毒
半イビルニア人の殺し屋ライヤーは、ブラッツ侯爵が所有する秘密の別荘に居た。彼は、殺しの道具の手入れをしていた。
「ここ数日、城の周りを調べたが一ヶ所だけ警備の甘い所があったな…あそこから侵入するか」
と、独り言を呟いていた。一通り手入れが終ると暖炉に薪を入れ火を起こした。ライヤーは、暖炉の前に椅子を置きそこに座りぼんやりとしている。
「ただ城に侵入して殺すのも芸が無いな…一人一人時間を掛けて…クククク」
と、ライヤーは、自分がレンとヨーゼフを殺した時の事を思い一人悦に入っていた。そこへブラッツ侯爵達貴族がこっそりとやって来た。
「ライヤー殿、私だブラッツだ開けてくれ」
と、玄関先から聞こえたのでライヤーは、音も無く玄関先に行き扉を開けた。ぞろぞろとブラッツ達が部屋に入ると長椅子に座った。
「ライヤー殿、準備は進んでいるかね?今日は面白い情報を持って来たぞ」
と、ブラッツが椅子に座るなり言った。ライヤーは、暖炉の前の椅子に座っている。
「ほほう、面白い情報?何かね?」
「殺してくれと頼んだ一人ヨーゼフ・ロイヤーが今日城を出て一人シドゥ・モリヤの墓参りに行くそうだ」
「一人で墓参り?どうせ供連れが居るんだろう?」
と、ライヤーは素っ気なく言った。
「いや、あの男は変わっててな、一人で行動する事の方が多いのだよ」
と、ブラッツは答えた。事実である。普段ヨーゼフは、城下に出る時も一人で行く。レンやエレナと行動する時だけ近衛兵達を従える。ヨーゼフは、自分一人のために護衛を付けるのはもったいないと考えていたし、かつては、世界三大英雄の一人として名を連ねていただけに歳を取った今でも腕には自信があった。
「ほほう、面白いな、新聞や写真でしか見た事がないから直接ヨーゼフ・ロイヤーを見る良い機会だな」
と、ライヤーは興味を持った。一人だけならその場で殺せるかも知れない。
「昼前に城の正門から出るそうだ」
と、ブラッツがニヤリと笑い言った。
「分かった」
と、ライヤーは答えた。ブラッツ達貴族は、情報を伝えると直ぐに別荘を後にした。その後、ライヤーは、時間を見計らい別荘を出てトランサー城門前の物陰に潜みヨーゼフが出て来るのを待った。ほどなくして城門が開くと馬に乗った体格の良い老人が一人現れるのが目に入った。
「あれがヨーゼフ・ロイヤーか…確かに供を連れていないな…」
門番兵に門を閉めるよう言ったヨーゼフは、一人シドゥの墓に向かった。その後を巧みにライヤーが尾行する。
「ふむ今日は良い天気じゃシドゥの墓に行って帰りにテランジンの兄の店に寄ってみるか」
などと独り言を言いながらヨーゼフは、馬を進めた。しばらくして墓地に到着すると馬から降り墓場の管理人に馬を預け、シドゥが眠る墓に向かった。その様子を離れた物陰からライヤーが見ている。
「はて?…気のせいかな?」
と、突然ヨーゼフが振り返った。城門から誰かに見られている感じがしていた。ヨーゼフは、左手に墓に供える花束を持っている。その様子をライヤーが見て隙が無いと感じた。シドゥの墓に到着したヨーゼフは、墓の周りや墓石を綺麗に掃除して墓に花束を供え祈りを捧げた。
「シドゥよテランジンがわしの娘リリーと結婚したよテランジンはわしの養子になった…シドゥ、お前が生きていたらリリーはお前を選んでいたかも知れんが、とにかく二人が末永く仲良く暮らしていくよう見守ってやってくれよ、わしの先は短い…爺ゆえにいつぽっくり逝くか分からんわい、その時は迎えに来てくれよ」
と、シドゥの墓を見つめてヨーゼフは言った。そして、また祈りを捧げた。
