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第8章「田舎の村で」

 紫昏とサウルス、サナリアやエトラージュ達に見送ら

れながら、バギル、レックス、ティラルの三神は、神国

神殿の麓のヴァティと言う町の港からシーボームへと出

発した。

 彼等が乗り込んだのは、半ば貨物船の様な小さな定期

便だった。

 シーボームへ行くには、海岸沿いの小さな道路もある

にはあったのだったが、天候が良ければ遙かに船の方が

早くに到着する為、バギル達は朝一番の便に乗る事にし

たのだった。

「・・明日の朝にはシーボームへ着くそうだ。」

 潮風に肩掛けと髪とをなびかせながら、ティラルは甲

板に立つバギルとレックスの所にやって来た。

 定期便とはいっても、シーボームへの物資の運搬が船

の主な役目で、貨物船の様な船に乗客は殆ど見られなか

った。

「まあ、こんなボロ船にしては上出来だな!陸路をちん

たら行くよりずっと早えぇ!」

 強く吹きつける潮風を受け、真紅のマントを炎の様に

翻し、レックスは満足げに笑った。

 その横で、自分の顔の間近を揺れるマントをうっとお

しく思いながら、バギルは手すりにもたれ掛かって肘を

突いた。

 随分と陸地から離れた筈なのに、賑やかに鳴きながら

飛び交う海鳥達の様子をバギルは見るとも無しに眺めて

いた。

 船の後方に目を向けると、水平線の辺りに濃い影の様

に神州大陸が浮かんでいた。

 何カ月か前にも、こうして・・この船よりはもっと立

派で大きな客船ではあったが・・メル・ロー大陸から、

ザードと共に船に乗って神国神殿に向かっていた事を、

バギルはぼんやりと思い出していた。

 本来ならば、何日か前にもこうした船旅は行われる筈

だった。ザードがレウ・ファーの神霊石に取り憑かれな

ければ・・。

「おい!バギル!辛気臭ぇ面してんじゃねぇよ!明日に

は幻神とっ捕まえてラデュレー迄案内させるんだ。そう

すりゃ、お前のトモダチもすぐ連れ帰れるさ!」

 乱暴にバギルの背をばんばんと叩き、レックスはきら

めく碧緑の海に浮かぶ神州大陸を真っ直ぐに見た。

「!……分かってるよ!今度こそ、ラデュレーへ行くん

だ。」

 軽く咳き込みながらも、バギルはにやっとレックスへ

と笑いかけた。

 どうやら、レックスは彼なりにバギルを気遣い、励ま

そうとしている様だった。

 ラノがファイオに襲われた後で神国神殿の玄関で睨み

合った時には、何て嫌な奴だと、バギルは怒りさえ抱い

てレックスを嫌悪していた。

 が、少しずつ行動を共にする内に、普段のぞんざいな

態度の下に時折見え隠れする不器用な思い遣りや気遣い

に、バギルも次第に気付き始めていた。

「紫昏の話では、シーボームに居る幻神はロウ・ゼーム

とかいう名前だったな……。」

 バギルは手すりから顔を上げて、レックスとティラル

の方を振り返った。

 軽く手すりに背中をもたれさせ、バギルは二神を交互

に見た。

「そうだな・・。ロウ・ゼームだ。」

 バギルが何気無く口にした幻神の名前に、ティラルは

微かに苦悩する様な影を顔に帯びながら答えた。

「そ、そんな名前だったな……。」

 ティラルの表情の変化に、レックスもまた僅かに顔を

少し引きつらせながらバギルに返事をした。

 同じ四方位を司る仲間として、彼なりにティラルへの

気遣いがあったのだろう。

「・・すまない。知り合いなのか?」

 レックスとティラルの様子を察し、バギルはすまなさ

そうに頭を掻いた。

 そんなバギルに、ティラルはむしろさっぱりとした表

情で微笑みかけた。

「ああ。私とラノの共通の・・とても大切な友だ。長い

付き合いになる。……もう、百二十年になるな……。」

 気紛れに甲板の上を跳ねる潮風に、ティラルの黒髪が

大きくうねった。

 もう百二十年にもなるのか・・少し高くなり始めた日

の光を受け、白と碧の光の粒を反射させる海面を眺めな

がら、ティラルはゼームとの出会いを思い出していた。

            ◆

 百二十年前・・神国、神州大陸の北方にあるシエゾ地

方に、何処からともなく突如出現した魔物は、森林を次

々と焼き払って進んでいた。

挿絵(By みてみん)

