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第11章「夜明けを開く森」

 日の出が近付いていた。

 緩やかな斜面に作られた畑を囲む森の茂みの端が、薄

い茜の混じる金色に縁取られ、次第に輝きを増していっ

た。

 夜明けの先触れに、既に青味がかっていた色彩の広が

る空に、東の空の向こうから次第に白々とした光が差し

込み始めた。

 セデトの家の前の道に、ゼームは夜明け前から佇んで

いた。

 夜明けが、訪れた。

 それ迄、木々が瞑想しているかの様に、瞑目したまま

立ち続けていたゼームは、その身に朝日が降り注ぎ始め

るとゆっくりと目を開いた。

 日光の温もりが、じんわりとゼームの肌に広がってい

った。

 小綺麗に整地された石や土塊の転がる工事現場にも、

かろうじて残った周辺の木々の茂みにも、等しく朝日は

差し込んでいった。

 朝の訪れと共に、ゼームは言魂を謳い始めた。

 ・・・眠りより浅く、微睡より深く、

 ・・・天と地との狭間より、振り仰ぐ為に身を起こせ

 ・・・夕日にお前の吐息を安らぎ

 ・・・朝日にお前の目覚める呼気をことほごう

 草木の全てが、言魂の終わると同時に大地から湧き出

るあのざわめきと共に身を揺らし始めた。

 ゼームの額の瞳が見開かれ、その神霊力の放出が辺り

一面に及んでいった。

 ささやかなざわめきの音は、一度不意に治まり・・ほ

んの僅かの間、辺りはしんと静まり返った。

 東の森の茂みが一際輝きを増し・・太陽が上り切ると

同時に、そこを源に薄い茜と黄金の陽光が、森と小さな

村の上に迸った。

 朝もやと薄闇とを孕んでいた空気は忽ち退き、佇むゼ

ームの姿は道の上に濃い影を焼き付けた。

 ・・ァ……パガ……ン・・ナ……ァモ……!

 どの植物が発したものか。

 その音とも声ともつかないものを先触れに、不思議な

ざわめきは、今迄ゼームが行ってきた植物の活性化の時

とは比べ物にならない程の音量に高められ・・一つの歌

声、或いは合唱と化して天地を揺るがした。

 ・・ァァ……ミ…タゥァ・・・ミ・・ユス……!

