第5章 「白銀の翼」
第五章 白銀の翼
ランタはシーボームの自分の神殿へと、ほうほうの体
で逃げ帰ってきた。
ランタの赴任に合わせて、三年前に新しく建てられた
神殿は、シーボームの町のほぼ中央に位置していた。
広い敷地と大きな建物は、建設の直前迄は田畑と小さ
な商店の点在する場所だった。
神国神殿から金にあかせて呼び寄せた芸術に覚えのあ
る神々によって、神殿の白亜の石材には数々の紋様や意
匠が彫刻されていた。
それは神殿の内部に迄及び、あちこちに置かれた多く
の絵画や骨董品といった調度と共に、土地神の神殿を豪
華できらびやかなものに見せていた。
シーボームの住人達は、田舎には珍しいこの神殿を、
単純に豪華で美しいと感心する一方で、嫌悪と軽蔑の眼
差しで見つめていた。
住民達には増税された覚えは無いので、全てが住民の
税金で賄われている訳ではないのだろうが、それでも、
この神殿の建設費の内の幾らかにはシーボームの住民税
が含まれていた。
自分達の血税がこの過剰に豪華な神殿に使われている
事を思うと、住民達にとってこの神殿は、成金趣味の嫌
味なものでしかなかった。
シーボームの様な辺境の自治体では、古い時代からの
慣習で、その土地の知事に当たる役職の神を「土地神」
と称していた。神がその土地を支配し、祭事と政治を司
っていた古い時代の名残とも言えた。
この豪華な神殿は、土地神の住居であると共に、町役
場の事務所等を含む公共の施設でもあった。
「――全く、あの忌々しい精霊共め……!」
車から降りると、ランタは背広に付いた土埃を払い落
としながら、苛々とした足取りで自らの執務室へと向か
った。
えんじ色の絨毯が引かれ、両脇に神国各地の風景画を
掲げた廊下の果てにランタの執務室はあった。
部屋の中には自身の大きな肖像画があり、金糸銀糸を
織り込んだソファや壁掛けといった調度品がランタの帰
室を迎えた。
それらをランタは満足げに見渡し、書類のたまってい
る机の前に腰を下ろした。
顔写真のある書類に気付いて目を落とすと、そこには
先刻ゼメレの森で精霊達と共に居た女神の顔があった。
「――何々?」
ランタは書類を取り上げ、顔を近付けた。
――緊急連絡。以下の者を見掛けたり、何か情報を得
た場合は、最寄の警察、または護法庁長官迄連絡をお願
いする。<護法神・紫昏>
そんな文章の後に「指名手配・機械神レウ・ファー」
の写真が載っていた。幻神達については紫昏の配慮で、
「この事件に関連して起こった行方不明者」という記述
になっていた。
「ほほう、あの女神、何かやらかしたのか?」
この書類では幻神が犯罪者扱いはされてはいなかった
が、ランタは興味深そうに笑って書類を覗き込んだ。
護法庁が探しているのならば、それにかこつけてこの
女神を追い出す事も出来そうだ――と、小賢しい考えを
頭の中で巡らせ、ランタは通信球へと手を伸ばした。
『――はい。それでは早速、護法庁へと連絡しておきま
す。』
地元の小さな警察署の顔見知りの署長が、ランタの通
報を受け取った。
署長が媚びた笑みを浮かべ、通信を切ろうとしたとこ
ろで、ランタは呼び止めた。
「時に、署長。このロウ・ゼームという女神だが、私が
君の所にお連れしても構わないかね?」
ランタの突然の問いに、署長は僅かの間、不思議そう
な表情をした。
『は、はあ……。護法庁からの指示がある迄、こちらで
身柄を保護する事になるとは思いますが……。』
署長の応えに満足げに頷き、困惑している署長の様子
には構わずに、ランタは通信球のスイッチを切った。
それからすぐに秘書室へと回線を繋ぎ、
「私だ。炎術師達に、仕事だと伝えろ。」
ランタは金に物を言わせて、犯罪者紛いの者や、荒事
に慣れた者等、腕の立つ者達を私兵として雇い入れてい
た。
シーボームの開発工事等の強引な政策の成功は、彼等
の武力による貢献も小さくは無かった。
「――♪♪」
ランタが回線を切った途端に、別の回線からの呼び出
し音が響いた。
通信球へとランタが手を伸ばすと、触れもしない内に
接続され、立体映像を伴わない音声だけが執務室に聞こ
えて来た。
それは、老人の嗄れた声だった。
『――ランタよ。レウ・ファーとか言う者の仲間が、シ
ーボームに来ているそうじゃな……。』
「こ、これはゼバエノ様!」
通信球に向かって平伏せんばかりの勢いで、ランタは
深々と頭を下げた。
映像の接続が無い為に、通信球の上には球状の影の様
なものだけが映し出されていた。
「あなた様の陰からのお力添えで、シーボームの開発は
