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クローバー(3)  作者: ディライト
ブレイク
7/14

Break

 つらつらと移り変わる小さい窓に切り取られた風景を、俺は肩肘をついてボーッと眺めていた。


 結局二日目は台風の影響によって、観光もできなければ泳ぐこともできず、俺達はペンションで延々とトランプに明け暮れていた。大富豪、ババ・ジジ抜き、七ならべ、ポーカー、ブラックジャック等々…………。一生分のトランプを全てここでやり尽くしてしまった気分だ。まさかプライベートビーチに来てテーブルゲームをする嵌めになるとは誰が予想できただろうか。

 もともと三日目は帰るだけの予定で、帰りに駅のお土産屋で二十五個入りバームクーヘンを買って、俺達はお世辞にも明るいとは言えない思い出を胸に、そそくさと新幹線に乗り込んだ。

 帰りの新幹線では行きと違い、ケチって自由席にしてしまったため、運よく空いていた二人席三セットに、グッチョッパをして分かれた。


 もう乗り込んで一時間くらいになるだろうか。

 俺の隣では、一葉が幸せそうに小さな寝息を立てている。後ろ、佐久間と葵のコンビの声は聞こえて来ない。前、筑紫と花咲のコンビも会話はない。きっと旅疲れで深い眠りについているのだろう。

 俺も疲れからの眠気はあったが、しかしどうにも眠れなかった。理由は明白だ。

 一日目の夜、花咲を台風から匿った後、葵と共に花咲の部屋に着替えを取りに行った時に、葵に言われたことがどうにも頭から離れなかった。



 ――一葉が好きなのは、ハルくんだろっ!



「…………え?」

「……二人が、普通の友達レベルの信頼関係じゃないくらい、見てればわかるんだよ」

「そ、それは……――、」

 ――家族だから。

 ……なんて葵には言えるわけなかった。

 確かに俺と一葉の間には信頼関係が強く存在していると思う。それは俺の過信でも自惚れでもない。お互いを信じ合えていなければ、同居生活なんて成り立つはずがないからだ。言ってしまえば、俺達は好き合っているのかもしれない。だが、その“好き”はライクであり、ラブではない。その好きに恋愛感情は持ち合わせてはいない。持ち合わせてはならない。家族という枷があるからだ。その枷を外してしまえば、俺達はどうしたって離れなければならないんだから――――



「…………ん」

 隣の一葉が、掠れるような吐息を漏らしてから眼を開ける。

「……お、起きたか」

 俺が声を掛けてやると、一葉はまだ夢うつつな表情で、俺の方へ向き直る。

「……あ、ハルキ、おはよ〜」

「お、おう」

 優しくはにかんで、可愛いらしく首を傾げる一葉。旅行では、あまり落ち着いて話す機会が無かったから、何か気恥ずかしくなってつい眼を逸らす。そういえば一葉は何故かずっと俺に怒気を孕んでいたしな。

「あと、どのくらいで着くかな?」

「ん、あと一時間くらいだな」

「そっか」

 そう言って、一葉は倒していた座席を元の高さに戻す。

「もう寝ないのか?」

「うん、一回起きちゃうとなんだかね〜」

 一葉はペットボトルのお茶を開けて、ひとつ口をつける。

「それにさ、家ではいつでも話せるとはいっても、旅行ではほとんどハルキとお話してなかったじゃない? ちょっとは旅行中にも喋りたいもん」

 人一倍大きな眼を弓なりにして、温かな笑顔をくれる。

「もう……怒ってないのか?」

「…………怒ってます!」

 と、思えば一転、頬を膨らませて上目遣いで睨んでくる。

「ハルキ、なんでか私を遠ざけよう遠ざけようってしてたでしょ!」

「う……」

「そりゃ、あんまり仲良くしすぎても同居生活がバレるかもとか思うかもしれないけどさ〜……」

「え? あ、ああ、そうだな」

「ん? どうしたの?」

「いや別に……」

 俺の煮え切らない返事にハテナを浮かべる一葉。どうやら一葉は俺が佐久間とくっつけようとしていたことを、同居がバレるのを防ぐためと勘違いしたようだ。

 ……ということは、佐久間とは特に進展なしか?

