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クローバー(3)  作者: ディライト
第1章
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第1章―(2)

 魔物の巣窟と化していた店長のサーフィンサークルのペンション。とりあえずは人が住める状態にしなければならない。ペンション内の様子見に玄関を抜け、リビングへ出て電気を点けると、全体的に埃掛かった内装が見てとれる。八人掛けくらいの大きなテーブル、リビングと向かい合わせのキッチン、大きめの液晶テレビが置いてあるところには絨毯が敷いてあり、その上には坐り心地の良さそうなソファーが占めている。全てがでかでか尽くしの中でも、壁一面に敷き詰められたような大きな八枚組の窓が圧巻だ。ただその窓は雨戸によって締め切られていた。

「お、ここじゃね? ビーチへの入口ってやつは!」

 筑紫が先陣を切って固まった窓を力強く開け放った。

『お、おおおおぉぉぉぉ……!』

 全員の感嘆の声が埃臭いペンションに響く。眼が眩むような光の後に、俺達の眼に入ってきた景色は、一面に広がる青空と地平線まで広がる透き通るような海、そして人の足跡も見当たらない光沢を放つビーチだった。そしてそれらを取り囲むように木々達が防衛線を張っており、この場所だけ俺達のために切り取ってくれたのかと錯覚するほどだ。

「きゃぁぁぁぁ! すごいすごい! 綺麗な海〜!」

 一葉が大ファンの芸能人に出会ったようなテンションでベランダに飛び出す。

「おおおお! まさにプライベートだねっ!」

 葵も一葉に続くようにベランダへ。

「うっひょー! 俺もうずっとここにいてもいいぜー!」

 と筑紫。海人うみんちゅにでもなれ。

「よし! 遊ぶためにも掃除をしてしまおう!」

 佐久間が腰に手を当てながら、ばい菌一つないような笑顔を振り撒く。

 お前その笑顔だけで掃除できるんじゃないか? きっとペンション内の埃も吹き飛ぶと思うぞ。

「そうね。早くやってしまいましょう」

 絶景に当てられたためか、花咲も珍しく乗り気に微笑を浮かべる。

 というわけで当初の計画から外れた大掃除が敢行された。このペンションは二階建てで、一階にはリビング以外に個人部屋が三部屋、それにユニットバスがついている。二階には個人部屋のみで四部屋あった。

「んじゃ部屋割は下が女子で上が男子ってことで!」

 筑紫がさっさかと部屋割を決めた。

 さてペンションの全体図がわかったところで、早速掃除に取り掛かる。まずは強敵の広いリビングを全員で片付ける。

「うぅわ、きったねー……」

 キッチンの掃除を担当することになった俺は、排水溝にこびりついた黒々とした得体の知れない物体をたわしで擦りながら呟く。

 一体いつから使ってねぇんだよここは……。もう清掃業者に頼んだほうがいいレベルだ。

「なにこの汚れ、落ちない!」

「うっわ! 変な液体が床に!?」

「すごいシミね……」

 リビング内ではそれぞれの担当場所で悪戦苦闘する声が上がっている。なんで俺達は二時間くんだりの場所まで来てごみ屋敷を掃除しているのだろう。きっと皆の心の中にも浮かんでいることであろう。

 そんな気持ちを口に出したい欲求を懸命に閉じ込めながら、俺は冷蔵庫を開いた。

「げっ! ゴキブリだ!」

 迂闊だった。普段家で出たなら即座に退治する自信があるのだが、なんと三匹もいやがったために、目移りしているうちに取り逃がしてしまった。

「そっち行ったぞ!」

「え!? きゃああああああああ!」

 俺の大声か、はたまた近くで掃除をしていた一葉の叫び声で反応したのか、黒くテカるそいつらは一斉に部屋内を飛び回り始めた。

「うおおおおおおおお! 気持ちワリイ!!!」

 筑紫が情けなく頭を伏せる。というかマフラーを堅守している。

「いやああああああああ! こっちに来ないでええええ!」

 あのクールな花咲も壁に張り付いて、ゾンビに襲われているような表情をしている。

「ハルくんハルくん! こんな時こそ殺虫剤だよっ!」

 葵は平気なようで、必殺技を出す勇者のようにびしっとポーズを決めている。

「あるのか! 殺虫剤!」

 心強い武器の存在を示唆した葵に喜びの眼を向ける。

「……ハルくん持ってるんじゃないの?」

「どこの世界に旅行に殺虫剤を持って行く奴がいるんだよ!?」

 呑気でアホな俺達を嘲笑うかのように、三体の黒い飛行物体は鈍い羽音を発てながら空中フォーメーションを形成している。夏のゴキブリは元気が良すぎて質が悪すぎる。地を這うだけなら未だしも空中殺法も繰り出してくるとかもはや手に負えん。

