テランジンの恋
病室でテランジンは、リリーに身体を拭いてもらっていた。テランジンの身体には、刀傷の痕が一杯ありところどころ刺青もあった。
「こんな事までしてもらって本当に申し訳ありません、一週間以上も風呂に入っていないので自分でも臭くて」
「いいえ良いんですよ、それより」
と、リリーは、刺青をなぞる様に拭いた。
「ああ、それですか、刺青は私が海賊になった時に皆と合わせるために彫ったんですよ、それとイビルニア人に殺された子分や兄弟…いや部下の名前も彫りました、彼らの犠牲で私は生かされていると思ってます」
と、テランジンは言った。その目には、うっすらと涙が浮いていた。そんなテランジンを見てリリーは、ますます好きになった。
退院の日、レン達は、テランジンを迎えるため病院に行くと既にルーク達が迎えに現れていた。
「殿様、やっと兄貴が退院しますよ俺ぁ嬉しくて嬉しくて…」
と、ルークは泣き出した。一時はどうなる事かと心配してほとんど眠れなかったほどだった。テランジンは、右足に義足をして松葉杖を突きながらカツとシンに支えられ病院から出て来た。リリーは、その後ろを少し寂しそうに歩いていた。テランジンの子分達、今は立派なトランサー海軍士官達が一列に並びテランジンを迎えた。
「お頭、退院おめでとうございます」
と、声を揃えて言うとテランジンは、周りをきょろきょろ見回しながら答えた。
「馬鹿、お頭って言うな間違えられるだろ」
そんな様子をレン達は、笑顔で見ていた。レン達に気付いたテランジンがレンのもとへとやって来た。
「若、閣下ご心配をおかけして誠に申し訳ありませんでした、このテランジン、皆様のおかげでこの通り無事に退院する事が出来ました」
「退院おめでとうテランジン、まだ身体が自由に動かせないんだろ?ゆっくり休んでね」
「そうじゃ若が仰る通り以前の様には動けまい、軍務の事はルークや他の将兵達に任せお主はゆっくりと養生せい良いな」
と、レンとヨーゼフの言葉にテランジンは、申し訳なさそうな顔をして答えた。
「恐れながらその様に致します」
「うむ、それはそうとちと話しがある、城に戻ろう」
と、レン達は、テランジンを連れ城に戻った。リリーも普段の生活に戻った。ヨーゼフは、レンに何か目で合図を送りテランジンを連れ自分に与えられた部屋に行った。ヨーゼフは、テランジンを椅子に座らせカツとシンに席を外すよう言い部屋で二人きりになったところで咳払いを一つして話しを切り出した。
「テランジンよ…そのリリーはどうだったかの?」
「は?リリー殿でありますか?私の様な者のために付きっきりで看病して頂き感謝しております」
「いやいや、そうではないのだ、ええ何と言うのか、そのぉまぁあれだ女としてだよ」
「ええ?どういう意味です?」
と、テランジンは、訳が分からなかった。ヨーゼフは、困った。あまり得意な話しではないからだ。あれこれ考え取りあえず遠回しに攻めてみようと考えた。
「テランジン、お主確か兄が二人居たのぅ健在か?」
「はい、元気にしておりますが、何か?」
「いやいや、健在なら良い、ではコーシュ家は安泰だな」
と、ヨーゼフは、言ってまた咳払いをした。テランジンは、何かヨーゼフの様子が変だなと思った。
「ところでテランジンよ、お主好きな女子とかおらんのか?」
「はぁ?女ですか?今の所いませんが何か?」
「ああ、いやいや、そうか居らんのかそうかそうか、ふむふむ、あい分かった今日はもう帰って休みなさい」
と、ヨーゼフは言いテランジンを帰した。結局テランジンは、何のために呼ばれたのか分からず帰る事となった。ヨーゼフは、直ぐにリリーを呼び出した。部屋を掃除していたリリーがヨーゼフの部屋へやって来た。
「何お父さん?今お部屋を掃除してたところよ」
「リリーまぁ座りなさい」
と、リリーを座らせヨーゼフも椅子に座りリリーに単刀直入に聞いてみた。
「リリーやお前テランジンに惚れとるそうじゃの」
「ええ?そ、それは」
と、言うとリリーは、年甲斐にも無く顔を真っ赤にした。その様子を見てヨーゼフは、間違いないと思った。
「やはりエレナ様が仰った通りだったな、ふふふ、良い良いリリーやテランジンは今好きな女子はおらんそうじゃ、父さんも協力するいや若やエレナ様も協力して下さる、何とかテランジンを振り向かせろ」