 そう思うと、心のどこかで安堵の溜息を吐いた奴がいるのを俺は感じた。


「でもさ……」

「ん?」

 一葉が座席から姿勢を正して、身体ごと向き直る。

「カホを、助けてくれて、ありがとう」

 ぺこりと軽く頭を下げる。そして顔を上げた時には、とても穏やかな夏の青空のような笑顔を広げていた。

 その表情を見た瞬間、俺の心臓がとくんと一つ跳ねた。

 そうだ、この笑顔だ。俺はこの笑顔を失いたくないから、どんなことでも頑張っちゃうんだよ。

「カホは、アオイ以外で初めて普通に接してくれた友達だから、もし何かあったら立ち直れなかったかも。えへへ……」

 少し気恥ずかしそうに頬を掻く。そんな仕草に俺もなんとなく眼を逸らす。

「でもさ、ハルキがカホをおぶってペンションに帰ってきてくれたときに、私思ったの――」

 一葉は一呼吸置いて、瞬きを一つ。

「ああ、そうだ……。ハルキのこういうところが、私は好きなんだろうって……」

 一葉の発声が終わり、線路に電車を滑らせる音と、乗客のぽつぽつとした話し声だけが響く。この場だけが時間の概念を忘れてしまったようだ。一葉は眼を伏せながら、満足そうな笑みを浮かべている。俺の心拍数が一気に上昇するのがわかった。きっと鏡で自分の顔を見たら、俺の顔はトマトのように熟れあがっていることだろう。一葉の言葉が頭の中で何度もしつこいエコーで鳴り響く。

「ひ、一葉、それって……?」

 ようやく搾り出した声も震える。その俺の上擦った声に反応するように、俺の方に向き直る一葉。全く何もわかっていないように、フクロウのように首を傾げている。と思えば、俺の表情から何かを感じ取ったようで、一葉は人差し指を自分の下唇に持っていって、三秒ほど思案した後、急激に顔を真っ赤に染め上げた。

「え、あ、ち、ちが、ちがくてっ! あの、ハルキ、さ、さっきのはね! 別に、そ、そういうんじゃなくて、ただハルキのいいところだから……そう! 家族として好きだなぁって! ……思って…………うう」

 高速で胸の前で両手を振り、早口でまくし立てる一葉。眼には涙を溜め、口は波打つようにあわあわと動いている。葵の言葉があってから、どうにも本気にしてしまいそうだ。

 でも、わかってるさ。

「ああ、俺も好きだなぁ」

「え?」

 一葉が振っている手を止めて、何かを期待するような眼を向けてくる。

「一葉のそういうすぐに慌てるとこなんかさ~」

 俺の言葉に一瞬ぽかんと口を開けて、すぐに頬を膨らませる。

「もう!」

 赤面しながらぽかぽかと殴り掛かってくる一葉をいなしながら、俺は思う。


 今はこのままでいい。

 例え葵が言ったことが真実だとしても、今すぐに何かを変える必要なんてない。

 もしかしたら変化を求めて動いたことで、一葉を悲しませる結果になることだってあるかもしれない。

 今のままで、一葉が笑っているならそれでいいのだ。


「あ」

 そんな決意を頭の中で浮かべている片隅で、もう一つ思い浮かぶ笑顔があった。

「どうしたの?」

 叩くグーの手を止めて、一葉が首を傾げる。

「今度からさ、……たまにでいいから、花咲もうちで夕飯ぐらい一緒に食わせちゃだめか?」

「え、カホも……?」

 俺の提案に思いも寄らなかったように、眼を見開く一葉。

「あいつも一人暮らしだろ? ……なんつうかさ、俺も一人の間が長かったし、その……色々思うところがあって、少しでも寂しさが紛らわせればと思ってさ」

 一葉は俯いている。何やら考えているようだ。俺は構わず続ける。

「あいつもさ、すごく大人っぽくみえても、まだ俺たちと同じ高校生なんだよ。そういうの感じないわけない……と思うから……。――!? あれ、一葉!?」

 俺が視線を落として花咲のことを吐露していると、一葉の頬はまたまた真っ赤に染め上がって、うるうるな瞳で頬を膨らませていた。

「むーーーー!」

「あれ? な、なんだ嫌か?」

「――……なーんてね!」

「へ?」

 と思えば、直ぐに笑顔の花を咲かせ、元の角度に戻した直角な座席に深く腰掛ける。

「カホが一人暮らしをしてる事情は私も知ってるもん。私は大賛成だよ! 夕ごはんだけって言わず、休みの日だって一緒にいてもいいんじゃないかな? 大勢の方が絶対楽しいし! あ、でもカホはバイトがあるのかー……」

