第 伍拾弐 話:サソリの毒針
真斗達が独断で出陣してから翌日の夕方、ヴィシャーカパトナムの南西にあるクリシュナ川に面した都市、ヴィジャヤワーダに到着。現地の人達から状況や情報を聞き出した後、すぐに都市の郊外へと出陣した。
日が完全に沈み夜となった都市の郊外にある渓谷、“パティム渓谷”ではラクシュミー率いる三百人の近衛隊が渓谷東部にある開けた山の中腹でテントを張り焚き火で周りを明るくして野営をしていた。
野営地内ではチチャクヘルムとチャール・アイナを着こなしたムガル兵士達が物を運んだり、主力の武器しているタルワールソードやランス、ショートボーなど手入れをしながら同時に戦いで破損したチャール・アイナの修復を地面に胡坐をして行っていた。
だが、一方で設けられた治療場では戦いで負傷し包帯した多くのムガル兵士達が腰を下ろし項垂れたり、用意された簡易製のベットに寝かせられ、時には痛みで悲鳴を上げる者や負傷による高熱で魘される者で敷き詰め状態であった。
野営地の中央に張られたテント内ではチャール・アイナを着こなした美しいリザードヒューマンの姫君、ラクシュミー・バーイーがテーブルに置かれた渓谷の立体模型図を見ながら頭を抱えていた。
「副官、負傷者の人数は?」
上座に立つラクシュミーの問い掛けに彼女の右側に立つ男性の副官が少し深刻な表情で答える。
「はい姫様。我が近衛隊の現状は負傷者だけでも百人以上です。今、現状で戦える者は微々たるものです」
「そう・・・でも何としてでも敵の進軍を食い止めないと」
ラクシュミーは深刻な気持ちを持ちながらも最後まで戦う固い意志を感じさせる表情で言う。
「姫様、やはりカスティーリャ=アラゴンが軍を北上させたのも」
彼女の左側に立つ頭にターバンを巻まき、チャール・アイナを着こなす男性士官からの問いにラクシュミーは頷く。
「ええ、カスティーリャ=アラゴンの狙いは我が国ムガルと日ノ本との同盟を阻止する為だ。そして日ノ本との同盟を口実に我が国に攻め込む気だ」
ラクシュミーの予想は間違っていなかった。かつて東インドまで領土拡張を目的にインドに進軍して来たカスティーリャ=アラゴンはムガルと戦争となった。
戦争は一年、続き結果はカスティーリャ=アラゴンの勝利で終わりムガルとの和平交渉でアラビア海とベンガル湾に面する六つの都市はカスティーリャ=アラゴンの領土となった。しかしカスティーリャ=アラゴンはインド半島全土の支配を虎視眈々と狙っており、ムガルが再び敵対する事を待っていたのだ。
「副官、動ける兵を出来る限り集めて!こうなった道連れでもなんでもカスティーリャの軍を止めるわよ‼」
ラクシュミーからの命に副官は意を決した表情で頷く。
「はい!姫様‼」
するとそこに一人のチチャクヘルムとチャール・アイナを着こなした一人のムガル兵が慌てた様子で現れる。
「失礼します!姫様!大変です‼」
「どうした!敵が攻めて来たのか‼」
ターバンを頭に巻いた士官が問い掛けると現れたムガル兵は荒くなった息を整えて答える。
「いいえ!そ、それが!・・・」
「失礼します」
するとムガル兵が最後まで言い終わる前に後ろからムガル兵を退ける様に真斗、氏康、長親が兜を脱いだ状態で現れる。
「失礼を承知でお伺いします。ここの指揮官は誰ですか?」
真斗からの問いにその場に居る物達は何者であるか知らない事で口を固く。だが、上座に立つラクシュミーは真斗達を知る為に答える。
「この私だ。ムガル帝国第一皇女にしてジャーンシー近衛連隊の指揮官であるラクシュミー・バーイーと申す異国の人よ。そなた達は?」
ラクシュミーが自己紹介をしながら問うと真斗、氏康、長親はラクシュミーに向かって合掌をしながら一礼をする。
「お初にお目に掛かりますラクシュミー皇女様。私は日ノ本から参りました伊達領会津の守護者、鬼龍 真斗と申します」
「初めましてラクシュミー皇女様。私も同じく徳川領鎌倉と諏訪地の守護者、北条 氏康と申します」
「お会い出来て光栄でするラクシュミー皇女様。私も同じく徳川領武蔵の守護者、成田 長親と申します」
丁寧なかつ流暢なヒンディー語で自己紹介をした三人にラクシュミーも合掌をして一礼をする。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。しかし、確かジパングは今、帝国の指示で入国出来なかったはず。なぜここへ来たのですか?」
