第12章「沈みいく町」
バギル達が飛翔板に乗って、町から少し離れた場所迄
来ると、そこは既にゼームの神霊力の影響を受けて巨樹
の連なる密林と化していた。
ゼームの力は既に広範囲に及び、緑の津波が町へと押
し寄せる様を容易に想像させた。
大木の風格を備えた藤蔓に絡み付かれてひしゃげてし
まった看板や鉄柱が、飛行するバギル達の視界を掠め、
既に開発工事の現場も森林に返された事を語っていた。
「ゼームはどっちに居る?」
少し飛翔板の速度を落とし、バギルがティラルに尋ね
かけたところで、
「おい!火事だぜ!!」
レックスが自分達の飛んで来た道筋を振り返り、叫び
声を上げた。
シーボームの町の方角から、断続的に巨大な火柱が幾
つも立ち上がっていた。炎は次第にティラル達の方へと
近付いて来ていた。
「・・あの炎術士達だな!」
バギルは厳しい顔付きで振り返った。
「そうだな。全くうっとおしい連中だぜ!」
レックスは眉をひそめ、腕組みしたまま下界に乱立す
る火柱を見下ろした。
炎熱を司る二神は、不自然に放たれる火の手の正体を
瞬時に見抜いたのだった。
「・・何て事を……。」
ティラルは苦々しげに呟いた。
「彼等を止めるんだ。放ってはおけん!」
飛翔板を反転させ、ティラルは火の手の上がる方向へ
と飛んだ。
ゼームを探す事を急がなければならなかったが、ラン
タ達の放火を見過ごす訳にもいかなかった。
「よぉしっ!」
ティラルを追い越す様な勢いで、レックスは飛翔板の
速度を上げた。
◆
「クソッ!全く、後から後から生えてきおって!」
ランタは歯噛みし、苛立たしげに叫び声を上げた。
上空を飛ぶバギル達は気付いてはいなかったが、ゼー
ムの神霊力は既にシーボームの町のすぐ近くに迄到達し
ていた。
流石に、一気に巨樹が聳える程の影響はまだ無かった
が、ゆっくりとした早さで確実に草木は成長を始めてい
た。
炎術士が行く手を焼き払う側から、草木の芽吹きは緩
やかに、しかし大量に生じていた。
「この分では、この先の地区はとっくに密林になってい
るか……。」
ランタは無駄とは知りながらも、憎々しげに足元に芽
生える草木を踏み潰した。
全ての工事現場も、当然滅茶苦茶になっているに違い
ない。
ランタは工事にかかった金額を計算し、大損害に心の
中で悔しがった。
・・それに何より、ゼバエノの、シエゾ地方の森林を
除去するという計画が台無しになってしまっていた。
ゼバエノの怒りを思い、ランタは恐ろしさに身震いを
した。
「クソ!もっと焼き払え!」
ランタの怒鳴り声に、炎術士達は放つ炎の量を増やし
た。
彼等の腕の一閃で巨大な火柱が乱立し、周囲の森を凄
まじい勢いで燃やし尽くしていった。
焼け崩れ、次々とひび割れた黒炭の塊と変貌していく
木々を、ランタは小気味良さそうに眺めながら先へと進
んでいった。
「・・何をしているんだ!」
焼け焦げた炭の匂いの混じる熱風の吹く、一面の黒炭
と化した地面を歩くランタの頭上に、ティラルの厳しい
声が降り注いだ。
ランタや炎術士達が、声の降ってきた方へ顔を上げる
と、すぐさま三つの影が彼等の前へと降下してきた。
「これはこれは、神国の・・。」
うとましげな表情を露骨に表し、ランタはバギル達を
見た。
バギルとレックスは、ランタの失礼な態度に不愉快そ
うに眉をひそめたが、ティラルはランタの様子を気にし
た風も無く、炎術士達を見回した。
「君達がゼームを探しに行くのは構わない。だが、森を
焼くのはやめたまえ!」
厳しい口調で、ティラルは炎術士達に忠告した。
しかし、ティラルの忠告は誰も聞き入れず、気の荒い
炎術士の一人が拳を突き出し、ティラルに向けて威嚇に
炎の球を放った。
炎はティラルのすぐ側を飛び、背後に焼け残っていた
木々を燃え上がらせた。
にやにやと侮りの笑いを浮かべる炎術士達の態度に、
