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クローバー(3)  作者: ディライト
第2章
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第2章―(2)

 買い出しから戻ってきたあと、スケボーに行ったきり帰って来なかった筑紫と葵を除いて、四人でビーチバレーをして遊んだ。ただ、花咲とは言い争いになりかけたこともあって妙によそよそしかったし、一葉は一葉で何故かずっと睨んでいるしで、ボールは交えど会話が交わることはほとんどなかった。まさか旅行でこんなにも肩身の狭い思いをするはめになるとは夢にも思わなかった。


 太陽はそろそろ役目を終えて月にバトンタッチをするという頃、俺達はようやく戻ってきた筑紫と葵も交えて、バーベキューの下準備を始めた。

「ハルっちゃんよ〜……」

 リビングのキッチンで、俺が慣れた手つきで野菜を食べやすい大きさに切っていると、筑紫が一世一代の大勝負に負けたような顔で、俺の選んで買ってきた牛肉を持ってきた。

「おう、どうした。肉も切るか?」

「うん、頼む。それよりも聞いてくれよぉ〜!」

「なんだよ。そういやぁ、二人で帰ってきてから妙に元気なかったな」

「それなんだよ!」

 野菜を切りながら答える俺に、こなきじじいのように寄り掛かってくる筑紫。

「なんかあったのかアオイと? あと切り難いから寄り掛かるな」

「あったもあったさ濃ぃ〜ことが!」

 ふと葵の方に眼をやると、今は一葉と楽しそうに使っていなかった埃だらけの食器類を洗っている。

「アオイちゃんがさぁ、俺のスケボー超絶テクを見て魅了されたみたいでさ、あたしもスケボー乗ってみたい! って言ってきたんだ!」

「ほうほう」

 色々ツッコミどころがあった気がするが、とりあえずスルー。

「だから俺は言ったのさ、今のままじゃアオイちゃんがスケボーに乗られちゃうよってね!」

 映画の吹き替えでアメリカ人がジョークを言うときみたいな口調で身振り手振りを交える筑紫。

「そしたらなんて言ったと思う!?」

「さ、さぁ……」

 涙目で語る筑紫の表情は必死だ。

「なんていうか、筑紫くんの方がスケボーに乗られてるみたいだよね! ほしっ! みたいなこと屈託ない笑顔で言うんだよ!? どうさこれ!?」

 どうさと言われてもそうかと答えるしかないんだがな。あとほしっ! は流石に言わないだろう。

「もう、そのあとは血も涙もない言い争いの始まりさ! 帰ってくる頃には俺らの絆なんて春の桜のように舞い散ってしまったのさ!」

 夏に桜の比喩表現持ってこられてもなぁ。

「お前らも喧嘩かよ……」

「え? ハルっちゃんも誰かと喧嘩してんの?」

 やべ、口が滑った。

「ねね、誰と誰と?」

 筑紫はもぐら叩きのように、俺の左右からひょこひょこと顔を出してくる。同じ穴の貉を見つけたようで大変嬉しそうだ。

 くそ忌ま忌ましい。こんなことなら手が滑って包丁で指を切ったほうがまだ良かった。

「うっさいなー。花咲だよ花咲! ……と、ヒトハもかな…………」

 一葉に関しては心当たりが見当たらないのだが。

「マジ!? もしかして俺達と別れたあとなんかあったの!?」

「ああ、あったさあった! 濃ぃ〜のがな!」

 筑紫は何かを考えるように思案したあと、にんまりといやらしい笑みを浮かべながら、口許をセレブのように押さえて、

「うふ、しゅ・ら・ばっ」

 とハートが付きそうに可愛く答えて、バルコニーで卓上コンロの組み立てをしている佐久間の元へと跳ぶように帰って行った。

 なんて腹立つやつだあの野郎。自分の事を棚に上げやがって。結局愚痴を零したかっただけかよ。

 離れていく筑紫を睨んでから、俺は再び野菜を切る作業へ戻る。

 ふと花咲とのやり取りが思い出される。確か、同居を佐久間に言わないのがとか言ってたっけ。佐久間に言わないからといってどうだと言うんだ。別に俺と一葉はそういう関係じゃないし、いかがわしいことをしているわけでもない。ただ言わないのは、一葉が葵に言ってほしくないようだから黙っているだけだ。佐久間に言ったら、最終的には葵の耳に届くだろうということは容易に想像つく。花咲だって一葉が葵には内緒にしておいて欲しいと思っていることは知っている筈だ。