「また来るよ」
と、言い残しヨーゼフは、シドゥの墓を後にした。歩き出したヨーゼフは、ふと立ち止まった。全身で何か気配を感じ取ろうとしている。
「そこの者!先ほどからわしに何の用か?」
と、ヨーゼフは大きな木に向かって言った。その木の裏にライヤーは隠れていた。
「そこに居るのは分かっている出て来ぬか!」
「……」
当然ライヤーは答えない。ヨーゼフが近付いて来る足音が聞こえた。ライヤーは、ここでヨーゼフを殺そうと決心しゆっくりと剣を抜いた。そして間合いを見計らって一気に斬りかかった。
「キィィヤァァァ!」
「ふんっ!」
既に剣を抜いていたヨーゼフが真っ向から受け止めた。撃剣の音が墓場に響き渡った。
「ヨーゼフ・ロイヤーここで死んでもらう覚悟!」
と、ライヤーが激しく斬りかかる。
「何者じゃ貴様っ!…貴様もしや半イビルニア人か?!」
と、ヨーゼフは、レン達が話していた事を思い出した。確かに人間と違う何か得体の知れない感覚を感じたがイビルニア人程の強烈な嫌悪感も感じなかった。ライヤーは、何も言わず攻撃して来る。その攻撃をヨーゼフは、全て受け流す。
「貴様、貴族町に行ったそうだな、あんな所に何の用があって行った?」
と、今度はヨーゼフが攻撃しながら言った。ライヤーは、ヨーゼフの攻撃を剣で弾きサッと跳び下がり間合いを取った。
「…ヨーゼフ・ロイヤー、爺と思って甘く見ていた、これほどまでに使えるとは…」
「貴様は殺し屋か?誰に雇われたのか、貴族町に行ったと言う事はどこぞの貴族に雇われたのだな」
「……」
「誰に雇われたか聞いても答えんだろうな」
と、ヨーゼフは言い剣に気を溜め始めた。刀身が淡く光り出したのを見たライヤーは、危険を感じたのか逃げ出した。
「待てい!そりゃ!」
と、ヨーゼフが真空突きを放った。真空波がライヤーの右頬を掠め血が噴き出したがライヤーは、構わずに墓地の森の中へ消えた。ヨーゼフは、深追いしようとはしなかった。
「ふぅやれやれ、まさかわしを狙っていたとはな」
と、ヨーゼフは、ライヤーの気配が完全に消えた事を確かめ剣を納めた。シドゥの墓参りの後にテランジンの兄の店に寄ろうと思っていたヨーゼフだったが、急ぎ城に帰る事にした。
「襲われた?!」
と、城に戻ったヨーゼフは、墓場で起きた事をレンとマルス、シーナ、ラーズに話した。
「はい、まさか拙者が襲われるとは夢にも見ませんでした」
と、ヨーゼフは、軽く言ったがレンは深刻な顔で聞いていた。自分の側近中の側近であると誰もが知るヨーゼフが白昼堂々と襲われたのだ。その行為は、レオニール・ティアックに弓を引いているのも同然であった。
「一体誰がヨーゼフを襲わせたんだ」
レンは、珍しく怒りを表にしながら言った。
「そりゃお前、ブラッツ侯爵辺りじゃねぇのか」
と、マルスが言った。
「ふうむ、それは無いでしょう奴ら旧ザマロ派の貴族どもの土地財産は我々がこの国を奪還した後に半分にしてやりましたから殺し屋を雇うほどの金は無いでしょう、貴族としての体面を保つのに精一杯のはずです、それからザマロの金庫番をしておったブラッツからはザマロの隠し財産を全て出させましたから…」
「それが全部じゃなかったら?」
と、ヨーゼフの言葉尻を捕ってラーズが言った。まさかといった顔をヨーゼフはしたが、段々顔色が険しくなって来た。
「もしもあれが全てではなかったのならまだ相当金があると言う事になります」
「ブラッツを呼び出して成敗しよう」
と、マルスは言ったがレンが止めた。証拠が無い。
