見せしめと狂信
夜が明ける前に、全ては終わっていた。
あの少年たちは、二度と太郎の家の前に姿を現すことはなかった。
ある者は、早朝、理由も知されぬまま家宅捜索を受け、別件の微罪で強引に逮捕された。
ある者は、深夜、路地裏で黒塗りの車に押し込まれ、どこかの倉庫で冷たいコンクリートの上に転がされた。
だが、奇妙なことに、少年たち自身よりも、彼らを「処理」する側の人間のほうが、明らかに死の恐怖に怯えていた。
少年を逮捕した警察官は、上層部から「あの家の近辺には絶対に近づくな。目もくれるな」と血相を変えて恫喝され、己が触れたものの正体を知らず震えた。
少年を拉致した暴力団員たちは、組織の長から「指一本、傷をつけるな。だが、二度とあの御方の名を口にできぬよう『教育』しろ。もし失敗すれば、お前らの一族郎党、この国から消えるぞ」と、涙ながらに脅された。
彼ら、日本の秩序と混沌の双方を司る者たちは、知っていたのである。
かつて、歴史の教科書には載らない、裏社会の年代記にのみ刻まれた、ある事件を。
旧世紀の残滓たる巨大麻薬カルテルが、その絶頂期に、蜂起したばかりの太郎の首に賞金をかけ、暗殺を予告したことがあった。
その三日後。
カルテルは、地図から消滅していた。
単なる組織の壊滅ではなかった。それは「根絶」だった。
予告に関与した幹部はもちろん、その家族、親戚、縁のあった者、見逃せばいつか遺恨を抱きかねぬと判断された遠縁の者に至るまで、文字通り、この地上から抹殺された。
それは、戦争ですらなかった。一方的な「駆除」であり、冷徹な「見せしめ」だった。
世界は学んだのだ。あの男の安寧とは、世界の安寧そのものであり、それに触れることは、自らの存在理由の消滅を意味すると。
この絶対的な恐怖の源泉こそ、アナスル連合国という、星の三分の一を支配する異形の巨人である。
彼らの軍隊は、人知を超えている。
世界の富の大部分を掌握し、世界の人口の三分の一を擁する国民。その膨大な人的資源から、選びに選び抜かれ、幼少期から旧世界の科学と古の秘術の双方を用いて鍛えに鍛え抜かれた兵士たちは、もはや「超人」と呼ぶべき領域に達していた。
質において敵う者なく、量において圧倒する。
アナスル連合軍は、比類なき軍事力そのものだった。
だが、真に恐るべきは、その軍靴の数ではない。
その軍を動かす、国民の意志である。
アナスルのほぼ全ての国民が、太郎に心酔し、彼を崇拝していた。
彼は、虐げられた者たちを解放した英雄であり、混沌の世界に唯一の秩序をもたらした象徴であり、生ける神そのものだった。
その崇拝は、狂信の域に達している。
老人たちは、彼の健康を祈りながら死んでいくことを至上の幸福とし、子供たちは、いつか彼のために命を捧げる日を夢見て訓練に励む。
彼らにとって、太郎のためならば、死は苦痛ではなく、最大の栄誉に過ぎなかった。
アナスル連合軍は、その国民の総意によってのみ行動する。
そして、その国民の総意とは、ただ一つ。
「太郎の意志」の絶対的な具現化である。
この地上に、これほどまでに純粋で、一元的で、そして危険な意志に満ちた国家は、いまだかつて存在したことがない。
その頂点に立つ男が今、日本の片隅で、不器用な手つきで、雑草を抜いている。