順調でございます。お蔭様で、私の懐も随分潤いまして
ございます。はい!」
『まあ、挨拶はいい。』
声の主は、何処か煩わしそうにランタの言葉を打ち切
った。
『ロウ・ゼームとか言う幻神が、お前の邪魔をしたと聞
いたが。』
ゼバエノの言葉に、ランタは背筋も凍る思いをした。
ランタが一度も顔を見た事も無いこの老神は、一体、
いつどの様にしてこの様な情報を得ているのだろうか。
底知れない恐ろしさを感じながらも、ランタは頭を下
げたまま答えた。
「はい。その通りでございます!流石はゼバエノ様、お
耳が早い。――その幻神め、つい今先刻、地元の目障り
なガキ――いや、子供や精霊達と共に工事の邪魔をした
のですよ! 全くもって――。」
『――ならば、どうとでも始末しろ!』
あれこれと言い募ろうとするランタを制し、ゼバエノ
は冷たい声で言い放った。
『捕えて護法庁へ渡そうと、殺そうと、お前の好きにす
るがいい。必要な装備や金は与えてやる。私兵をもっと
雇いたければ、そうすればよい!』
恐ろしい事を冷やかに言うゼバエノの言葉を、ランタ
はただ頭を垂れて聞くばかりだった。
ゼームの抹殺もさる事ながら、金銭的な事においても
ランタはゼバエノの力に恐ろしさを感じていた。
私兵を雇い、シーボームの開発業者を操り――それら
には巨額の金が動いていた。懐が潤ったと言うものの、
ランタが手に入れた金額とは比べ物にならなかった。
ランタの望みや目的は、大金や地位だったが、それで
は――ゼバエノの目的は何なのか?
巨額の金を惜しげも無くランタに遣わせているところ
を見ると、金が目的とも思えなかった。
しかし、ランタの抱くそうした疑問は、口にしただけ
でゼバエノに命を奪われるに充分な事だった。ランタは
ただ、ゼバエノの命令通り動く手駒としての働きだけを
望まれていた。
「――承知しました。幻神が、まだ邪魔立てする様な事
があれば、始末致します。」
『うむ。』
ゼバエノが頷いた様な気配があり、それっきり通信は
途切れた。
ランタは大きく息を吐き、冷や汗を拭った。
ふらふらとした足取りで疲れきった様子で、ソファに
腰を下ろし掛けたところに、再び呼び出し音が鳴り響い
て、ランタは思わず飛び上がった。
回線を繋ぐと、今度は受付嬢のにこやかな顔が通信球
の上に映し出された。
『ランタ様。鵬様がまたお見えになっています。』
ゼバエノとの対話の緊張から解放された反動からか、
ランタは苛々と受付嬢を怒鳴りつけた。
「またか! 今日は忙しいんだ!! さっさと追い返せ!!」
ランタの怒鳴り声にも表情を崩す事無く、ただ、微か
に困惑に眉をしかめ、受付嬢はランタに答えた。
『それが、もうそちらに――。』
通信球のスイッチを切り、ランタは苛立ちと疲れとに
大袈裟に顔をしかめた。
すぐに背後のドアがノックされると、ランタはしかめ
ていた顔を慌てて手で揉みほぐした。
◆
「土地神殿。また押し掛けて申し訳無いのだが――。」
ランタが執務室の扉を開けると、よく通る青年の声が
流れ込んで来た。
声と共に彼が足を踏み入れると、輝く白銀の光の粒が
その背後から付き従った。
まばゆいばかりの白銀の翼が、彼の背で揺れていた。
薄い紺色の衣でその身を包み、その衣の上に掛かる銀
糸を思わせる髪もまた、美しい輝きを放っていた。
鳥神、鵬――この地上の全ての鳥の主として、「神々
の森」に神殿を構える神だった。鳥を統べ、また「神々
の森」の番神として、その美しい白銀の翼と共に名を知
られていた神だった。
「まあ、「神々の森」より遠路はるばる来られて、申し
訳ないのですが。私としては、何度来られても困るので
すがね……。」
出来る限り丁寧な口調で言い、ランタは仕方無く鵬を
執務室の奥へと招き入れた。
細く優しげな顔立ちに似合わず、鵬は半ばランタを睨
み据える様に見つめ、ソファに腰を下ろす暇も惜しむ様
に口を開いた。
「何度も言いますが、今回のシーボーム周辺の開発工事
は何とか変更をお願いしたい。事前に殆ど説明も無く、
あっと言う間にあちこちの森や山が消えてしまっている
……。この三年間、何度かここへ足を運んでいるのに、
工事がやまる事も事前の説明が行われる事もまるで無い
と言うのは、一体どう言う事ですか!?」
「神々の森」からそう遠くないシエゾ地方は、何種類
かの渡り鳥の通り道に当たっていた。また、夏や冬を過
ごす鳥達が留まる地域が、シーボームの人間達の集落の
すぐ目の前迄接近していたのだった。
鳥の守護神たる鵬が、突然始められたシーボームの野