「一葉が賛成なら、やっぱそうしよう。花咲もきっと来てくれるはずだ」

 一人部屋に閉じこもっていた花咲。あの嵐の夜、これまで誰にも垣間見せることが無かった素顔。もしドアの隙間から手を伸ばしたら、握り返してくれると思う。背中越しで、俺の首に回していたような、優しい力で。

「…………けど、最近はカホばっかり……」

「ん? 何か言ったか?」

 一葉が何かを呟いた気がして声を掛ける。すると、一葉は流し目で何かを諦めたようなそんな流し目を俺に向けながら、

「なんでもないよーだっ!」



 ◇◇◇



 麓在住の佐久間、そしてこの後スケボー選びに行くという葵と筑紫に別れを告げて、俺達は花岡の地獄の登り坂を、ゆったりぐったりと上がっていた。

「この坂はどうにかならないのかしら……」

 苦い顔のクールビューティ花咲。学校からも一緒に帰ったことはなかったが、今日ばかりは帰り道が同じなため、共に地獄の坂を踏みしめる。流石のポーカフェイスも、この坂の前には苦の表情を貼り付けている。まぁただでさえ、左手には膨れたボストンバッグ持っているし、右手には茶トラの仔猫が胸元で優しく抱かれているからなぁ。

「俺はいつもエスカレーターを設置してほしいと切に願ってるんだけどな」

「ほんと、これがなければいい場所なんだけどね〜」

 俺も一葉もそれぞれ顔を合わせずに愚痴る。どこにいても元気のいい太陽のせいもあって、慣れている坂とは言え流石にげんなりする。

「……その仔猫、どうするんだ?」

 俺は坂道の苦痛が少しでも紛れるように口を開く。

「おばさんに頼んでみるわ。飼えるかどうか……」

「そっか。ペットがOKかNGかも聞いたことないし、それがいいかもな」

「聞いて頂戴!」と同調するように鳴く仔猫。元気よく花咲の胸元でもぞもぞと動き回る茶トラは、捨て猫とは思えないほど愛想がいい。

「そのネコちゃん、お名前はどうするの?」

 一葉が空いている右の人差し指で仔猫の鼻を軽くつつく。そんな些細な襲撃に、仔猫はくすぐったそうに顔を振っている。

「それについてはもう考えてあるのよ、この仔に合った素晴らしい名前がね」

 用意周到だな。飼う気満々じゃないですか。

「へ~、どんな名前?」

 宝くじの当選発表のようなわくわく顔を向ける一葉。

「この仔の名前は――――、」

 ドラムロールが鳴り響くような期待感。花咲のことだからきっと素晴らしい名前をつけてくれるに違いない。

「トラよ」

 思わずずっこけて坂道を麓まで転がり落ちそうになった。一葉も百枚買った宝くじが全部外れくじだったような表情を浮かべている。

「あら? どうしたの?」

「「いえ、なんでもありません」」

 やはりこのクールビューティーはどこか抜けている。


 危うく一からリスタートになるところだったが、ようやく急勾配を踏破して、俺たちの住むボロアパートへと帰ってきた。

『旅行は家に帰るまでが旅行』とはよく言ったもんだな。台風の中花咲おぶって上がった向こうの坂よりも、帰り道の花岡の坂道の方が疲れたほどだからな。まぁ前者は無我夢中だったから疲れを感じなかっただけかもしれないけど。

 花咲とはアパートの敷地内で別れ、俺と一葉は大量の荷物を部屋に置いてから、改めて夕飯のいい香りが立ち込めるおばちゃんの部屋へ訪れる。

 アヒルが首を絞められたような間抜けなチャイムを鳴らすと、キッチンが覗く窓の方から、「はぁ~い」とふんわりとした声が返ってくる。三日弱聞かなかっただけでも懐かしく感じるこの癒やし系ボイスはまさしくおばちゃんの声だ。

