第9章「老神の企み」
神国神殿本殿から離れた、神域の深くに「奥の院」の
建物はあった。
建物の地上部分は、院に属している者達が使用してい
る研究施設や休息の為の場所になっており、各自がめい
めい独自の研究を行っていたのだった。
「奥の院」の地下の大広間で、ゼバエノと呼ばれた老
神・・彼もまた、その施設の一つで自らの研究に励んで
いた。
『神々の森と、その周辺の森林の破壊』
『虚空の表層より召喚した魔獣の一覧』
そう題された資料が立体映像となって、ゼバエノの周
囲をゆっくりと回転していた。
「あれから百二十年か……。また魔獣を召喚すべきか、
もう少しほとぼりを冷ますか……。」
精巧な人形の様に目の前に並ぶ魔獣の立体映像を一つ
ずつ眺めながら、ゼバエノは溜め息をついた。
ゼバエノの視線は、一つの魔獣の上に注がれていた。
蛇の様に長い体は、脂ぎった虹色の光沢を放つ鱗を纏
い、その背からは八本の触手が伸びていた。
それは、百二十年前・・ロウ・ゼームが「神々の森」
で戦った魔物だった。
ゼバエノは机の上の小さな水晶玉に指を触れ、コンピ
ュータに音声で命令した。
「現在のシエゾ地方のレイラインの様子を。」
光線が部屋の四方から飛来し、ゼバエノの眼前に「神
々の森」からシエゾ地方・・シーボームにかけての立体
地図と、その地域の地下と地上とを流れる光の筋を描き
出した。
土地神ランタの主導する乱開発により、シエゾ地方は
シーボームの町を中心に、虫食いの穴の様に森林の消失
した部分が出来ていた。
レイラインを示す光線の流れの内、北方から南下する
幾つかの筋はシーボームで途切れ、或いは他の方向へと
ねじ曲がっていた。
「何とかレイラインが乱れた様だのう。」
ここ数百年の苦労を思い返し、ゼバエノは満足げな笑
いに唇を歪めた。
犯罪者達を操って放火させた事もあった。テロリスト
を唆して森を爆破させた事もあった。
百年から二百年おきに事故に見せかけて次元の穴を虚
空に向けて開き、そこの魔獣を地上に召喚した事も・・
全て、「神々の森」とその周辺のレイラインの流れを乱
す為だった。
今回は田舎の村に開発工事を行わせ、レイラインを乱
す事に成功したのだった。
そこ迄してレイラインを乱すゼバエノの目的は・・・
「・・ゼバエノちゃぁん!愛しの魔神ちゃんには、会え
そうかぁいっ!?」
突然、甲高い、しかし嗄れた老人のおどけた声がゼバ
エノの研究室に飛び込んで来た。
ゼバエノが不快そうに眉を寄せて振り返ると、ひょろ
っと体の長い禿頭の老神がにやにやと笑いながら、扉の
向こうから現れた。
その後ろに、青いマントの神や、何枚もの翼を持つ神
など、「奥の院」の何神かが続いて研究室へと入って来
た。
「名前も忘れられたヌマンティアの創りし魔神、か。復
活の為の研究は順調か……?」
青いフードが目深に被さり、僅かに口元のみが覗く青
いマントの神の視線を感じ、ゼバエノは立体映像の前か
ら体をどけた。
青いマントの神の目は、「神々の森」の立体映像に向
けられていた。
「全く御苦労な事よな。」
「大した研究じゃて。」
青いマントの神の周囲で彼等は口々に感心の言葉を述
べながらも、それには何処か、嘲りの響きが含まれてい
た様だった。
「奥の院」の者達には、互いを何処か敵視し、他の者
の研究には嘲りと侮蔑を向ける傾向があった。彼等には
他者と協力して研究を成し遂げるという考えが欠如して
いたのだった。
「これが魔神だな。」
青いマントの神が立体映像の前に近付いた。
「神々の森」の立体映像・・その地下数千キロの深部
迄が再現された中で、卵か繭の形をした生物がレイライ
ンの流れの中に晒されてうずくまっていた。
画面の一隅に光る縮尺表示が、その卵の実際の大きさ
が一つの山程もある事を示していた。
「ひーひひひひっっ!全く以って古い古い話じゃねい!
