親権放棄
法廷内は、静まり返っている。レンの言葉を待っている。バッドとハリアは、御簾の向こう側に居るレンの事を知ってる。四年前、レンがトランサーに来なければ今よりもっと良い生活をしていただろうと今も信じていた。
(そうだ、こいつのせいで俺の人生は滅茶苦茶になったんだ、こいつさえ帰ってこなければ)
バッドは、御簾の向こうに見える影を見据えた。
「頭が高い!控えろ!」
と、ジャスティ大臣がバッドとハリアに言い椅子に座らせながら深々とお辞儀をさせた。
「汝らに問う、何故子供に対し暴力を振るう、しかも実の子に対し…そんなに我が子が憎いのか?」
と、レンが厳かに言った。バッドとハリアは、何も答えない。答えたくても答えが見つからない。憎いと言う感情は無い。元々、無傷でアンジュとケリーをメタルニアに連れて行く予定だった。
「早う、答えよ!」
と、苛立ったジャスティ大臣が言うとバッドは、ハリアを見た。ハリアは、何か言おうとしているが言葉が出て来ない様子だった。
「あ、あの…私達も好きで手を出した訳ではありません…ただ…」
「躾のためか?」
と、レンがやっと言葉を捻り出したハリアの言葉尻を捕って言った。
「あっはい、はいそうです、ケリーは私の顔を叩いたので」
「違う!ケリーは叩いてなんかいない、ケリーは手を踏まれて痛がってた、その手をこの人が無理矢理掴もうと」
と、アンジュが言うとバッドが血相を変えて後ろに居るアンジュを見て怒鳴った。
「お前っ何て事を言うのだ、母さんはケリーを心配してだな、それとこの人と言うなっ母さんだろ!」
「アンジュに怒鳴るな!馬鹿野郎!」
と、ルークが怒鳴り返した。法廷内が静まり返った。
「とにかく、汝らの行為、到底躾のためとは思えない、ケリーの心と身体に深い傷を負わせ、あまつさえアンジュに対し二度も心身共に深い傷を負わせた…これは歴とした幼児児童に対する虐待である、余は断じて許さぬ、エイゼルこの者らに何か罰を与えよ」
と、またレンが厳かに言った。
「御意、では陛下、王妃様、少々お見苦しいものをお見せする事になりましょうが、どうかご容赦願い上げ奉りまする」
「かまわない、エイゼルの思いのままに」
と、レンがジャスティ大臣に言った。
「ありがたき幸せ、アンジュ、ケリー今から悪い大人を懲らしめてやるからね、ああ、そうじゃなサイモンのおじさんとおばさんのところに行きなさい」
と、ジャスティ大臣が言い、アンジュとケリーは、役人が開けた柵に設けられた扉を通りサイモン夫妻のもとへ行った。
「おじさん、おばさん」
「アンジュ、ケリー」
ルーシーとサイモン元帥が子供達を抱き締めた。その姿をバッドとハリアが悔しそうに見ている。ジャスティ大臣は、満足気にアンジュ達を見てバッドとハリアに向き直り言った。
「さてと…其の方ら覚悟は出来ておるな?ルーク、ジャン、この鞭でもってわしが良いと言うまでこの愚か者共を打ち据えよ!」
「ははぁ!」
と、待ってましたと言わんばかりにルークとジャンがジャスティ大臣から鞭を受け取るとバッドとハリアに鞭を向け振り上げた。
「あの小さな身体で受けた痛みをとくと思い知れ!いくぞっ!おらぁぁぁぁっ!」
「ちょちょ、ちょっと待っ…いったーーーい!」
「おらぁぁぁぁっ!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
「遠慮はいらんぞ、存分に打ち据えよ!」
バッドとハリアの仕置きが始まった。サイモン元帥とルーシーは、子供達に見せないよう抱き締めた。本当の両親が鞭で打たれ悲鳴を上げている。アンジュもケリーも悲鳴を聞かないよう両手で耳を塞いだ。
「ぐわぁぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁ!」
「おらおら、どうした?まだ始まったばかりだぞ!」
「こんな程度で許されると思ってるのかっ!」
