第4章―(1)
麓の方から、微かに和太鼓や篠笛が混ざり合う旋律が聞こえてくる。
そろそろ太陽が終業の準備を始めようかという頃、俺達は花岡小学校PTA主催のお祭りに向かうため、既に暗くなった下り坂を歩いているところである。
先頭には一葉と花咲が楽しそうにお互いの浴衣を見せ合っている。その後ろに二葉と雄太とおばちゃんが、あれ買う何やるとこれから始まるお祭りに心を躍らせている。そして最後尾に俺と三葉が手を繋ぎながら、ただひたすら前の楽しそうな五人を眺め歩く。
――――「じゃーん! ……ど、どうかな?」
意気揚々とアパートから降り立った一葉は、購入した色鮮やかな浴衣を引っ提げてきたが、どうやら恥ずかしくなったようで、前で手を組んでもじもじしている。
「「お、おお……」」
思わず俺達の口から感嘆の声が漏れる。
一葉の浴衣は、ベースの白桃色生地に、大きな紅い花が浴衣一面にちりばめられていて、可愛いらしく華やかにデザインされている。桃色のグラデーションになっている帯の結び目には、ワンポイントのハートのチャームが添えられていて、とてもキュートな着こなしだ。栗色の髪の毛はさらりといつものように背中に流していて、後頭部を同系色のリボンで結っている。
「……すげー、似合ってるよ」
「そ、そう? あ、ありがと……」
陳腐な俺の答えに熟れあがったトマトのように顔を赤くして俯く一葉。
そんな照れられると言った俺まで恥ずかしくなっちまうじゃんか。
「お義姉さん、マジ最高に似合ってるっすよ〜!」
「お義姉さんいうなっ!」
Tシャツ短パン、サンダルのチープな格好の雄太も俺の意見に同調する。
おい雄太、二葉はお前の妻じゃないからな。俺は認めんぞ。あと一葉も突っ込み所そこじゃないから!
娘をどこぞの男に取られかけている親父の気持ちになりながら、雄太に睨みを利かせていると、そんな目つきは直ぐに緩和された。
「ハルキー! ユーター! 見て見てほらっ!」
階段からぴょんと降り立って走ってきたのは二葉と、ふらふらと手を引っ張られる形の三葉だ。
妖精が森でダンスをするように、ひらりと一回転。その隣には袖の辺りをギュッと握り締めながら、こちらの様子を控えめに上目遣いで覗き込んでくる三葉も欲しい言葉はやはり一つだろう。
「二人ともめちゃくちゃ可愛いな」
思わず素直な言葉が口に出る。
この余裕な発言を一葉にも言えればいいんだが、そこはまぁ……な。
二葉は、清涼感ある水色をベースに、細かい桃色の花が疎らに置かれた爽やかで明るいガーリーなデザインの浴衣だ。
一方三葉は、はかない表情を際立たせる黒の生地にドットと紫の花が映えるデザインだ。
そして目を見張るのは、二人の耳上にはお揃いの赤い大きな花が凛と飾られていた。二葉は右耳、三葉は左耳だ。
「ふ、二葉さん! 似合いすぎて目が眩みますよお!」
太陽の光から目を守るようなポーズをする雄太。
「おお! 本当か〜!? ユータもその『祭』って書いてあるTシャツ似合ってるぞー!」
「ありがたきお言葉!」
直角のお辞儀で礼をする雄太の目はハートマークになっていた。
ていうかそのTシャツ花岡の安いバーゲンワゴンに入ってたやつだろ。
「……ハルキ」
耳がくすぐったくなるような三葉の囁く声。
「三葉、今日は三つ編みにしておさげにしてるんだな」
「……うん」
「それ、二人で選んだのか?」
俺が耳上の赤い花に目線を移すと、三葉は照れ隠しなのか俯きながら花を愛おしく撫でるように触る。
「……二葉が、一緒のにしようって……」
そう言った三葉の表情はほとんど無表情ではあるが、少しだけ口許が緩んでいるのを俺は見逃さない。もう四ヶ月近くも一緒に暮らしてきたから、あまり感情を表に出さない三葉の表情を読み取るのにも結構自信がついてきた。
俺もそんな三葉に自然と頬が緩む。
「楽しい祭にしたいな」
三葉が珍しく自己主張して企画されたイベントだからな。
俺は三葉の頭に撫でるように手を置くと、擽ったそうに目を細めて、
「……うん」
小さくそう頷いた。
「……」
「……」
「……」
「あ……」
若干の間を置いた後、すぐに何かを思い出したように顔をあげる三葉。
「どした?」
「……ハルキも、そのカエルのTシャツ、似合ってる……」
「そんなことも二葉とお揃いにしなくていいから!?」
そんな顔を赤らめて言われても全然嬉しくないよ! 安売りワゴンだもん! 似合ってると俺なんかすごく安いじゃん!