この魔神が「神々の森」に封印されてから何年経ったか
のいっ!?」
先刻の禿げ頭の老神が、狂気の感情を連想させるけた
たましい笑い声を上げ、両目を剥いた。
太古の昔、ヌマンティアの神々が地上から追放された
後、「神々の森」の地下にこの魔神は封印された。
魔神が何という名前で、どの様な姿や力を地上に表し
たのか、それはもう誰も知らない事となってしまってい
た。
ゼバエノの研究によると、封印は、「神々の森」に集
束する強く濃密なレイラインのエネルギーの流れに晒す
事で、魔神の体を少しずつ崩壊させていく事が目的なの
だという。何万年か、何億年かの内に魔神は消滅する予
定だった。
魔神の体の崩壊を止め、復活させる為には、まずレイ
ラインの流れを乱さなければならなかった。
「魔物を召喚したりぃ、事故を装ったり!苦労したのお
っっ!!」
不快な老神の笑い声を制し、青いマントの神はゼバエ
ノの方を向いた。
「お前の夢は、レウ・ファーが叶えるだろう。」
その言葉に、ゼバエノは訝しげな表情を浮かべた。
「レウ・ファーが、ですかの?」
ゼバエノの言葉に青い神は頷き、片手を上げてゼバエ
ノのコンピュータの計算に介入した。
すぐさま、立体映像の中に、「神々の森」のレイライ
ン集束点から噴出する巨大な矢印と、幾つかの数字と文
章とが書き込まれていった。
「・・レイライン集束点から一気に大量のエネルギーを
抜き取る方法・・確かに、これならばレイラインは乱れ
るどころか、一時的に消滅しますの。即座に封印を破っ
て魔神を復活させる事も可能……。」
ゼバエノは感心した様子も無く、半ば唸る様に言葉を
発して腕を組んだ。
「わしとて、この様な理論は研究当初に完成させており
ますぞ。しかし、そんな事をすれば、目立ち過ぎるし、
何より吸い上げたエネルギーは一体何処へ?」
恐れを感じつつも、試すかの様にゼバエノは、青いマ
ントの神を横目で見た。
神国の名誉機関「奥の院」・・そこに名を連ねる各界
の実力者達が、禁断と恐怖の研究に手を染めている。そ
んな情報が外部に漏れる様な事は、絶対にあってはなら
ない事だった。
ゼバエノ達はそれ故、研究の為の行動の一切を秘密裡
に行い、情報の操作や隠匿は常に行われていた。互いに
反目し合う「奥の院」の者達も、秘密の厳守については
徹底していたのだった。
「レイライン集束点一つが枯渇する程の量のエネルギー
……。扱いを一つ間違えれば、神州大陸一つ位楽に消し
飛びますぞ?」
ゼバエノの問いに、青いマントの神は、
「だから、その為にレウ・ファーが居るのだ……。」
その答えに、ゼバエノは青ざめた。
「奴に、そのエネルギーを吸収させるおつもりか…?」
微かな震えを含んで発せられたゼバエノの言葉には答
えず、青い神はマントを翻して背を向けた。
不意に、ゼバエノからは興味が失せたかの様に、彼は
研究室の扉へ歩き始めた。
「奴は、前にも言った様にレイライン集束点の占拠に動
き出した。それによって魔神の復活も出来よう・・。」
それだけを言い残し、青い影は一瞬揺らめいた。翻さ
れるマントの裾と音の余韻を残して、その姿は掻き消え
てしまった。
他の者達もそれに続いて、わいわいと騒ぎ立てながら
次々に研究室を出て行った。
「ふん!・・レウ・ファーか。まあいい……。わしはわ
しのやり方でやるわ。」
自分の研究を理解しない者達へ侮蔑の呟きを漏らし、
ゼバエノは再び、「神々の森」の立体映像へと向き直っ
た。
◆
背負い袋一杯に苗を採集して、ヒロトは流石に疲れた
足取りで家に戻って来た。
