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火種と圧力

太郎が今、身を寄せている郊外の家は、彼が生まれる前に母が暮らしていた実家だった。

彼の母親は日本人だった。

遠い昔、異国でマフィアのボスに見初められ、彼を産んだ女。

その母が、彼にどのような感情を抱いていたのか、太郎は知らない。

ただ、彼女が死の間際に遺したこの小さな家だけが、彼が「太郎」という仮初の名を名乗る、唯一無二の拠り所だった。

彼はここで、母が愛した庭の土をいじり、旧世紀の家電が立てる静かな駆動音の中で、過ぎ去った嵐の日々を忘れたかのように、ただ息を潜めていた。

だが、一度放たれた暴力の波紋は、簡単には消えない。

逃げ帰った少年の一人は、あの時の光景が頭から離れなかった。

恐怖。そして、それ以上に強烈な「違和感」。

あの不格好な男。

蹴られても、石を投げられても、一切の苦痛も怒りも示さなかった、硝子玉のような片目。

そして、突如として現れた、あの巨大な黒人の威圧感。

「……あいつ、普通じゃねえ」

少年は、あの男が何か途方もない秘密を、あるいは価値のある「何か」を、あの古びた家屋に隠しているに違いないと直感した。

それは、未熟な精神が抱く、歪な確信だった。

彼は、より悪質な、地元の「先輩」と呼ばれる者たちに、その話を持ちかけた。

「金になりそうな外人がいる。片目で、足が悪くて、デカい黒人が護衛についてる。ヤバいモン持ってるに違いねえ」

その企みが、まだ湿った熱を帯びた言葉としてアジトの薄闇に交わされている、まさにその刹那。

ミハドは、太郎の家の門柱の影で、静かに通信端末を耳に当てていた。その巨躯は、夜の闇に完全に溶け込んでいる。

「……ああ、シュナイハか。私だ」

低い、地を這うような声が、大陸を超え、アナスル連合国の長老の元へと届く。

「火種が生まれた。極東の、取るに足らぬ若者だ。だが、火種は火種だ」

彼は、先ほど観測した事象を、淡々と、しかし一語一句違わずに報告する。

「例の協定に基づき、日本政府へ通達を。我が主の安寧が、些かでも脅かされる兆候。それ自体が、世界秩序への挑戦であると」

その通信と時を同じくして。

日本の霞が関、警察庁の幹部室、そして新宿の奥深くにある暴力組織の組事務所に、それぞれ異なる経路から、しかし同一の冷徹な意志が突きつけられていた。

政府には、シュナイハの名で。

「英雄閣下の御身に万が一のことあらば、経済及び安全保障の枠組みは、即刻、白紙となる」

警察と裏社会には、ミハドの配下から。

「あの家の男に指一本でも触れさせてみよ。貴様らの血で、この国の地図を描き直すことになる」

それは、恫喝ではなかった。

単なる事実の通告だった。

「速やかなる教育と、反省を」

ミハドは、そう言って通信を切った。

「これは、決して。決してあってはならないことだ」

彼の瞳には、主人のために無数の命を摘み取ってきた大将軍の、氷のような光が宿っていた。

もし、この国のシステムが自浄作用を発揮せず、あの少年たちが明日、再び主人の前に現れるようなことがあれば――その時、この静かな郊外住宅地は、阿鼻叫喚の地獄と化すだろう。

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