誠の母
法廷内に居る者達は皆ハリア・グリッドに注目している。夫であるバッド・グリッドは、全てを諦め放心していた。ジャスティ大臣がハリアの目の前に置かれた小さな机の上にある親権放棄を手続きするための書類を人差し指でつつき、早く署名と血判をしろと催促した。ハリアは、頑なに拒み続ける。
「やれやれ、困った女じゃ、何故じゃ?何故、放棄出来んのじゃ?まさか今頃になって母性に目覚めたのか?」
「はい…産んだ子を売るなんて馬鹿な事を考えました、自分が間違っていた事は重々承知してます、もう二度と変な考えは起こしません、ですから子供達を返して下さい!私があの子達を産んだんです、私が母親なんです!」
「ハリア、もう諦めろよ」
「嫌よバッド!やっぱり他人になんか渡せない、自分の手で育てるんだから!」
「何度でも言うぞ、子供を其の方に引き渡す事は出来んぞ!大聖堂での誓いを破りあまつさえ子供達を虐待し怪我をさせた事は明白である、其の方は人の親に非ず、さっさとこれに署名血判してメタルニアで裁きを受けよ」
と、ジャスティ大臣は、机に置かれた書類を指差しハリアに言った。ハリアは、書類を取りビリビリに破いた。
「こんな物っ!」
「これこれ、そんな事をしても無駄じゃぞ、何枚でもあるわい」
ジャスティ大臣は、落ち着き払って言い役人にまた書類を持って来いと命じた。アンジュとケリーは、不安気にルーシーとサイモン元帥を見た。
「大丈夫だよ、お前達を決してあの女には渡さない」
と、サイモン元帥が大きな手でアンジュとケリーの頭を撫でた。ハリアが何か喚いている。アンジュとケリーは、両手で耳を塞ぎ何も聞かないようにした。
「私の子供に触るな!ああああ、早く子供を返せっ!」
と、ハリアが柵に手を掛けサイモン夫妻を睨みつけながら叫んだ。それを見たアンジュとケリーは、驚き慌ててサイモン夫妻の後ろに隠れた。ジャスティ大臣がハリアの尻を鞭で思い切り叩き怒鳴った。
「子供が怖がるような事をするなっ、馬鹿者め!座れ」
「私が産んだんだ!私が腹を痛めて産んだ子だ!早く、早く返せ!」
と、ハリアは、狂ったように叫んだ。耳を塞ぎたくなるような甲高い声である。何が彼女をそうさせているのか、本当に母性に目覚めたからだろうか、ただ単純に自分が作った物を他人に渡したくないという気持ちからだろうか、彼女や夫であるバッドが子供達にやってきた事を思えば狂っているとしか思えない。レン達は、狂人を見る様な目でハリアを見た。レン達は、しばらく様子を見た。ハリアは、地獄から這い出ようとする亡者の様に柵越しからアンジュとケリーを掴もうと両手を伸ばした。ジャンが慌てて椅子に座らせようとするが、抵抗してなかなか座らせることが出来ないでいる。物凄い力である。
「こいつっ!」
「座れってんだよ!」
と、ルークも加わり二人掛かりでやっと座らせた。
「放せっ!アンジュとケリーを返せっ!」
「良かろう、では、其の方が誠の母であり、子供達を育てるに相応しいかわしが見定めてくれる…ルーシー殿、アンジュを連れてこれへ」
「えっ?」
「心配無用じゃ、ささっ、こちらへ」
と、ジャスティ大臣に言われルーシーは、アンジュを連れてジャスティ大臣の前に出た。ハリアがアンジュの腕を掴もうとしたがジャンがその手を掴み止めた。ジャスティ大臣は、構わずアンジュに目線を合わせるためしゃがんだ。
「アンジュや、今からこの女が誠にお前やケリーを産んだ母であるか見定める、そのためにはアンジュに協力してもらわねばならん、出来るかな?」
「…はい…私は何をすればいいの?」
と、アンジュは、不安気に答えた。レン達もアンジュに一体何をさせる気なのかと不安に思った。ジャスティ大臣は、うんうんと頷きアンジュの手をそっと取り話した。
「ちょっと痛い思いをするかも知れないが心配は要らんぞ、あそこに居るワイエット殿が直ぐに手当てをしてくれるからね、ワイエット殿、もしもの事を考えて貴殿もこちらへ」