 「神々の森」の広大な土地の十分の一が、僅か三日で

魔物の炎の為に灰塵と化していた。

 そこに住む多くの鳥や動物、精霊や神々すら、その炎

の前に焼き殺されていった。

 脂ぎった虹色の光沢を放つ金属質の鱗を纏った蛇の様

な長い体。その背からは、黒と黄の体液の流れが透けて

見える八本の長い触手が伸びていた。

 「神々の森」を焼いた炎と魔物は、次第に北上を始め

・・シーボームへと迫りつつあった。

 この魔物は、地上では今迄発見された事の無い型で、

何処から来たのか、どうやって出現したのかも全く分か

らなかった。

 その為に、対抗手段もすぐには分からず、神国の対応

も遅れてしまっていた。

 神国本部が主立った戦神達を招集し、魔物の討伐部隊

を結成したのは、魔物がシーボームの目前に迫った頃だ

った。

 ティラルもその隊の一員として、シーボームへと赴い

たのだった。いつもならば、レックスと組んで参加する

事も多かったのだが、当時レックスは他の土地を旅して

おり、その時はティラルが四方位神の中では一神だけで

討伐の列に加わった。

「ホントに神州大陸かよ。」

「大した田舎だぜ。」

 戦神達のそんな言葉を聞きながら、ティラルはシーボ

ームへと足を踏み入れた。

 当時のシーボームは、海沿いに面してはいるものの深

い森林に囲まれた、何処にでもある小さな田舎の村だっ

た。

 魔物の進路上にシーボームがあると知り、村人達は神

国からの戦神達の到着を心から待ちわび、必死の思いす

ら感じさせる歓迎ぶりだった。

「ああ!ようこそおいで下さいました!」

「どうか!どうか、私達の村をお助け下さい!!」

 村人達は老いも若きも、口々に戦神達に助けを乞い、

宿へ向かう戦神達の歩みにまとわりついた。

「・・?」

 得意気に、任せておけと請け合う戦神達の中にあって

ティラルだけは、村人達の様子に漠然とした違和感を抱

いたのだった。

 ティラルが今迄に訪れ、見聞きした、他の土地の同じ

様な状況の人間達の様子と比べ、必死さこそ変わらない

ものの・・シーボームの住人が何処か、幾分落ち着いた

様子でいる事にティラルは気付いた。

 恐ろしい魔物の襲来ともなれば不安や恐怖に混乱し、

我先に他の土地への脱出を試みる事も、決して珍しい事

ではなかったのに・・。

 翌朝に魔物の討伐を控えた夜、ティラルは宿で会った

当時のシーボームの土地神にその事を尋ねてみた。

 気の良さそうな小太りの土地神は、神国から来たティ

ラルに恐縮しながら答えた。

「このシエゾ地方の奥地には、森の精霊達から敬われて

いる幻神がいらっしゃいます。その方が、この度の事件

を聞かれ、自ら魔物を滅ぼす事を決心されたと・・精霊

達から村人へと話が伝わってきたのです。村人達が大袈

裟に取り乱していないのは、きっとその為でしょう。」

 土地神が言うには、そのロウ・ゼームと言う幻神は、

今回、殆ど初めてシーボームの村へと姿を現したのだっ

た。魔物の起こす火事を少しでも食い止める為、自らの

神霊力を通わせた巨樹をこの村の周囲や、森のあちこち

に植えて防火壁代わりにしたのだった。

挿絵(By みてみん)

「土地神としては大変有り難い事です。村人達には深刻

な混乱もいがみ合いも起こらず、避難の準備も速やかに

出来ましたからね。」

 更にティラルが驚くべき事には、その幻神が、その晩

宿に泊まり、単独行動で翌朝、魔物の討伐に出発するの

だと、土地神は告げた。

「・・たった一神でっ!?」

「あの、広大な「神々の森」の十分の一も焼き払った魔

物にか?」

 話を聞いていた戦神の中には、驚くだけでなく、呆れ

たり、幻神の正気を疑う者もいた。

 勿論、そうした戦神の反応の中には、幻神への侮りの

感情を滲ませている者もいた事をティラルは感じ取って

いた。

 驚愕と疑問の感情は、宿に現れたゼームの姿を見て一

層深まった様だった。

「土地神様、ゼーム様がいらっしゃいましたよ。」

 宿で働く人間の少女が土地神を呼びに現れた。

 物見高い戦神達が我先に宿の入り口迄集まると、そこ

には宿の女将に迎え入れられた幻神の姿があった。

 ほっそりと背が高い、穏やかで・・それでいて俄には

近寄り難い冷厳な雰囲気をたたえた女性の姿に、戦神達

の先程の疑問は強固なものとなった。

 一体、このか細い体の女神の何処に、あの恐ろしい魔

物と戦う力があると言うのだろうか?