バギルとレックスは早くも戦闘の準備に身構えていた。
ティラルは、熱風を受けて乱れた長い黒髪をそのまま
に、尚も炎術士達に忠告を続けた。
「森を焼くのはやめたまえ!そもそも、ここは神国の監
視下の・・。」
「やめとけよ、ティラル。こいつらにお優しい注意は効
かねえぜ!」
炎熱剣の柄に片手をかけ、レックスはティラルの言葉
を遮った。
そのまま炎術士達の前に進み出て、レックスは小馬鹿
にした様な口調で、
「ま、お前らもやめとけよ。この程度の火炎なら、ゼー
ムの力の前じゃ草むしりにもならねえぜ!」
「・・草むしり、だとぉっ!?」
先刻とは別の炎術士が怒りに顔を歪め、炎の球を叩き
つけた。
威嚇ではない炎の直撃が迫り、ティラルはやむを得ず
剣を抜いた。
一瞬にして、神速を以って生じた剣の風圧が、ティラ
ルの体に達する直前で炎の球を四散させた。
それは、炎術士達にとっては一瞬の銀光のきらめきに
過ぎず、剣はすぐに鞘へと収められていた。
炎を防がれてしまった事が、更に炎術士達の敵意と怒
りを煽り、文字通り火を吐く様な勢いで彼等はバギル達
に吠えかかってきた。
「お偉い神国の戦神サマか何か知らねえがッ、見くびる
んじゃねえぞぉッ!」
「オレ達ゃ、その気になりゃシーボームの一つや二つ、
すぐに灰に出来るんだぜっ!!」
憎悪と殺意すら滲ませる炎術士達の視線も、レックス
は意に介さず、
「・・へへっ。そんなら今度は俺様にやってみたらどう
だ?」
明らかに、険しさを増しつつある辺りの雰囲気をわく
わくと楽しみながら、レックスは炎術士達の前に立ちは
だかった。
「死にやがれっ!!」
レックスの挑発を待っていたとばかりに、炎術士達は
怒りと殺意を剥き出しに、レックスへと無数の炎の球を
叩きつけた。
既にランタの制止も、彼等の耳には届いていなかった
様だった。
ティラルは飛翔板でレックスの側から飛び上がり、バ
ギルは巻き添えを食って炎に包まれてしまった。
「へっ!」
ざまあみろ、と歯を剥いて笑う炎術士達の勝ち誇った
表情は、炎の引いた瞬間に凍り付いた。
「火遊びの自慢を、一体誰に向かってやってんだろうな
ぁ!?」
炎の消えた後に、レックスの不敵な笑みがあった。
バギルもまた、服に付く残り火を払い落として、迷惑
そうにレックスを睨んでいた。
炎熱を司る二神にとって、炎術士の放つ炎など、微風
にも等しかったのだった。
余裕を見せつける様にレックスは飛翔板を折り畳み、
荷物の中に放り込むと、バギルの荷物もひったくってテ
ィラルに投げた。
「預かっといてくれよ。」
ティラルは無言のまま答えずに、自分の飛翔板に二神
の荷物を積むと、飛翔板だけを上空へと浮かび上がらせ
た。
「クッソォォォッッッ!!」
炎術士達は自慢の炎が軽くあしらわれた事に激昂し、
次々とレックスとバギルめがけて突進してきた。
高温に青白く発光する炎の球が、彼等の手から無数に
繰り出され、レックス達へと迫った。
「おい!やめんか!!先を急ぐというのに!」
再び張り上げられたランタの怒鳴り声も、炎術士達に
は届いていなかった。
狙いを外れた炎がランタに直撃したが、ランタのすぐ
頭上に浮かぶ、一対の小さな水晶玉の光の壁に阻まれて
消滅した。
「あれは!?」
炎術士達の炎を躱しながら、ティラルだけが初めて、
ランタの武装した姿に気が付いた。
大小様々の水晶玉のイヤリングやネックレス、ブレス
レット。上着の衣には幾何学文様を連想させる文字や図
形が縫い込まれ、服のあちこちにはハガキ大の布・・護
符が宝石のピンで止められていた。
ティラル達戦神の様な鎧兜や刀剣による武装ではなか
ったが、ランタの姿もまた一種の武装と言えた。
ランタの身に着けたアクセサリーや衣服は、神霊力を
封入した霊具と呼ばれるものだった。
その詳細はティラルにも分かりかねたが、一見しただ