「ははぁ、何をするのか存ぜぬがそちらに行きます」
と、ドラクーン人のワイエットが隣に座っているテランジンに何か言い残しジャスティ大臣らの前へやって来た。
「うむ、ではハリア・グリッド其の方が誠の母であるか見定めてくれるとしようか、ルーシー殿、このハリア・グリッドとアンジュを引き合え、見事引き取った者をアンジュ、ケリーの母とする」
「ええっ何ですって?そんな事したらアンジュが怪我しますよ!」
「そのためにワイエット殿をこの場に呼んだのじゃ、直ぐに治してもらえるようにのぅ」
「なるほど、そう言う事ですか、分かりました万が一怪我をしたら直ぐに治します」
「アンジュ、怖くないからね、これは大事な事なんだよ」
と、ジャスティ大臣は言ったが、アンジュは不安を隠せない。泣きそうな顔をしてルーシーを見た。ルーシーも本当に大丈夫なのかと不安に思いながらもジャスティ大臣に従うようアンジュに言った。アンジュは、恐る恐る両手を広げた。右手をルーシーが握るとアンジュも握り返した。そして、ハリアが左手を握った。ハリアの目が血走っている。これで引き合う準備が出来た。
「では、両人とも始めよ!」
と、ジャスティ大臣の掛け声でルーシーとハリアがアンジュを引っ張り合った。直ぐにアンジュの顔が険しくなった。痛みに耐えている。
「ほらっその手を放しなさい!アンジュが怪我をする」
「あんたこそ放しな!この子は私が産んだんだ、私の子だよ」
「うううぅぅぅ!」
「早く手を放せっ!アンジュが痛がってるだろ!」
「うるさい!子供が欲しけりゃ自分で産め!」
「いい…痛い!放して!」
「ああ、ごめんアンジュ、あっ?!」
と、アンジュの本気の痛みの叫び声に思わずルーシーは手を放してしまった。
「おばさんっ」
「アンジュ!」
「アハハハハハ、勝った!さぁ私の勝ちだ、アンジュは私の子だ!」
と、ハリアは、嫌がるアンジュを抱き寄せた。アンジュは、何とかハリアから逃れようと抵抗するが両腕を引っ張られていたせいで力が入らない。
「お前は私の子だ、大人しくしろ」
「い、嫌っ、放して」
その様子を呆然とルーシーは見ている。レン達も呆然としていた。バッドは、今さらどうでも良いといった感じでハリアとアンジュを見ている。
「あい、これで決まった、アンジュとケリーの誠の母はルーシー・サイモンである!なお、アンジュ、ケリーをサイモン家の養子ではなく実子とする!ジャン何をしておる、早う引き離せ!」
「あっ!?ははぁ、このっアンジュを放せ、馬鹿女め!」
「な、何をするんだ、ああアンジュ」
ジャンは、ハリアの頬を引っ叩き怯ませた隙にアンジュを引き離した。今度は、ハリアが呆然とする番だった。引き合えと言われ言われた通りにしただけではないか。
「な、何で?何で引き合えって言ったじゃないか!」
「阿呆!引き合えとは言ったが誰が痛みを与えろと言った」
「だって怪我をしてもこの人が治してくれるって言ったじゃないか」
と、ハリアがワイエットを指差し言った。
「愚か者め!誠の母なれば子供が痛がっているのに無理に引っ張るのか?子供に痛みを与えるのか?やはり思った通りじゃ、其の方は人の親に非ず、アンジュが痛いと叫んだ時、ルーシー殿は直ぐにその手を放したぞ、これが誠の母の取るべき行動であるわ、たわけっ」
「そ、そんな…騙したな、私を騙したなっ!」
と、逆上したハリアがジャスティ大臣に掴みかかったが、後ろに居るルークとジャンに引き離され椅子に無理矢理座らされた。
「其の方に問う、初めてアンジュを産んだ時どう思ったのか?」
と、ジャスティ大臣が真顔になってハリアに問う。
「な、何を訳の分からない事を」
「子を産んだ時、何と思ったのか?我が子を愛しいとは思わなんだのか?初めて乳を与えた時、可愛いとは思わなんだのか?」
と、ジャスティ大臣に問われハリアは、忘れていた感情が甦ったのか狂ったように泣き出した。