 祈りの言葉の詠唱も聞こえただろう。

 朗らかな哄笑を以って、自らの命を謳歌する声も聞こ

えただろう。

 それらに和する囃し声も耳に届いた。

 軽やかに流れる笛らしき音や、天地を揺さぶる程に響

き渡る太鼓らしき音も流れていた。

 自らの命を生きる事を喜び、愛しむ事を高らかに謳い

上げる声が、はっきりと聞こえた。

 それが・・大地から湧き出るざわめきの、真の音色だ

った。

            ◆

 セデトやヒロト、そして近所の精霊達は、今迄聞いた

事も無い不思議な合唱を耳にして目を覚ました。

 いよいよ始まったのだ・・セデトはベッドから跳ね起

き、寝間着のまま裏庭に飛び出した。

 子供の頃の様な胸の高まりを感じ、セデトは年甲斐も

無く・・と、内心苦笑してしまった。

 裏庭にはゼームの姿は無かった。

 まだ朝日の届いていない薄暗い庭にも、あのざわめき

から生じた合唱は既に始まっていた。

 朝の冷気と、しっとりした夜露の名残の漂っている空

気の中、庭の植物の全てが、色艶を急速に増して成長を

始めていた。

 今迄丹精込めて世話をしてきた植物達に、名残を惜し

む眼差しを注いだ後、セデトは再び裏口から家の中に駆

け込んだ。

 既にヒロトは起きて着替えており、着替えや食べ物を

詰め込んだリュックサックを背負っていた。

 そのリュックサックは、随分前にセデトがヒロトの誕

生日に買い求めた物だった。

「ゼーム様は表に居たよ。もう、精霊達も集まって来て

るよ。」

「そうか……。お前は先に行っておれ。忘れ物は無いの

う?」

 ヒロトを先に外へ行かせると、セデトも慌てて服を着

替えた。

 夜中、寝る前に用意した背負い袋には、当座の着替え

や非常用の固形食と飲料、それに今迄の研究資料の全て

を収めたデータカードが数十枚詰まっていた。

 今思えば、年甲斐も無く最新のコンピュータを、大枚

をはたいて植物園の知人達と共に買い求めたのはセデト

にとって正解だった。

 銀色の小さなデータカード一枚に、百科事典数セット

程の量の情報を収録する事が出来る。思い出も愛着もあ

る生涯の資料の全てを、手に持って移動出来るのは有り

難い事だった。

 固形食をぎりぎり迄減らしたおかげで、荷物はセデト

の年齢でも何とか持ち運び出来る重さだった。

 食べ物については全く心配していなかった。この時期

には、食べる事の出来る野草は野山に充分生えているの

で、味さえ気にしなければ当分は飢えずに済むとセデト

は予想していた。

 セデトが荷物を背負って表に出ると、ゼームは東を向

いて、その身に朝日を浴びながら佇んでいた。

 ゼームから少し離れた場所には、ヒロトと精霊達が固

まって立っていた。セデトの姿に気付くと、精霊達はや

や緊張した硬い表情でセデトに頭を下げた。

「・・皆、起きたな。」

 ゼームが振り返り、精霊達やセデト達を見渡した。

 額の瞳は輝きを増し、その体から溢れ出る不可視の神

霊力の波は、ゼームをより一層近寄り難い存在に見せて

いた。

「このまま町へと向かう。お前達を港迄送ろう。・・そ

こから逃げるなり、留まるなり、好きにするといい。」

 ゼームがそう話す内にも、迸る神霊力の波は周囲の森

林へと広がっていき、僅かな時間の内に畑も家並みも、

見渡す限りの景色の全ては森林に変化していった。

 ゼームは歩き始め、セデト達もその後に続いた。

 今は無人の民家も全て、勢いよく伸びる木々とその合

唱の中に呑み込まれ、押し潰されていった。

 セデトとヒロトの家も例外では無かった。

 生け垣や庭木が瞬時に太り、枝葉を四方に広げる巨樹

と化していった。何十年も暮らして来た家は、他の家と

同じく押し潰され、幾ばくかの屋根瓦の破片や砕けた板

を名残に、森の中に沈んでいった。