「お待たせ〜」
そんなやり取りをしていると、最後にかんかんと金属音を奏でて降りてきたのは花咲とおばちゃんだ。
「どうかしら? この浴衣……」
両手を広げて、妖艶に口許を吊り上げている花咲の浴衣は、青や薄い紫の花が、一面の白い生地にちりばめられるように置かれ、夏の暑さも忘れさせてくれるようなクールなデザインだ。髪はトップで纏めて、浴衣と同系色の大きい花を添えている。そしてなにやらふんわりキラキラとした羽衣みたいな紫の薄い生地を帯の下に挟んでいて、そこからちらりと覗かせているのがワンポイントだ。
「お、おお、いいんじゃねえか?」
「ふふ、そう? ほら見て、このお花綺麗でしょ?」
くるりと後ろを向いて、髪のトップを纏めている花を見せてくる。花も綺麗なのだが、普段は髪を下ろしていてわからない艶かしく美しいうなじまでも目に入る。
「き、綺麗だな……」
「あら、何がかしら?」
悪戯に微笑を浮かべながら、俺の方へ向き直る花咲。
ぐ、そりゃ花も綺麗だし、その下で覗くうなじも綺麗だし、花咲自体だって……ってんなこと言えるか!
「わかってて言ってんだろ、おまえ」
「何のことかしら?」
得意げにくすくすと喉を鳴らして吸い込まれるような瞳が俺を突き刺してくる。
くそ、旅行であんなことがあったから何か変わるかと思ってたけど、結局何も変わってないじゃんか。特に俺と花咲の上下関係について。……ま、なんかすごく楽しそうだからいいけどよ。
そんな俺達の様子を見ていた一葉は、何やらむくれた表情でこちらを睨んでいる。
「ど、どうかしたか一葉?」
「べ、べつにー!」
すごい勢いでそっぽを向かれてしまった。
「草野くんが私のうなじにばっかり見惚れてるからよ」
「冤罪だ!?」
絶対読心術持ってるよ花咲さん!
「そ、そうだよ、ハルキのスケベ!」
「なぜ見てたと決め付ける!?」
見たけども! なんかそういう目で見られてるってことに泣けてくるよ!
