救世主の黎明
アナスル連合国の中枢。
長老シュナイハは、分厚いガラス窓から、彼が育て上げた首都の壮麗な夜景を見下ろしていた。
彼の老いた脳裏に浮かぶのは、極東の島国で「教育」が完了したという報告書の内容ではない。
それは、この大国が産声を上げるよりも遥か昔、全てが絶望の砂に塗れていた、あの灼熱の大地での記憶だった。
軍を抜け、アフリカの大地で弱き民と蜂起した太郎。
シュナイハも、その最初の呼びかけに応えた一人だった。だが、彼らが掲げた理想は、あまりにも無力だった。
旧世界の利権に守られた武装勢力の力は、あまりにも強大だった。武器すらまともに持たぬ太郎達の集団は、瞬く間に追い詰められ、食料も水も尽きた砂漠の窪地で、包囲された。
そして、運命の日が来た。
もはや、明日を生きる道はなかった。
彼らは、その場にいた女、子供、老人に至るまでもが、一つの覚悟を決めた。
夜明けと共に、敵の包囲網の一点に向け、全員で突撃する事を。それは、戦いですらない、誇りを守るための集団自決にも等しい決断だった。
陽が昇り始めた。
一面に広がる砂漠が、血のように赤く染まる。
太郎が、その先頭に立った。
彼らの前には、敵が仕掛けた無数の地雷が眠る、死の罠が広がっていた。
太郎は、ただ、前を見据え、その一歩を踏み出した。
それに続くように、革命者達が走り出した。
ドカン、という地響きと共に、地雷が炸裂し、先頭集団の何人かが、肉片となって吹き飛んだ。
遠方の丘からは、狙撃手たちが容赦なく、その逃げ惑うこともない的を狙い撃ちにし始めた。仲間が、バタバタと倒れていく。
それでも、彼らは怯まなかった。
太郎が、その爆炎と銃弾の雨の中を、ただの一度も振り返らず、義足ではない、生身の足で走り続けていたからだ。
その、狂気じみた光景を。
遠くの岩陰から、まだ蜂起に参加する勇気も持てず、ただ戦況を傍観していた、さらに多くの「弱者」たちが見ていた。
彼らは、いつか英雄が現れ、自分たちを救ってくれると待ち望んでいた、ただの被支配者だった。
だが、彼らが見たのは、奇跡ではなかった。
死を恐れず、死を撒き散らす罠の中を、ただひたすらに前進する、生身の人間の「意志」だった。
その瞬間、傍観者たちの心の中で、何かが焼き切れた。
英雄を「待つ」心は、あの男と「共に死ぬ」という絶対の信仰へと変貌した。
それは、やがて大きなうねりとなった。
一人、また一人と、傍観者たちが岩陰から飛び出し、武器も持たぬまま、その死の突撃へと合流していく。
それはもはや、敗走ではなく、聖戦の様相を呈し始めた。
そのうねりは、大陸全土の虐げられた者たちの魂を飲み込んでいった。
恐怖に打ち克つ、唯一無二の希望の象徴として。
太郎は、この日、この瞬間に、絶対の救世主として人々の心に認識され始めたのである。