「はっ?!…ああ…うわぁぁぁぁぁぁぁ!ああぁぁぁ…」
しばらく法廷内は、ハリアの泣き叫ぶ声だけが響いていた。その姿を狂人ではなく一人の憐れな女として皆は見た。そして、泣き止んだハリアが過去を語り出した。ハリアがアンジュを産んだ時、バッドも真面目に仕事をしていた。当時二人は、二十歳だった。
「父ちゃん頑張るからな」
と、毎日仕事に向かう前にバッドは、アンジュに言っていた。ハリアは、そんな夫を頼もしく思っていた。当時のトランサー王国は、ザマロ・シェボットが支配していて町には、当然の如くイビルニア人が横行していた。田舎で育ったバッドとハリアは、城下町や港町で見るもの全てが珍しくイビルニア人が近くに居ても気にもしなかった。アンジュが三歳になった頃、バッドが勤める会社が取り潰しとなった。理由は、イビルニア人嫌いの社長が密かに反ザマロ派の者と通じていたという事だった。突然、職を失ったバッドは、家族を養うために必死なったが何をやっても上手く行かず次第に荒れ始めた。ハリアに対して暴力を振るうようになった。ハリアは、バッドの気持ちを考え必死に耐えた。今だけだと自分に言い聞かせていた。仕事が見つかり上手く行けばきっと昔のバッドに戻ると。そして、ある日とうとうアンジュに手を出し始めたのだった。ハリアは、母として当然アンジュを守った。
「バッド、止めて!アンジュには手を出さないで!」
「うるさい!お前もやれっ」
と、バッドは、ハリアにアンジュを虐待するよう言った。当然、母として断ったが、やらなければ離縁すると言われた。勘当同然で実家を飛び出したハリアにとってバッドは、最も頼るべき存在で最も愛する男だった。仕方なくハリアは、バッドがアンジュを虐待する時だけだが同じように虐待した。心の奥底では、アンジュに謝っていたという。そして、バッドに転機が訪れスワード男爵と言う元やくざの貴族に仕えるようになり収入も安定してきたのだ。これでアンジュに対しての虐待は、多少ゆるくなったが今度は別の問題が発生した。バッドが浮気し始めたのである。スワード男爵は、バッドの弁才を認め港町の賭場や女郎屋の管理を任せていた。バッドは、二十三歳と言う若さで港町では、ちょっとした顔役になったのである。そんなバッドに言い寄る女共は少なくなかった。家にも帰らない時が続きハリアは、益々不安に駆られた。捨てられるのではないかと。そしてハリアは、母より女である事を取ったのである。そんなハリアをバッドは、可愛く思った。元々好き合って実家を飛び出し結婚したのである。バッドの浮気は止み元の仲の良い夫婦に戻ったが、アンジュに対しての虐待が止んだ訳ではなかったのだ。以前にも増して酷くなった。
「お前が居るからだ!お前なんか私の子供じゃない、ただの奴隷だ!」
そして、どこで手に入れたのか例の鞭でアンジュを虐待していた。そんな時、二人目を懐妊した事に気付いたハリアは、バッドに知らせた。バッドは、あまり良い顔をしなかったが、産めば良いじゃないかと言った。アンジュに面倒を見させれば良いとも言った。そして、二人目つまりケリーが生まれバッドとハリアは、本当にケリーの世話を四歳のアンジュにさせたのである。
「どうかしてました…私は母であるより女を選んだんです、この人に捨てられるのが怖かった私にはバッドしかいなかった」
そして、月日が流れレンがジャンパールで立太子式を行い、ヨーゼフ、シドゥ、テランジン率いる海賊とトランサーに帰り、ザマロを討ち取りティアック家がトランサー王国を治めるようになりバッドに二度目の転機が訪れる。港町の賭場や女郎屋などは取り潰されバッドは、ただのスワード家の奉公人になった。それでも主家を失った訳でもなく俸禄があるのでまだ良かったが、レンがイビルニア国へ戦争に向かった後、バッドにとって最悪の事が起きた。主家スワード家の改易である。国内に残ったヨーゼフ達重臣による大粛清が始まったのである。