 人間の様に大きな家を持たない精霊達にしても、住み

慣れた場所が森に呑み込まれていく様を、セデトと同じ

様な感慨を抱いて眺めていた様だった。

 何もかも・・シーボームの全てが今日、深い森の中に

沈んでいく。

 セデトやヒロト、精霊達は生い茂る木々で埋め尽くさ

れていく風景に背を向け、ゼームの後を歩き続けた。

            ◆

「・・あれが、シーボームの港か。ホント、小せぇ町だ

なぁ!」

 甲板の上で朝の潮風を体に受けながら、レックスは次

第に近付いてくる陸地へと目を向けた。

 小さいながらも新しい建物や、作り直されたばかりら

しい岸壁に朝日が当たり、港は白く輝いている様に見え

た。

「・・んん?」

 レックスが腕を組み、傲然と仁王立ちになったところ

で、白いコンクリートの岸の上に大勢の人間が集まって

いる様子が目に入った。

 船が近付くにつれ、狭い港からはみ出さんばかりに人

間達が集まり、うるさく騒ぎ立てている様子がレックス

にも分かった。

「何だ、ありゃ。」

 バギルも、下船準備にレックスを呼びに甲板に上がっ

てきたところで、岸辺の人だかりに目を丸くした。

「一体何の騒ぎだ?」

「さあな……。」

 二神が驚いている内にも、船は港へと到着し、彼等は

ひとまず船を下りる事にした。

 船が港に着くや否や、鞄やリュックサック、トランク

などの大荷物を抱えた人間達が船めがけて押し寄せて来

た。

「嫌!押さないでよっ!」

「クソっ!てめぇ、足を踏むんじゃねえ!」

 船の荷下ろしも何も終わらない内の乗船騒ぎに、バギ

ル達も港に下りる事出来ず、船長や船員達も呆然と立ち

尽くしていた。

「おい!」

 段々と苛立ってきたレックスは、押し寄せる人の波を

強引に押しのけて、船の一番上の甲板に飛び上がった。

「やいやいやい!!うっとおしいぞっ人間共ぉっ!!こ

りゃ一体全体何の騒ぎだっ!!」

 火を吐くかの様な激しいレックスの一喝に、押し寄せ

る人の波も一瞬にして立ち止まり、港はしんと静まり返

った。

「・・一体、これはどうした事なんだ?何故こんなにも

沢山の人が港に来たんだ?」

 ティラルは手近に居た子連れの婦人に問い掛けた。

 彼女は、見慣れない戦神達の姿に戸惑いながらも、ロ

ウ・ゼームがシーボームの町を森林に沈めようとしてい

る事をティラルに告げた。

「・・だから皆、町から逃げようとしているのか…。」

 バギルは港に溢れ返る人間達を船から見下ろしながら

溜め息をついた。

 ティラルは愛用の甲冑の入ったトランクを持つと、

「とにかく、船を下りてシーボームの土地神の所に行こ

う。船便の増発を頼んだり、私達への協力を依頼しなけ

ればならないしな……。」

 再び騒ぎ始めた人々を掻き分け、岸へと下ろされた階

段を降りていった。

「何だよ、そのままロウ・ゼームの所に行くんじゃねえ

のかよ!」

 あてが外れたという様子でレックスは口を尖らせた。

 自分の荷物をバギルへと投げつけると、そのまま甲板

の上から岸へと飛び下りたのだった。

 下では詰めかけた人々が、空から下りてくる者の姿に

気付き、右往左往していたが、レックスは目指した通り

の丁度人のいない場所に着地した。

「おい、自分の分は持てよなぁ!」

 一足先に港を出ようと歩き始めたレックスを怒鳴りつ

け、バギルもまた手すりを身軽に飛び越し、船から飛び

下りたのだった。

「・・随分と町の様子も変わったな……。」

 土地神の神殿への矢印の書かれた道の表示を見上げな

がら、ティラルは何処か寂しげに呟いた。

 町の中は既に無人となっていた。軒を並べる商店や民

家は、戸締りする余裕も無く開け放たれ、窓や扉からは

でたらめに散らかされた中の様子が窺えた。

挿絵(By みてみん)