海で鍛えた男の振るう鞭である。しかも現役の軍人である。そのルークとジャンが振るう鞭を受けバッドとハリアの身体は、見る見るうちに腫れ上がって来る。みみず腫れから血が滲む。法廷にバッドとハリアの悲鳴が響き渡る。御簾の内側でエレナが震えながら見ていた。
「見るのが辛かったら先にお城へ帰るかい?」
と、レンがエレナを気遣い言った。
「い、いいえ、最後まで見届けるわ」
と、エレナが姿勢を正して答えた。レンは、うんと頷きバッドとハリアを見た。二人は、あまりの激痛で訳の分からない事を叫んでいた。
「ひっひぃぃぃぃ!いいいい痛い!」
「いいいやーーー!きぃぃぃぃっ!」
「アアア、アンジュ、ケリー!助けてくれぇぇ!」
「な、何だとぉ!、てめぇ、よりによっててめぇが痛めつけた子供に助けを求めるとは、このクソ野郎!」
「ぐぎゃぁぁぁ!もぉ止めてくれ!ぅぅうううわぁぁ!」
あまりの激痛に耐え兼ねとうとう錯乱したバッドがルークに挑みかかった。
「はっ?馬鹿め、俺と勝負しようってか?調子に乗るんじゃねぇ!」
と、殴り掛かって来たバッドにルークが足払いを掛け転ばせるとその大きな手でバッドの顔を思い切りビンタした。バチィンと大きな音が鳴った。ドラクーン人のワイエットは、呆れた顔をしてバッドとハリアの仕置きを見ている。何十発、鞭を打ったのか分からない。ルークとジャンの息が少し上がって来た頃、ハリアが激痛のあまり小便を漏らしたところでジャスティ大臣が止めた。
「もう良かろう…二人ともこれで懲りたか?んん?」
「はぁはぁはぁ…ったえてやる…んぐ、たえてやる」
「ああ、何じゃ?」
「訴えてやる!こんな事、人権侵害だ!」
と、汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔を向けバッドが叫んだ。ハリアは、ちょっと好意を持っていたジャンに散々鞭を打たれて恐怖と怒りが入り混じった表情を浮かべていた。ジャスティ大臣が右手の小指で自分の右耳をほじりながらバッドを見た。
「何ぃ?人権侵害じゃと?あほう、その人権侵害を子供達にしたのは誰じゃ?其の方らであろう、馬鹿め!ルーク、この男を今一度打ち据えよ」
「ははっ!」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!痛い!」
「この野郎、何が訴えるだ!てめぇのやった事を棚に上げていい気になるんじゃねぇ!」
と、またバッドは、ルークに散々鞭で打たれた。
「うむ、もう良かろう…どうじゃ?今度こそ懲りたかのぅ」
「わ、分かったからもう、もう鞭は止めてくれ…死んでしまう」
「ふん、其の方らが余計な事をしなければ痛い思いもせずにメタルニアへ送還されるはずじゃった、まぁとにかく座れ」
と、ジャスティ大臣は、バッドとハリアを椅子に座らせた。サイモン夫妻の傍に居るアンジュとケリーは、不安気に両親を見ている。自分達と同じように打ち据えられた姿を見て複雑な思いをした。ホーリッシュ大司教は、悲痛な顔をしてバッドとハリアを見ていた。
「さてと…これからが本題なんじゃがの、今日其の方らをここへ呼び出したの頼み事があってのぅ」
「た、頼み事?な、何ですか頼み事とは」
と、バッドがいつ鞭で打たれるか分からない不安でビクビクしながら言った。
「ふむ、ああそうじゃ、先に言っておく事がある、まず其の方らが子供達を連れてメタルニアへ帰り何をしようとしていたか、わしらは全て知っている、その事を踏まえて考えてもらいたい」
と、ジャスティ大臣がバッドとハリアを交互に見て言った。二人は、意味あり気に目を合わせ首を傾げた。ルーシーは、サイモン元帥にジャスティ大臣が何の事を言っているのか聞いていた。
「ねぇダンテ、大臣は何の話をしているの?」
「ああ、私の口からは言えない、言いたくない、考えただけでもおぞましい」