既に日は傾き、森の木々の間に茜色の光が広がってい
た。
祖父から弱い性質と聞かされていたルテシオの花も、
工事現場から少し離れた場所に逞しく生き残っていた。
ヒロトは生け垣の入り口をくぐると、その苗の詰まっ
た背負い袋を重そうに玄関に下ろした。
「随分とあそこも変えられてしまったのだな・・。」
袋の口から覗くルテシオの葉を見下ろしながら、ゼー
ムは今日見たガニュモの森の変わり果てた様子を思い返
していた。
「戻ったか、ヒロト。」
疲労に痛む肩をヒロトがさすっていると、玄関からセ
デトが段ボール箱を抱えて出て来た。
「戻ったばかりですまんが、これから町へ荷物を出しに
行くぞ。夜には船が港に着くから、ちっと急ぐぞ。」
セデトは慌ただしく箱を玄関先に積み上げ、裏庭から
古びたリヤカーを引っ張り出して来た。
ゼームがふと箱に目を落とすと、世界各地の植物園や
種苗会社の研究農場などの宛て名が、船便用のラベルに
書かれていた。個人名はセデトの知人の学者や園芸家の
ものだろう。
箱の中身は、今迄採集した植物の苗だった。
ヒロトは嫌な顔一つせず、荷物をリヤカーに積み込む
のを手伝い始めた。
「ルテシオはどうするの?」
ヒロトの問いに、セデトは新たな空き箱と密閉できる
ファスナーの付いたビニールパックを家の中から持って
来た。
「ルテシオは低温処理をして送るんじゃ。もう、ポット
に植えて定着させる時間も無いしな……。」
セデトはそう言って、手早く苗をパックに放り込み、
ドライアイスと共に箱に入れた。宛て名ラベルは「冷蔵
用船便」の物が箱の上に貼り付けられた。
荷物を積み終わり、リヤカーを引いて外へ出るセデト
に、ゼームは後ろから問い掛けた。
「ここから町迄どの位だ?」
「三十分位ですかな。荷物も重いし……。町に着けば、
夜になってしまうでしょうな。」
セデトの答えに、ゼームはゆっくりとリヤカーの後ろ
を歩き始めた。
「そうか……。私も町迄行く。・・明日の事を、町の人
間達に告げておかなければな……。」
ゼームの言葉に、セデトの表情は心なしか曇った様だ
った。
明日、この土地一帯はゼームによって活性化された植
物に沈められてしまう。・・活性化される植物がある一
方で、競争に敗れて枯死していく植物もある・・。
セデトの悲しみは、そうした植物に向けられていた。
神の力の迫る前に、人間であるセデトに何が出来るの
か・・。
セデトは、今自分が運んでいる荷物の重さを噛み締め
た。リヤカー一台に溢れんばかりに積み上げた箱は、セ
デトが今迄集めた苗の一部でしかなかった。
その全てを運び出す事は出来ず、性質の弱い種類や株
の数が工事で減らされた種類を優先して発送する事にし
たのだった。
人間であるセデトに出来る事・・そのささやかさに、
誇らしさと悲しみの入り混じった感情を抱きながら、セ
デトはリヤカーを引く腕に力をこめた。
◆
ゼーム達がシーボームの町の港に着いたのは、日が沈
んでからかなりの時間が過ぎていた。
港の前の公園に差しかかると、丁度、定期便が入港す
る様子がゼーム達の目に入った。
「やれやれ間に合った……。」
セデトは公園を通り抜け、ヒロトと共にリヤカーを引
いて「船便受け付け」の真新しい看板のある建物へと向
かった。
「・・私は、公園で待っていよう。」
「はい。では後で・・。」
ゼームはセデトとヒロトに言い残し、作業員が忙しく
行き交う港を後にした。
ランタの開発により急激に町並みが変わったといって
も、港そのものは規模も出入りする船の数も、以前とは
さほど変わってはいなかった。
