啓介の面接
千春のオフィスは、窓から差し込む午後の光で穏やかに照らされていた。
外には穏やかな晩春の風が流れているのが窓越しに見える。
先ほどまで、調理室を使った、啓介のフードイベント実演担当としての面接があった。
啓介がもう帰ったあとで、胡葉と千春の二人だけがオフィスに残っていた。
胡葉はデスクの横のソファに腰掛け、少しだけ肩の力を抜いた。
面接中は緊張していたが、今は軽い安堵感が混じっている。
千春は向かいの椅子に座り、腕を組んで微笑んでいた。
その笑みは、親しい友人に見せる軽い安心の色を帯びている。
「面接はどうだったの?」
「怖いくらいに完璧ね」
胡葉は少し間を置いて答えた。
「まず、料理をする姿には華があるのよ。即興であれだけのことができるのは素晴らしいわ。出来上がった料理もね。そして、料理に込められた思いが伝わるの。あの子、面白いわね。ずーっと喋りながら料理していたのよ」
面接での静寂と包丁のリズム、そして軽やかな話し声。
彼は料理の手を止めることなく、食材のこと、味のこと、組み合わせの理由を語り続けていた。
そこには緊張感があったはずなのに、彼の存在だけがその場に自然な温度を加えていた。
「そうね、啓介くんは料理の話をしながら料理するし、食べるときも止まらないわね。少し喋りすぎなんだけど、あれは知識も味の一部って考えがあってのことらしいわ。私には、ただ単に喋るのが好きに見えるけどね」
千春はくすりと笑った。
「そうそう、彼の話は面白かったわ。でも、あれはイベントの実演には向いていないわね」
「え、なんで?」
千春は少し首を傾げた。
「だって考えてみてよ。食べるだけならいいけど、イベントの目的は食材を買ってもらうことじゃない。あんな説明全部やれって言われたら、作る人は気が滅入るわね」
「そうね。啓介くんが説明する全てを自分でやるのは無理よね」
「えぇ、そもそも先輩は料理しないじゃないですか」
胡葉の顔には、意地悪そうな雰囲気が滲んでいる。
「そ、そうなんだけどね」
千春は軽く肩をすくめる。
「まぁそこは、プロデューサーの私が調整するから問題無いわ」
胡葉はソファに深く腰をかけ、窓の外の風景に目をやる。
啓介がとても自然で、誇張のないプロの自信を帯びていたことを思い返す。
なんといっても、あの受け答えだ。
千春からは「啓介くんは女性を変に意識しないから安心して」と言われてはいたが、胡葉は内心、半信半疑だった。
男子大学生でそんなことがあるのだろうか、と。
彼女にとっては、それが最重要課題であり、啓介と一緒に仕事ができるかどうかを左右する分水嶺だった。
だからこそ──あの“踏み絵”が必要だった。
返答を思い出すたび、胡葉の口元はどうしても緩んでしまう。
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「千春さん、鈴木さんと私がお会いするのを少し心配してたのよ。”変なことにならないでね”って。鈴木さんは、そういう私的な部分が仕事に影響するタイプではないですよね?」
「変なことって、イベントを台無しにすることですか。僕も千春さんには大変お世話になっているので、紹介者の立場を損なうような失態は絶対にしませんよ」
「そういう意味じゃなくて、鈴木さんに会ってみたら、とってもいい男で、なんであんなこと言ったのか、よくわかったわ」
「ありがとうございます。でも、僕はまだまだです。まずは“良い仕事をする男”って思ってもらえるよう頑張ります」
「うん、そういうところ良いわね。安心したわ」
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胡葉は、あえて不適切な私的な領域に踏み込む質問を投げた。
それは、相手が“女性としての自分”にどれだけ気を取られるのかを確かめるための、極めて静かな罠だった。
だが啓介は、一瞬たりとも揺らがなかった。
視線も、声の調子も、返答の内容も。
どこを取っても、私情ではなく“仕事の筋”を通す姿勢しかない。
その毅然さは、言葉ではなく態度によって、胡葉に強い信頼を抱かせた。
「そして、恋愛感情に関しても、よくわかったわ。啓介くんには女性への興味がない。はっきりしたわね」
「ヒメちゃん、面接だけでそんなこともわかるんだ?」
「そりゃわかるわよ。視線の動きとか、その人の興味は一目瞭然ね。私を女性として見ていないのは、もうはっきりしたわ」
「ふふっ、だから言ったでしょ。啓介くんは、そういう人なのよ」
胡葉は、深呼吸をしてから契約の話を思い返す。
すぐに決断はしていたが、後は契約だけだった。
「面接の最後に、仕事をお願いすることは伝えたわ」
「さすがに、決断が早いわね。でも時間を置いても彼は逃げないわよ」
胡葉は窓の外を見やる。
午後の光がデスクに反射して、机の上に淡い光の模様を描く。
面接会場の臨場感はここにはない。
それでも、啓介の存在感だけはまだ心の中に漂っているような気がした。
「善は急げよ」
胡葉の声に、千春は心の中で静かに頷いた。
胡葉はソファに背を預け、ゆっくりと目を閉じる。
頭の中では、面接で見た啓介の言葉、仕草が一つずつ繰り返されていた。
しばしの後、胡葉は目を開けて、窓の外を眺めながら微かに笑った。
「楽しみね」
「ええ、楽しみよ」
その時、二人の間に流れる空気は、もう面接の緊張ではなく、これから始まることへの期待と高揚感で満たされていた。
胡葉はデスクに置かれたメモを手に取り、啓介と共に描く未来の仕事の姿を思い描いた。
二人はそれぞれ、これからのことを考えていた。
胡葉は新しいチーム、新しい挑戦、そして啓介という人材との可能性を。
千春は、自ら仕掛けた未来への期待を。
それが、まだ静かに、しかし確実に、これからの物語を動かしていくのだと。