けでも、言わば全身武器の塊の様な重装備だった。
「へへっ!火遊びはするなって、親に躾けられなかった
か!?」
炎熱剣で次々に炎の球を叩き割り、素早い動きでレッ
クスは炎術士達へと蹴りを繰り出した。
炎を繰り出す間も無く、炎術士達は腹や手足を押さえ
て骨折や打撲の痛みにうずくまっていった。
「もう終わりかよ。」
うずくまり、気を失っている炎術士の一人を見下ろし
て、レックスはつまらなさそうに小さく息を吐いた。
尚も挑みかかろうと身構える炎術士達も居たが、炎熱
剣を突きつけたレックスの鋭い眼光に、それ以上動く程
の闘志は彼等から失せてしまっていた。
「もうやめとけよ、レックス。やばいぜ。また火事が広
がって来てる。」
レックスへと向けられる攻撃のとばっちりを躱すに留
め、バギルは殆どその場を動いていなかった。
再び火事が広がり始め、勢いを増し始めた炎と熱風と
をバギルは心配げに眺めた。
炎を操る者達の戦いは、周囲の森林を焼き払い、一面
の焼け野原に変えて、尚もその火の手はより遠くへと広
がっていった。
「はっはっは!これは手間が省けた!」
ランタは手を叩いて火事を喜んでいた。
・・・ッ……ア・・ナー……ヤァゥオオ・・。
火の手の上がる森の向こうから、風に乗って何かの歌
声の様なものが流れてきた。
「・・!!」
熱風と煙の充満する火事の中にあって、ティラルは森
の香気に満ちた涼風が、焼け崩れた木々の間から吹きつ
けるのを感じた。
その場の誰の耳にも、地の底から湧き出るざわめきが
届いていた。・・そのざわめきを先触れに、高らかに歌
われる何者かの声も。
「来る……!!」
友と再会する喜びと、圧倒的な神霊力の押し寄せてく
る事への緊張とが、ティラルの中で瞬時に渦巻いた。
火事の熱風の為ではない、緊張の汗がティラルの頬を
一筋伝わり落ちた。
辺りに見えていた炎と煙は、いつの間にか・・消え去
っていた。
炎術士達の高温の炎に洗われ、燃える物も無くなって
しまっていたこの場にも、草木の芽吹きが始められた。
「何だ!・・これ……!!」
初めて目にする植物の活性化の様子に、バギルは驚き
の声を上げた。
「・・ティラル!来やがったぜ・・。」
火神たる自らの身から立ち上る熱風が、しっとりと潤
いのある空気に冷やされていくのをレックスは感じた。
もはや炎術士風情を気にもかけず、レックスは汗を拭
い、炎熱剣を収めてその神の訪れを待った。
一陣の風が、焼け跡の中を吹き抜けていった。
その風は潤いを含んで柔らかに、炭化して崩れ落ちた
木々の上を撫でていった。
風が吹き抜けるや、渦巻いていた熱気も焦げ臭い炭の
匂いも、忽ち跡形も無く流れ去っていった。
やがて、低く深みのある響きを持つ女の声が、風に乗
ってバギル達の耳に届いた。
「・・森での火遊びは禁止だと、教わらなかったか?」
薄い紅の差す蕾が左の肩の上で揺れ、そこから伸びて
いる濃緑の葉がさわさわと風に音を立てた。
一面黒い炭の色に変えられてしまった大地を、再び緑
に塗り変える力を放ちながら、緑の幻神は姿を現した。
「ゼーム……。」
どう声を掛けたものか・・ティラルは困惑しながら、
呟く様に声を掛けた。
「久しいな……。」
微笑んだのだろうか。あるか無きかの、優しげな色が
ゼームの瞳に浮かんだ様だった。
「・・おい!ラノが幻神に襲われたっ!お前は何で止め
なかったんだ!」
「・・ゼーム!ザードは無事なのか!?」
「・・お前は友達が襲われるのを黙って見てたのか?」
「・・ラデュレーへはどうやって行けばいいんだ?」
ティラルの困惑にも構わず、レックスとバギルは、ゼ
ームの到来を待ちかねていたかの様に、口々に言いたか
った事をがなり立ててゼームの前に詰め寄った。
レックスの言葉に、ゼームの表情には微かな翳が差し
た様にもティラルには思えた。