ゼームの記憶と比べて、舗装や建物が新しくなり、港
の前に公園が出来た事位だろうか。
田舎町の事でもあり、既に夜も更けたこの時間、公園
の近くにある商店は戸閉まりされていた。
人通りも殆ど無くなり、旅行者や商人らしき者達だけ
が港を出入りしていた。
ゼームは、電灯の白々とした光の下に照らし出されて
いる花時計の前迄来ると、その前で立ち止まった。
何を見るでもなく、ゼームはひんやりとした夜気を身
に纏い、ただ穏やかに佇んでいた。
船の時間が迫っているのか、家路を急いでいるのか、
時折、足早にすれ違う人間達が不審な目をゼームへと向
けた。
だが、夜に咲く一輪の花の様に、ひっそりと佇むゼー
ムの姿を何時迄も気に掛ける者は居なかった。
・・やがて。
ゼームはその場に屈み込んで、石畳で舗装された地面
の上に手を押し当てた。
・・・呪われているのはお前か?閉ざされた帳の中
・・・知る者も果て無き砂の宵闇に飛ばされ
・・・ああ、速やかな祈りをほどき
・・・ああ、大地の全てにお前が立ち上がれ
言魂の詠唱が、ゼームの唇から零れ落ちた。
低く、深みのある響きを伴って、言魂の力は速やかに
辺りに染み渡っていった。
・・やがて。
地面の中から湧き出るかの様な小さなざわめきが、ゼ
ームを中心に湧き起こった。
それはさして間を置かず、公園から町の全ての場所に
広がっていった。
そのざわめきの広がりと共に、木々の茂みはその大き
さを増して膨らみ、固く蕾を閉ざしていた花々は一斉に
開いていった。
酒を酌み交わし、或いは他愛の無いお喋りに興じてい
た者達は不審げに外に飛び出し、眠りかけていた者も布
団の中から這い出して来た。
彼等はすぐに、そのざわめきと植物達の変化の関係に
気が付いた。
彼等の内・・年寄り達は、その不思議なざわめきの事
を昔話で聞いた覚えがあった。
百二十年前、シーボームがまだ小さな村だった頃。シ
エゾ地方には女神が住んでいた。彼女が大地に緑をもた
らす時には、地の底からざわめきがしたと言う……。
家の庭の草花や木々も、鉢植えも・・、貯蔵していた
野菜に至る迄が、突然の成長を始め、驚いて町の人間達
は家の表へ飛び出して来た。
彼等は近所の者達と口々に囁き合った。
あの緑の幻神が帰ってきたのか?
恐れや怯え・・、また同時に慕わしさや敬いの感情が
混じり合いながら、人間達は女神の姿を夜の町に探し求
めた。
そうした神への感情は、町が変わっていった三年の内
に人間達が、いつの間にか忘れ去っていたものだった。
彼等は港の前の公園で、緑の幻神の姿を探しあてた。
ゼームの佇む花時計の前は、次第に、次々にやって来
る人間達の壁が出来てしまっていた。
ゼームは押し寄せる人間達を気にした様子も無く、自
らの生じさせた不可思議なざわめきに耳を傾けていた。
「・・ロウ・ゼーム……様?」
ゼームを取り囲む人垣の間から、腰の曲がった老人の
一人が恐る恐る女神の名を口にした。
その呼び掛けに、ゼームは初めて顔を上げ、立ち並ぶ
人間達に目を向けた。
「・・久しいな。シーボームの人間達よ。」
ゼームの声は、低く柔らかな響きを含んで人間達の耳
を打った。
百二十年の間に、その当時の人間達は全て死に絶えて
しまっていた。
しかし、神国から派遣された戦神達を制し、ただ一神
だけで、「神々の森」を焼いた魔物を葬り去った恐るべ
き女神の名は、忘れ難く人間達の間に語り伝えられてい
たのだった。
「・・人間達よ。この町は、明日、森の中に沈む。」
相変わらずの穏やかな口調で告げられたゼームの言葉
