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クローバー(3)  作者: ディライト
番外編 "ひと夏の風の知らせ" ~三葉SS~
11/14

前編

 じっとしていても全身に汗が噴き出てくる。

 蝉が喧しい真夏の昼過ぎ。

 ボロアパートの他より少し間取りの広い大家宅で、少し首元が暑苦しい栗色右肩おさげの三葉は、生暖かくなった畳の上で女の子座りをしながら、ただひたすらボーッとしていた。三葉の視線から左斜め前に位置する扇風機が懸命に首を振っている。

「…………ぁ」

 三葉の口から、溜息にも似た声が零れる。自分の方に向いていた扇風機は、少量の涼しさを残して、直ぐにそっぽを向いてしまったからだ。

 その扇風機が首を向ける先には、二人仲良く据え置き型体感次世代ゲーム機Weeに勤しむ栗色ショートカットの三葉の二つ上の姉、二葉と、大家の一人息子の中学一年生、雄太の姿があった。

「やったー! ストライクっ!」

「さすが二葉さん、天才っす!」

 溶けるような暑さの中、二人は飽きもせずWeeスポーツのボウリングを楽しんでいる。二人が体を動かしているせいか、部屋に充満する熱気が凄まじい。

 もう一度扇風機が三葉の方へ向き直る。

 その風を受けるように、三葉も扇風機の方へと顔を向ける。

 目元に掛かる少し長い前髪が上へと持ち上がると視界が開けて、扇風機の更に奥にある、窓から差し込むしつこい太陽光が眼に入ってきた。

「…………っ、眩しい……」

 その光を嫌がって、三葉は再び前でボウリングのフォームを繰り出しながら笑い合っている二人に眼を向けた。

「…………どっちも、眩しいや……」





『“ひと夏の風の知らせ” 〜三葉ショートストーリー〜』



 前



「ん〜? ミツバなんか言ったかー?」

 二葉は気持ち良く流す汗を飛ばしながら、後ろで観戦しているだろうと思っている三葉へと振り向く。

「…………別に」

「ちょっとちょっと二葉さーん! 俺の華麗なフォームを見逃さんでくださいよぉ!」

 三葉がつまらなそうにそっぽを向くのと同時に、今し方投球を終えたばかりの雄太がわざとらしい涙を浮かべながら訴える。

「おーごめんごめん! 全然みてなかったー!」

「そこは見てなくても見てたって言ってほしいっす!」

「うん、見てたぞー! 雄太のスプリット!」

「もはや興味すらない!?」

 雄太は頭を抱えて畳に平伏している。画面にはゴシップ体で踊るストライクの文字。どうやら初のストライクだったらしい。

 と思えば、すぐに立ち直ったらしい雄太は、三葉にコントローラーを差し出して、

「三葉さんもやります?」

 と言って、暑苦しい笑顔を三葉に向けてくる。

 これも二葉へのアピールなのだろうか。

 そう思うと、どうにも意固地になってしまい、三葉は俯いて首を横に振ってしまう。

「うーん、そうすかぁ……?」

「いいのいいのミツバは! どうせへたっぴなんだからなー!」

 そんな様子を見て、二葉は悪戯な表情で胸を反らし、いつもの如く突っ掛かってくる。

 普段ならば、ここで一つや二つ言い返しているところだ。二葉もそれを解っているから。

 しかし、今の三葉はそんな気分になれなかった。暑さから来る倦怠感からとか、無駄な汗はかきたくないとか、そういうものではなくて。

 結局三葉は言葉にできない歯痒い想いを、突き刺すような目線に込めて、二葉の隣にいる雄太を睨んでやった。

「ええ、俺!? 俺なんかしましたか!?」

「あははー! 雄太嫌われたなー!」

「この流れでなんで!?」

 好き勝手笑って、二人はまたテレビ画面へ視線を戻す。三葉は自然と出る溜息と同時に立ち上がった。一度振り向くと、二葉と雄太は三葉の行動にも気づかず、再び画面に釘付けになっていた。


