見えざる神域
「一般人には干渉しない。特に、子供には」
それが、太郎の唯一にして絶対の意志だった。
その御心は、ミハドを筆頭とする護衛部隊の骨の髄まで浸透し、彼らの行動を律する絶対の規範となっていた。
彼らは、先日の少年たちがそうであったように、太郎が自ら守ろうとする「弱き者」には、決して牙を剥かない。
しかしながら。
その原則は、世界の裏側を生きる者たちには適用されなかった。
太郎が彼の地に住むと決めた瞬間から、あの郊外の町は、地図の上ではただの住宅地でありながら、裏の世界の地図においては、近付くことさえ許されない「禁足地」となっていた。
各国の諜報員、情報屋、暗殺教団の殺し屋、あるいは旧世界の残滓たるテロリスト。
彼ら「玄人」が、太郎の住む地に興味を持ち、そこへ近付く兆候を見せただけで、あるいは、そこを目指すという意志を固めただけで。
彼らは「駆除」された。
組織は解体され、個人は抹殺され、その痕跡は根本から根絶された。
国内においても、根回しは万端だった。
地元の警察組織はもちろん、その対極に位置する暴力団の組事務所に至るまで、アナスルの圧力と恩恵は浸透しきっていた。その上で、無数の「間者」が送り込まれ、僅かでも不穏な動きを見せる分子には、ことごとく監視がつけられた。
結果は、皮肉な形で現れた。
太郎の住む町は、他のどの地域と比べても、異常なまでに犯罪発生率が低下した。
組織犯罪はもちろん、計画的な殺人事件などは、統計上、皆無に等しかった。
仮に、この国の警察が何らかの兆候を見逃したとしても。
選び抜かれ、鍛え抜かれたエリートであり、アナスル国民全ての期待を背負う連合軍人の中でも、さらに精鋭中の精鋭である「護衛部隊」は、その兆候すら許さなかった。
彼の地の安寧を騒がせる要因には、まず釘を差す。
言って分からなければ、速やかに根絶する。
そして現在。
アナスル連合国は、日本という国家の全ての「出入国管理」システムを、実質的に完璧な掌握下に置いていた。
太郎の住む地に至っては、「太郎の家」に繋がる全ての経路、全ての路地、全ての屋上に、人知れず監視の目が光り、いかなる異常の発生に対しても、常に「万全」の対応が取られるようになっていた。
各国政府の諜報部は、アナスル連合国から、冷徹な通達を受けていた。
『今後、日本国領土内において諜報活動を行う場合、その意図を明確に申告すること。少しでも申告内容と異なる不審な行動が認められた場合、警告なく、直ちに抹殺対象とする』
それは、一国家の主権を根底から踏みにじる、屈辱的な要求だった。
だが、各国はそれを甘んじて受け入れた。
何故なら、彼らは知っていたからだ。
実際に、太郎がこの国に移住してから、さほど経っていない頃。ある国際テロ組織が、「無断」で日本国内でのテロ行為を実行しようと企てた。
その組織が、日本へと舳先を向けようと船をチャーターし、武器を揃えようとした、ただそれだけの「兆候」を捉えられただけで。
彼らは、瞬く間に解体され、駆除され、根絶された。その事実は、裏の世界を震撼させた。
誰にも見えないが、誰もが見ていた。
日本にいる怪物のことを。
誰も言わないが、誰もが噂した。
日本にいる怪物のことを。
誰も聞かないが、誰もが聞いていた。
日本にいる怪物のことを。