は、集まっていた人間達の間に、瞬く間に広がっていっ
た。
百二十年振りにシーボームに現れたこの女神は、今度
は救い主ではなく、町の破壊者として来臨した事を、人
間達は俄には理解出来なかった。
「一体どうして!?」
「私達が何をしたって言うの!?」
人間達の間には忽ち困惑と混乱が渦巻き、何人かの怒
りや疑念の叫びがゼームへと向けられた。
「・・何も。」
ゼームは叫んだ者達に向かって静かにそう答えた。
穏やかではあるが、全ての者を圧倒するかの様にゼー
ムから放たれる空気に、その場に集まった人間達は言葉
を失った。
「・・あなた様の御怒りは、今のシーボームのこの有り
様ですね?」
白髪を短く切り揃えた小柄な老婆が、ゼームへと尋ね
た。
怒りも憎しみも、およそ人間の感情とは無縁の様な、
穏やかに澄んだ瞳を、ゼームは老婆や他の人間達へと向
けた。
「それもある。森林の無くなり様は許し難い。・・さあ
話は終わりだ。船で逃げるなり、海辺に避難するなり、
好きにするといい。お前達の命を奪いはしないが、町を
森に沈める最中は危険だ。」
住人は誰一人、ゼームを責めたり、ましてや危害を加
えようとはしなかった。
村の人間達の生活と、森の中の営みとの境界が開発工
事によって崩されてしまった三年前から、彼等は心の何
処かでこんな日が来る事を予想していた。
・・例え、神国の神々がこの工事を許したとしても、
「神々の森」の神々は許しはしない。
町の誰かが、新しい土地神へと残した捨て台詞が現実
になっただけだった。
工事を許さないと言って現れた緑の幻神は、町を滅ぼ
すとは言ったが、自分達の命を奪わないと言った・・。
その幸運に感謝こそすれ、町を滅ぼされる不運を嘆く
余裕は住人達には無かった。
人間達が我先に逃げ出そうと、体を後ろに引きかけた
ところへ、公園に乗り付けられた車から誰かが降りた音
が聞こえてきた。
「・・何だ、何だ?こんな時間に沢山集まりおって!一
体何の騒ぎだね!?」
住人達の群れを掻き分けつつ、大声を張り上げてラン
タが姿を現した。
その後ろには、部下らしい男達が三名程付き従ってい
た。
彼等は何処かで酒でも飲んでいたらしく、顔は赤く上
気し、ネクタイは少し緩められていた。
「・・!」
ランタの酔いは、群衆の中心にゼームの姿があった事
で、半ば吹き飛んでしまった。
「おや君は……。全く困るね、今度は精霊達だけでなく
町の人達も巻き込むつもりかね?」
丁寧な口調を繕いながらも、ランタは目に宿る恨みの
光を隠し切れなかった。
全く、面倒な事ばかりを起こしおって・・。そんな感
情が誰の目にも明らかだった。
ランタはゼームの前に立ち、住人達の方へ向くと、大
きく両手を振って訴えた。
「君達!この神の相手をするんじゃない!!もう夜も遅
い。早く家に帰るんだ!」
「・・そうだ。家に帰って避難の為の荷物をまとめるの
だな……。」
後に付け足されたゼームの言葉に、ランタはかっとな
ってゼームを振り向いた。
酔いが回っているせいもあり、普段ならば言葉で相手
をやり込めようとするのだが、ランタは片手を上げて部
下を呼び寄せた。
「おい!」
ランタの声に、三名の男達がゼームの前に進み出た。
人間の様だったが、大柄で屈強そうな体格で、身構え
た様子からは武術の心得がある様に見えた。
体格に似合わず俊敏な動きで二人がゼームの両側に回
り込むと、素早くゼームの両手を後ろにねじり上げた。
「ゼーム様!」
悲鳴の様な子供の叫び声が上がった。
自らへの乱暴な振る舞いにも表情一つ変えず、ゼーム