 だったら花咲はどうして……そんなこと言ったんだろう。

 答えの出ない思考は、頭の中で浮かんでは消えを繰り返す。もどかしい思いをただひたすらまな板に八つ当たりするように叩く。

「よっ! 切ってるかい!」

 急に俺の肩も叩かれびくつく。振り向くと、葵がハイビスカスのような笑顔を向けていた。

「びっくりしたなぁ。どしたアオイ?」

「そうなんだよ、聞いてよハルくん〜!」

 ハイビスカスが萎れて眉がハの字になる。

 な、なんか嫌な予感がするな。

「筑紫くんにスケボー教えてもらいたくて「それはさっき聞いた」

 なんとも似たり寄ったりな二人である。



 ◇◇◇



 各自の下準備を終えて、俺達は夜の神秘的なプライベートビーチを一望できる、海方向にり出したバルコニーに集まった。網盤のコンロの下で、ようやく炭がウォーミングアップを終えたのを確認して、俺達は一斉に肉やら野菜やら魚介類やらを炭の上に広げる。肉たちが一斉に香ばしい音を奏で始めるのを眺めながら、俺達は会話もなく無言を貫き通していた。

「あ、あれ? なんかみんなテンション低くないか?」

 唯一なんの問題もなく、問題どころかここまで最高の滑り出しを切っている佐久間が、全員の様子を見ながらおろおろとしている。ただひたすら佐久間を除く全員が肉の方しか見ていない。まるで今から闇鍋でもしようというテンションだ。

「筑紫や枝村までどうしたんだ! ムードメーカーのおまえたちが元気ないと、みんなどんよりするじゃないか!」

「ああーそうだなー」

「ホントだねー」

 佐久間が発破をかけるが、当の筑紫と葵は棒読みで答えて、二人は眼を合わせようとしない。喧嘩内容がかなりアホらしいが、この様子を見るとこりゃかなり重傷みたいだな。

「碧原もどうしたんだ? さっき四人でやったビーチバレーの時からなんか変だったけど、ハルキに泳げるようになったこと伝えないのか?」

「……今はいい」

 佐久間の呼びかけに、一葉は俺をちらりと一瞥するが、すぐにそっぽを向いてしまう。

 そうか泳げるようになったのか。けどそれをすぐに教えてくれないのはちょっとショックでかいな。

「花咲も! そんなところで座ってないでこっちでみんなで囲んだらどうだ?」

 佐久間の必死な爽やか笑顔に、バルコニーの入口でしゃがんで頬杖をついている花咲も、

「煙の臭いが身体につくから」

 と冷徹なハスキーボイスで一蹴。

 学校ではその夏の海より爽やかな笑顔を向ければ、だれもがついて来る反則的武器も、ここでは効力を失って通用しないようだった。最後に俺にSOSの眼を向けてくるが、目に見えて落ち込んでいる佐久間を少し不憫に思いながらも、俺は佐久間から目線を外した。

 それにしても、全員が集まるとこうなっちまうのか。下準備している時は喧嘩してない者同士で居ればいいわけだったが、皆が顔を突き合わせる場はそれはそれで辛い。

 あーもう、なんでこんな面倒臭いことになっちまったんだろうなぁ。わかるやつがいたら誰か教えてくれ。

 肉が焼ける音と、遠くから聞こえる波の音が、ひたすら哀愁を漂わせる。それぞれが考えに耽るように、溜息を吐く音も混じって、暗すぎるバーベキューは淡々と進んで行く。

「おーい、肉が焼けたぞー……」

 手持ち無沙汰になっていた佐久間は一人ほっとかれてた肉たちを裏返したりしていたらしいが、どうやらできあがったらしい。

 それぞれが仕方なくといった感じに、立ち上がると各々肉やら野菜やらを取って、また自分の定位置へと戻っていく。こんなんじゃ食べられる食材たちも、安心して大往生できないことだろう。