と、父ヨーゼフの言葉にリリーは、ただ顔を真っ赤にして聞いているだけだった。
ヨーゼフの部屋を辞したテランジンは、カツとシンに支えられて城を出ていた。カツとシンには、海軍の仕事があるのでいつまでもテランジンに付き添っている訳にはいかなかった。カツとシンに軍部に戻るよう言い自分は、二人の兄が経営する家具屋を訪れた。松葉杖を突きながら店に入って来た末弟テランジンを見るや長兄のヨランジンが駆け寄って来て叫んだ。
「おーい、ソランよテランが来たぞ」
と、店の奥からおが屑まみれの次兄のソランジンが来た。手にのこぎりを持っている。
「この野郎心配かけやがって」
と、テランジンの頭を小突いた。テランジンは、何も言わず売り物の椅子に腰を下ろした。
「あっ馬鹿それは売り物だぞ」
「ふん、何が売り物だよ、弟が死にかけてたのに見舞いにも来なかったじゃないか」
と、テランジンは、わざとふて腐れた。二人の兄は、顔を見合わせてばつの悪そうな顔をして答えた。
「一度は行ったんだぞ、でもお前の病室の前に軍人なのにヤクザみたいな大男が二人居てな、怖くて近寄れなかったんだよ、兄貴とか親分とかお頭と叫んでる連中もいたし、お前海賊は辞めたんじゃないのか?」
「ああ辞めたよ、まぁまだ昔の癖と言うか抜けないんだよ、あいつらは…悪い奴じゃないんだよ、俺の兄貴だ中に入れろって言えば入れてくれたのに」
「怖くて言えるかよ」
と、久しぶりに兄弟と話したテランジンだった。コーシュ家は、元々トランサー王国の片田舎で農場を経営していた。近所でシドゥの実家モリア家も農場を経営していて家同士仲が良かった。ザマロ・シェボットが謀反を起こしテランジンやシドゥそしてヨーゼフが牢に入れられた後、ザマロに逆らった罪としてコーシュ家モリア家の土地財産は没収され両家は路頭に迷う事になった。それでも生きて行かねばならず、レン達がトランサー王国を奪還するまで何とか食い繋いで来た。その間、テランジンの両親は、病で亡くなっている。そして、レンが王子に戻った後、テランジンは、田舎でひっそりと暮らしていた二人の兄を探し出し再会した。その時、手先の器用だった二人は、家具の修理などをやって生計を立てていた。テランジンは、そんな兄二人のためにと都に二人の店を出す事にした。資金は、テランジンが海賊時代に溜め込んだ金だった。
「兄ちゃん酒と何かつまみがあるか?」
と、テランジンは、売り物の家具を触りながら言った。
「何ぃ?俺達二人が汗水流して働いてるのに昼間っから酒だと?」
「シドゥの墓参りに行くんだよ」
と、テランジンが答えるとああそうかと、長兄のヨランジンが妻を呼び出し二人分の酒と食べ物を用意させた。ヨランジンの妻は、不機嫌な顔をして義弟テランジンにそれを渡し奥へ引っ込んだ。
「俺、何か嫌われてるなぁはははは」
「まぁ気にするな、で今日はどうするんだ?墓参りから帰ったらうちに来るのか?」
「いや、軍の宿舎に帰るよ」
そう言ってテランジンは、店を出てシドゥが眠るモリア家の墓がある墓地へと向かった。墓地に到着するとモリア家の墓の前にドカリと座り二つのコップに酒を注ぎ一つは墓の前にもう一つは自分が持った。そして、しばらく墓を眺め一口酒を飲み墓に語り掛けた。
「なぁシドゥよ…こんなにのんびり過ごせたのは久しぶりだよ、そっちの世界はどうなんだ?退屈か?」
と、テランジンは、言ってからまた一口酒を飲みつまみをかじった。イビルニアでシドゥが死んだ瞬間を思い出し涙が込み上げて来た。
「何で…何であの時死んじまったんだよ…あんな連中に情けなんかかけるから…油断したお前が悪いんだぞ」
そう言うと一気に酒を飲み干しまた酒を注いだ。
「何であの時、川を渡してくれなかったんだよ、そりゃ分かってるさ俺にはやるべき事があるのを…レオニール様やヨーゼフおやじ、国のために働かなきゃならん事を…でも疲れたよ…それに…それにお前が居ねぇと不安なんだよ」
と、テランジンは、誰も知らない本来持っている弱さをシドゥの墓の前で見せた。普段は、頼れる兄貴といった感じに見えるがこの日のテランジンは、どこか様子が違っていた。たまにこの墓地に墓参りにやって来る者がモリア家の墓を通り過ぎる。墓の前に座り込み酒を飲みながら墓に話しかけている大男がまさか自国の英雄、海軍大将テランジン・コーシュとは、誰も気付かなかった。ただの酔っ払いと思われていた。