「あら~、おかえりなさい二人とも~! フタバちゃん、ミツバちゃ~ん、ハルちゃんとヒトハちゃん帰ってきたよ~!」

 ドアが開かれると、胸の前で手を合わせて、のほほんとした口調で嬉しそうに二葉と三葉を呼ぶおばちゃん。

「おおおお! ヒトハ、ハルキおかえりー!」

「……ぉ、おかえりなさい……」

 どたどたとことこやってきて、元気よく優しく出迎えてくれる二人。

 あ~、やっぱりいいよなこういうの。なんか幸せ感じるよな~。

「おう、ただいまフタバ、ミツバ」

 二人の形の異なる栗色頭に優しく手を載せると、くすぐったそうに眼を細めて笑う。

「ただいま~! 二人ともいい子にしてた?」

「おお~、してたぞ~! なぁ~ミツバ~?」

「……フタバはうるさかった……」

 一葉が居候の本人達に問うと、イエスの二葉とは対照的にノーの三葉。

「ミツバこらー! 二人に心配かけないようにしてたって言う約束だったろー!?」

「……そんなこと言ってない……」

「ミツバだってよくわからないこと何度も叫んでたじゃんか!」

「フ、フタバがうるさかったからだもん!」

 と言って、ぽかぽかと木魚のような音を出しながら小突き合いが始まる。

 とりあえず相変わらずで安心したよ。

 顔を見合わせてホッと一息吐く俺たちの代わりに、おばちゃんが優しく間に入って制して、

「良かったらお夕ごはん一緒に食べていかない~? 帰ってくるのこのくらいかな~と思って、作って待ってたんだよ~」

 と首を傾げてホイップクリームのような笑顔を向けてくるおばちゃん。そんな笑顔を貰ったら、どんな頼まれごともイエスマムです。

「良ければカホちゃんも呼んで~……ってカホちゃんのことはハルくんとヒトハちゃんには言っちゃだめなんだった~!?」

「おばちゃんそれもうとっくに手遅れだから」



 ◇◇◇



「ふ~! 腹いっぱいだ! やっぱおばちゃんの飯は最高だよ!」

「お粗末様で~す」

 食後のひと時。

 俺と一葉、それに花咲も加えておばちゃんの部屋で夕飯をご馳走になった。リビングで膨れた腹を引っ込めている中、一葉は進んで洗いものを担当している。おばちゃんの必殺「いいよいいよ~!」に負けじと粘って、ようやく洗いもの担当の座を手に入れていた。やはり、家賃免除で姉妹三人住まわせて貰っている手前、日頃の感謝の気持ちも強いのかもしれない。

「本当に良かったんですか?」

 そんな中、食後のお茶を一口含んでから、花咲が驚きと戸惑いが混じったような顔をおばちゃんに向ける。

「いいのよ~。うちのアパートにペットが来るなんてぜんぜん考えてなかったから、良いも悪いも決めてなかったしね~」

 おばちゃんは生まれたばかりの我が子を見るような眼で、よちよちと一生懸命に並べられた座布団の上を歩く茶トラの仔猫『トラ』を見つめながらそう言う。

「トラ! おいでおいで!」

「……こっち、おいで……」

「トラはミツバのとこになんかいかないよ~だっ!」

「うるさいフタバの方が恐がるもん!」

「なにお~!」

 その傍らでトラ争奪戦を繰り広げている二葉と三葉。肝心のトラはおろおろとどちらへ行けばいいのか迷った挙句、結局飼い主の胸元に逃げ込んだ。

「「……あ~」」

「ふふ、ごめんね」

 二人の落胆の声に、少し勝ち誇ったように微笑を浮かべる花咲。相変わらず「かわいい~!」とトラに視線がいく二葉と、そんな花咲の笑顔にほけーっと見惚れている三葉がとても対照的だ。