「・・土地神よ、一通り植樹は済んだ。普通の木よりは

かなり燃えにくくなってはいるが、それでも気休めだ。

いつでも逃げられる様にしておけ。」

 戦神達の注視を気にした様子も無く、ゼームは自らを

恭しく迎える土地神に声を掛けた。

「はい。分かりました。」

 頭を垂れる土地神とゼームのやり取りの様子を、ティ

ラルは不思議なものでも見る様に呆然と眺めていた。

 正直、ティラルもまた、この女神が魔物と戦うとは信

じられなかったのだった。

 口の悪い戦神の中には若い女であるゼームを冷やかす

様な言葉をかける者もあった。

 それを無視して、女将の案内で客室へと向かうゼーム

は、ふとティラルの前で立ち止まった。

「・・お前は、元々は風神だな?」

 何処迄も、深く澄んだゼームの瞳がティラルを映して

いた。

 ティラルよりは僅かに年若いと思われるゼームのその

瞳と、何気無い言葉に、ティラルは何故か打たれた様に

その場に立ち尽くした。

 ティラルはその瞬間、ゼームの瞳の奥に深い森の木立

を見た様な気がした。

 彼女は、深い、深い・・人間や、生半可な神の足では

とても及ばない程の、森の遙かな深奥から立ち現れた、

森の神霊力そのものなのだろう。

 彼女こそは、吹き抜ける風すらもが深緑に染められる

場所から、その命を顕現した神・・。

 ティラルは、そう直感した。

「ああ……。東方位を司る風神だ……。」

 ティラルがそう答えると、ゼームの表情が微かに和ら

ぎ、深みのある低く穏やかな声が耳に届いた。

「そうか……。風はいい・・。雨雲を呼び、季節の移ろ

いを呼び、森を育んでくれる。」

 誰にとっても奇妙な答えをティラルに返した後、ゼー

ムはそのまま客室へと姿を消した。

 それが、ティラルとゼームの初めての出会いだった。

 ・・翌朝。シーボームの周囲を囲む森の目前に迄迫っ

た魔物を討ち取るべく、ティラル達戦神はそれぞれに武

装を終えて、出発した。

 宿には既にゼームの姿は無く、ティラルが尋ねると宿

の女将は、夜明け間際に発ったと告げた。

 飛翔板に乗って出発して間も無く、森の中から立ち上

がる青白い炎柱の乱立と轟音に、戦神達は魔物の力をま

ざまざと見せつけられた。

 長い体がうねる度、鱗は虹色の光を放って不気味にき

らめき、赤黒く血走った数個の眼球が輝く度に、通常の

火事ではあり得ない高温の青白い炎の舌が容赦無く森を

舐め回した。

「何て化け物だ!」

 戦神の誰かが緊張に汗ばむ手で剣の柄を握り直した。

 魔物の巨大さもさる事ながら、その吐き出す火炎の凄

まじさにティラル達は呆然とした。

「だが、それでこそ倒し甲斐があるぜ!」

 いずれ劣らぬ戦いと武勇の神々は、それぞれに武器を

構えると、空高く飛翔板を舞い上がらせ、魔物へと立ち

向かっていった。

 衝撃波が叩き付けられ、真空の刃が空を舞い、無数の

鎖が魔物へと放たれた。

 流石の魔物も身体中に傷を負い、絡み付く長大な鎖に

その歩みを妨げられた。

 ・・しかし、魔物の敵意と憎悪が剥き出しになった眼

球に、灼熱の輝きが宿り、蚊蜻蛉の様に飛び交う戦神達

に狙いが定められた。

「・・逃げろ!」

 ティラルの咄嗟の叫びも空しく、魔物の激しいのたう

ちと共に放出された炎の矢は、勢い付き魔物へと刃を振

り立てる幾神かの戦神の体を貫いた。

 魔物を絡め取る鎖は瞬時に焼き切れ、戦神達の体は灰

とも言えない微細な粉塵と化し、青白い炎の中に掻き消

えていった。

「畜生ォッ!」

 仲間の死に、怒り狂った別の戦神達が衝撃波や神霊力

の球を投げ付けようとしたが、次々に繰り出される灼熱

の矢に阻まれ、迂闊に攻撃をする事も出来なかった。

 暫くは悠然と進む魔物に引きずられる様に、戦神達は

遠巻きに飛びながら北上を続けざるを得なかった。

 シーボームの村迄後数キロという場所となり、魔物の

