも父上に食べさせたい」
と、父親思いのラーズは、クエバタの味に感動して呟いた。クラウドは、自ら給仕役を買って出たコノハに終始恐縮して味を楽しむところではなかった。そんな様子をレンは、にこやかに見ていた。
「いやぁぁ、食った食った、トランサーでまさかクエバタを食えるとは思わなかったな、はははは」
と、マルスは、大満足の様子だった。食事を終えたレン達は、中庭に出て設置された銅像を眺めつつ将来の事を話し合った。自分達に生まれて来る子供の事や国の事、まだ世界のどこかに居るかも知れないイビルニア人や半イビルニア人の事、そして、十年後、二十年後の事などである。
「まぁ、そん時ぁ俺達もいいおっさんだな、世の中がどう変わるのか…もしかして革命なんか起こされてカムイ家もスティール家もティアック家も滅ぼされてたりしてな、あはははは」
「馬鹿っ!笑い事じゃねぇぞマルス、そうならないためにちゃんと国を治めにゃならんのだぞ」
「そうだよ、何て事言うのさ」
「冗談だよ、国に帰ってアーク・ワイリーが居たと言うアシナラの山奥を調べ終わったら、俺はお役目に就こうと思う」
と、マルスが急に大真面目な顔をして言った。
「お役目ってどんな?」
と、まさかマルスの口からお役目などと言う言葉が出て来るとは思いもしなかったとレンとラーズは、口を揃えて聞いた。マルスが言うには、役人や貴族、武家貴族の不正を糺す役目だと言う。そう言う役目ならどこの国にもある。目付である。
「そんなお役目わざわざお前がやる事じゃないだろう」
「その役に就いてる役人が不正をしたら誰が取り締まるんだよ?これで何とかしてくれと賄賂を渡され不正を働いた貴族や武家貴族の罪を無かった事にする、情けない話だが最近多いんだよ、皇帝も兄貴も頭を抱えてるよ、だからこのマルス・サモン大公爵様が総目付となって取り締まる、まさかこの俺に賄賂を贈って来る馬鹿はいないだろう、まぁ居たらいたで金は貰って罰するけどな、あはははは」
「お前みたいなのに睨まれたら生きた心地がしないだろうな」
と、マルスの話しにラーズが苦笑いしながら答えた。レンは、マルスなら絶対にやるだろうと思いクスっと笑った。マルスに影響されたのかラーズも国に帰ったら父インギ王に願い出て何かお役目に就けてもらうと言った。夜風が冷たくなって来たとエレナは、身重のカレン、ユリヤを気遣い城内に入った。この日、レンとマルスとラーズは、久しぶりに三人で寝る事にした。コノハは、エレナとカレンはユリヤと一緒に寝る事にした。マルス夫妻に用意していた部屋でレン達三人は、レンを真ん中にして寝た。
「思い出すなぁこうやって三人で寝転んでると…あの頃に、ガキの頃に戻れたらなぁ」
と、ラーズの言葉がきっかけでレンは、目頭を熱くさせた。本当にあの頃に戻れたら…大好きなフウガや本当の祖母と思っていたフウガの妻マーサや変わったイビルニア人に殺された用人のバズ、女中のセンとリクに会える。すすり泣くレンに気付いたマルスは、何となくレンが思っている事を感じ胸を熱くさせた。
「子供の頃に戻れたら…おじいさんやおばあさん、それにバズ、おセン、おリクとも会えるんだなぁ」
「そうだな…くっ、ふっ…おいラーズ、お前が妙な事言うから俺まで…うぅぅ」
「な、何だよ?どうしたんだよ二人とも…泣いてんのか?」
「何でか分からないけどおじいさん達の事を思い出しちゃったよ」
「何だよ?俺は俺達三人の事を話してるだけなのに何でフウガ爺らの事になるんだよ」
「うるさい!さっさと寝ろ!」
と、マルスは、レンとラーズに背中を向けた。部屋は暗くて互いの顔が良く見えない。ラーズは、全く理由が分からずぶつぶつ文句を言いながら寝た。
翌朝、朝食を終えるとマルス、ラーズは、帰り支度を始めた。コノハは、自分だけでもまだトランサーに残りたいと兄マルスに言ったが聞き入れてもらえず不貞腐れていた。
「さっさと支度をしろ!昼前には迎えが来るんだぞ」
「コノハさん、早く支度して」
と、義姉カレンに言われコノハは、ふくれっ面で帰り支度を始めた。エレナは、親友であるユリヤとの別れを惜しんでいた。
「また来てねユリヤ」
「分かってるわ、でも次に会う時はレオニール様とあなたの子が生まれてる事を期待するわ」
と、ユリヤに言われエレナは、頬を赤くした。
「そうだな、レン、しっかりやれよ」
と、ラーズがレンの肩を叩きながら言った。レンも妙に気恥しくなったのか頬を赤く染めた。マルス達の準備が整ったのでレン達は、ミトラ、クラウド隊に護衛されながら魔導車で軍港へ向かった。そこには、マルス達を迎えにジャンパール海軍の高速艇が来る事になっている。軍港に到着するとテランジンとルーク、ジャンがレン達を出迎えた。
「もう小一時間ほどでこちらに到着するそうです、ところで陛下、この辺りで良型のクエバタを釣り上げられたそうで」