 三葉はまた大きな溜息をつきながら台所へと向かった。そこではこのボロアパートの大家で、雄太の母親でもある通称“おばちゃん”が、丁度大きなスイカを切り終えて、四枚の皿に分けている所だった。おばちゃんは背後の三葉に気づくと、側に掛けてあったお手拭きタオルで手を拭いてから、柔らかそうな笑顔を向けてきた。

「あら〜、三葉ちゃんどうかした〜?」

「……ぁ、あの」

「ん〜?」

「…………約束、しているので……遊びに行って、きます……」

「あらら、そうなの〜? 折角スイカ切ったんだけどな〜」

 おばちゃんは少し残念そうな笑顔を浮かべながら首を傾げる。

「……ぁ、ごめんなさい」

「ううん、いいのよ〜。三葉ちゃんの分はラップで包んで冷蔵庫に入れて置いておいてあげるから、気兼ねしないで遊びに行ってきて〜?」

 おばちゃんは最後に白く唾の広い帽子を被らせ、門限を五時に指定して、三葉に手を振り見送った。


 外に出ると、これまたサウナのような暑さが身体を包み込む。

 三葉は顔をしかめながら、ボロ階段を下りて、通学路である下り坂へと歩を進めた。

 遠くを見ると、陽炎が立っていて、ゆらゆらと揺れ動いている。

 どうしてぼやけているんだろう。私の眼が悪くなった? 違う。部屋でテレビを見ていても不便に感じることなんてないのに。

 そんな不思議に頭を悩ませながら、三葉は木々に囲まれる下りの急勾配を、傾斜に身を任せながらひたすら歩を進める。目指す先は麓の小学校だ。


 本当は約束なんてしていなかった。ただあの場所にいると、なぜだか胸がモヤモヤしたりチクチクしたり、どうしようもなくドキドキしたり、とてもじゃないが安らぎなんて得られる場所ではなかった。何故かなんてわからない。でもとにかくあの空間にはいたくなくて、咄嗟についてしまった嘘だ。

 とはいっても、こんな状況を作り出してしまった原因は自分にある。

 春樹と一葉の旅行を了承したのも、いつもお世話になってるから……なんてものは建前であって、本音は前からずっと楽しみにしていた夏祭りに一緒に行ってもらうための口実。そのせいで、今はどこか歯痒い想いをしなければならなくなってしまった。夏祭りに想いを馳せていれば、春樹と一葉のいない三日間くらい、大丈夫だと思っていたのだけれど。

 三葉はまた一つ大きく溜息をついた。

 自分の気持ちを真っ直ぐに伝えられない自分の性格は嫌いだ。いつもネガティブなシーンばかりが思い浮かぶ自分が大嫌いだ。

 三葉は心の中の弱い自分にそう吐き捨てながら、小さな歩幅を速めた。


 麓に降りるとすぐにT字路に差し掛かる。そこを左に折れると、たんぼの間を通る舗装された道路に出る。そこを暫く色々な種類の蝉の大合唱を聴きつつ、じりじりと焼き付ける青空に見守られながら歩いた後、程なくして麓の花岡小学校まで辿り着いた。

 現在は夏期休暇のため、当然ながら人っ子一人いない。活発な子たちが校庭でサッカーでもしていると思ってはいたが、そんな声も聞こえてこない。

 ただ当てもなく来てしまったが、このまま引き返すのも憚られたので、まだ緑色に塗られたイチョウの木が並ぶ、校庭へと続く砂利道を進んだ。

 そういえば改装工事がはじまるんだっけな。

 学校の校舎は、PTA主催の夏祭りが花岡小で行われた後、直ぐに本格的に改装工事に取り掛かるらしい。既に校舎周りは鉄パイプで組まれ、完成予定日やらが書かれたビニールシートが被せられている。