「はは、あの時は本当に驚いたよ…殿が、スワードの殿がまさか改易されるなんて…サイモンさん覚えてるだろ?」
と、突然バッドが話し出した。スワード男爵に改易を言い渡したのは、当時陸軍大将だったサイモン元帥である。サイモン元帥は、静かに頷いた。
「あれからだ俺の人生がまた狂い始めたのは…新しい奉公先を紹介されたが元はスワード家に仕えていたと言うだけで色眼鏡で見られ…俸禄も少なく、毎日毎日、屋敷の掃除や雑用ばかり…」
「当り前じゃ、新参者の其の方に重要な事を任せられるか、なぜ立場をわきまえられなかったのだ」
と、ジャスティ大臣が呆れ気味に言った。バッドは、溢れ出る涙を手で拭いながらまた話し出した。
「俺はそれまで港町の顔役だったんだ、そんな俺がただの雑用なんて耐えられなかった…悔しくて悔しくて、家に帰ればケリーの夜泣きでまともに眠る事も出来ず、もう何もかも嫌になったんですよ」
「バッドが毎日辛い思いをして帰って来るのを私は見ていられなかった、言いようのない怒りが込み上げて来て…私達は…」
「アンジュを虐待したのだな」
と、ジャスティ大臣が静かに言った。バッドとハリアは、小さく頷いた。そんな様子をホーリッシュ大司教が涙を流しながら見ていた。大聖堂で二人が懺悔していた時よりも今の方が懺悔している様に見えた。
「私はこの人を、バッドを愛しているんです、バッドが辛い思いをしているのに私は何も出来なかった、だからせめてバッドの言う事なら何でも聞こうと…うぅぅぅ」
この場でハリアから愛と言う言葉が出て来るとは思ってもみなかった。レン達は、驚きハリアを見た。夫のために子供を虐待していたのか。
「どうして…どうして夫を愛するようにアンジュとケリーを愛せなかったのか?」
と、レンが言うとハリアがまた泣き出した。隣でバッドも男泣きに泣いている。
「歪んだ愛じゃのぅ…母である前に女を取ったそちの心の中にいつしか魔物が住み着いたのじゃろう」
ジャスティ大臣が泣き崩れるハリアを見て言った。その眼は、憐れみを含んでいる。しばらく法廷内は、バッドとハリアの鳴き声に包まれた。そして、いつの間にか泣き止んだハリアがジャスティ大臣に言った。
「親権を…放棄します」
「そうか…ではこれに」
と、ジャスティ大臣が書類を指差した。ハリアは、署名欄の名前を書き右手の親指を口元に滲んだ血に押し当て血判を押した。これで全て片が付いた。役人がバッドとハリアが署名血判した書類を取り法廷から出て行った。メタルニアの武官がレンとエレナに一礼してバッドとハリアに近付いた。
「さぁ、これで用事は済んだぞ、一度大使館に戻る、二人共立て」
そう言われて二人が立ち上がった。
「ハリアさん」
と、ルーシーが声を掛けた。ハリアは、力無くルーシーを見返した。
「あなたは子供が欲しかったら自分で産めと言ったわね…でもね世の中には欲しくても産めない人も居るのよ…私の様に…愛する人の子を産めない…この悔しさ、正直あなたが羨ましいと思った、私も出来る事なら夫の子を産みたかった」
ルーシーが懐妊出来ないと噂でそれとなく聞いていたレンやエレナ、重臣達が悲痛な面持ちとなった。
「夫と子供達が出会ったと聞いた時は驚いたわ、あなたも知ってるかも知れないけど場所がお城だったの、しかもアンジュは陛下の不死鳥の剣を持っていた…恩を受けたヨーゼフ公を甦らせるためだと…そしてもっと驚いたのは夫も子供達も不死鳥の導きで出会ったという事…私は運命を感じたわ、そして幸いと言って良いのか分からないけど子供達には親が無かった、これは神が与えてくれた機会だと…私にアンジュとケリーの母親になれってね」
と、ルーシーは、言いアンジュとケリーの肩に手を掛けた。その姿をハリアは、悲し気に見たが直ぐに気を取り直し深々とルーシーに頭を下げた。
「子供達をよろしく頼みます…ア…」