「うん、シンが教えてくれた場所でね」
「ほほう、シンの野郎から聞いてたんですか、なるほど、本当にいたんですねぇ、いやぁ俺達もシンからあの磯には絶対大物が居るって聞いてはいたんですがねぇ、言ってる本人があまり釣りをするような奴じゃなかったもんで半信半疑でしたが、陛下がお釣りになったと聞き及び明け方頃に非番の連中が来て、あの場所で釣りしてましたよ、あはははは」
「今度非番の時に私も狙ってみようと思います」
と、テランジンが言うとルークとジャンも釣ると言いレンからエサは何が良いか、仕掛けは何が良いかを教えてもらった。そうこうしているうちにジャンパール海軍の高速艇が来たと報告が入りレン達は、港に移動した。
「じゃあな、レン、エレナ、皆、元気でな」
「うん、伯父上達によろしくね」
「レン、お姉ちゃん、ジャンパールにも来てね」
「レオニール様、お姉様、お元気で」
「カレンさん、丈夫な赤ちゃんを産むのよ」
レンは、マルスと固い握手を交わし、エレナは、コノハ、カレンを抱き締めた。そして、マルス、カレン、コノハが高速艇に乗り込んだ。
「レン頑張れよ、んじゃあな」
「エレナ、またね」
と、ラーズ、ユリヤ夫妻が笑顔で言い高速艇に乗り込んで行った。レンとエレナ、テランジン達海軍がマルス達を見送った。高速艇が見えなくなりレンとエレナは、城に戻る事にした。
翌日からレンは、多忙を極めた。アーク・ワイリーよって殺された者達の葬儀に参列して彼らを称える儀式に出席したり、山積みになったいた報告書に目を通したり、大小様々な問題の解決に乗り出した。そして、数日たったある日ジャンパールでは、マルスが総目付になったと新聞記事が掲載された。
「うわぁ…サモン大公ジャンパール皇国総目付に就任だってさ」
「面白くなりましたな」
と、ディープ伯爵が嬉しそうに答えた。レンは、ぺろりと舌を出しおどけて見せ新聞を机の上に広げ天井を見つめた。ここは、レンの政務室である。かつては、ヨーゼフが座っていた椅子にディープ伯爵が側用人として座っている。ぼんやりと天井を見つめるレンを見てディープ伯爵は、クスリと笑い言った。
「陛下、夜釣りに行かれてはいかがですかな?」
「ええっ?良いのかい?だってこの間マルス達と行ったばかりだし…その…」
と、本当の祖父グランデ王の幽霊から言われた一言をレンは、思い出した。何事にも惑溺して度を過ぎてはならない。
「何の、ここのところ非常に忙しゅうございましたゆえ、息抜きも大切ですぞ」
と、ディープ伯爵に言われレンは、嬉しさの余り思わず叫びそうになったが、ぐっと堪えた。
「良いのかい、じゃ、じゃあ今夜行こうかな」
「はい、準備させておきます」
そして、夜が更けた頃、レンは、エレナを連れてミトラ、クラウドの近衛隊と共にクエバタを釣った磯場に居た。ぽつりぽつりと海軍の非番の者達がレンにあやかろうと竿を立てている姿が見えた。
「陛下の影響で皆、クエバタを狙っているようですな」
と、クラウドが辺りを見まわしながら言った。非番の者達がレンに気付くと次々と挨拶に来た。レンは、潮の状況などを聞いたり釣果を聞いた。
「はい、陛下、まだクエバタは釣れませんがなかなかの大物が釣れました」
「小さいのが釣れました、絶対に大物はまだ居ますよ」
と、話を聞きレンの胸を躍らせた。
「うわぁ…そんな気持ち悪いのよく平気で触れるわね」
と、針にエサを付けるレンを見てエレナが苦笑いしながら言った。レンは、ふふっと笑い子供の頃の自分を思い出した。子供の頃は、エサに触れずフウガか用人のバズに付けてもらっていた。
「慣れだよこんなの、良し、さぁ今日は何が釣れるかな」
と、レンは、竿を振るった。海面に浮かぶ光る浮きを見てエレナは、目を輝かせた。
「綺麗ね」
「そうだろ、こうやって光る浮きを見つめてると嫌な事なんて忘れるんだ」
「ふぅん…釣りをする人って皆そうなのかな?」
「さぁね、分からないけど…エレナもやってみるかい?竿はまだあるよ」
「ええ、じゃあ私もやってみようかしら」
エレナがそう言うとすぐさまクラウドがエサを付けた竿をエレナに手渡した。レンに介添えされながらエレナは、竿を振るった。二つの光る浮きが海面に浮かんだ。光る浮きを見つめながらレンとエレナは、今までの事を語り合った。時に笑ったり、時に泣いたり二人は、飽きる事無く語り合った。
「エレナ、僕の妻になってくれて本当にありがとう、これからどんな事が起きるか分からないけど、ずっと僕の傍に居てくれ、愛してるよ」
「レン…私はあなたを信じて付いて行くだけよ、愛してるわ」
こうして若き国王夫妻は、心地よい潮風を受けながら夜釣りを楽しんだ。この日、レンは、エレナを必ず幸せにすると改めて誓い、トランサー王国の平和と発展により一層力を注ぐと心に誓った。