しばし二人からの冷たい視線を喰らっていると、
「どうかな〜、みんなの浴衣姿?」
おばちゃんが水風船のような笑顔でこちらに寄ってきた。
おばちゃんの浴衣は、薄紫の生地に所々に太細の黒い線が入れられている。そこに同系色の花々を咲かせる、全体的にアダルトなデザインになっている。
「一応みんなに合いそうなのを選んでみたんだけど〜……」
「流石おばちゃんだよ。みんなのイメージにぴったりだ」
「そうかな? ならよかった〜」
――――
その後出発してから、冒頭の時間に戻る訳だ。自然と会話の相手も分かれて、今の状況に至る。
「……ハルキ」
「ん?」
からころと下駄を鳴らし、手を繋ぎながら隣を歩く三葉が俺の名を呼ぶ。
「……あの、ね。最後……」
「最後?」
「……花火、あるでしょ……?」
「おー、そうだな。昔見たなぁあれ」
花岡小のお祭りでは、最後にささやかな花火が打ち上げられる。地元の花火職人さんに毎年お願いをしているらしいが、予算が予算のため、都会で開催されている花火大会ほどの規模も壮大さもない。
「懐かしいなぁ。ちっちゃいもんだけど、あれはあれで結構綺麗なんだよな」
「……その花火、ね、学校の裏山で見ると、もっと綺麗なんだって……」
「裏山? あの冒険コースまだあるんだ?」
花岡小学校には、校舎の裏へ続く道があって、そこはちょっとした山道になっている。俺が通っている頃は、頂上から車輪式の長い滑り台が設置されていた。ちなみに車輪式っていうのは、滑るところが細かい車輪で敷き詰められてるもので、通常のものより寿命が長い。下が鉄だと渇いて滑らなくなる場合があるからな。まぁそういうときは水を上から流して滑りを良くさせる方法をよく使う。
閑話休題。
「……終わりごろになったら、……裏山、いかない?」
「おおいいなそれ! 今年は改装工事中だし校庭から眺めても雰囲気出ない……ってあれ?」
雰囲気出ないのは花火中だけじゃないんじゃ?
◇◇◇
「やっぱり……」
俺達の口角がひくひくと動く。懸念した通り、校庭に広がる出店の数々や、頭上で垂れる提灯の、これでもかというお祭りの雰囲気を相殺するような、校舎を覆う白いビニールシート。危ないので校舎には近づかないでね! というPTA自作の看板に、大変ご迷惑をおかけしておりますと直角お辞儀するメット青年の絵。
それらはものの見事にお祭という神聖な行事を台なしにしていた。
「情緒も風流もへったくれもないな……」
「ま、まぁまぁ、お祭りは開かれてるんだしね」
苦い顔の俺に一葉が少し渇いた笑いを向ける。
「なるべく見ないようにしましょ……」
と花咲。
「あはは〜、今年はしょうがないね〜」
おばちゃんも残念そうに頬を緩ませる。そんな俺達には目も暮れず、
「二葉さん! わた飴売ってますよわた飴!」
「おおお! でかしたぞユータ!」
雄太と二葉の二人はすぐに目についたわた飴屋に飛んでいく。二人には風流より食欲なようだ。
「あんまり走るとあぶないよ〜」
おばちゃんが二人に声を掛けながら後に続く。
「わた飴なんてなつかしい〜!」
一葉も無垢な瞳を輝かせながら屋台へ寄って行く。
「子供んときは絶対買ってもらうんだよな」
「そうそう、なんでこんなふわふわなんだろ〜ってずっと考えてたことあるもん」
「今は原理がわかったの?」
花咲は少し悪戯に笑って首を傾げる。
「うーん……えへへ、今もわかんないや」
「ふふ、そうね、わからないほうが楽しいものね」
二人は心底楽しそうに、的屋のオヤジがわた飴機で割り箸に巻かれる様子を見ながら笑顔を浮かべる。
「三葉もわた飴食うか?」
ここまで何の動きもなかった俺の隣にいる三葉に目を移すと、口を一文字に何やらボーッと一点を見つめている。視線の先はわた飴屋とそれを買おうとオヤジと話す一葉たちだ。
「三葉?」
喧騒に紛れたためか、聞こえていないようだったので俺はもう一度声をかけ直した。
「え!? ……あ、」
眠りから覚めたように三葉は顔をあげる。その表情は、まるで知らない土地で迷子になった少女のようだ。吸い込まれそうな黒い瞳が水気を含んで揺れている。
「三葉? もしかして人混みで具合悪くなったか?」
俺の問いに三葉は首を横に振る。
「トイレ……か?」
また首を横に振る。
三葉はもう一度、わた飴屋のほうに目を向ける。
「……ハルキは、」
「ん?」
「………………一緒にいる、よね?」
三葉は俺の手を強く、強く握った。
「? おういるぞ?」