 広く舗装された道、真新しい建物や看板の数々。

 百二十年前の小さな鄙びた村の面影は何処にも見られ

なかった。

 彼等が暫く歩くと、町の中心に聳える麗々しい神殿に

突き当たった。道の端に掲げられた表示は、ここが土地

神の神殿だと告げていた。

「全く、気に入らねぇ成金シュミだな!!」

 眼前に聳え立つ神殿の石柱を見上げ、レックスは忌々

しげに吐き捨てた。

 様々な装飾や彫刻など、何処かの美術館を思わせる様

な過剰に華美な玄関に、バギルは何と無く嫌悪感を感じ

ながら足を踏み入れた。

 「執務室」「土木課」「健康福祉課」「財政課」など

の表示板の掛かった扉の並ぶ回廊は、一応は土地神の神

殿が、神国の伝統に従って役所を兼ねている事を示して

いた。

 勿論、既にここで働いていた職員も全て居なくなって

いた。今頃は港での騒ぎの中に居るのだろう。

「・・だから、いいですな!そういう事情で、町民の全

員が脱出するに足る船をシーボームの港に至急回して頂

きたい!」

「頼みましたよ!」

 バギル達が、「町民課」の表示のある扉に差しかかる

と、開け放たれた扉の奥に通信球で何かを頼んでいる背

広の老人や中年の男達の姿があった。

 バギルがそっと扉から中を覗き込むと、彼等の背広の

胸には「町民課・課長」「副課長」などと書き込まれた

名札が付けられていた。

『分かりました。大至急、この村の船もそちらに派遣し

ましょう。』

 相手側のそんな答えが聞こえた後、通信は終わった様

だった。

 町民課の者達も通信を終えると、慌ただしく手近に置

いてあった荷物を抱え込む様にして、廊下に走り出て来

た。

 課長の名札を付けた老人が、扉の側に立っていたバギ

ル達の姿を認めると、不審げな眼差しを向けつつも、

「何だ!君達もまだ避難していなかったのか!港に急ぎ

たまえ。だが安心しろ。船は近隣の村や町から充分な数

が派遣される事になった。」

 そんな事を告げて、それ以上はバギル達には構わずに

課の者達と走り去ってしまった。

「全く、あのアホ土地神のおかげでとんでもない事にな

ったわい!」

「全くです。ロウ・ゼーム様を怒らせて、命を奪われな

いだけでも儲け物ですよ!」

 苛立たしげに怒鳴る町民課の者達の声が、回廊に響き

ながら次第に遠ざかっていった。

 回廊の彼方に小さくなっていく背広姿の一団を眺めた

後、バギルやレックス、ティラルは互いに顔を見合わせ

た。

「まあ、これで町の人間の脱出は問題無いな。」

 レックスはふん、と息を吐いて空になった課の部屋を

見た。何処か、ほっとしている様でもあった。

「これで港の混乱も治まるだろう。」

 ティラルは安堵の息を漏らした。

 町の様子は変わってしまっていても、そこに住む人間

達の心根は百二十年前と同じ、思い遣りと責任感のある

ものだった事に、ティラルは小さな感動を覚えていた。

「しかし、アホ土地神だなんて、ここの土地神は随分人

間から信仰が無いなあ。」

 頭を掻きながら、回廊の先へ顔を向けるバギルの言葉

に、ティラルは幾分表情を曇らせた。

 出発前に紫昏からは、三年前にシーボームの土地神が

交代した事を聞かされていた。新しい土地神が、シーボ

ームの村を急速に変化させてしまったとも・・。

 とにかく土地神の姿を探して、バギル達が更に回廊を

進んで行くと、右手に中庭への眺めが開けた場所に差し

かかった。

 回廊の床から中庭に数段の石の階段が続いていた。

 その先には、幾つかの高価そうな指輪の光る拳を振り

上げ喚いている背広の男を中心に、何人かの人間や精霊

が集まっていた。

 集まった者達の話し声から、その背広の男が土地神ラ

ンタだと分かった。

「いいか!お前らの目標はこの幻神だ!!捕らえた奴に

は褒美を取らす!幾らでも言い値を出してやる!」

 ランタはゼームの顔写真の拡大コピーを男達に見せ、

指示していた。

 石段を下りながらレックスは、バギルとティラルを横