「みんな! とりあえずリビングからでるんだ!」

 佐久間が八枚組特大窓を開け放ちながら叫ぶ。その声に反応して、一葉と花咲と筑紫は一目散にリビングから飛び出していった。

「って!? リビングのドアを開けっ放しで行くなよ!?」

 最後に出ていったのは筑紫だ。

 ゴキブリまで逃げちまうじゃねえか!

 俺は急いでリビングのドアを閉めて、再びゴキブリと相対する。

「アオイも逃げなくて大丈夫か?」

「平気さっ! リビングの平和は私たちで守るのだよ!」

 地球防衛軍ならぬリビング防衛軍の三人は、身体を低くしながら、ゴキブリの動向を伺う。すると、ようやく二匹が窓から出ていってくれた。

「よし、あとは一匹だ! ここまでくれば勝ったも同然だな!」

 佐久間が立て膝を立てながら、相変わらず爽やかなかつ使命感に満ちた笑顔で、未だに飛んでいるゴキブリを眺めている。なんというヒーロー的表情だ。

「そろそろだな……」

「ああ……」

 佐久間と眼を合わせながら同じ思いを確認する。ゴキブリは飛んでいられる時間はあまり長くない。そろそろ奴は休憩タイムに入るはずだ。俺と佐久間はごみ箱に捨てられていた雑誌と新聞紙を手にする。ぐるぐると巻いて一点にパワーを溜める。

「ハルキ、そっちだ!」

 佐久間の声とほぼ同時に、俺の腕は空気を切り裂いていた。風船が割れるような音が響いた後、リビングの床では奴が粉々に砕かれて息絶えていた。

「おっしゃああああ!」

「いやったああああ!」

「ナイスだ、ハルキ!」

 歓喜の咆哮があがる。

 今、リビングの平和は守られた! 彼等の手によって……。ってんな平和はいらねえ! 俺は普通の平和が欲しいんだよ!



 ◇◇◇



 ゴキブリ飛来事件も無事解決。その後も小一時間ほどリビングを皆で掃除をして、午前十一時頃にようやくリビングが復元。次にそれぞれ自分の部屋の掃除を開始した。部屋の方は比較的綺麗で、そんなに力を入れてやる所もない。

 毛布類を干しに行こうとしていたら、俺の部屋のドアがノックされた。

「はいよ〜」

 俺が声を掛けてやると、開かれたドアの向こうでは葵が笑いを堪えられないという表情で口許を押さえ、肩を震わしている。

「ア、アオイ……、どした?」

 あまりに可笑しそうにしているので、俺も釣られて笑顔になる。

「――……ちょっと、っく、ハル……っくん、これ、見てっく、これ……くくっ!」

 吹き出る笑いにつっかえつっかえながらも言わんとしている事はわかった。手渡されたのは大きめの写真が入るようながく。裏返して渡されたため写真が見えない。俺は訝しいげに額を反転させて写真を見る。そこには、恐らくサーフィンサークルの集合写真であろうものが収まっていた。海パン姿の小麦色の屈強そうな十人くらいの男たちが、サーフボード片手に満面の笑みを浮かべている。

「……これの何がそんなに可笑しいんだ?」

「こ……この、一番っく、右端の、人…………あっははははは!!」

 そう言って空気を溜めに溜めていた葵の口はついに決壊した。腹を押さえてフローリングコーティングされた床で笑い転げている。

「右端……?」

 葵の言う通りに、写真の右端の男に視線を移す。

「ぶはっ……!!」

 思わず吹いてしまった。いや吹かずにはいられなかった。そこに写っていたのは、ぴっちぴちのビキニパンツに、隠しようもない弛んだ腹。他の男達よりも華奢な色白で、顎に立派な黒髭を蓄えた、紛れもないスーパー南田の店長の姿があった。いかにもファンキーそうなネックレスをして、にこやかなグッドサインをしている姿は、他の男達と比べてミスマッチと場違い感が半端ない。唯一救いなのは190を超える身長くらいだろうか。