「何言ってるんだレン、奴に決まってるって」
「証拠も無いのに騒いだらそれこそブラッツ侯爵達の思うつぼだよ、必ずまたラストロさんを担ごうとするだろ」
「そうだな、きっとそうなるな、で、どうするんだよヨーゼフさん」
と、ラーズが言った。
「そうですなぁ、今しばらく様子を見ましょう、ルークやサイモン大将らも動いておりますルーク達が捕えてくれれば良いのですが」
と、ヨーゼフは直ぐにルークとサイモン大将を呼び出し襲われた事を話した。
「な、何だってぇ旦那が!あのイビルニア野郎!」
と、ルークは怒り狂ったがサイモン大将は、冷静にヨーゼフの話しを聞いていた。
「なるほど、人とは違う感覚でイビルニア人程の嫌悪感を感じないのですか、顔は見えなかったのですか?」
「うむ、フードを目深に被っておってな、奴が逃げ去る時にわしが真空突きで右頬に傷を付けてやったから、隠していてもそれなりに分かるじゃろう」
「なるほど、右頬に傷があったり絆創膏を貼っていたりすると言う訳ですな、聞いたか兄弟、特徴はそれだ、捜索に戻ろう」
と、サイモン大将は、ルークに言い二人は、また半イビルニア人の捜索に戻って行った。その頃、右頬を真空突きで切り裂かれたライヤーは、ブラッツ侯爵の秘密の別荘に帰っていた。
「まともに戦ってはこちらの命がいくつあっても足りんな、しかし噂には聞いていたがこれが練気技と言う奴か」
と、ライヤーは、切り裂かれた右頬を鏡に映しながら独り言を言った。血は既に止まっているがパックリと裂けている。半イビルニア人であるライヤーは、余り痛みを感じないようだった。
「やはり殺し屋らしくこっそりとグフフフ」
ヨーゼフが襲われてから一週間が過ぎた。この間何事も起きていなかった。ルークやサイモン大将らの必死の捜索にも関わらずライヤーの姿は、どこにも無かった。ライヤーは、ヨーゼフを襲った日からブラッツ侯爵の秘密の別荘を一歩も出ていなかった。
「やはり爺は一筋縄ではいかんようだな、どうするのかねライヤー殿?」
と、ブラッツが少しイライラしながら聞いた。ライヤーは、黙って暖炉の火を見つめている。しばらくして重い口を開いた。
「毒殺」
「毒殺?どうやって?」
と、ブラッツと一緒に別荘に来ていた貴族が言った。ライヤーは、フフッと笑って話し出した。
「あんた達貴族は城に自由に出入り出来るのだろう?」
「もちろんだとも、それがどうかしたのかね?」
「それなら私をあんた達の従者として一緒に連れて行ってくれ、上手く話して城内の調理場へ連れて行ってくれたら、クククそこで毒を盛る、上手くいけばヨーゼフ・ロイヤーとレオニール・ティアックも殺せるぞ」
「ほほう、なるほどなぁ…しかし今ジャンパールの皇子とランドールの王子、そしてドラクーンの小娘が終始レオニールやヨーゼフと一緒に居るそうだ、彼らを巻き込む事は許されんぞ」
と、ブラッツが言った。
「フフ、レオニールとヨーゼフの食べ物にだけ毒を入れれば良いのだろう、簡単な事だ」
そう言ってライヤーは、鞄から小瓶を取り出した。中に透明な液体が入っている。
「これを数滴入れればもがき苦しんで死ぬ、クククこいつで何人殺したかな、皆良い顔をしていたなぁ」
と、言ったライヤーの顔を見て貴族達は、背筋が凍る思いをした。そして、ブラッツ達貴族は、ライヤーを従えてレン達の夕食が作られる時間に合わせて入城し調理場へ向かった。
「ブラッツ候が調理場に何の用ですか?」
と、調理場に入って来たブラッツ達を見て料理長が言った。