歩みを阻まなければならない戦神達の焦りと苛立ちは頂

点に達しつつあった。

「・・な、何だ?」

 そこに突然、地響きと共に、森に焼け残った巨樹が更

なる巨大化を始めた。

 巨樹の連なりは、魔物の前に、その行く手を阻むかの

様に緑の壁をつくり出した。

 その木々は、威嚇に伸び上がる魔物の体を優に越え、

万年億年もの年月を経たかの様な姿となって、魔物の歩

みと炎とを防いでいた。

「・・何処より来たのか、素姓も知れぬ魔物よ。……こ

れ以上森を損なう事は、私が許さぬ!」

 魔物の放った炎の為に熱を含んだ風の中に、微かな、

しかし強い意志と気迫とのこもった声が流れた。

 ティラルは、ゼームが今立ち上がったばかりの巨樹の

太い枝の一つに、肩から伸びた葉を揺らしながら佇んで

いるのを発見した。

 その表情も物腰も、昨夜の宿で見た時と全く変わって

はおらず、穏やかなままだった。

「バッカ野郎ぉっ!」

「何やってんだっ!早く逃げろっ!」

 戦神達は戦闘の緊張と苛立ちとに、荒々しい言葉でゼ

ームを怒鳴りつけた。

 命を賭けた戦いの場に、むしろ彼女は邪魔者の様に戦

神達には映っていた。

 ティラルはとにかく、ゼームをこの場から連れ出そう

と飛翔板を猛スピードで飛ばした。

 だが、それよりも早くゼームの姿を認めた魔物は、ゼ

ーム目掛けて炎の矢を放った。

「・・・・!!」

 間に合わない、と戦神達は誰もが思った。

 ・・だが。ティラルや他の戦神達は、あまりに信じ難

い光景を次の瞬間、目の当たりにした。

 ・・戦神達の仲間を餌食にした灼熱の炎の矢は、突如

何処からともなく立ち上がった藤蔓の束の作り出した壁

に阻まれ、ゼームを餌食にする事は出来なかった。

 勿論、藤蔓もその大部分は瞬時に焼け崩れてしまった

のだったが、僅かの間も置かず、新たに伸び上がった藤

蔓が再び壁を形作っていた。

 戦神達の驚愕には構わず、魔物は藤蔓の壁を新たな敵

と認め、八本の触手を広げて躍りかかって来た。

「・・行け。」

 ゼームの呟きと共に、藤蔓の巨大な壁はすぐに円柱状

に絡まり合い、もう一つの巨蛇と化して魔物へと向かっ

ていった。

 藤蔓が魔物の体に食い込み、魔物もまた触手を以って

絡み返し、藤蔓を力任せに捻じ切っていった。

 ティラル達は戦いに加勢しようにも上手く飛び込む間

合いが取れず、二匹の魔物の周囲を遠巻きに飛んで眺め

る事しか出来なかった。

「!!」

 魔物の叫び声と共にでたらめに吐き出された炎の矢の

一つが、ゼームの立つ巨樹の枝の真下を掠めた。

 ゼームの神霊力が通じていた為に、森の他の木々の様

に形を失う程燃え上がりはしなかった。しかし、それで

もゼームの立つ枝を初め、多くの枝が黒炭となって崩れ

落ちていった。

 ゼームもまた、崩れる枝や黒炭の屑の中に呑み込まれ

て落下していった。

「大丈夫か!?」

 ティラルは再び全速で飛翔板を飛ばし、今度こそゼー

ムを無事に抱き止めた。

「夕べの風神か……。すまないな。」

「いや……。」

 藤蔓と魔物との戦いの様子に未だ驚愕の感情が去らな

いまま、ティラルはゼームを見た。

 ティラルの腕の中に抱えられているゼームの体は、か

細く、軽かった。この女神の何処に、あの魔物と伍して

戦う藤蔓の化け物を生み出す力が潜んでいるというのだ

ろうか。

「・・来るぞ!」

 戦神の誰かの叫び声が、ティラルの耳朶を打った。

 藤蔓は巨大な黒炭の束と化し、魔物の触手の一振りで

大地に飛散した。

 魔物は藤蔓との戦いに勝利し、けたたましい金属の擦

れ合う様な叫び声を上げて巨樹の防壁へと進み始めた。

「君はもう逃げろ。これ以上は危険だ。」

 ティラルの言葉にゼームは答えず、ただ静かな笑みを

浮かべるばかりだった。

 そのままゼームは軽く片手を挙げた。

「・・!?」

