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第一話:雨中の出会い

灰色の雲が空を覆い、神奈川の午後に静かな雨が降り始めた。佐藤悠翔さとう ゆうとは、通学鞄を片手に持ちながら、校舎の裏にある音楽室へ向かっていた。足元の水たまりを踏むたびに、微かな水音が響く。イヤホンから流れるピアノ曲が、雨の音と溶け合い、外界の全てを遮断する。


彼の日常は、いつもと変わらなかった。目立つことを避け、本や音楽に自分を閉じ込める。それが、彼にとって一番心地よい生き方だった。


しかし、音楽室の扉を開けた瞬間、その平穏が打ち砕かれる。


室内の中央に立つ一人の少女。制服の袖には雨水が滴り落ち、肩にかかる黒髪は濡れて艶やかに光っている。小柄な手に握られているのは、小提琴。彼女の顔はどこか冷たく、それでいて鋭い意志が宿っていた。


瀬戸凜香せと りんか。学校中で知られる天才バイオリニスト。


「……ごめん。」


悠翔は思わずそう呟き、扉を閉めようとした。だが、その瞬間、彼女の声が冷たく響く。


「待って。」


静かな部屋に、少女の声だけが不釣り合いに大きく聞こえる。


「君、さっき何か聞いてた?」


凜香は悠翔のイヤホンに視線を向け、眉を僅かにひそめる。その表情には、不安とも苛立ちともつかない感情が滲んでいた。


「聞いてたって、何を……?」

悠翔はイヤホンを外し、困惑しながら答える。


凜香は小さく息を吐き、視線を逸らした。「……何でもない。」

彼女はバイオリンをケースにしまい始める。動作は滑らかだが、その仕草にはどこか焦りが見えた。


「あの……邪魔しちゃった?」悠翔は戸惑いながら口を開く。


「別に。私は帰るところだったから。」

凜香は短くそう答え、ケースを持ち上げる。だが、部屋を出る直前、彼女は振り返らずにこう言い放った。


「君もピアノを弾くの?」


「え?……まあ、少しだけ。」


悠翔の曖昧な返事に、凜香は一瞬だけ沈黙した。そして、ため息混じりに言う。


「そう。じゃあ、弾いてみれば?そのピアノが泣くような音しか出せないなら、ここを使う資格はないけど。」


そう言い残すと、彼女は悠翔に背を向け、雨音の中へと消えていった。


「泣くような音って……」

彼女が去った後、悠翔はぽつりと呟いた。彼女の言葉は挑発だったのか、それとも純粋な期待だったのか。答えの見えないまま、悠翔はピアノの前に座り、鍵盤に手を置く。


指先が一つ、鍵盤を叩く。室内に響いた一音は、雨音と共鳴しながら消えていった。


この時、悠翔は知らなかった。この冷たい雨の日の出会いが、自分の人生を大きく動かし始めたことを。

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