 そんな校舎を眺めながら校庭へ進むと、辺りはとても閑散としていた。休業中の学校は、まるで全ての人に忘れ去られてしまったようだ。そんな様子もさほど気にせず、三葉は直ぐにある場所へ足を向けた。三葉の視線の先には、校舎からはかなり離れた所に位置している滑り台がある。それは他の遊具と違い、敷地を囲むように広がる桜の木の日陰に、申し訳程度に設置されている砂場とともに存在していた。


 刹那、一つ撫でるような風が、三葉の周りを吹き抜けた。

 校庭の砂が舞って、三葉は一瞬きつく眼をつむった。

 そして風が止んだのを感じて、ゆっくりと眼を開けると、砂場の沿石に腰を下ろす少年を見つけた。

「あ、三葉ちゃん」

 少年は三葉の存在に気づくと、立ち上がりながら透き通るような声で三葉の名を発した。

「こんにちは、どうしたの? 学校はもう休みに入ってるよ?」

「……希望のぞむくんだって」

「あはは、それもそうだよね。遊びに来たの?」

「……たぶん、そんな感じ」

 三葉は帽子の長いツバから覗き込むように少年を見た。

 少年の名は、風間希望かざまのぞむ

 以前、三葉が学校に宿題のプリントを忘れて、春樹と一緒に自転車で取りに行ったときに、友達になった同学年の男の子だ。花岡小学校は二クラスしかないが、顔見知りではなかったため、別クラスなのだろうと三葉は思っている。

 あれ以来何度か放課後や休みの日などに会っているが、校舎内ではいまだに見かけていない。三葉が休み時間に教室から出ないということもあるのだが。

 少年は茶色いキャスケットを被っており、柔らかそうでふわふわな黒髪がサイドと襟足から覗いている。服装はフード付きの茶色いパーカーにジーンズ姿だ。

 少々薄いが、甘く綺麗に整っている顔で朗らかに笑うその様子には、なんらかの癒し効果が含まれているに違いない。

 三葉の心の中にも、自然とシャボン玉が浮かんできた。

「……希望くんは、砂場……好きなの?」

「そんなことはないかな」

「……じゃあ、滑り台?」

「そうでもないかも」

「……いつも、ここにいるイメージ」

「うーん、そうだね。……ここは日陰だから」

 希望ははにかみながら、再び砂場を形成する沿石に腰を下ろした。

 確かにこの砂場は日陰だ。グラウンドに沿うように設置されている他の遊具とは違い、隅っこにポツンと設置されている滑り台と砂場は、学校の敷地を示すフェンスのすぐ手前に置かれている。