俺は三葉の小ぶりな手を握り返してやる。三葉はそれを確かめてから、小さな歩幅で皆の輪へと進み出した。
三葉のやつ、最近ボーッとしてることが多いんだよな……。
「はむっ! うまーあまー!」
二葉は既にわた飴を受けとっていて、大きな綿にかぶりついている。
「二葉さん! ほっぺに綿がついてますよ!」
「え!? ……ってユータは鼻についてるぞ!」
「ウソ!?」
傍からみたらバカップルのような会話を繰り広げている二葉と雄太。雄太はその事に気づいていて、鼻と口に割り箸を挟んだように鼻を伸ばしているが、二葉は全く気にしていないようだ。すっかり暗くなった情景の中で、二葉だけは太陽のようにまばゆい光を放っている。
「呑気に笑ってるけど、あなたも顎にわた付いてるわよ」
「マジかよ!?」
花咲が呆れ顔で俺の顎辺りを見つめている。咄嗟に俺は自分の顎を撫でる。しかし俺の顎には何も付いてなかった。
「ウソよ」
「……っ! 花咲ぃ〜」
くっくと喉を鳴らす花咲に俺はジト目を向ける。
「ふふ、草野くんはすぐに騙されてくれるから面白いわ」
「それ絶対褒めてないだろ……」
「ハ、ハルキ!」
花咲との言い争いに一葉が介入してきた。何やら顔を赤らめて眉間に梅干しを作っている。
「ハルキのおでこにわ、わたがっ!」
…………。
「「一葉、おでこに綿ついてる」わよ」
「えぇ!?」
俺達のユニゾンに直ぐさま自分のおでこに手を持って行く一葉。
「「――っぷ、あっはははははは!」」
「え、あれ? ――も、もう! 付いてないじゃない!」
ぽかすかと俺の肩を叩いてくる一葉。
こういう天然なところはとても可愛いらしいと思う。クラスでは俺達以外に友達がいないっていうのが今だに信じられない。もっと一葉の事を知ってもらえたらいいのに。
「みんなみんな〜! 金魚掬いがあるよ〜!」
おばちゃんが綺麗なソプラノで俺達に声を掛けてくる。
「金魚掬い! やるやるー!」
「黒い出目金掬いましょう!」
二葉と雄太は誘われるように、金魚掬いの出店に寄って行く。俺達もその後に続く。
「いらっしゃい、一回百円ね」
恐持てのオヤジが、顔に似合わず爽やかに微笑む。おばちゃんが小銭入れから二百円取り出して、先陣を切った二葉と雄太の分を払ってやる。
「はいよ! そいじゃ頑張って掬ってみな!」
景気のいいオヤジの太い声とともに、二人にポイとボールが手渡される。
「よーし! 掬うぞ〜! ユータ、どっちが多く掬えるかショーブだぞ!」
「望むところですよ!」
お互いめらめらと瞳に炎を宿す。雄太がおばちゃんに眼で合図して、おばちゃんもそれに頷く。
「じゃぁ〜、よ〜いど〜ん!」
勝負開始の合図にするにはあまりにのんびりとした物言いに、俺達観戦組は少し拍子抜けしながらも、第一回金魚掬い大会がスタートした。
「「こいつだ〜!」」
二葉と雄太はそれぞれの金魚に狙いを定めると、一斉にポイを水面に向かって平行に勢いよく着水。それをすぐさま持ち上げ、金魚捕獲を企む。しかし二人のポイは水圧を嫌がるように、あっさりと破れてしまった。少し紙面に乗っかっていた金魚は、「ラッキー!」と言わんばかりに、水の中に華麗にダイブして行った。うーん10.0。一方の二葉と雄太の二人は0.0だな。テクニックもへったくれもない。
「あー!? なんでだ!? すぐ破れた!」
「ちくしょー! 二葉さんへプレゼントするはずが!」
二人は理解できないという表情で、無様に破れたポイを恨めしげに見つめる。っていうか雄太、二葉も掬う予定だったんだからプレゼントにならんだろうが。
「えーじゃあ次私やるー!」
後ろで覗くように見ていた一葉が我こそはと手を挙げる。
「カホも一緒にやろ?」
そのまま挙げていた手を花咲の手へ持って行く。
「えぇ? 私やったことないわよ?」
「大丈夫大丈夫! 私が教えてあげるから!」
少し困惑気味の花咲を引っ張って、我が家の財布(最近は一葉に管理されてます、はい)から百円玉を二枚取り出して、的屋のオヤジに手渡す。
「はいよ! さっきの子たちの分まで頑張んな!」
オヤジからの激励を受けて、一葉と花咲はポイとボールを受け取る。
「ヒトハがんばれー!」
「カホさんも頑張ってください!」
先ほど敗陣の途に帰した二葉と雄太も声援を送る。
「一葉、こんな今にも破けそうなのでどうやって掬うの?」
花咲がポイの紙をつんつんしながら問う。
「だいじょうぶだって! ばしゃって入れて、ざばって掬って、ぽいってボールに入れれば掬えるはずだよ!」
すごいアバウトだー!?