放図な開発工事を黙認する訳にはいかなかった。
「――ですから、渡り鳥については自然公園等の中に専
用の場所を設けたではないですか。それに公園の規模も
少しずつ拡大していく予定ですし……。」
うんざりとした表情を隠しもせずに、ランタは決まり
きった返事の言葉を並べた。
鵬もまた、うんざりとした表情をランタへと向けた。
もう、何度も同じ問答が繰り返され、三年と言う時間
が過ぎてしまっていたのだった。
シーボームの住民の起こした開発工事反対運動に働き
かけたり、自然公園や工事予定地区の自然の様子を調べ
たりと、鵬が手を替え品を替えランタに訴えかけても、
ランタもまたあの手この手で時間を稼ぎ、事態を膠着さ
せてきたのだった。
「あなたの言う規模の拡大と言うのは、工事現場の事で
しょう!!」
この三年間で初めて、鵬は怒りすら滲ませた声を放っ
た。
「神々の森」の番神として人間や神々に敬われ、慕わ
れている物静かな鳥の神の、殆ど初めて他者に見せる厳
しい表情だった。
鵬は手にしていた袋の中から何枚かの写真を、彼らし
くも無いぞんざいな調子でソファの前のテーブルの上に
放り投げた。
ランタは取り上げるとざっと目を走らせ――すぐに苦
い表情を作った。
写真には、山を切り崩した工事現場や、積み上げた土
砂や木屑、作業機械が写っていた。
ただ、土砂の中には、十数羽の大型の鳥の死骸が混じ
っていた。
「工事に巻き込まれたのでしょうかね……。」
写真を見つめるランタの額に、汗の粒が滲み始めてい
た。面倒な事になった――、と、ランタは内心舌打ちを
した。
そんなランタの様子を鵬は冷たく眺め、
「あなたの言う自然公園とやらには、実際には僅かの鳥
しか定着してはいなかったのです。他の殆どの鳥は、シ
ーボーム周辺の、まだ人間の手の付いていない場所に移
っていたのです。」
一度、鵬の翼が広げられ、白銀のきらめきが部屋の中
に振り撒かれた。
鵬は厳しい口調でランタへと詰め寄った。
開発工事の進展により、人間の手はその鳥達の移った
場所へと及んだのだった。そこで、逃げ遅れた鳥達が工
事に巻き込まれて殺されてしまったのだった。
「――出来れば、私は小さな話し合いで今回の事を解決
したかった……。」
ランタへと詰め寄りつつも、鵬は悲しげに溜め息をつ
いた。
追い詰められた様な感覚を抱いていたランタは、鵬が
ふと見せた気弱な様子に力を得て、噛み付く様な調子で
声を張り上げた。
「そんなにあれこれと言いたい事があれば、神国本部の
国土庁の連中と掛け合ったらどうだねっ! 土地神とは
言っても、私は所詮下っ端だっっ!! すぐに何もかもを
思い通りには出来んよっ!」
「――やはり、そう言うと思っていました。」
ランタの剣幕も、鵬は動じもせずに受け止めた。
テーブルの上とランタの手から写真を取り、すっきり
とした口調で鵬は傲慢な土地神へと通告した。
「私は近い内に神国本部へと出向き、シエゾの、こので
たらめな開発の事を申し入れます。この工事が「神々の
森」を損なう事につながると証明されれば、あなたはこ
の土地の土地神の座を剥奪されるでしょう。」
毅然とした鵬の姿は、ランタに反発する余地を与えな
かった。
「いずれあなたは思い知るでしょう。このシエゾの森林
と、シーボームの町すらもが、「神々の森」に深く関わ
って存在している事を――。」
「なっ!?」
何だと――ランタがそう口にしようとした時には、白
銀に輝く幾片かの羽根を残し、鵬はランタの執務室から
姿を消していた。
◆
土地神の神殿から飛び立ち、鵬はふとシーボームの町
並みを見下ろした。
周囲の森林を食い荒らすかの様に町は肥え太り、町の
建物から遠く離れた森林すら、自然公園の名前の下に一
方的な開発の手に晒されていた。
肉食動物などの外敵を避けて、新しい町の中に逞しく
移住する小鳥達も居れば、人間の手を逃れようと更に奥
地へと去る鳥達も居た。
そうした変化の狭間で、かなりの数の鳥が環境の変化
についていけずに、或いは工事に巻き込まれて殺されて
いたのだった。
あの土地神や、それに従う人間達は一体何を考えてい
るのだろうか?
ランタへの疑問と、シーボームの急激な変化は、鳥達
を思い遣る鵬の心を重く沈み込ませた。
神国本部に訴え出るとは言ったものの、鵬は尚も、自
分と土地神との間の話し合いで解決したいという思いも
捨て切れずに居た。
暫くの間、鵬は町の上を幾度か旋回し、迷いを抱いた
まま「神々の森」の自分の神殿へと戻る事にした。