「みんな! どうしたのかは知らないが、楽しくやらないか! やっぱり旅行だしさ!」

 佐久間が声を張るが、全員がほぼ無視状態。花咲なんかその切れ長な鋭い眼で「うるさい」と言わんばかりに睨んでいる。それを見てしまって、どうやら佐久間のヒットポイントは完全に奪われたようだった。ショックを受けたようで、魂を抜かれたように口をあんぐり開けている。

 流石に不憫すぎるな……。八つ当たりもいいところだ。案外一番とばっちりを受けているのは佐久間だな。裏返して貰えない忘れ去られた肉のようだ。

「ごめんなさい。食欲ないから、私部屋で休んでるわ」

 花咲がお尻をはたいて立ち上がると、自分の分だけ食べた紙の皿を置き、ゆっくりとバルコニーから出て部屋へと戻って行った。

 特に誰も返事をすることもなく、全員が花咲を一瞥するだけに終わった。

 まるで葬式のようなテンションだ。

 そんな居辛い空気に耐え切れなくなってきた、その時だった。

 きっと神様は俺達のこんな様子を見て憤怒の形相を浮かべているのかもしれない。

「……今雷鳴らなかったか?」

 俺が呟くと、俺以外のみんなも気付いたようで、それぞれが空に視線を移している。

「あ……また……!」

 一葉が心配そうな面持ちで暗い空を見上げている。いつの間にか月の姿も見えなくなっていた。そういえばさっきから妙に風が強い気がする。そして感じる雨の前の独特な臭い。

「こりゃ一雨きそうだよっ!」

 葵が慌てたように、バーベキュー器具を片付け始める。その様子を見て、俺達も片付けに取り掛かる。

「サクマいつまで呆けてんだ! 片付けるぞ! 撤収だ!」

「はっ!? お、おう!」

 筑紫が佐久間の背中を叩いて、抜けかけていた魂を身体に戻してやる。

「げ! 降ってきたぞ!」

 来るときは急に来るな!

 上空では低音を鳴り響かせて、雨雲の到来を予感させる。

「やばい! 中に避難だ! 炭はそのままにしとけ!」

 俺達は片付けよりも身の安全を最優先に、リビングへとなだれ込んだ。

「雨降るなんて聞いてないよ〜」

 一葉が困った表情を浮かべる。

「テレビ点けてみよう。もしかしたら天候が変わったのかも……」

 俺は急いでテレビを点けると、丁度気象予報が伝えられているところだった。

「た、台風……?」

「なんで? 昨日の時点ではそんな予報してなかったのに」

 なんでも、唐突に発生した大型の台風が、速度を速めて予定よりもだいぶ早く来たらしいということはわかった。

「しかも質が悪いのが、今現在でまた速度を遅めて、この辺りで居座ろうとしてるってとこだな」

 佐久間が顎に手を当てながら眉間にしわを寄せる。

「おいおい、じゃあ明日一日ペンションで過ごすってこともあるのかよ!?」

 佐久間の向かいにいる筑紫が身を乗り出す。

「大型で遅まってるっていうからな。完全に過ぎ去るまではそうなるかもな」

「なんだよそれ〜! 折角の旅行なのによー! ……あ…………」

 筑紫は頭を抱えて叫んだが、何かに気付いたように顔を上げて、葵のほうへと眼を向ける。

「……折角の旅行なのにな。喧嘩してたってしょうがねえや」

 そう呟くと、すっと立ち上がって、葵の前へ向かい、

「ごめん!」

 と勢いよく頭を下げた。

「……え?」

 葵は急な筑紫の行動に驚いて、動揺している。

「あんな冗談に本気になっちまって、俺らしくなかった! ホントごめん! 俺、バカだし、得意なことっていったらスケボーくらいしかないしさ、ちょっといいとこ見せられるかもとか思ってたんだ! だからもうちょっと俺のスケボー乗ってるとこ見てて貰いたくてあんなこと言っちまったし、あんな冗談にも本気になっちまったっていうか……! ホントアホだよな……。意地張っちゃったっていうか! と、とにかくごめん!」