目で見た。

「あの連中、全員炎術士だぜ。よくまあ、これだけ集め

たもんだぜ!」

 人間や精霊の中で、魔法や念力などによって火炎を操

る力を持った者がいる。その中でも、特に戦闘や破壊活

動を生業としている者達を指して「炎術士」と呼んでい

るのだった。

 流石に火の神だけあって、レックスは遠くからの一瞥

で彼等の正体をた易く看破した。

 バギル達が石段を下りて中庭にやって来たところで、

ランタ達も来訪者の姿に気付いた。

 何者が来たのかと、警戒心や不審感を露にランタはバ

ギル達をじろじろと眺めていた。が、バギル達が神国か

ら来た神々だと見て取ると、すぐさまにこやかな表情を

取り繕って進み出てきた。

「これはこれは!ようこそおいで下さいました。神国か

らの神々とお見受けしますが?」

「・・おい!お前・・・・・っと。」

 いきなりランタの前に出て、いつもの調子で傲然と命

令口調で口を開きかけたレックスをさりげなくティラル

は手で制し、ランタへと頭を下げた。

「私は風神ティラル。こちらは火神レックスと、灼熱神

バギル・・・。」

 一通りの自己紹介の後、ティラルはゼームの事に触れ

た。

「ロウ・ゼームとは私達が話し合い、どうしても彼女の

行為を止められない場合は、私達が捕らえる事にする。

・・だから、あなた方には強引な手段は控えていただき

たいのだが……。」

 あくまで穏便に事を済まそうと、ランタへと説得をす

るティラルの横で、バギルも炎術士達を顎で示しながら

口を開いた。

「・・大体、炎術士を使うなんて、乱暴過ぎるんじゃな

いのか?下手すると相手を焼き殺しちまう……。」

 だが、ティラルとバギルの言葉にランタは困惑した表

情を浮かべた。

 バギル達を眺めるランタの視線には、むしろ迷惑げな

感情が滲んでいた。

「そうはおっしゃいますが、この土地の秩序を乱す者を

野放しにする訳にはいきませんなあ。・・この炎術士達

は治安を守る為に私が雇い集めた者達。土地の秩序は、

土地神たる私が守ります。」

 自慢げにランタは片手を上げて炎術士達を指し示し、

余裕の笑みを浮かべた。

 そうしたランタの傲慢な態度はバギル達を不愉快にさ

せた。

「大体、たかが幻神如き、神の内にも入らぬ塵芥の様な

奴。恐れるには及びませんな!それに焼き殺したところ

で・・。」

「・・ぁンだとぉぉっっ!!」

 ランタの尊大な言葉はそれ以上は続かなかった。

 本気で激したバギルの手に喉元を掴まれ、ランタはた

ちどころに酸欠に陥った。

 酸欠どころか、怒りにバギルの拳が紅気を帯び始め、

ランタの喉元からじわじわと煙の筋が上り始めていた。

 このままランタの体を灰にする事は一秒とかからない

だろう。

「おい!今、何てほざきやがったぁぁっっ!!」

 バギルの紅い瞳は、そのまま怒りの炎の色に染まった

様だった。

 何故、幻神というそれだけで、こう迄他の神から蔑ま

れなければならないのだろうか。

 ・・こんな奴がいつ迄も差別をやめないから、ザード

はレウ・ファーに心の隙をつけこまれて洗脳されてしま

ったのだ……。

「おい、よせよ。」

 意外な事に、レックスが間に割って入り、バギルの拳

を解いた。

「こんなチンケな奴にいつ迄も取り合う事ぁねえぜ。オ

レ達だけでロウ・ゼームを探しに行こう。」

 レックスの言葉に、怒りを抑えきれないながらも、バ

ギルはランタから手を離した。

「ひっ・・。」

 バギルの剣幕に怯え、ランタはその場に尻餅をついた

まま炎術士達の方へと後ずさった。

 雇い主にもかかわらず、炎術士達は、にやにやと笑い

を浮かべて成行を面白がっていた様だった。中には冷や

かな侮蔑の視線を放つ者達もいた。

 怒りに任せ、大股で歩きながら立ち去っていくバギル

の後をレックスは追い掛けた。

「・・あなたはどうやら最低の土地神の様だ。」

 ティラルは怒りよりも哀しみに顔を曇らせ、地面に座

り込んだままの卑しい土地神を一瞥した。