ラクシュミーの鋭い問い掛けに一瞬で場の雰囲気に緊張が走り、近衛隊の士官達は真斗達を見ながら腰に提げているタルワールソードに手をかける。
そんな緊張感の中で真斗は全く動じず、落ち着いた表情で答える。
「はい、ラクシュミー様。我々がここへ来たのは我らの共通の敵であるカスティーリャ=アラゴン軍の進軍を止める為に馳参じました」
すると真斗の答えを聞いていた副官が物凄い険しい表情となる。
「敵を止める為だと‼︎言いがかりはよせ!どうせジパングもインドの支配を狙っているのだろう‼︎嘘を吐かず真実を話せぇ!」
副官からの高圧的な発言と態度に真斗はおろか氏康と長親も真剣かつ落ち着いた表情をしていた。そして真斗は副官に向かって首を横に振る。
「いいえ。嘘偽りは毛頭、ございません。我々がここへ来たのも純粋に敵を倒す為です」
「くっ‼︎・・・おのれぇ!最後まで言わぬつもりか‼︎」
副官はついにタルワールソードを鞘から抜き、真斗達に斬り掛かろうとしていたが、ラクシュミーが自身の左腕を副官の前に出して止める。
「副官、剣を納める。こいつらが何の目的でここへ来たは今はどうでもいい。重要なのは目の前の敵を止める事だ。それに異国人ではあるが我々を助けてもらえるながら寧ろ、ありがたいことだ」
ラクシュミーの真剣な表情で説得された副官は無言で頷き、タルワールソードを鞘へ戻した。そしてラクシュミーは真斗の方を向く。
「キリュウ、殿っと申したか。早速ですまないが、我々はカスティーリャ軍に圧倒されている。この状況を打開するいい策はないかしら?」
ラクシュミーからの問いに真斗は一歩前へと出て渓谷の立体模型図を使って自身の考え出した打開策を提示する。
「はい。私が考えた打開策は・・・」
後に真斗が提示した打開策は日本史のみならず世界史に大きな衝撃を与える大逆転劇となった。
■
翌朝、ラクシュミーの居る陣地前には昨夜の内に真斗達に付いて来た足軽達が作った塹壕に和弓とスナイドルMk.Ⅲ小銃で武装した足軽達とショートボーと1853年式エンフィールド小銃で武装した近衛連隊のムガル兵達が緊張した表情で身を低くして腹ごしらえをしていた。
一方、源三郎達が戦場から少し離れた川で漁をして漁師が釣ったインドベンガルウナギを使って料理を振っていた。
「んーーーーーっ流石だ爺。まさか異国の地で鰻の蒲焼きが食えるとわ」
真斗が嬉しそうに持って来た野営用の七輪で背開きした鰻を焼く源三郎に言うと彼は少し嬉しい表情になる。
「いいえ、いいえ若。私はただ戦に勝てるように美味い飯を作っているだけですよ」
「そっか、でもやっぱり何年経っても爺には敵わないなぁーーーっ」
真斗が笑顔でそう言うと源三郎だけでなく彼の腕を左之助、忠司、平助、そして氏康、長親、水頼、丹波と共に笑い合う。
そして出来たタレ焼きにした鰻を炊き立ての白米が入った丼の上へと乗っけて行き、その場に居る真斗達に一人一人、渡して行った。また真斗は自分の分は後にし、ラクシュミー達の分のうな重を渡した。
その後、真斗は自分の分を手に取り皆が胡坐で地面に座る場所へと向かい氏康と長親の間に座る。真斗達は嬉しそうに源三郎が作ったうな重丼を目を輝かせる一方でうな重丼を受け取ったチチャクヘルムを被ったラクシュミー達は困った様な嫌な表情をしていた。
「どうかしましたラクシュミー様?もしかして鰻、苦手でしたか?」
真斗がそう尋ねるとラクシュミーは口を酸っぱくさせながらぎこちなく頷く。
「ええ。と言うよりも我が国ではウナギは見た目は蛇に似ていても体がヌルヌルでしかも身は泥臭いし、背骨は固いで調理をしても塩漬けかスパイスで塗して焼くしか調理法がないし、味も辛すぎて好んで食べる人はいないんです」
ラクシュミーが語ったインドでの鰻料理、そして食べるのに困るラクシュミーに対して真斗は笑顔で右手を横に振る。
「大丈夫ですよラクシュミー様。我が日ノ本の鰻料理は塩漬けや香辛料を使わなくても鰻本来の美味さを生かした調理法で作っていますので騙されたと思って食べて下さい」
真斗に続く様に氏康と長親も笑顔でラクシュミーに向かって頷く。
「ええ、どうぞ食べてみて下さい。今での常識がひっくり返りますよ」
「そうですよ。それに日ノ本では鰻は縁起物として扱われています。食べればきっといい事がありますよ」
三人からの勧めにラクシュミーは意を決して木のスプーンで鰻と米を一口分を掬い上げ、口へと入れる。