と、夫の言葉にルーシーは、不安を隠せなかった。アンジュを自分の膝の上に座らせそっと抱き締めた。
「な、何を知っているのか分かりませんが、頼みとは一体何ですか?」
と、バッドが恐る恐るジャスティ大臣に尋ねた。
「ふむ、単刀直入に言う、其の方らの親権を放棄してもらいたい」
「はっ、はぁぁ?」
「な、何ですって?」
「無理やり取り上げる事も可能なんじゃがの、それをすれば遺恨が残ろう?んん?そこでじゃ其の方ら自らの意志をもって放棄してもらいたいのじゃ」
と、ジャスティ大臣がバッドとハリアを交互に見ながら言った。
「そ、そんな…どうして、確かにまた過去の様に子供を傷付けてしまいましたが親権を放棄しろとは」
「そうよ、私が産んだ子なのにどうして親権を放棄しなければならないのですか?私がお腹を痛めて産んだ子供達です、子供達を返して下さい!」
と、バッドとハリアが怒りを隠さずに言った。
「返すわけにはいかんぞ!其の方らは誓いを破ったのだ、それにもう少し手当てが遅かったら子供達は死んでいたかも知れん大怪我を負わせた、もう其の方らを信用するわけにはいかん」
と、ジャスティ大臣が声を張り上げた。バッドとハリアは、とにかく子供達を返せと喚き散らした。法廷内に居るレン達は、この夫婦は狂っているとしか思えなかった。
「今一度言う、其の方らがメタルニアへ帰り子供達をどうするかわしらは知っている、それを良く考えて答えよ、親権を放棄するか否か?」
と、ジャスティ大臣が厳しく言った。
「子供達をどうするか?何を言ってるんだ、我々は共に暮らすそれだけですよ!いい加減にしてくれ」
「そうよ!私達は生活が安定したから引き取りに来たのに…船の中での事は、本当に反省してます、本当にもう二度と子供達には手を出しませんから」
「何故、子供達に執着する?其の方らには必要ないのであろう?だから平気で酷い事も出来た…子供は然るべき人に育ててもらう、其の方らには子育ては無理じゃ」
と、ジャスティ大臣が椅子の背もたれを抱くようにして座りながら言った。
「断ります!」
と、バッドがきっぱりと言った。しばらく法廷内に沈黙が流れた。壁に掛けてある時計の音が聞こえた。コチッコチッと時を刻む中、ケリーの腹が鳴り皆が注目した。ケリーは、恥ずかしそうにサイモン元帥の後ろに隠れた。時間は、正午を過ぎていた。
「おう、もうこんな時間か、ルーシー殿サイモン殿、子供達を連れて食事にでも行ってきなさい」
「アンジュ、ケリー美味しいものを食べに行こう、さっ、行こう」
「陛下、我々も食事休憩を取ろうと思いますがいかがでございましょう?」
と、ジャスティ大臣は、レンに尋ねた。レンも実は腹が減っていたので食事休憩を取る事にした。
「其の方らも腹が減っては良い判断も出来まい、武官殿もこやつらと食事になされ」
「はい、ではそのように…では行こうか」
と、武官二人は、バッドとハリアを連れて評定所近くの食堂へ向かった。バッドとハリアは、罪人ではないのでこの様な事が許された。罪人ならば評定所から出すわけにはいかない。この食堂で良かろうと武官二人は、バッドとハリアと共に食堂に入った。席に案内され適当に美味そうな料理を注文した。店員がバッドとハリアの顔をチラッと見て少し驚いた様に厨房へ向かって行った。
「まぁ二人とも顔でも拭けよ」
と、武官の一人が言った。バッドとハリアは、言われた通り出されたおしぼりで顔を拭いた。
「ところでお前達ジャスティ大臣が言っていた言葉の意味が分からないのか?ちなみに俺達もお前達が子供達を引き取り何をしようとしていたか知ってるんだぞ」
と、もう一人の武官が水を飲みながら言った。バッドとハリアは、互いに顔を見合わせ意味あり気な視線を送った。
(何を知ってるんだ?まさか…子供達を売ろうとしている事がバレてるのか?そんなはずは無い!絶対にありえない…あんな大きな組織が簡単に潰れるはずがない、これはきっと罠だ!あのジジイやこいつらが誰から何を聞いたのか知らないが、こちらも知らぬ存ぜぬを通してやろう)