「はぁ……はぁ、極めつけはこれ……だよ……っくく!」

 そう言ってまた笑い転げ始める葵。俺は一枚の小さな写真を受け取り、それを見て、

「ぶっ……わははははははは!」

 我慢できなかった。

 そこにはサーフボードを自分の足のように操り、玉虫色のサングラスを掛けながら波に乗る店長の姿が。その姿はさながらオーストラリアのサンタクロースだ。

「あはははは、それね私の部屋の……っくく、机の引き出しに……っふふ、入ってたんだよっ……うくく!」

「わはははは、こりゃ傑作だ! これ持ち帰って店長に見せたら割引してくれないかな?」

「ダメダメ、店長その自分に酔ってそうだもん! 逆に褒めたらいいんでないかいっ? ……くく」

「なるほど、セルフ割引券ゲットだなこりゃ……っぷ」

 暫く二人で笑い転げた後、葵はまだ掃除が残っているからと言って部屋を去っていった。

 ああ、やばい。まだ笑いが止まらない。……それにしてもあのネガティブ思考の店長がねぇ。今度生で見てみたいもんだ。

 店長の泣きそうな顔を思い浮かべながら、俺は再び掃除を進めていった。


 時刻も正午となり、掃除は一通り終了。綺麗になったリビングで、駅で買っておいた弁当を皆で突きあい、ようやく旅行の本番を迎えることとなった。要するにプライベートビーチデビューだ。

「じゃあ、私たちリビングで着替えるから」

 俺達はリビングから追い出され、そそくさと二階へあがる。

「ハルっちゃん、佐久間、ソッコーで着替えて出てきてくれ」

 鋭い視線を向けながら、筑紫が自分の部屋へと引っ込んだ。

 なんのこっちゃ……。

 俺は佐久間と首を傾げてからそれぞれの部屋へと戻る。

 早くも何も海パン履くだけだろう。

 結局三分と掛からずに二階の廊下に集まった。

「流石に海パンときにはマフラー外すのか」

「変態仮面ライダーみたいになっちゃうよそれ!?」

「いやぁ、あんまり後生大事に持ってるからさ」

 ようやく筑紫も夏らしい格好になってきた。

「そんなことより、行くぞ野郎ども」

 城に侵入を図ろうとする忍者のような目つきでと擦り足で動き出す筑紫。

「いや、行くってどこにだよ?」

「ハルっちゃん……! バカッ! ああもうバカッ! ホントバカだよこの子はっ!」

 三回も言わんでも。

「こんな時に行くって言ったら着替えを覗きに行く以外道はあるのかな!?」

「は、はああああ!? バ、やめとけって!」

「そ、そうだぞ筑紫! 早まるな!」

 筑紫の仰天発言に俺と佐久間は縄を縛ってでも止めようとする。

「このトンチンカン共! 旅行イベントでは鉄板の温泉という絶対的覗きポイントがない今、この着替えポイントを逃す手はないだろう! こういう男女入り交じった旅行では覗きはしなければいけないというのが相場で決まってるんだよ! というかもう逆に覗かないと失礼と言ってもいい!」

「どこの相場だ、どこの!」

「おまえら! この先の人生、あんな美人な娘たちと旅行へ行く機会なんてないかもしれないんだぞ!?」

 そんな大袈裟な。

「だったらいつやるんだ、今でしょー!」

 どっかのCMの売り文句じゃねえか!

「……そ、そうかもしれないな」

「はぁ!?」

 ぐりんと俺の首が回る。

 佐久間が何をトチ狂ったのか、筑紫の意見に同意し始めやがった。

「そうだろうそうだろう」

「そうだな……、今を楽しんだほうが絶対にいいもんな……」

 何かの怪しい宗教勧誘に引っかかってしまったように、佐久間はしきりに頷いている。

「佐久間眼を覚ませ! これがバレたらそれこそ旅行どころじゃ……、」

「ハルっちゃんも、見たいだろ……?」

 俺が佐久間の肩を揺すっていると、急に俺の横に筑紫の顔が現れた。

「な……! いや、俺は別に……、」

「見たくないとは言わせないぞ」

「……っ!」

 言葉に詰まる。確かに見たいか見たくないかと言われれば、それは勿論俺も健全な思春期真っ盛りの高校生男子であって、あんなどこ探しても見つからないような美人黄金トリオを前に……見たくないなんてことはないわけで、いやでもどうぜ絶対後々面倒ごとが待ち受けているに違いないんだから、わざわざ厄介ごとに首を突っ込むなんて俺の性に合ってないっていうか、覗くなんてそんな男らしくもない事をするなんて、というか一葉と一緒に住んでたって、一葉の風呂を覗こうとか、それこそ覗いたとか、不可抗力で裸の一葉と鉢合わせになったとかそんなことも未だかつてなかったことだし、一葉の裸は守られているわけだしいやだがしかしでも!

