禁じられた嘆願
アナスル連合国の国民は、旧文明様式の生活を、ある種の嘲笑と共に拒絶していた。
彼らの社会は、持ちつ持たれつ、助け合いを是とする。
日の出と共に働き、日の入りと共に身体を休め、家族や友と語らい、そして眠る前には、今日一日の平和を与えてくれた太郎に、感謝を捧げる。
衣食住はもちろん、教育や医療も、国家によって無償で保障されている。
彼らは、現在の繁栄と、今日の不安なき生活の「代償」を、歴史として心得ている。
故に、私利私欲に走らず、慎ましく、真面目に、そして誇り高く生きる。
食うに困らず、雨風に負けない家に住み、好奇心を満たすに困らない生活に、何の不満があろうことか。
誰かと比べ、自己満足の為に消費を繰り返すことの虚しさを、彼らは笑う。
この国民性は、旧秩序の巨大企業に、酷く疎まれていた。
彼らは、機会さえあれば、この純粋な国民を堕落させ、「禁断の果実」の味を思い出させてやろうと、手をこまねいていた。
だが、その道は固く閉ざされていた。
建国当初、まだ貧しかったアナスル連合国に先行投資をしたのは、エイミーが率いるカンパニーだった。彼女は、仲間ですら「馬鹿げている」と止めた巨額の投資を行い、その信頼と引き換えに、今やアナスル連合国の全ての対外利権を一手に引き受けていた。
故に、ラスマンカンパニーを始めとする後発企業は、その莫大で魅力的なマーケットに一切絡む事ができず、焦れに焦れていた。
そして、事件は、太郎の日本帰国前日に起きた。
宮殿で開かれた、アナスル連合国首脳陣との厳かな晩餐の最中だった。
太郎を中心に、首脳たちが、黙々と食事をとっている。
誰もが、太郎の一挙手一投足に瞳を潤ませ、この場に同席できるという最大の栄誉に感激し、明日への職務への意欲を、最大に高めていた。
一人を、除いて。
「おお、神よ!私には……私には、誇りを捨て、皆を裏切ることなど、とても出来ない!」
アナスル連合国通産担当大臣のムガルペが、静寂を破って、突如そう叫んだ。
彼は、涙を流し、両手で顔を覆うと、続けてこう言った。
「私が至らないばかりに……息子が、アメリカで罪を犯し、囚われてしまいました!
息子を助けたければ、奴等は、偉大なる神――太郎閣下に『お願い』をしろ、と私に……!
我が国の対外利権を、あのラスマンカンパニーに渡す様に、と!」
ムガルペは、その場に泣き崩れた。
その、あり得ない光景を見たシュナイハが、激怒に身を震わせた。
「貴様ッ!この神聖なる御前を、なんと心得ておるのだ!
私利私欲の為に、閣下の御耳を汚すとは!つまみ出せ!」
近衛兵が、号泣するムガルペの両脇を抱え、即座に晩餐の席から引きずり出していく。
一同は困惑し、静まり返った。
その、全ての騒乱の中で。
ただ一人、太郎だけが、まるで意に介さず、黙々と皿の上の料理を平らげていた。
やがて、最後の一口を運び、ナプキンで口を拭うと、太郎は、静かに、こう言った。
「ムガルペの息子を、早く家に帰してやらないとな」