「いや何、お前達がレオニール様らにどんな物を出しているのか気になったのだ、まさか粗末な物を出してはいないだろうな」
と、ブラッツが後ろに手を組みながら言うと驚いた顔をして言った。
「な、何だこの粗末な食べ物は?これは誰が食べるのだ?」
「はぁ、レオニール様とヨーゼフ閣下の料理ですが」
それを聞いたブラッツは、一瞬だけ笑ったが直ぐに怒ったような顔をして料理長に言った。
「な、何とお前はこんな物をレオニール様に出しているのか、けしからん」
「いえ、ですがこれはレオニール様直々のお申し付けです」
と、料理長が言った。レンがジャンパールでフウガ・サモンに育てられた頃に身に付いた事だった。普段から質素倹約に励み何かの祝い事や客などが来た時にだけ豪華な食事を取る。質素な料理は、レンとヨーゼフだけでマルス達には、それなりの料理を出している。
「レオニール様は毎日豪華な料理を出す必要はないと仰られましたので、ああ、お客様は別にお作りして出してますよ」
と、料理長がマルス達に出す料理を指差した。なるほどそれなりの料理が並んでいる。ブラッツは、面白くないといった顔をしてレンとヨーゼフの料理が置かれた調理台の前に立った。料理長からは、レンとヨーゼフの料理が見えない。他の貴族達もそれとなく料理を囲むように立った。周りから見えなくすると従者に化けたライヤーがレンとヨーゼフの料理にこっそりと毒を入れた。
「んまぁレオニール様直々に言われたのなら良いだろう、しかし食材は新鮮な物を使え、後三年もすれば国王となられる身だぞ、何かあっては困るからな」
と、ブラッツは、わざとらしい事を言い他の貴族達と従者に化けたライヤーを連れて調理場を後にした。料理長は、ブラッツ達が料理場から出て行くのを見届けてから若い料理人に言った。
「けっ偉そうに、そんな事言われなくとも分かってらぁ、おい入り口に塩撒いとけ!」
その頃、レン達は、広間で半イビルニア人の事を話していた。
「ヨーゼフが襲われてから一週間、何の音沙汰も無い、かえって不気味だな」
と、マルスが言った。父であるジャンパール皇帝イザヤからそろそろ帰って来いと今朝連絡があったばかりだった。マルスは、イザヤに半イビルニア人の事を話していなかった。話せば今ジャンパールに滞在しているであろうテランジンとリリーに話すと思ったからだ。
「城に忍び込んで来るんじゃないか」
と、ラーズが言った。傍で聞いていたユリヤが怖いといった顔をした。
「かも知れないね、城内の警備を強めた方が良さそうだねヨーゼフ」
「左様ですな、ミトラ達に言っておきましょう」
と、レンの言葉にヨーゼフが答えた。
「ふわ~~~あぁ、ああもうこんな時間だどうりでお腹が空く訳だ、殿様ぁご飯にしようよ」
と、シーナが大あくびを掻きながら言うと皆が笑った。そして、レン達は食堂に向かった。既にテーブルには料理が並べられている。各々(おのおの)の席に着き食べ始めた。シーナは、相変わらずの食べっぷりで給仕係が忙しく働いていた。そして、レンとヨーゼフも目の前の料理を食べ始めた。
「今日の料理はいつもと違う味付けだね」
「そうですなぁ」
などと言いながらレンとヨーゼフは、食べている。その言葉を聞いた料理長は、おかしいと思った。味付けはいつもと変わらないはずである。料理長が気になりレンとヨーゼフに何が違うか聞こうと近寄った時、二人の様子に変化が現れた。
「ううう、あああ…げほっげほっ…何だ…くる…しい」
「ぐぅぅぅ、うううぅぅ」
レンとヨーゼフが椅子から転げ落ち苦しみ出した。レンの傍で食事を取っていたエレナが悲鳴を上げた。