「そういうものなの?」
「そうだよ、きっと!」
花咲は少し半信半疑な表情をしながらも、二人はこくりと頷き合って、一斉にばしゃって入れて、ざばって掬って、ぽいっとボールへポイを動かした。
まぁ結果は言わずもがなだ。
「えーなんで!? なんで掬えないの!?」
「一葉が言ってた通りじゃ掬えない気がしていたけれど……」
その通りだ。ポイは非常に破れにくいため、なるだけ紙の部分に水圧を掛けないようにするのが、上手く掬うコツだ。着水時は水面に向かってゆっくりと垂直に入れ、水中で移動するならなるべく平行に。着水時間は極力短く。深みには行かない。狙う金魚はなるべく水面でじっとしている奴。尻尾から掬うのではなく、頭から狙う。金魚は掬われると暴れるため、動く範囲の多い尻尾は紙の部分へのダメージが大きい。金魚がポイに乗ったのを確かめたら、手首のスナップを使って弾くようにボールへシュートだ。
「もー、じゃあハルキ掬って!」
一葉が悔しそうな表情で、持っているポシェットから財布を取り出す。
「しょうがねえなあ」
俺は面倒臭いという表情をしながらも、こう言われるのを密かに待ち望んでいた。ここまでで大体わかって貰えているとは思うが、実は俺は金魚掬いが大得意なのだ。
……とは言っても、俺も中学以来やっていないのだが、腕は鈍っていないはずだ。以前得意すぎて、大会にエントリーしようかと目論んでいたほどだからな。
さて、たまには頼りになるってところを見せますか。
と思ったところで、俺の右手に繋がる三葉の存在に気付いた。
「三葉もやるか! 金魚掬い」
俺がいつもより数倍増しな笑顔を向けてやると、三葉の表情に一瞬花が咲いたのが見えたが、
「ミツバがやったら金魚が逃げ出しちゃうよー!」
すかさず二葉が減らず口を叩く。
あーあー、また小突き合いが始まるぞこりゃ。
と思いきや、三葉はいつものように怒ったりしない。
「なーユータ!」
「え? あ、ああ、そうっすね! お、俺達からも逃げ出しましたもんね奴ら!」
雄太も少し三葉の様子が気になるようで吃って答える。
「フタバ! またあんたは!」
いつものように言い争いが始まらないことで、一葉が代わりにげんこつを落としてやる。
「〜〜〜った〜……! 一葉も掬えなかったくせに!」
「今はそういうことじゃないでしょ!」
「三葉ちゃん? べつに掬えなかったって気にすることないんだよ〜?」
二葉に怒る一葉を尻目に、おばちゃんは三葉の前にしゃがんで肩を掴む。三葉は俯きながらも、こくりと一つ頷いた。
「……でも、やっぱり……いい」
しかし仕草とは裏腹に、三葉の答えはNOだった。
おばちゃんは立ち上がって、困った表情を向けてくる。
困ったな。いつもなら二葉の言葉に三葉が突っ掛かって笑い話になるのに、今日はそれがない。お祭りの企画を出してくれた三葉本人が、あまり楽しめていないような気がするのにも心が痛む。
「……おっしゃ! んじゃ俺が三葉の分まで掬ってきてやる!」
三葉はふと顔をあげる。何かを懸念しているような、そんな表情だ。
「む、俺にもどうせ掬えないって思ってるだろ〜? こう見えても金魚掬いだけは得意なんだぜ!」
「金魚掬いだけ、なのね」
花咲が苦い顔で茶々を入れてくる。
「う、うるさいなぁ! と、とにかくたくさん掬ってきてやるから」