 ランタの侮辱の言葉に怒っていたのはバギルだけでは

なかったのだった。

 もはやそれ以上ここに留まるつもりもなく、ティラル

はランタ達の方を見向きもせずにレックス達の後を追っ

て中庭を後にした。

「・・とにかく、ゼームはもう町に向かっている筈だ。

空から探して、森が活性化されている場所があったら、

そこにゼームが居るって言う理屈だ。」

 成金趣味の神殿の玄関から出て来たところで、レック

スは背負った荷物の中から飛翔板を取り出した。

 ノート程の大きさに折り畳まれていた薄い金属の板が

レックスの足元で大きく広がっていった。

「・・そうだな。とにかくゼームを探さないと。」

 怒りに震える気持ちを鎮め、バギルもティラルもそれ

ぞれの荷物の中から飛翔板を取り出した。

 板に甲冑の入ったトランクを引っかけ、ランタの神殿

の真上に浮かび上がったところで、ティラルは一つの方

角へと顔を向けた。

 ・・よく知っている空気を含んだ風が、遠くから吹い

ていた。

 奥深い森の彼方から吹く、木々の香気を内に含んだ風

が、シーボームの町へと流れ込んでいた。

「・・どうした?」

 レックスが訝しげに首をかしげて、ティラルの隣に飛

翔板をつけた。

「ゼームだ。」

 ティラルは、ゼームの気配を風を通じて感じ取ってい

た。

 ゼームのいる所から吹く風は、濃い緑の色が目に見え

るかの様だった。

 木々の梢を揺らし、葉を踊らせて過ぎる内に、緑に染

まってしまったかの様な匂いを風は含んでいた。

「・・どうやら、町にかなり近付いている様だ。」

 ティラルはおぼろげに覚えている、小さな集落のあっ

た地区へと目を向けた。

 風は次第にシーボームへと近付いていた。

 ティラルは、今迄に感じた事も無いゼームの激しい神

霊力の発動を感知し、緊張に身が引き締まっていった。

 風というよりは、嵐というべきか・・。ティラルはじ

っと、その方向を見つめ続けた。

「おいおいどうした?魔物退治にでも行くみてえな怖ぇ

顔してるぜ?」

 炎熱剣を腰に帯び、荷物を背負い直したレックスがか

らかい半分にティラルに声を掛けた。

「いや・・。」

 魔物・・その言葉にティラルは百二十年前の事を思い

出した。

 百二十年前の、あの魔物に対してさえ、ゼームはこれ

程の神霊力を発する事はなかったのではないか。

 そう思える程に、今、吹き荒れる風の気配としてティ

ラルが感じ取っているゼームの力の発動は、激烈なもの

だった。

 この、底知れない神霊力を放つ女神と相対する事に、

ティラルは知らず険しい表情となっていった。

            ◆

 昨夜、町へとリヤカーを引いて歩いていった同じ道が

・・今は、急速に生い茂る草木に覆われていった。

 先頭を悠然と歩むゼームの周囲には、瞬く間に草木が

芽吹き、成長していった。

 次々と生えてくる草を踏み分けて、セデトやヒロト、

精霊達は町への道を歩き続けた。

 むせ返る様なきつい草の匂いに包まれながら、セデト

はふと、孫の方を見た。

 少し息を切らしながらも、ヒロトは一生懸命について

来ていた。僅かに疲れた様な表情を浮かべていたが、弱

音一つ吐きはしなかった。

 ヒロトの古くくたびれた運動靴は、踏みつけた草の汁

で黒ずんだ緑色に染まっていた。

 背丈程にも生い茂る草木を掻き分けて進んでいるせい

か、いつもの通い慣れた道が、幾らか長くセデト達には

感じられた。

 疲れているヒロトや高齢のセデトの様子に、精霊達は

時々目を向け気遣っている様だった。

 そうする内にも、ゼーム達は確実にシーボームの町へ

と近付きつつあった。

 先頭で呼吸一つ乱さず歩いているゼームの後ろ姿を見

つめながら、セデトはこれから森に沈められいく町を思

った。

 昨日の船便は、無事目的地に着いただろうか・・。


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