 だから、フェンスに沿うような桜並木の恩恵を受けてとても涼しい。

 ここだけ避暑地になっているようだ。

 三葉もややあって、希望のすぐ隣に腰を下ろした。

「あ、三葉ちゃんそこ、カナブンがさっき止まってたよ!」

 希望はふと思い出したように三葉の腰掛けたところを指差し、慌てた表情を浮かべる。

「え!? ウソ!」

 三葉は慌てて、尻を押さえながら立ち上がり、自分の座っていたところに目線を移す。しかしそこには潰された虫の形跡なんかはない、綺麗な沿石があるだけだった。

「ウソでしたー」

 ともすれば、希望は頭の後ろを掻きながら、少し申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。

「ええ? も、もう! 希望くんのバカ!」

「あはは、ごめんごめん」

 耳まで真っ赤にしてポカポカと肩を叩く三葉に、避けるように体を引きながら笑う希望。しかし不思議と三葉の罵倒から負の感情は受けない。

「やっぱり春樹さんの言った通りなんだなぁ」

「……ハルキが、どうかしたの……?」

「なんでもないなんでもない」

 希望は、まだ恥ずかしそうに口を尖らせている三葉の赤い顔を見ながらごまかした。

 なぜなら三葉と初めて出会ったときに、春樹からご教授いただいた三葉との接し方マニュアルを初めて実践してみたのだから。なんて言えるわけない。

 といってもポイントは一つなのだが、それがなかなかどうして難しい。

 希望は三葉とはもう何度かお話を交わしてはいるが、流石にすぐさま冗談を言えるほど、軽い性格ではなかったから。

「あ、そういえば、春樹さんは一緒じゃないの?」

 慣れないことをした緊張を隠すためか、希望は話題を変えることにした。

「……うん、今旅行、行ってるから」

「三葉ちゃん置いて?」

「…………うん」

「だって家族じゃないの?」

 希望の容赦ない問いかけに、三葉は一段また一段と目線を落とす。無垢、というのも時に残酷なものである。

 しかしこの年齢の子であれば、旅行は家族全員で然るべきと思うのは自然なことであろう。

「……え、じゃあ今三葉ちゃん家に一人?」

「…………うんん、今はおばさんの家に、その……姉と二人で……」

「あ、お姉さんいたんだね」

「うん……、でも、なんか居辛くて……」

 三葉は良くも悪くも素直な希望の眼をちらりと見ると、やはり少年の吸い込まれそうな琥珀色の瞳はしっかりと三葉を捉えていた。

 家族と春樹以外では初めてだった。こんなに真っ直ぐに自分に向き合ってくれる人は。思っていることを上手く言葉にすることができない自分を、疎ましく思わないこの少年に、どこか安らぎを感じている自分がいる。

 普通の人から見れば言葉少なに思えるかもしれない。しかし三葉にとってはすごくすらすらと、思い思いのままに言葉を吐き出せている。自然なままでいられる。

 それはきっと、今の自分に足りていなかったことだとわかってた。

 失いかけているものだとわかってた。

 だから、自然と、ここ(・・)に足が向いたのかもしれない。

 安息の地を探しさ迷う冒険家の如く。

 そんな三葉の想いも露知らず、希望はうんうんと顎を摘みながら唸っている。

「じゃあ三葉ちゃんは今、すっごく寂しいってことだ!」

 希望は名案を閃いたと言わんばかりに、人差し指を立てながら言った。

「――! そ、そんなことないもん!」

「いーや、そうだよ、間違いない」

「違うもん!」

「絶対そうだって」

「も、もう! 希望くんのいじわるっ!」

 身を乗り出して否定してきた三葉は、涙目になりながらそっぽを向いてしまった。

 少しからかいすぎたかな……?

 希望は春樹に「加減が難しいです」なんてテレパシーを送りながら、「でも、」と話を続ける。

「寂しくなきゃ、わざわざ休みの日に僕のところになんて来ないんじゃない?」

 その言葉に、三葉は再び希望の方へ振り向いた。反射的に。

 三葉はどこかくすぐったい気持ちでいっぱいになった。表現しきれない気持ちを覗かれているような、引っ込み思案な自分のことを理解してくれているような。

 顔が赤くなるのがわかる。きっと耳まで真っ赤だろう。

 他人に弱さを見せるのはすごく勇気がいることだ。笑われるんじゃないかって。馬鹿にされるんじゃないかって。

 でもそんなことは、目の前で自分に向けてくれている、何でも溶かしてしまいそうな優しい笑顔の前では杞憂だった。

 だから、三葉は小さく頷いた。少し照れ臭そうに、真っ白な帽子を押さえ、控えめにはにかみながら。

 そんな汚れの見当たらない真っ白な笑顔を向けられて、希望も面食らってしまった。

「……そっか」

「……うん」

 なんとなく眼を合わせるのが恥ずかしくなって、二人は陳腐な二の句を口にしながら、砂場に眼を落とした。

 暫く静寂が二人の間に落ちる。

 二人の考えていることは大体同じだ。


 “あんな笑顔、ズルイよ”と。


 希望はすぐに持ち直して、三葉の方には向かずに口を開いた。

「じゃあさ、寂しくなったらここにおいでよ」

「……え?」

 三葉は希望の方へと振り向く。

「僕はいつでもここにいるからさ」

 希望はそのまま立ち上がり、滑り台へと向かい階段を駆け上がった。

 滑り台の頂上で太陽を背負いながら笑う希望は、三葉の眼にとても輝いて見えた。

 それは間違いなく、太陽の漏れる光のせいなんかじゃなかった。

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