そして一噛みした瞬間に鰻のふっくらとした身の柔らかさと皮のパリパリ触感、甘さと苦さが良い偶わいに合わさったタレ、そして鰻の身から出た脂とタレを吸った米の美味さが口の中で弾ける様に広がる。その美味しさは鰻とは思えない、まさに魂が吹っ飛ぶ様な味であった。
人生初のうな重丼を食べたラクシュミーと士官達は言葉を失う程に感激する。よく噛み味わい呑み込んだラクシュミーは少し涙を流し、手を振わせながら感想を言う。
「これは・・・先帝のっ!いや‼もはや神々の料理よ‼こんな料理が!この世に存在していたなんて‼日ノ本はまさに食のシャングリラよ‼」
ラクシュミーが大絶賛する中で士官達は想像を超える美味さに何も感想を言わずに無我夢中でモグモグと食べていた。
それを見た真斗達は微笑み、自分達も食べ始める。
「「「「「「「「「いただきます!」」」」」」」」」
真斗達は軽くお辞儀をして竹で作った箸で食べ始める。するとうな重丼を食べ続けていたラクシュミーはその光景が不思議に思い、食べる手を止め真斗に問う。
「あのーーーっ真斗殿、その言葉は何ですか?食事をする時に必要な儀式なのですか?」
ラクシュミーからの問いに真斗も食べる手を止めて、笑顔で答える。
「ああ、この言葉は日ノ本独自の風習で我々、人と呼ばれる動物は他者の命を食して生きています。だから全ての命を得る事に感謝する意味で食べる前に“いただきます”と言うんです」
真斗からの説明に納得するラクシュミーであったが、同時に日ノ本独自の食に対する文化に感心するのであった。
その後、腹ごしらえを終えた真斗達はラクシュミー達と共に戦の準備を整える。
「それでは皆さん!よろしくお願いします‼」
真斗が真剣な表情で源三郎達やラクシュミー達に言うと皆は覚悟を決めた表情で頷く。
「「「「「「「「「「「「「「おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」」」」」」」」」」」」」」
こうして日ノ本初の異国の地で戦が幕を開けたのであった。
■
まず先に仕掛けたのは日ノ本とムガルの仮同盟軍であった。霧が立ち込める渓谷内を小田原北条軍の十人で編成された水頼指揮の騎馬隊が渓谷西部にある平野に作られたカスティーリャ=アラゴン軍の陣地に向かい、奇襲を仕掛けた。
突然の奇襲に混乱したカスティーリャ=アラゴン軍であったが、すぐにショートボーやイベリア半島でライセンス生産されたModel1728マスケット小銃で反撃に転じた。一方で奇襲を仕掛けた小田原北条軍の騎馬隊は和弓で押し捻りの型を使った一撃離脱戦法でカスティーリャ=アラゴン軍をひたすら射撃した。
そして遂にしびれを切らしたカスティーリャ=アラゴン軍は三個小隊を陣地に残し、残った大部隊は騎馬隊へ向かって突貫して来た。
跨る愛馬の上からカスティーリャ=アラゴン軍が向かって来るのを確認した水頼は騎馬兵達に命を下す。
「頃はよーーーし!全隊‼一気に陣へ逃げるぞぉーーーーーーっ!」
「「「「「おぉーーーーーーーっ!」」」」」
そして水頼達は一気に馬を走らせ、陣地へと逃げ始める。
一方、ラクシュミーの陣地で敵が来るのを双方の兵達が息を潜めながら塹壕内で身を隠していた。そして渓谷を見渡している忠司に副官が問い掛ける。
「なぁ本当にこんな策で上手く行くのか?いくら何でも兵力差があり過ぎるぞ」
少し疑う表情で副官に対して忠司は他人を信じている様な表情で首を横に振る。
「そんな心配しないで下さい副官殿。我らの若様を信じて下さい。かならず勝利を齎しますよ」
忠司がそう言った後に霧の向こうから水頼の騎馬隊が走って現れた事に気付いた忠司は塹壕に向かって軍配を高々に振るった。
それを塹壕内で確認した丹波は頷き、軍配を振り返す。そして塹壕内の兵士達に向かって大声で命を出す。
「皆の者!敵が来るぞぉーーーーっ‼鉄砲隊!弾込めぇーーーーーーーーーっ‼」
丹波からの指示にムガル兵達は素早く左肩に掛ける肩掛けバックから蝋でコーティングされた紙薬包を取り出し、噛んで破くと装備する1853年式エンフィールド小銃の銃口から火薬と丸い銃弾を入れて、小銃に備えてある押し込み棒で火薬と弾薬を奥へと押し込む。そして銃身後方にある撃鉄を起こし、バック内にあるポケットから雷管を取り出し火門に雷管を取り付けた。
一方、足軽達は素早く左肩に掛ける肩掛けバックから一体型弾薬を一発、取り出し装備するスナイドルMk.Ⅲ小銃の銃身後部にある装填口のカバーを外し、一体型弾薬を装填するとしっかりと密閉し撃鉄を起こす。