と、ハリアは、顔を上げ何か言いかけたが止め、もう一度ルーシーに頭を下げレン達に一礼して背中を向けた。酷く寂しそうに見えた。そして、武官達と共にバッドと法廷から出て行った。
「思えば憐れな者共であったわ…さて、アンジュ、ケリーこれでやっと本当にサイモンのおじさんとおばさんはそち達の親になった、良かったのぅ」
と、ジャスティ大臣が言うとアンジュとケリーは、照れ臭そうにしながら頷いたが直ぐに不安な表情になった。
「どうした?」
「あの人達にはもう二度と会わなくて良いの?」
「ああ、もちろんじゃ、もう二度と酷い目に遭う事はないぞ」
と、ジャスティ大臣が言うとアンジュとケリーに笑顔が戻った。ルーシーは、二人を抱き締めた。
「本当におばさんが私達のお母さんになってくれたのね、嬉しい」
「そうよ、私がお前達のお母さんよ、わたしも嬉しいわ、アンジュ、ケリー」
サイモン元帥は、感極まったのか声を出して泣き三人まとめて抱き締めた。そんな姿をレン達は、微笑ましく見た。ホーリッシュ大司教や二人の弟子は、涙し神に祈りを捧げていた。
「お母さん、お父さんだけじゃないのよ、おばあちゃんに叔父さん叔母さんも出来たのよ」
と、ルーク、ルーシーの母であるステラが言うと法廷内が笑いに包まれた。
「一気に家族が増えたな、これで寂しい思いをする事はあるまい、祝着至極!」
と、ジャスティ大臣が満面の笑みで言った。こうして無事アンジュとケリーは、サイモン家に養女養子に迎えられた。翌日には、親子盃の儀がテランジン一家の手でサイモン屋敷で執り行われた。見届け人は、ジャスティ大臣とレンの名代として遣わされたディープ伯爵である。
「アンジュ、ケリーこの盃を飲み干すと同時に本当の意味で親子になる、ではその盃、三口半にて飲み干しましてぇ懐中深くお納め下さい…何てな、でも神の御前だ心して飲むんだぞ」
と、ルークに言われてアンジュ、ケリーは、テランジン一家の者が昨日大急ぎで用意した祭壇の前で真剣な顔をして飲み干した。量は少ないが本物の酒である。飲み干し少し顔を赤くしたアンジュとケリーは、サイモン元帥、ルーシーに向かって座りルークに教えられた通り、三つ指を立て口上を述べた。
「不束者ではございますが父上様、母上様、どうぞよろしくお引き回しのほどを」
「同じくふつつ、ふつふつ…?…お引き回しのほどを」
と、しっかり者のアンジュは、ちゃんと言えたがケリーには、まだ無理の様だった。
「あっはっはっは、うんうん」
「うふふふ、はいはい二人共良く言えました、向こうに食事の用意がしてあるわ、皆で食べましょう」
「わーい!僕お腹空いた」
と、食いしん坊のケリーが諸手を挙げて喜ぶとアンジュがペロッと舌を出しておどけた。その場が笑いに包まれ大いに和んだ。見届け人としてジャスティ大臣とディープ伯爵が満足気にサイモン家族を見ている。
「祝着じゃあ、うんうんこれで良いこれで良い」
「誠に祝着ですなぁ、ところで大臣、バッドとハリアはいかがなりましょうや?」
「ふむ、子供達を売ろうとした事は確かな事じゃが、あやつらが人身売買組織の一員ではないからのぅ、極刑にはなるまいて、おそらく懲役刑じゃろうのぅ」
と、ジャスティ大臣は、髭を撫でながら答えた。バッドとハリアは、今朝方トランサー海軍の艦でメタルニアへ送還された。同行するのは、メタルニア大使館の武官二人とトランサー王国外務大臣フレイド・フロストである。
「わしが行けば良かったんじゃがな、もう歳じゃ長旅はこたえるわい、はははは」
「何を仰せに、まだまだお若い、ジャスティ大臣にはまだまだ働いてもらわねば」
「これこれ、爺をこき使うな、わはははは、さぁわしらも参ろうか」
と、ジャスティ大臣とディープ伯爵も食卓へ向かった。
翌日、ディープ伯爵がレンとエレナに昨日のアンジュとケリーの様子を話した。
「テランジン一家の手で親子盃の儀は滞りなく済み、戸籍上と本当の意味で親子と相成りました」