「なぁシドゥ…俺この先ちゃんとやっていけるかなぁ?シドゥ…うぅぅぅぅ」
と、テランジンは、ひっそりと泣いた。何時間墓の前に座っていたのか気が付くと夕暮れ時だった。酒もつまみも無くなりテランジンは、帰る事にした。
「シドゥ、また来るよ」
と、言い残しテランジンは、軍の宿舎に帰った。それから一週間ほど経ち身体も以前の様に動く健康を取り戻したテランジンは、そろそろ軍務に戻ろうと思っていた。気弱になっていたのは、身体が弱っていたからだろう。いつものテランジンに戻った。丁度、城から呼び出しがあったので軍務に戻る事を伝えようと城に上がった。
「若、閣下、もう十分休ませて頂きましたのでそろそろ軍務に戻ろうかと思います」
と、テランジンは、レンとヨーゼフに言った。
「テランジンが元気になったんだ、もう心配する事は無いな、俺達は国に帰るよ」
と、マルスやラーズは、テランジンが気がかりで帰国出来ないでいた。
「殿下らには本当にご心配をおかけしました」
「良いってことよ、明日にでも帰るよ、なぁラーズ」
「ああ、シーナはどうする?ランドールに寄って帰るか?」
と、ラーズがシーナに聞いた。シーナは、カイエンの親書を直接インギ王に渡すと言い出したのでランドールの船に乗る事にした。
「ええ?もう帰っちゃうの~だってまだ…」
「駄目よコノハ」
と、コノハが、テランジンとリリーの事を言いかけたのでエレナが慌てて止めた。幸いテランジンは、何も気付いていなかった。
翌日、マルス、コノハ、カレン、シーナ、ラーズを見送るためレンとエレナ、ヨーゼフ、リリーそしてテランジンは、港に居た。
「じゃあなレン、エレナ、たまにはジャンパールに遊びに来いよ、まだ国王になるのは先なんだろ?」
と、マルスが言った。
「うん、僕が二十歳になったらって考えてる、その時にエレナとの結婚式もってね」
「そうか、俺もまだ先だな結婚はカレンが十八になってからだ」
と、言うとカレンは、今すぐにでも良いと言った。
「ランドールにも来いよ、待ってるぜ、じゃあ行こうかシーナ」
「ドラクーンにも来てね」
と、ラーズとシーナは言うと船に乗り込んだ。先にラーズとシーナを見送った。マルスの隣りでコノハがじぃっとテランジンとリリーを見ている事に気付いたマルスは、何も言わずにコノハの頭を引っ叩いた。
「いった~い!何するのよお兄ちゃん!」
「馬鹿、気付かれるだろ」
と、マルスは小声でコノハに言うとそそくさと船に乗り込んで行った。レン、エレナ、ヨーゼフそしてリリーには、何の事か分かっているがテランジンには、分からない。
「じゃあなぁ元気でなぁ~」
と、マルスは船からレン達に手を振った。レン達も手を振り船が見えなくなるまで見送った。マルス達を見送りレン達は、ミトラとクラウド率いる近衛兵達に囲まれ馬車に乗り城に帰る事にした。城下と城の中間辺りまで来た時、ヨーゼフが不意にテランジンとリリーに言った。
「リリーやテランジンとこの辺りを散歩して来い、この辺りは景色が良いぞ」
「そうだね、散歩しておいでよテランジン、リリーさんテランジンが急に具合が悪くなるといけないから一緒に居てあげて」
と、レンも取って付けたような理由を言った。リリーは、テランジンと二人きりになれる喜びを出来るだけ顔に出さないようにして返事をした。テランジンは、何故急に散歩をしなければならないのか理由を聞こうとしたが、半ば強引に乗っていた馬車から降ろされた。
「閣下、軍務は、軍務は良いのですか?」
「ああ、構わん、行って来い」
と、ヨーゼフが言うと馬車は、城に向かって進み出しその場には、テランジンとリリーが残された。テランジンは、全く訳が分からないといった顔をしてリリーを見た。リリーは、少し顔を赤くして伏し目がちで隣に立って居る。まつ毛が美しい。
「どうしたんだろう若も閣下も…俺が退院してから何か変だぞ」
と、テランジンが呟き頭を掻いた。
「あの…せっかくですから、歩きませんか?」
と、リリーが遠慮がちに言った。
「はぁ、そ、そうですね、歩きましょうか」
