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序章 歪なる平衡

陽光は、名も無き郊外住宅地の区画を、等しく焼いていた。

世界がどれほど歪に再編されようと、日本のありふれた午後に射す光は、旧世紀のそれと何ら変わりはなかった。

太郎は、自宅の小さな庭で屈み、雑草を抜いていた。

その動作は、ひどく不器用だった。

土に押し付けられた右足は生身の肉ではなく、古びた関節が鈍い音を立てる義足である。

柔らかな腐葉土は、その不自然な接合部をうまく受け止めきれず、体重をかけるたびに体躯がぐらりと傾いだ。

雑草を掴む左手もまた、完全ではなかった。薬指と小指を失った掌は、しぶとい根を捉えきれず、虚しく土を掻くばかりだ。

片目だけが捉える視界は、その歪んだ平衡感覚を補うように、執拗に地面の一点を見つめている。

その、あまりにも不格好な格闘を、ブロック塀の向こうから投げつけられる視線があった。

「おい見ろよ、あの外人。だっせえ」

まだ声変わりも終えていないような、甲高い嘲笑。だらしなく制服を着崩した少年が二人、三人。

彼らの若さは、この澱んだ国の閉塞感を持て余していた。

「うわ、マジだ。足、変じゃね?」

「手もヤバい。片目だし」

好奇心は、すぐに侮蔑へと変わる。彼らにとって、この壮年の白人男性が此処にいることの不自然さも、その男が纏う形容しがたいほどの重い静けさも、理解の範疇を超えていた。

ただ、その「不格好さ」だけが、格好の的だった。

太郎は、作業を止めなかった。

嘲りの言葉は、熱を帯びた大気の中を滑り、彼の背中にぶつかっては、意味をなさずに消えていく。

まるで、分厚い鉛の板に、小石を投げつけるかのように。

「おい、オッサン。聞こえねえのかよ」

痺れを切らした一人が、塀に足をかけた。

その目は、弱った獲物を見つけた獣のそれだ。

太郎は、ようやく顔を上げた。

残された左の瞳が、少年たちを映す。

それは、ただそこにあるだけの、硝子玉のような無感情な瞳だった。

だが、その奥には、地平の彼方で燃え盛る太陽と、すべてを呑み込む黒い星の双方を同時に見つめてきた者だけが持つ、測り知れないほどの深淵が横たわっていた。

少年たちは、その深さに気づかない。

一人が、空き缶を投げた。

それは鈍い音を立てて太郎の義足に当たり、乾いた土の上に転がった。

「遊ぼうぜ、英雄」

誰かがそう揶揄した時。

遠く、アフリカ大陸と南米大陸を束ねる「アナスル連合国」の首都、その中枢で世界の均衡を司っていた古の天秤が、軋み、傾き始めたことを、この星の誰もまだ知る由もなかった。

世界の象徴が今、極東の島国の路地裏で、ちっぽけな暴力に晒されようとしていた。その一撃が、全てを終わらせる引き金になるとも知らずに。

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