 ティラルの眼前に、先刻よりは細い藤蔓の束が、火の

手の広がりつつある森の中から立ち上がって来た。

 ティラルの腕から軽やかにすり抜け、ゼームは飛翔板

を蹴ってその藤蔓の先端部に降り立った。

「風神よ、お前達こそ逃げろ。あの魔物は・・私が、必

ず殺す。」

 穏やかな微笑に余りにもそぐわない、殺す、と言う血

生臭い言葉に、ティラルは一瞬眉をひそめた。

「君だけで何が出来るというんだ!ここは、私達戦神に

任せるんだ!」

「・・風神よ、お前からは水と森の気配がするな…。」

 何とかゼームを押しとどめ様としていたティラルは、

突拍子も無いゼームの言葉に呆気に取られ・・その後、

寒気すら伴う驚きに黙り込んだ。

 ティラルから感じられるという水と森の気配。それは

水の女神ラノの事を指していたのだろうか。

 南方を司る四方位の仲間としてだけではなく、親しく

付き合う友として、ティラルは彼女の司るチェルロの大

地に豊かな緑をもたらす手伝いをしていたのだった。

 ゼームは、それらを一目見ただけで知り得たと言うの

だろうか。

「・・お前は、他の力自慢や戦好きの連中とは違う様だ

な・・。」

 ティラルは、初めてゼームの瞳の中に暖かな色が差し

た様に感じた。

 ゼームは、巨樹へと炎を吐き続ける魔物を振り返って

指差した。

「少しの間、魔物を引きつけておいてくれないか。その

間に、私は魔物に近付いてカタを付ける。」

 屈強な戦神達が束になっても未だ成し得ないでいる事

を、ゼームは何の気負いも無く口にした。

 本当に出来るのか・・?ティラルの不安と疑問を感じ

取ったのか、ゼームは片手を広げて、眼下の炎に蹂躪さ

れる大地を指し示した。

「この場所では、私の神霊力が増大すると、経験上分か

っている。お前達が、例え束になってかかって来たとこ

ろで、ここに居る限り私は負けはしない。・・あの魔物

にも。」

 シーボームに程近いこの場所は、小さなレイライン集

束点の一つだったのだろう。レイラインの自らに与える

影響を、ゼームは本能的に感じ取っていた。

 戦神達にも魔物にも勝ってみせると自負する、この恐

るべき女神は、相変わらず穏やかにティラルの目の前に

佇んでいた。

「・・よし。分かった。」

 ティラルは剣を抜き、ゼームに先んじて飛翔した。

 魔物は迫り来るティラルの姿に気付き、炎の矢を吐い

た。

 ぎりぎりでその矢を躱し様、ティラルは剣を振るって

一条の真空の刃を魔物の眼球へと投げ落とした。

 刃は眼球の一個を切り裂き、黄色い体液が辺りに飛び

散った。

 痛みに怒り狂う魔物は、触手を振り立ててティラルへ

と向かって来た。

 他の戦神達も、ティラルの攻撃に勢い付き、再び戦神

達は戦いを再開した。

 藤蔓の頭の上で、魔物やティラル達から適当な距離を

保ちつつ、ゼームは魔物へと迫る機会を窺っていた。

 魔物の注意が自分から反れた事を確かめるとすぐ、

「・・どいていろ!」

 よく通るゼームの声にティラルは顔を上げ、他の戦神

達を魔物から離れさせた。

 ティラルが魔物から大きく離れた直後、魔物の四方か

ら巨蛇と化した藤蔓が現れ、瞬時に魔物を縛り上げた。

 魔物は身動き一つ出来ない程に締め付けられてはいた

が、眼球の辺りに巻き付いた蔓の隙間からは炎が漏れ、

そこだけが徐々に焼き切られようとしていた。

「・・ゼームは?」

 ティラルがゼームの姿を探すと、魔物の体の表面に彼

女は立っていた。

「何やってんだ?」

「どうするつもりなんだ?」

 口々に騒ぎ立てる戦神達と共に、ティラルはゼームの

行動を見守った。

 ゼームは黒い肩掛けの内側から、一粒の藤蔓の種を取

り出し、それを手近な一本の蔓の先に挟み込んだ。

 ゼームの思念を受けて、その蔓は魔物の体へと深々と

突き刺さり、その内側へと侵入していった。

 蔓の刺さる痛みに魔物が悲鳴を上げ、眼球が強く輝い