「良かったね、サイモン元帥もこれでまた子供部屋の改築が再開出来ると喜んでたそうだね」
「はい、来月にでも完成するでしょう」
「良かったわね」
と、話していると扉の向こうで役人が呼ぶ声がした。ディープ伯爵が部屋の中に入るよう言うと役人が血相を変えて入って来た。
「何事か?」
「たた、大変です、先ほど大聖堂からの使者が参りましてホーリッシュ卿が大司教の地位を退き隠居したいと報告に」
「何と?ホーリッシュ卿が」
「これにレオニール陛下宛ての書状が」
と、役人がディープ伯爵に書状を手渡した。レンは、読めと目で合図を送る。ディープ伯爵が重厚な作りの筒から書状を取り出し読み始めた。
「ええ、親愛なるレオニール国王陛下へ、思うところありて大司教の座を退き隠居したく候、此度、アンジュ、ケリーが無事にサイモン殿の養子養女となった事は祝着の極みなれど、バッド、ハリアの虚言を見抜けず子供達の心に深い傷をつけたのは我が不徳の致すところ、運が悪ければ子供達は本当に売られ、または死んでしたやも知れず、それを思うと胸が張り裂ける思いにて候、私の様な不徳の者が大司教などもってのほかと思い、この上は大司教の座を退き隠居し改めて各地を巡礼したく思い、この儀どうか良しなにお取り計らい願い奉り候」
ホーリッシュ大司教は、バッドとハリアの嘘を見抜けなかった事をかなり悔やんでいるという。真実を見抜いていればアンジュもケリーも恐怖や痛みを感じずに済んだのだと。
「あれはあの二人に騙されたんじゃないか、ホーリッシュ卿の責任じゃないだろう」
「左様でございます、引き止めましょう」
「そ、それが、今朝早く、大聖堂をお立ちになったそうで」
「ええっ?ひ、一人でかい?」
ホーリッシュ卿は、弟子や神官達が止めるのも聞かず旅に出たのだ。
「あのお歳で一人じゃ無茶だよ、ま、まさか死ぬ気なんじゃ」
「まさか、それはありますまい、仮にも神に仕えるお人です、自らお命を絶つ事はないでしょう」
と、ディープ伯爵は、答えたが不安だった。
「いかが致しましょう、探しますか?」
と、役人がレンに尋ねた。レンは、ヨーゼフならどうしただろうと考えた。ホーリッシュ卿も今回の事で心に深い傷を負っている。今は、そっと見守るべきかと思った。何かあれば必ず誰かが知らせるだろう。
「今はそっとしておこう」
「左様ですなぁ、ホーリッシュ卿もまさか無茶な事はしますまい、ではホーリッシュ卿の隠居はお認めになられますか陛下?」
「うん、ところで後任は?」
「はい、それなら既に決めてあるそうです」
「そっか、分かった、下がって良いよ」
「ははっ」
と、役人は、部屋から出て行った。そして、この日の午後、ホーリッシュ卿が大司教の座を退き隠居する事がトランサー王国内に知らされた。
この日、サイモン家族は、ヨーゼフの墓に参っていた。アンジュとケリーを養子養女に迎え入れた事を報告するためである。
「ヨーゼフ様、私達姉弟はサイモンのおじさんとおばさんの子になりました、あの時私達を助けてくれてなかったら私達は死んでいました、本当に本当にありがとうございました」
「ヨーゼフ公、あなたがこの子達を助け、そして陛下の不死鳥の剣の導きによりこの子達と出会い、子の無い私達夫婦の子とする事が出来ました」
「どうか、よろしくお見守り下さいご隠居様」
と、アンジュ、サイモン元帥、ルーシーが墓前に語りかけた。ケリーは、ただ手を合わせ墓を見つめている。
「ケリーあなたも何か言いなさい」
と、アンジュが姉様ぶってケリーに言うとケリーは、情けない顔をした。サイモン元帥とルーシーがクスクス笑って姉弟を見た。ケリーが何かもごもごと言おうとした。
「はいはい、まだケリーには無理よ、さぁもう一度ご隠居様に手を合わせましょう」
と、ルーシーが言いサイモン家族は、ヨーゼフの墓前で祈りを捧げた。空は、雲一つない晴天だった。