が声のした方を見ると、ヒロトとセデトが人ごみを掻き
分けて前の方にやって来たところだった。
成り行きを見守る住人達も、その殆ど全てがランタの
行為への嫌悪と・・ゼームへの恐怖とで青ざめていた。
土地神という神ではあっても、ランタは町の住人達の
信頼や尊敬の対象とはなっていなかった。
確かに、ランタの主導する開発工事のおかげで町は大
きくなり、急速に発展していった。
だが、森林の大規模な伐採に反対する年寄りだけでは
なく、便利で快適な生活を望む若者達も、ランタに対し
ては反発心を抱いていた。
住宅地は次々に造成されるものの、神国本部からのシ
エゾ地方への人口の流入は相変わらず厳しく制限され、
町の人口は殆ど増加していなかった。
建て直された港に来る船も、工事に関係する資材や機
械を運ぶものが増えただけで、若者達が憧れていた他の
地方の新しい品物やお洒落な品物の、町への輸入が増え
た訳ではなかった。
町の全てが、ただ見かけだけ綺麗になったのだという
事を、住人達はこの三年で知り尽くしてしまったのだっ
た。
「そのまま警察に連れていけ!」
ランタの言葉に、住人達の顔は嫌悪と憎悪に染められ
た。
このシーボームやシエゾ地方の森に大恩のある女神に
対して、何という無礼な振る舞いをするのか・・。
それに、相手は「神々の森」を焼いた魔物をたった一
神で倒した女神。その女神の怒りに触れればどんな事に
なるのか。
恐れと敬いの感情が、住人達の胸から消える事は無か
った。
「・・ん?」
ランタは部下がいつ迄も動かない事に首をかしげた。
「おい、どうした・・・?」
そう声を掛けようとしたところで、ゼームの両脇に居
た部下も、その前で身構えていた部下も、その場に倒れ
てしまった。
彼等は、一瞬の内に石畳の舗装を突き破って伸びた蔓
草に、体を縛り上げられてしまっていた。
公園の電灯に照らされて黒々と浮かび上がる蔓草は、
三人の男達を石畳の上に縫い付けた。
「だらしない!何をやってるんだ!」
部下の一人を見下ろし、苛々と怒鳴ってランタは地団
駄を踏んだ。
「さあ・・人間達よ、もう帰るといい。」
蔓草を引きちぎろうともがく男達の事など、既に忘れ
果てたかの様に、ゼームは住人達の前に近付いた。
その言葉に弾かれた様に、人の波は退き始め、我先に
と公園から溢れ出る様に逃げ出していった。
「おい!待て!」
両手を広げて人の流れをせき止めようと立ち塞がるラ
ンタの姿も、住人達には目に入らない様だった。
「・・では、帰ろうか。」
こけにされた怒りに震えるランタの前を、ゼームは何
事も無かったかの様に通り過ぎ、残っていたセデトとヒ
ロトに呼び掛けた。
彼等の向こう・・ゼームの力でかなり大きく繁茂して
いた植え込みの横に、先刻のリヤカーが空になって置か
れていた。
「用は済んだのか?」
「はい。今しがた荷物を積んで出航しました。」
ゼームの問いに、セデトは満足げな表情を浮かべて答
えた。これで、セデトにとっては一つの大きな仕事の区
切りが付いたのだった。
「クソぉぉっっ!!覚えておれよ!クソ独り成りの分際
で、この私に歯向かいおって!」
土地神としての紳士の仮面も剥がれ落ち、ゼーム達の
背後でランタの罵倒が夜の公園に響き渡った。
口汚い罵りの言葉にヒロトとセデトは眉をひそめて、
一度、振り返った。
そこにはただ、怒りに顔を更に赤らめ、目を剥いて叫
んでいる粗野で傲慢な一柱の神が居るだけだった。
「明日は早い。」
ゼームは聞くに耐えない罵倒にも気付いていないかの
様に、セデトとヒロトを促した。