「へぇ…そうですか、何を知っているのか分かりませんがね、きっとあなた達やあの大臣の勘違いですよ」
「ふぅん、そうかぁ…まぁ良い、その事はメタルニアへ帰ればはっきり分かるだろう」
「そうそう、その前に親権は放棄した方が良いぞ、子供達のためだ、お前達が持ってたって仕方がないし、メタルニアへ連れて帰っても…」
「連れて帰っても?」
と、武官の言葉にハリアが食いついた。武官二人は、しゃべり過ぎたと言い丁度注文した料理が来たので何事も無かったかのように食べ始めた。それから何を聞いても答えない武官にぶつぶつ文句を言いながらバッドとハリアも食べ始めた。食事を終えた武官二人とバッドとハリアは、また評定所に入り席に座った。しばらくして同じく食事を終えたレン達、子供達を連れたサイモン夫妻も着席した。
「さぁ始めようか、どうじゃ腹を満たして考えは変わったかいのぅ?」
と、ジャスティ大臣が今度は、ちゃんと椅子に座って言った。
「だからさっきも言った通り親権放棄は出来ない、アンジュとケリーはメタルニアに連れて帰る」
「私達家族を引き裂かないで」
と、バッドはきっぱり断り、ハリアは、目に涙を浮かべながら言った。
「困ったのぅ…わしはな子供達の事を考えて言っておるのじゃ、其の方らと共に暮らせばろくな事にはならんからのぅ」
と、ジャスティ大臣が髭を撫でながら二人の目を見て言った。バッドとハリアは、その鋭い眼光に思わず目を逸らした。
「この場では言いたくなかった…しかし、はっきりと言わねば其の方らは分からんらしい…実はな今朝メタルニア大統領セビル・キャデラ殿、直々にフロスト大臣にこんな知らせが来た、先頃メタルニア全土で巨大な人身売買組織を一斉検挙したそうでのぅ、その組織の者を吟味するとこんな事を言っておったと言う、ある夫婦が子供を売りたいと、その子供はトランサーに居ると言い連れてくるから買い取ってくれとな…全くとんでもない奴らじゃ」
「子供を売るですって?」
「ま、まさか…お前達!」
と、何も知らないルーシーとホーリッシュ大司教が思わず叫ぶように言った。
「な、何を馬鹿な!そ、そんな事するはずないでしょう!どうして我が子を売り飛ばすんですか!」
「そうよ!何て事を言うんですか!そんな組織があるなんて聞いた事も無いわ!」
と、バッドとハリアが怒りを隠さず言った。
「わしらが知っているのはこの事じゃ、よって子供達を其の方らに引き渡すわけにはまいらぬぞ、それにのぅ子供達に対する暴行、本来ならこの事だけで我がトランサー王国で其の方らを厳罰に処する事が出来るのじゃが、キャデラ大統領に其の方らの身柄の引き渡しを頼まれておってのぅ、何でも人身売買にかかわった者共をメタルニア政府の名を持って厳罰に処したいとの仰せであった」
と、怒るバッドとハリアなど全く気にせずにジャスティ大臣が言った。
「だから人身売買なんて知らないって言ってるでしょう、どうして我々が疑われるのですか?」
「同じトランサーに子供が居るからって私達とは限らないでしょう、きっと他に居るんですよ」
「ところで其の方ら、トランサーに帰る際、名前を変えたのぅ、いや元に戻したと言うべきか」
「名前を?我々はメタルニアでもグリッドを名乗っておりましたが」
「イアン・グッドノン、カーラ・グッドノン」
と、ジャスティ大臣が静かに言うとバッドとハリアの顔色が明らかに変わったのが見て取れた。
「今、申した名前は其の方らがメタルニアへ渡って直ぐに変えた名前じゃな、調べはついておるぞ、吟味を受けた組織の者はこの二人から買い取ってくれと頼まれたそうじゃ、そして其の方らはトランサーに帰る前に役人に賂を渡し名前の変更手続きを急がせた、何故、名を元に戻す必要があった?」