と、テランジンとリリーは、緩やかな坂を上り始めた。ヨーゼフが言う様に確かにこの辺りは、景色が素晴らしい。二人肩を並べて歩いていると小さな公園がある事に気付き少し休憩する事にした。
「こんな所に公園なんて有ったかなぁ?」
「テランジンさん達がイビルニアに行っている頃に父が作らせたんです」
と、リリーが答えた。そうですかとテランジンは言いぼんやりと公園を眺めた。せっかく好機を与えてくれたのに無言のまま時間が流れる事を恐れたリリーは、何か話さなければと必死で考え、とにかく公園のベンチに座る事にして思い付いた事を聞く事にした。
「あのテランジンさんのお生まれはどこですか?」
と、リリーは、ありきたりの事を聞いてみた。テランジンは、自分の生まれ故郷の事を話した。リリーは、聞き上手でテランジンは、家族の事や海賊をやっていた時の事を話した。そして、親友シドゥの話しになった時、また涙が込み上げて来た。シドゥが死んでからぽっかりと心に穴が開いたように感じていた。
「あいつはあんな所で死ぬべき男ではなかった…私と共に王子や国を守るため生きねばならない男だったのです…なのに、あんな所で…うぅぅぅ…あの時以来ずっと何かが足りなくなった気がしてならないのです」
テランジンの頬に一筋の涙が流れ落ちた。リリーは、シドゥの事を父ヨーゼフから何度も聞いていた。二人が大親友で兄弟の様だとも聞いていた。リリーは、テランジンの心の傷がまだ癒され切れてないと思った。込み上げる嗚咽に耐えているテランジンを見てリリーは、この人の傍に居たい。この人を支えてあげたいと猛烈に思いテランジンをそっと抱き締めた。
「リ、リリー殿?!」
「良いのテランジンさん」
リリーは、自分の胸にテランジンを抱いた。テランジンは、どうして良いか分からずただリリーに抱かれた。リリーの胸の柔らかさがテランジンの頬に伝わった。テランジンは、何か癒される感覚を覚えた。自分に恋人や妻が居ればこんな感じかなと思った。女を知らないわけでもない。シドゥと共に士官学校を卒業した後に町外れの色町に女を買いに行った事もあったし、海賊をやっていた頃、忍びでランドールの色町に行った事もあった。しかし今自分を抱き締める女は、遊女ではなく貴族の女で陰ではおやじと慕い尊敬するヨーゼフ・ロイヤーの娘リリーである。テランジンは、自分の胸の鼓動が激しくなっている事に気付いた。
「リリー殿」
と、言いテランジンは、リリーの腕を解いた。何とも言えない気持ちを落ち着かせるため思い切り息を吸い込んだ。リリーがいつも付けている優しい香水の匂いが鼻を刺激した。リリーが熱っぽい目でテランジンを見ている。テランジンは、顔から火が出るんじゃないかと思うくらい顔を赤くし下を向いた。
「し、城に戻りましょう」
と、言い二人は、公園を後にした。テランジンの少し後ろをリリーが歩く。何も知らない人が見ればまるで夫婦の様だった。テランジンは、歩きながらずっと考えていた。リリーに抱かれ癒されている感覚を覚えた瞬間からリリーに対する想いが変わった。今までは、ヨーゼフの娘と言うだけで特別意識する事もなかったが、こうして一緒に歩いているだけで胸がドキドキする。
「何だろうこの感じは」
「え?何か仰いましたか?」
と、テランジンがぼそりと呟いたのを聞いてリリーが言った。そうこうしている内に二人は、城まで辿り着いてしまった。城内に入りレン達が居る部屋に行くとレンとエレナ、ヨーゼフがにこにこしながら二人を迎えた。リリーの様子は、普段と変わらないが、テランジンの様子が馬車から降りた時とは随分変わっていた。
「お帰り、どうであった?あの辺りは散歩にうってつけじゃったろう」
と、ヨーゼフは、当たり障りのない事を言った。リリーやテランジンが答える間、レン、エレナ、ヨーゼフは、抜け目なく二人を見ている。リリーは、にこやかに答えた。
「はい、とても綺麗でした」
「はぁ良い所ですね、わ、私は軍の宿舎に帰ります、では」
と、テランジンは、何か思いつめたような顔をして答え部屋を出て行った。テランジンは、気付いた。今自分が感じている気持ちは、恋だと言う事を。遠い昔に感じた甘酸っぱい想い。自分は、とんでもない人に恋をしてしまったとテランジンは、思いながら宿舎に帰って行った。