「その仔、捨て猫だったんでしょ~? すごい慣れてるもんね~」

 おばちゃんが、花咲の胸元に顔を持っていって、トラの顔を覗き込む。トラは「あなたはだ~れ?」みたいに首を傾げている。

「そうですね、拾っちゃうと、やっぱり懐かれちゃいますもんね」

「じゃあやっぱり、飼っちゃダメ! なんて言える訳ないよ~。……大事にしてあげてね~」

 おばちゃんは「よかったね~」とトラの首元を優しく撫でてやって、花咲に女神のような笑顔を向ける。その表情を見て花咲は俯いて、胸元の仔猫の額と自分の額をこつんとあてがう。

「…………はい。大事にします……!」

 神妙に眼を固く瞑る花咲はきっと、もう二度と離さないと心に誓っているのかもしれない。トラを自分と重ねて、同じ想いをさせないために。

 そんな花咲に、トラは何かを伝えたいように、花咲の鼻先をぺろっとひとつ舐めた。

「あー! カホずるいぞー! あたしもあたしもー!」

 その様子を見た二葉は、羨ましそうに花咲とトラに寄って行く。

 っていうかやっぱり呼び捨てかい。

 一緒に三葉も寄って行くと思ったが、何やら俺の顔を黒々とした綺麗な眼でじっと見つめていた。

「み、三葉どした?」

 困惑して問いかけてみるが、三葉は特に何も答えることもなく、ただひたすら俺の顔を凝視している。

 お、俺の顔に何か付いてるかな。

 そう思って、自分の顔の至る所を両手で触れてみるが、特に異物があるわけではなさそうだ。

 俺もじっと見つめ返してみる。

 水分を含んだ瞳は、瞬きをするごとに揺れている。どこか儚くて壊れてしまいそうで……。

 三葉がこんな眼を向けてくる時は、大体俺に何か重要なことを伝えたい時だ。

「――――あ、そういえば、明後日は花岡小の夏祭りだな~!」

 ぴんと来て、つい口に出してしまったが、どうやら当たりのようだ。

 顔の周りにお花畑が見えるような笑顔を見せ、うんうんと小さく頷いている。

「夏祭り?」

 花咲がトラを撫でながら、疑問の声を上げる。

「そっか、花咲はジモティじゃないからなぁ」

「麓の花岡小学校でね、毎年この時期にPTAが主催で夏祭りをやってるんだよ」

 俺が答える前に、洗いものを終えてリビングに戻ってきた一葉が、代わりに答えてくれる。

「小さいお祭りだけど、風流を感じられてすごく楽しいんだよ~」

 おばちゃんも一葉に洗いもののお礼を述べながら言う。

 最近行ってなかったが、小学校まではよく母親と一緒に行ったものだ。街のみんなで作るお祭りは、それは活気があって賑やかだ。あの様子にあてられれば、笑顔を取りこぼす奴なんているわけがない。

「そうだ、んじゃこのアパートの住人で行こうぜ」

 俺は何の気なしにそんな提案をしてみる。

「あ、いいねそれ! カホも行くでしょ?」

「そうね、興味あるわ」

 一葉も花咲もすぐに同意してくれる。

「おばちゃんも行くっしょ? 雄太のやつも一緒に……ってあれ? そういえば雄太は?」

「雄太は最近サッカー部に入部して、今も夜の練習に行ってるよ~」

 雄太がサッカー!?

 マジかよ最近で一番驚いたぞ。

「でもお祭りか~。最近じゃあ雄太とも一緒に行かなくなったし、久しぶりに行ってみようかなぁ~」

 おばちゃんもお祭りのあれこれを頭の上に浮かべているようで、眼を糸みたいに細めて、口許を緩めている。

 二葉の方を見ると、いつの間にか花咲からトラを分捕って、畳でごろ寝しながら戯れていた。

 まぁ二葉は絶対に付いて来るだろう。

「よーし、じゃあ明後日は皆でお祭りだー!」

『おー!』

 俺が珍しくも高らかに宣言して、皆もそれに同調してくれる。家族の温もりのような幸せに包まれて、俺の面倒くさい虫もどこかに逃げ隠れしてるようだ。

 ただ、この時俺はいつになく浮かれていたのかもしれない。

 この時、ここにいる誰もが笑っていると信じて止まなかった俺は、決して見落としてはならない一番大事な笑顔を失くしていたんだから。

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