「し、知らないな…イアン何とかやカーラやら、我々は向こうへ行ってからもグリッドですよ」
「そ、そうよ」
「其の方らが賂を渡した役人は既にクビになったそうじゃ、可哀そうに其の方らとかかわったばっかりにのぅ」
と、ジャスティ大臣が呆れたように言った。低い柵の向こうにサイモン夫妻の隣に座っているアンジュがルーシーとサイモン元帥に何か言っている。
「ねぇおばさん、おじさん、あの人達がね、私とケリーを傷付けたら値が下がるとか言ってたの、ケリーの左目が潰れた時には金額が何とかって」
「な、何ですってぇ…アンジュ、今言った事は本当なんだね?」
「うん」
「あいつら…」
それを聞いたルーシーは、サイモン元帥が止める間も無く電光石火の如く柵を乗り越えバッドとハリアの前に出た。突然の事にジャスティ大臣が驚いた。御簾の内側に居るレン達も何事かと驚いた。
「ルーシー殿いかがいたした?」
「大臣、先ほどアンジュが船の中でこの二人が言った事を教えてくれました、私はもう我慢出来ない」
「ほう、何を聞いたのかな?我慢出来ないとは?」
「この二人は子供達を傷付ければ値が下がるとか言っていたようです」
「何と…やはり本気で売る気だったという事じゃな…ああ、ちょっとルーシー殿!」
ジャスティ大臣が止める間も無くルーシーは、バッドとハリアにビンタを浴びせた。驚いたバッドを蹴り倒すとハリアにもう一度ビンタを浴びせ胸倉を掴んだ。
「いってぇ…何なんだよこの女は?!」
「痛い、放して」
「このぉぉ…お前は自分が腹を痛めて産んだ子を売ろうとするなんて、何考えてんだ!」
「姉さん、落ち着いて」
と、バッドの後ろに居るルークが慌てて止めに入った。ルーシーは、止めに入るルークを突き飛ばしハリアに往復ビンタを浴びせた。
「痛い!私が産んだ子だ、産んだ子をどうしようと私の勝手だ!あっ!?」
「ほう、本音が出たな、ルーシー殿止めよ、陛下の御前だぞ」
と、ジャスティ大臣が落ち着き払ってルーシーを止めた。陛下と言われてルーシーは、ハリアから手を放し御簾の向こうのレンに頭を下げ、恥ずかしそうに元の席に戻って行った。法廷内は、静まり返っていた。バッドが悲痛な表情でハリアを見ている。ハリアは、つい本音を言ってしまい何と言い訳をしようか必死になって考えた。
「ち、違うんです、今のはあの女に叩かれてつい思ってもいない事を言ってしまい、その…」
「ふん、考えていたからこそ出た言葉であろう、とにかく其の方ら夫婦に子供は渡せぬぞ、さぁもう子供の事は諦めてこの書類に署名血判せよ」
と、ジャスティ大臣は、いつの間に用意したのか親権を放棄させる書類をバッドとハリアに見せた。二人は、震えていた。その書類に署名血判すれば全てが終わってしまう。今までの苦労が水の泡になってしまう。しかし、仮に子供を連れてメタルニアへ帰っても今度は、メタルニア政府に捕らわれてしまうだろう。バッドは、親権を放棄すれば何とか罪を逃れられるかも知れないと考えたが、ハリアは、別の事を思い始めていた。
「わ、分かりました…親権は放棄します」
「ちょ、ちょっとバッド!」
「もう、諦めよう、素直に放棄しないとまた鞭で叩かれるかも知れない、もうたくさんだ」
「私は嫌よ、絶対に嫌!アンジュとケリーは私が産んだんだ!私が腹を痛めて産んだ子だ!他人になんか渡せない、大臣、子供は絶対に売ったりしないから私に子供を返して下さい」
と、ハリアは、涙を流しながら言った。この姿を昼食後テランジンの隣の席に座っていたドラクーン人のワイエットが見て言った。
「ふむ、男の方は相変わらず悪意に満ちているが女の方は少し悪意が消えたな…」
「ほう、分かりますか」
「はい、でもどこか歪んでいる」
と、ワイエットは、ハリアを見据えて言った。テランジンは、その歪みとは何か考えた。
(歪みか…母親として子供を手放したくない…いや違うな、あの女は母親としてではないな、自分が作った物とでも思っているのか?)
