第四話:風の仲間と市場の祈り
修道院の朝は静かに始まる。クララは寝室の窓辺で赤銅色の髪を櫛で整え、新しいワンピースを見つめた。
ベージュの裾にグリーンの挿し色が映え、アイリーンとラッセルからもらったネッカチーフがそっと寄り添っている。「女神の恵みに感謝」と呟き、彼女は微笑んだ。昨日の街での出来事――『風詠みの刃』の仲間たちとの出会いが、まだ胸を温かくしている。
礼拝堂での朝の祈りが終わり、クララは花壇へと向かった。薬草の香りがユルゲンのゾーイ婆さんを思い出させ、土に指を差し入れるたび、懐かしさがこみ上げる。「癒したい人がいる」と心に刻み、彼女は小さな白い花に水をかけた。
遠くでアイリーンの「あー、まだ眠いわ!」という声が響き、クララはクスッと笑う。修道院の日常は穏やかで、けれどどこか物足りない――そんな思いが頭をよぎった瞬間だった。
「クララさん!」
聞き慣れた声に振り返ると、ラッセルが眼鏡を光らせながら近づいてくる。
その後ろには、白い毛むくじゃらの狼獣人レオ、金髪のエルフのリリス、杖を携えたドワーフのガルドが並んでいた。『風詠みの刃』の面々が、修道院の庭に立つ姿はまるで絵本の挿絵のようだ。クララは目を丸くし、「え、どうして?」と呟く。
「実はちょっと頼みがあってね。」ラッセルが穏やかに笑い、続ける。
「市場で小さな騒ぎが起きてるんだ。僕たちだけで解決できるけど、クララさんの祈りがあればもっと助かると思ってさ。」
レオが牙を見せて笑い、
「オレ、昨日のお前見て感心しタ。あの気概なら大丈夫ダ。助けに来てくレ!」
と胸を叩く。
リリスがふわりと髪をかき上げ、
「歌と祈りは似てるわ。試してみない?」と誘い、ガルドが
「魔法より祈りの方が効くかもしれんぞ!」とヒゲを撫でた。
クララは驚きつつも、胸がドキドキするのを感じた。
修道院の外で、仲間と共に何かをする――それはユルゲンでは味わえなかった冒険の匂いだ。
「私でよければ……。ですが、私に祈りは……」
クララはまだ祈りの光の発現に至らないことにためらっている。うつむく彼女にラッセルが
「時間がない、行こう!」
と先導し、一行はルーネの街へと足を踏み出した。
現場は騒然としていた。街の人は近くに避難し、人だかりになっている。群衆の間をラッセル一行が割って入った。
「こちらです!」
行商人の馬車の荷物を荒らす魔獣――フェザラットだ。
灰色の小さな影が飛び交っている。子猫ほどの大きさで、背中に羽を生やした魔獣で、リンゴを咥えながら「キィキィ!」鳴いていた。
羽で滑空して荷物を散らかしている。商人もパニックになって「助けてくれー!」と叫んでいた。
「ね、ネズミに羽が生えてる?!」
アイリーンが目を丸くしていると、レオが笑いながら剣を構える。
「こいツ、フェザラット。市場じゃよく出ル」
リリスが弓を引き、呟く。
「歌で怯えさせましょうか?」
ガルドが杖を振り、「魔法で焼き払うぞ!」と意気込む。
クララは怯えつつも、倒れたリンゴのそばで震える子どもを見つけ、駆け寄った。
「大丈夫?」
子どもは泣きじゃくり、クララの言葉が聞こえないようだ。ふと膝を見ると、擦りむいている。他にも腕にかすり傷もあり、痛そうだ。
クララはとっさに祈った。
「『女神マリテよ、かの者を癒やし給え』……っえ?」
組んだ両手から光が溢れ、子どもの傷を癒やす。彼は痛みが消えたのが分かったのか、泣き止んだ。
「おねえちゃん、ありがとう!」
「お母さんか、お父さんは?」
子どもの頭に手を置き、クララが尋ねた。
「おかあさん、うーん……。あ、あそこ!」
指さした先にアイリーンと、誰かの名前を呼ぶ婦人が目に入った。
「カイル、どこ行ってたの!」
「おかあさーん!」
子どもと母親が再会し、抱き合った。親子はクララとアイリーンに礼を言って、去っていく。
去りゆく親子の背中を見ながらアイリーンが言葉を紡ぐ。
「クララ、あなた……」
「うん、癒やしの力が使えたの……」
ふわりと笑うアイリーンは、貴族らしい高貴な表情を浮かべた。
「よかった、本当に。でも無理しちゃダメだからね。あたしも最初、力が使えた時、調子に乗って使いまくって倒れちゃったんだから! 目覚めた後、お母様とお父様に怒られてしまったのよ」
そのエピソードに、クスッとクララは笑った。
リリスが歌うように詠唱を唱え、フェザラットの動きを鈍らせる。
「レオ、これで良いかしら?」
「うン、だいぶ狙いやすくなっタ」
レオが剣を振るい、魔獣を切っていく。
ガルドが杖を構え、小さな火の玉を飛ばした。
「『ファイア』! おお、娘の歌は魔獣も狂わすのか、ガッハッハッ!」
命中した火の玉がフェザラットの体を燃やし、ポトポトと地面に落ちていく。落ちた魔獣の死体をラッセルが回収している。回復や能力向上などの出番はないからだ。
「小さい火より、大きなのをドカンとかませてやりたいのう!」
「やめてよね! 街が燃えちゃうじゃない」
「やめロ、ガルド。切るゾ」
軽口を叩き合いながら、統制の取れた戦闘にクララたちは目を輝かせていた。
最後の一匹にレオが斬撃を浴びせ、市場での騒動は終わった。ラッセルは笑顔で死体を拾い、袋に詰めていく。
「みなさん、お疲れ様でした! いやぁ、いいパーティですよね。歌で惑わせ、魔法と剣で退治し、わたしは死体回収。これほど統制の取れたパーティはCランクの中でもわたしたちが随一なのでは?!」
ラッセルの言葉に『風詠みの刃』の面々はジロリと睨む。
「今回、ラッセル、約立たズ」
「次に期待ね」
「なんでお前さんがリーダー面なんじゃ!」
ラッセルの頭をはたきながら口々に言うメンバー。その言葉にへこたれないラッセルはキョトンとした様子で三人を見た。
「えっ、結成時にわたしがリーダーだって言ってたじゃないですか? やだなぁ、みなさん酔っ払っていたから、覚えてないんですねー」
そのやり取りにパーティの絆を感じたクララだった。四人の元へ歩き出し、パーティの面々に笑顔を向ける。
「みなさん、お疲れ様でした。歌に魔法に剣に……鮮やかな戦いに胸が踊りました。素敵なパーティなんですね」
アイリーンも目を輝かせ、三人に向かって言った。
「ホントにすごかったわ! お兄様の剣の練習なんて目じゃないくらいの迫力! まるでおとぎ話の勇者一行の戦いみたいね! ……ラッセルは、うん。死体回収お疲れ様」
アイリーンの冷たい態度にショックを受け、泣き出すラッセル。
「今回はわたしの出番はなかっただけですよぉ!」
対照的にクララたちの言葉に照れる『風詠みの刃』。レオは鼻を鳴らし、リリスは腰に手を当て胸を張る。ガルドは杖を頭の上でクルクルと回し、笑っている。ラッセルはまだ意気消沈中だ。
「二人とモ、奢ル。今夜、呑みに行こウ!」
レオの提案に二人は頷き、修道院に一旦帰っていった。