 筑紫が頭を垂れたまままくし立てる。筑紫が真摯に人と接しているのを初めて見るかもしれなかった。

 葵はおろおろとしながらも、筑紫の肩に手を置いて顔を上げさせる。そして、葵も筑紫に肖るように大きく頭を下げる。

「あたしの方こそごめんなさいっ! その……、ずっと怖かったんだっ! もう許してくれないんじゃないかって、冗談にもならないこと言っちゃって……。あたし、友達付き合いとかってまだよくわからなくて、どうやって仲直りすればいいかとか、ずっと考えてて……! と、とにかくあんな心ないこと言っちゃって、本当にごめんなさい!」

「ア、アオイちゃんが謝るこっちゃねえよ! あんなの俺が笑って流せばそれで良かった話なんだから!」

「ううん! あたしが、もっと筑紫くんの気持ち考えてたらこんなことになってなかったんだよっ!」

「いやいや! 元はと言えば最初に俺が葵ちゃんに失礼なこと言ったから!」

「それこそあたしが笑って流せば良かったことなんだよっ!」

「笑って流してたよ! その後の俺がアホだったんだよ!」

「違うよ! それであたしが余計なこと言っちゃったから……!」

 いつの間にか罪の被り合いを始めている二人。

「どっちだっていいじゃねえか。それだけ仲が良ければさ」

 俺が一つ息を吐きながら声を掛けてやる。

「む……」

「う……」

 二人は俺を横目で見てから、再び気まずそうに眼を合わせる。

「……また今度、スケボー連れてってくれるかい?」

「……お、おう! 今度は二人で滑ろうぜ!」

「うん! えへへっ!」

 二人は夏の太陽よりも明るい笑顔を向けあって、白い歯を見せ合った。

「なんだかよくわからないけど、とりあえず一件落着ってとこか!」

 いまいち事情のわかっていない佐久間が、平和を取り戻すことに成功した勇者のような笑顔を振り撒く。

「アオイと筑紫くん、いつの間に喧嘩してたの?」

 今だに状況を理解できていない一葉が葵の傍に寄って行く。

「もういいんだよっ! えへへ、やっぱり友達っていいよねっ!」

「? う、うん、そうだね!」

 一葉もよくわかっていない表情をしながらも、葵の心の底から嬉しそうな笑顔に同意していた。

「ハールっちゃん!」

 そんな微笑ましい様子を眺めていると、がしっと力強い勢いで俺の肩に腕を回してくる筑紫。

「なんだよ」

「あとはハルっちゃんだろ? とりあえず先ずはカホちゃんと仲直りしてきなって!」

「ば! 声がでかい!」

 制するのも時既に遅し。

「なんだいなんだい! ハルくんもカホと喧嘩してるのかい!」

「なんだよハルキ、早く仲直りしてこいって!」

 葵と佐久間も便乗して俺を煽る。その後ろで一葉が何やら驚いたような表情を向けている。睨む以外の表情を向けられたのは久々な気がする。

「ということで、ドーンッ!」

「わっとと!」

 急に筑紫に背中を押されて、俺はリビングから追い出される。

「カホちゃん連れて来てくれよ〜。これからみんなでトランプやるんだからよ!」

「いいなそれ!」

「やろうやろう〜!」

 口々にそう言って、俺はリビングから閉め出されてしまった。仕方なく俺は、一階の花咲の部屋へと足を向けた。

 仲直りったって、一体何について謝ればいいんだ。筑紫と葵のように、明確な原因ってのがないため、喧嘩というには少し違う気がする。ただ少し言い争いになって、曖昧な言葉を向けられて、気まずくなって……。

「もう一回、ちゃんと話し合うしかねぇか」

 そう一人で納得して、俺は花咲の部屋のドアを叩いた。

 ……返事はない。もしかしたら眠ってしまったのかも?

「おーい花咲ー? いないのかー?」

 失礼を承知でドアノブを回してみると、鍵は掛かっていなかった。そーっと中の様子を覗いてみると、どうやら部屋にはいないようだった。

「トイレかな?」

 そう思い立ってトイレへと向かうが、そこでも返事がなかった。

「まさかシャワー浴びてるんじゃ?」

 と思って、洗面所の方へと足を運んでみるが、やはりそこにもいなかった。

 別に少し覗けるかもとか思って行ったわけじゃないからな!