「とにかく、私はこれでもあの子達の母親です、本当の母親が居てちゃんと育てるって言ってるんです、だから返して下さい子供達を!」
と、ハリアは、ジャスティ大臣に掴みかからん勢いで叫ぶように言った。
「もう止せ、ハリア、子供はまた作れば良いじゃないか、なっ」
と、バッドが言った言葉に法廷内が騒然となった。
「また作れば良いだと?子供は物ではないぞ!」
「何を考えてるのだ、あの男は」
と、居並ぶ重臣達が口々にバッドを非難した。御簾の向こうに居るレンもエレナも信じられないといった顔をしていた。また何か言わないと気が済まなくなり鈴を三回鳴らした。これは、御簾を上げる合図である。テランジンやサイモン元帥、重臣達が一斉に椅子から立った。
「ルーク、ジャン何をしておる、こやつらを平伏させろ」
と、ジャスティ大臣が慌てて言った。ルークとジャンは、バッドとハリアを椅子から降ろし平伏させた。御簾が上げられレンとエレナ、そしてレンの隣に座るディープ伯爵の姿が見えた。
(ちっ、あの女みてぇな面のガキに俺の人生は狂わされたのだ、畜生め)
と、バッドが憎らし気にレンの顔をチラッと見ながら思った。
「頭が高い!控えろ」
と、バッドの後ろで礼を取っているルークがバッドの後頭部を小突いた。礼を取り終わり一同着座しバッドとハリアも椅子に座らせた。メタルニアの武官二人は、直接レンに御目見え出来るとは、思ってもいなかったので大変恐縮していた。
「バッド・グリッド、汝はたった今、子供はまた作れば良いと言ったな?重臣達も申したように子供は物ではないぞ!」
と、レンは、少し語気を強めて言った。バッドは、神妙にしているが腹の中では、別の事を考えていた。四年間恨んでいた相手が目の前に居るのである。バッドも何か言ってやらないと気が済まなかった。
「恐れながら申し上げます、私達夫婦がこうなったのは陛下がこの国にお戻りになられたからでございます」
「な、何と!?こやつめ…ぬけぬけと!」
と、ジャスティ大臣は、怒り狂って置いてあった鞭を取りバッドを激しく打ち据えた。
「この阿呆め!己の悪行を恐れ多くも陛下の責任にするとは何事じゃ!」
「ぎゃあぁぁぁ!い、痛いっ!」
「お前もじゃ!」
「きゃあぁぁぁ!」
と、とばっちりでハリアも打たれた。数十発鞭を打ち息を切らしたジャスティ大臣は、気が済んだのか鞭を机に置きレンにお辞儀をした。鞭で打たれたバッドとハリアは、憎らし気にレンを見ていた。
「余は汝らのこれまでの経緯を知っている、余がこの国を治めるようになり汝らに何の不都合があったのか?子供を置き去りにして国を去らねばならなかった理由は?」
と、レンに問われバッドは、答える事が出来なかった。言えばまた鞭で打たれる事は、明白であった。仕えていた主が改易になった後、新たな奉公先を世話されていたが、自分の素行の悪さが原因で直ぐに暇を出されたのである。それを今までずっとレンやサイモン元帥の責任にして生きて来たのである。言えば鞭で打たれるどころか殺されるかも知れないと思った。
「お、恐れ入りました」
と、バッドは、震えながら答えた。
「ふん、愚か者めが、それで其の方は親権を放棄するのじゃな?」
と、ジャスティ大臣が言うとバッドは、力なく「はい」と答え書類に署名し血判した。
「ちょっとバッド!」
「はは、ははは、もう…良いんだ、はははは」
バッドは力なく笑うと全て終わったと放心した。後は、メタルニアに連行されメタルニアの評定所で裁きを受けるだけである。しかし、ハリアは違っていた。
「其の方はどうじゃ?旦那は放棄したぞ、其の方もさっさと放棄してメタルニアへ行け、子供達の事は忘れろ」
「わ、私は断る!あの子達は私が産んだんだ!私が腹を痛めて産んだんだ!子供を…子供を返して!」
と、ハリアは、叫んだ。
「あのなぁ、今さら其の方らを信頼する事は出来んのじゃ、子供を物の様に考えておる其の方らに引き渡すわけにはいかぬ、子が無く子供を心から欲しい育てたいと思う人の手で育つ方がアンジュとケリーのためであるぞ」
と、ジャスティ大臣がハリアを諭した。
「子供が欲しければ自分で産めば良いじゃないか!とにかくアンジュとケリーは私が産んだんだ、もう子供を売るなんて言わないから、必ずちゃんと育てるから子供を返して」
と、ハリアは、ジャスティ大臣にすがりつき叫んだ。ジャスティ大臣は、やれやれといった顔をしてハリアを見た。