た。

 眼球と口から放たれた炎は、頭部に巻き付いていた蔓

を焼き切った。

 魔物の次の狙いは、自らの体の上にへばりつく小さな

女神に向けられていた。

 ゼームはすぐ次の瞬間にも迫る危機にも動じた様子は

無く、冷たい一瞥を魔物へと向けた。

「・・さらばだ、何処から来たとも知れぬ魔物よ。森を

焼き払った報いを受けるといい……。」

 何処迄も穏やかなゼームの口調だった。

 炎を放つべく発光した眼球は、その内側から膨れ上が

って歪み、炎ではなく自らの体液をまき散らして弾け飛

んだ。

 苦痛に魔物はもがき、甲高い絶叫を上げたが、それは

すぐに治まってしまった。

 魔物の体のあちこちから、鱗を突き破って藤蔓が出現

していった。

 ゼームの神霊力を受け、先刻埋め込んだ種が瞬時に発

芽し、魔物の体中に広がっていったのだった。

 もはや魔物は沈黙し、焼き払われた大地に巨大な藤蔓

の塊が立ち尽くしているだけだった。

「終わったぞ。」

 地面へと降り立ったゼームの側に次々と飛来する戦神

達に、ゼームはひっそりと言い渡した。

 ティラルも、戦神達も、全く信じ難い戦いの光景を目

の当たりにして、一言も発せずにいた。

 感心よりもむしろ、激しい驚愕の感情だけが戦神達の

顔には隠しようも無く表されていた。

 魔物に焼き払われていた側の植物の力を以って、戦神

達が倒す事の出来なかった魔物をたった一神で退けた、

恐るべき緑の幻神・・。

 居並ぶ戦神達は、森の静謐をその身に湛えているかの

様に佇むロウ・ゼームの名を、驚愕と戦慄と共に胸に刻

みつけたのだった。

            ◆

「何とも・・凄まじい女神だな……。」

 ティラルの語る昔話に、バギルは呆然と口を開き、素

直に感心した。

 話だけでは実感に乏しい事もあるのか、明日にはその

女神と戦う事になるかも知れないという心配は、バギル

の頭には無い様だった。

「そうだ・・。凄かったよ。」

 呑気なバギルの様子を見ながら、ティラルはまだ心に

残っている思い出話の余韻に浸っていた。

 ティラルが本当に驚いたのは、魔物を葬り去った事よ

りも、「神々の森」を初めとする、その時焼き払われた

森林の全てを僅かの日数で再生した事だった。

 その神霊力に感服し、ティラルは神国神殿を初めとす

る世界各地の森の枯死した部分の再生を乞い、ゼームを

神国神殿へと招いたのだった。

 ・・他の土地を見るのも面白い。

 相変わらず穏やかに言い、ゼームはティラルの申し出

を受け、神国神殿へと招かれたのだった。

 ゼームと、ティラル、ラノ。この三神の友としての付

き合いはこの時から始まったのだった。

「・・まあ、明日は大変だぜ!たっぷり食って寝とけよ

お前ら!」

 ティラルの話を面白そうに聞いた後、レックスは二神

にそう言って、潮風にマントを翻しながら客室へと下り

ていった。

 レックスもまた、バギルと同様、敵対するかも知れな

い恐るべき女神の話を聞いた割には呑気に笑っていた。

 もっとも、レックスの方は手強い敵と戦える事に対し

て喜んでいる様子も窺えた。

「おいおい、まだ昼前じゃないか。」

 呆れて笑いながら、ティラルもレックスに続いて階段

を降りていった。

 明日、シーボームで・・。

 バギルは手すりにもたれ掛かり、空を見上げた。

 海鳥もまばらになり始めた青空に、神州大陸南岸に言

い伝えられる天を渡る城は見えなかった。

 雲一つ無い晴れた日には、天空を渡る城を見る事が出

来る・・。

 明日シーボームでゼームに会い、必ずその天の城・・

ラデュレーの場所を聞き出してみせる。

 紅い瞳に決意を漲らせ、バギルは澄み渡った空の、何

処かに居る筈のザードを想った。



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