俺のその言葉に、三葉は握る手にさらに力をかけてくる。俺は一度しっかりと握り返してから、
「心配すんなって」
そう言い残し、名残惜しくも三葉の手を離した。
「――ぁ」
三葉が何かを言いかけたような気がしたが、周りの喧騒に掻き消され、俺はそのまま一葉から百円玉を受け取り、それを親父に渡した。
「ほいよ! いっちょ皆の仇をうってやってくれ!」
威勢のいい親父が腕まくりをしながらポイとボールを手渡してくる。
俺はそれを受け取り、いざ出陣の構え。
「ハルキファイト!」
「頑張って草野くん」
「全部すくえー!」
「ハル兄たのんます!」
「ハルちゃん落ち着いて〜!」
皆の声援を背に、俺はゆっくりと撫でるようにポイを着水させる。
狙いはこの水面で呑気に泳いでいる出目、お前だ!
俺は素早くポイを翻して、出目をポイの縁に乗せ、ボールへ一気にシュートした。
「ウソ!」
一葉の驚きの声が上がる。
ポイのダメージはほぼ皆無に近い。俺の腕は鈍ってない! これなら――!
◇◇◇
「す、すごーい……」
「しょ、職人芸ね……」
一葉も花咲も、ボールに入った大量の金魚に眼を見開いている。
「ハルキすげー! 手が高速で動いてたぞー!? それなんて技なんだ!?」
「ハル兄にそんな特技が!?」
二葉も雄太も興奮しながら俺の元へ寄ってくる。
「そういえば、ハルちゃん金魚掬い得意だったね〜」
おばちゃんは思い出したように手を叩く。
掬った金魚は計二十匹。ていうか本当はポイまだ生きてるんだけど、流石に的屋の親父に泣く泣く止められたのだ。百円でこんなに掬われちゃ商売上がったりだからな。
「ズバリ、ハルキさん! 金魚掬いとはなんですかっ!?」
一葉がおどけながら、エアマイクを俺に向けてくる。
「金魚は掬うんじゃなくて、救ってやるもの……かな」
決まった……。
と、思ったが何故か場の空気は真夏の暑さも吹き飛ばすほど凍りついていた。
「あ、あれ!? なんで!?」
「草野くん……、とりあえずあなたはその金魚のいるビニールプールにダイブしなさい」
「なんで!?」
相変わらずひでぇよ花咲!
助けを求めるように全員を見回すが、救いようのない奴を見る眼で俺を見つめていた。
……誰か俺を救ってほしい。
俺は気を取り直すように大きく息を吐いてから、三葉の姿を探した。
「――……あれ、三葉は?」
『え?』
一同が回れ右。
てっきり三葉は最後尾で一緒に観戦しているものだとばかり思っていた。
俺達は気付かなかった。目先のことに囚われて、本当に大事なものに気付けなかった。
三葉の様子が最近おかしかったのは一目瞭然だったのに、俺達は問題を後回しにしていたんだ。
刹那、風間希望くんに言われたことが頭の中で大音量で流れた。
――その手、離さないであげてくださいね。
「――……っ! なんで……なんで、離しちまったんだ……!」
俺の脳内に後悔の念が渦巻く。
あの時、絶対に離さないって、心に誓ったはずだったのに。
小さくてか弱くて、少しでも力を篭めたら壊れてしまいそうなあの手を、絶対に掴んでいようと心に決めていた筈だったのに。
俺は…………、馬鹿野郎だ。
そう思った瞬間、三葉が立っていたその場所に、大きな風が吹き荒れた。
まるで、神隠しにでも遭ったかのように。