ラノが「深い闇」採取の目標とされた事は、ゼームが
後日知った事だった。
「・・? 後ろの人達は?」
ゼームの後ろで、戸惑いながら立ち尽くしている老人
や少年、精霊達の姿にティラルは気付いた。
「ああ・・、シーボームの植物学者セデトと、その孫ヒ
ロト、そして森の精霊達だ。・・共に町の港迄行く途中
だったのだが、お前達の火遊びが気になったので、道を
反れて来てもらったのだ・・。」
セデト達を指し示し、ゼームはティラルに説明した。
「それはそうと・・。」
ゼームは、そう言ってティラル達の背後にいるランタ
や炎術士達へと、冷たい視線を投げかけた。
「土地神と炎術士か・・。随分と物騒な知り合いが居る
様だな。……連中と合同で私を捕らえようというつもり
なのか?」
「いや、彼等は・・。」
ティラルが軽く片手を振って、そう言い掛けたところ
に・・ランタのがさつな叫び声が上がった。
「あの幻神を殺せ!他の連中はどうでもいい!礼金はは
ずんでやるぞ!!」
衣の懐から、ランタは豆粒の様な小さな水晶玉を取り
出して、倒れている炎術士達の体の上に振りまいた。
水晶の粒には体の治癒を促進するエネルギーが封じ込
められていた。
炎術士達は瞬時に怪我や、骨折迄もが癒え、体力を回
復した。
卑しい笑いに顔を歪めるランタの命令に、炎術士達は
穏やかに佇むゼームに向けて襲いかかってきた。
「何て野郎だッ!畜生ォッ!」
つくづくとレックスは嫌悪感を感じ、ランタを睨み据
えた。
「おい!あの人間達を頼むぜ!」
レックスの言葉を待つまでも無く、ティラルは訳も分
からずにおろおろと立ち尽くすセデト達の前に立ってい
た。
見事な連携に感心しながら、バギルはレックスの後に
続いた。
ゼームへと迫る炎術士達を片端から殴り飛ばし、レッ
クスとバギルはゼームを背に身構えた。
「ゼーム!てめえをとっ捕まえるのは、後回しだ!それ
迄大人しくしてな!!」
ゼームへと叫び、レックスは炎術士達の放つ炎の球を
炎熱剣で叩き落としながら、ランタへと突き進んでいっ
た。
バギルもまた、背後からレックスに迫ろうとする何人
かを豪快に投げ飛ばし、レックスを援護した。
その背後から響いたゼームの声は、相変わらずの穏や
かなものだった。
「・・どちらが相手でも同じ事。私の邪魔をするのなら
ば、誰であろうと容赦はしない……。」
火柱と炎の球の飛び交う戦闘の場にありながら、ゼー
ムは優しく言い聞かせるかの様な口調で宣言した。
バギルとレックス、炎術士達の全てを敵に回しても、
眉一つ動かさないゼームの尊大さとも自信ともつかない
言葉に、セデト達も、バギル達もただ呆然とするばかり
だった。
「・・暫くここでじっとしていてくれ。すぐに終わらせ
る。」
ゼームは軽く手を挙げ、セデト達を一か所に集めた。
「はい・・。」
全くとんでもない場所に連れてこられたものと、セデ
トや精霊達は怯えながら顔を見合わせた。
「・・ティラル。セデト達を頼む。」
一応はティラルに頼みながらも、ゼームの掌の一振り
でゼデト達の周囲には、密生した蔓草の壁が出現した。
ゼームの神霊力が通じているその蔓草の壁は、狙いが
外れて流れてきた炎術士の炎の球の直撃にも、焦げ目一
つ付きはしなかった。
「そこから動くな。いいな・・。」
壁の向こうのセデト達にそう言い置き、ゼームは素手
のまま火炎の飛び交う戦闘の最中へと、悠然と歩んでい
った。
「ゼーム様・・。」
ヒロトの不安そうな声がゼームの耳に届いたが、ゼー
ムは一度僅かに振り返っただけだった。
セデトは不安に辺りを絶えず見回しているヒロトの肩
を抱いた。
「大丈夫さ、ヒロト。すぐに終わるよ。」
岩の精霊がごつごつとした手で、ヒロトの頭をそっと
撫でた。
精霊達もセデトも、ただ戦いの終わるのを待って、心
細く立ち尽くすばかりだった。