「行くよな?」

「行こう、ハルキ」

 二人の眼が据わっていた。



 ◇◇◇



「………しーだぞ」

 け、結局ついて来てしまった……。

 俺達はこっそりと玄関を抜けて外へ。裏へ行くと、キッチンの方の小さい窓がここに繋がっているのがわかった。

「ふっふっふ、抜かりはなしよ」

 筑紫は悪代官のようないやらしい笑みを浮かべながら、傍の草むらから大きめの丸太を引きずってきた。

「これをここに転がして、ほいっと」

 ぴょんとその丸太の上に乗っかると、ちょうど目線が窓の高さへと到達した。

「筑紫今日はキレてるな」

「あたぼーよ! このために旅行にきたと言っても過言ではない!」

 過言であってほしい事実だな。もはや下心しかない。

「ああもう、細かいこと気にするな。ほれ見るぞ。もう着替え終わっちまうかもしれないからな」

 筑紫のその言葉に、佐久間もノリノリで丸太に乗る。俺もハラハラとしながら丸太に足を掛ける。

「よし……準備はいいか? ちょっとずつ、ちょっとずつ開けていくぞ。抜け駆けはなしで、俺も下向きながら開けていくから、お前らも目つむってろ」

 筑紫が事前に窓の鍵を開けて置いたのだろうか、おもむろに窓は音もなく開いていく。

 こ、こいつ、できる! ほぼ音もなしにもう半分も窓を開けやがった! 筑紫には覗きの才能があるのではないだろうか。

「もう少し……もう少し……」

 ゆっくりと窓は開かれて、ようやく窓は全開した。

「よしいいか、俺達は今から誰も辿り着けなかったユートピアをこの眼に焼き付けようとしているんだ。全神経を集中させて、この眼に焼き付けるんだ。いいな、いくぞ! ……せーのっ!」

 筑紫の合図によって一斉に中の理想郷へと視線が集中する。

 ああ、男ってホントバカな生き物なんだなぁ。俺なんかあんなに反対していたのに……。ってあれ?

「……ん? いないぞ?」

「リビングで着替えるって言っていた筈だが……」

 中は忽然としていて、三人の姿はなかった。まるで狐につままれた気分だ。

「ユートピア、見れなくて残念ね」

「ホントだよ! 昨日からそのことだけで頭がおっぱい……いやいっぱいで夜も寝られ…………ってげぇ!?」

 筑紫が後ろで声がしたほうにアホな思いの丈をぶつけると、そこに居たのはしてやったりの冷徹な笑みを浮かべる花咲を先頭に、その後ろで真っ赤な顔で頬を膨らませる一葉と、腕を組みながら猫のような口を尖らせる葵の姿だった。

「な、な、な、なんで!?」

 彼女達はすっかり水着に着替えていて、それぞれ輝くような四肢を披露している。先頭の花咲は群青色のオーソドックスなビキニ。一葉は黄緑色のクローバーのワンポイントが入っていて、下が薄い生地のスカートのようになっているもの。葵はピンク色のスポーティーな水着だ。

「あなたたち、声大きすぎよ。特に筑紫くん。覗き以外に道はないとか? 覗かなければいけないと決まっているとか? 覗かないと失礼とか?」

 花咲が覗きは死ねみたいな眼でそう指摘する。筑紫は汗を滝のように流しながら苦笑いしている。

「もう! 皆サイテー! 覗きしようとするなんて!」

 一葉の言葉に石化したように固まる佐久間。

 それは一葉の可愛さに固まっているのか、サイテーと言われてショックを受けているのかどっちだ?

「カホの姉貴ぃ、こいつらどうしやすかぁ?」

 葵がどこかのヤクザ映画よろしくボスっぽい花咲の耳元で声を掛ける。

「うふふ、そうね、生き埋めなんてどうかしら?」

「え!? ちょっと本気カホちゃん!? っていうか待って! 俺らまだ何も見てないよ!」

 筑紫が往生際悪く口答えしている。

 残念だが筑紫、未遂でも罪に問われるんだぞ……。

「「「問答無用!」」」

「「「いやあああああああああああああ!!!」」」





第1章――完

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