「? おかしいな」

 結局花咲の所在がわからないまま、リビングへととんぼ返りになってしまった。


「あれ? カホちゃんは?」

 既にババ抜きを始めていた四人の視線が俺へと向かってくる。

「いや、それが部屋にいないんだ」

「ええ? 眠っちゃったんじゃなくて?」

「ドア開いてて少し覗いてみたんだけど、花咲はいなかったんだ」

「じゃあ一体どこに?」

 葵も眼を丸くして首を傾げる。

「俺に聞かれてもな……」

「トイレとかにいるんじゃないか?」

 と佐久間。

「いやトイレも行ったし洗面所にも行ったんだが……」

「もしかして部屋間違えて、ヒトハちゃんかアオイちゃんの部屋で眠っちゃったんじゃねえか?」

 筑紫が揃ったペアを捨てながら言う。

「かもな。とりあえずみんなで手分けして捜そう」

「だね!」

「おう!」


 トランプは一度中断して、俺達は各々の部屋を覗く。自分の部屋を覗いてから不在を確認して、廊下に出る。ほぼ同時に筑紫と佐久間も出てきた。

「いないな」

「だな」

 お互いにいなかったことを確認する。まぁいつの間にか男子の部屋に侵入を企てていた花咲なんてのはいてほしくないから、少しホッとした。

 後は女子の部屋にいるかどうかだ。

 俺達は再び一階へと降りて、既に部屋から出ていた一葉と葵の元へ駆け寄る。

「どうだった?」

「いないよ……」

 葵が心配そうに視線を落とす。

「まさか……外に出たんじゃ……?」

 一葉が思い立ったように、窓の外へと眼を向ける。いつの間にか世界が反転してしまったかのように、うねりをあげて雨風を吹き荒らしている。夏の爽やかさに似合わない曇天が、悪い予感を増幅させる。

「嘘だろ? カホちゃんが俺達のそばを離れたあとすぐに降ってきたんだぜ? 外に出るなんてそんな無謀なことするはずないだろ?」

 筑紫が珍しく尤もらしいことを言う。

「ハルキ、カホの部屋は覗いただけ?」

「え? ああ、中には入ってないぞ」

 俺がそう言うと、一葉は花咲の部屋を開けて、中へと入って行った。と思えばすぐに出てきた。その形相はとても焦りを帯びていて、眼には涙を溜めていた。

「ヒトハどうした!?」

「…………カホが、カホが……!」

 力なく持っていた小さな紙を俺に渡し、一葉は顔を覆った。

『外に出てきます。すぐ戻ります』

 紙には綺麗な筆跡でそう綴られていた。

「な、なんでだよ!? この大荒れの中、外に出る理由なんて……! ――――ぁ」

 理由なんてない。そう言おうとした直後ふと思い立った。花咲が外に出る理由を。

 俺は玄関口へと足を向け、慌てて靴に足を突っ込む。

「ちょっとハルくん!? 何してるんだいっ!?」

「俺も出てくる!」

 葵の声に答えるように叫び、傘立てから乱暴にビニール傘を引き抜く。

「ハルキ正気か!?」

 佐久間が俺の腕を掴んで制止する。

「俺わかったんだ! あいつがこの雨の中、外に出た理由が!」

 俺は佐久間の手を振りほどいて、ドアを開いた。

 その瞬間、飲み込まれるような風が俺を襲ってくる。降りしきる雨も打ち付けるように俺の身体を痛め付けてくる。

「無理だってハルっちゃん!」

 外へ出ようとする俺に、筑紫が裸足のまま俺の元に駆け寄ってくる。

「無理だろうと、女の子が一人この雨風の中いるんだぞ! ほっとけるかよ!」

 筑紫の言葉もうっちゃって、走り出そうと決めた寸前、

「ハルキ!」

 一葉が不安を決心に変えたような表情で呼び止めた。

「カホを――おねがい!」

 その眼にはもう涙はなく、祈るような眼を向けていた。

 一葉がそう言うんならやるしかねえよな。一葉の泣き顔見るくらいなら、台風に飲まれたほうがマシだ。

「おう!」

 俺は台風を吹き飛ばす勢いで声を張って、悪魔が呼ぶような大荒れの森の中を走り出した。


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