「鉄砲隊!弓矢隊!構えぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」
丹波から次なる命に鉄砲と弓を装備した足軽達とムガル兵達は素早く構える。すると塹壕を超えて通り過ぎた水頼の騎馬隊の後から地鳴りの様な音が響き始める。
双方の兵士達が少し汗を掻き、緊張した表情で待っていると目の前に立ち込める霧の奥から勢いよく走って来るカスティーリャ=アラゴン軍が現れる。そして丹波は軍配を高々に上げて、大きく振り下ろした。
「発てぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」
丹波からの攻撃開始の合図に双方の兵士達は一斉に鉄砲と矢を撃ち始めた。
青い十字が描かれた白いサーコートとチェイン・メイルにサレットヘルムやノルマンヘルム、アーメットヘルム、ケルトハットを着こなし、アーミングソードやショートソード、ランス、ヒーター・シールド、ショートボー、Model1728マスケット小銃で武装し、向かって来たカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達は日ノ本・ムガル軍からの一斉攻撃を受けて前列の騎士達はバタバタと倒れて行った。
そして絶え間ない日ノ本軍とムガル軍の攻撃にカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達は混乱しながらあちこちにある岩の影に隠れる一方で何人かの騎士達は怯む事無く前へと進むが、山の斜面に到達する前に倒されていた。
「ば!馬鹿な‼ムガル軍に増援が来ていたのか⁉」
サレットヘルムを被り、アーミングソードを持ったカスティーリャ軍のハーフエルフの男性騎士が岩陰から山の中腹を見ていると一人のケルトハットを被り、Model1728マスケット小銃を持った騎士が走って駆け寄って来た。
「隊長!どうしますか‼敵の塹壕陣地を突破しない限り我々は動けません!」
「くそ!仕方ない‼後方に戻って砲兵隊に砲撃支援を頼むんだ!」
「はい!隊長‼」
駆け寄って来た騎士は中腹に向かって岩の影からModel1728マスケット小銃で射撃した後に飛んで来る銃弾と矢の中を後ろに向かって走って行った。
一方、真斗は氏康と共に七百人の和槍を持った足軽達を連れて山道を走っていた。
そして後方から響いて来る射撃音と叫び声や雄叫びに先頭を走りながら氏康は振り返る。
「始まったなぁ。後は向こうが進軍して来た敵を長く押さえられるかが問題だな」
そう言う氏康であったが、彼の右隣を走る真斗は走りながら指摘をする。
「氏康!それは違うぞ‼敵を押さえるのが問題じゃない!問題なのは俺達が如何に早く敵の背後を突けるかが問題だ‼もし敵の背景を突けなければ!この戦は負ける‼」
真斗からの指摘に前を向いた氏康はハッとなり、納得する表情をする。
「そうだなぁ!この戦は俺達の奇襲に掛かっているからな‼んじゃ義兄上!少し走る速度を上げましょう!」
「ああ!そうだな氏康‼急ぐぞ!」
「ええ!」
そうして二人は笑顔で走りながらグータッチをすると走る速度を上げ、それに付いて行こう後ろの足軽達も走る速度を上げた。
実はこれは全て真斗の作戦であった。昨夜の軍議で真斗が提示した策がまず敵の陣地に向かって小規模の騎馬隊を向かわせ、奇襲を行う。そして敵の戦力の大部分を引っ張り出し、山の付近まで誘い込み、激しい撃ち合いを行い敵主力を押さえ込む。
その間にラクシュミーの元に来る前に地元の人から得た渓谷の北側にある地元の人しか知らない山道を使って敵の陣地を後ろから奇襲し、敗走させた後に山付近で押さえ込んでいる敵主力を背後から奇襲し、挟撃する策であった。
その為にも敵陣を奇襲する際の移動時は馬は使わず少数で行く必要があった為、今回は真斗と氏康が七百人の足軽達を連れて行く事となった。
最初、ムガル側は真斗の策に反対であったが、どうしてもカスティーリャ=アラゴン軍の進軍を止めたいラクシュミーは迷う事なく真斗の策を採用するのであった。
■
立ち込める霧の中、真斗達は身を低くし、敵に見つからないように山道を進み、草木が生い茂る斜面まで来ると進むのを止め、息を潜ませる。
そして真斗は草むらから顔を少し出し、薄らと見える目の前の光景を覗く。
「よし!敵の背後を取ったぞ!皆!用意はいいな?」
真斗は振り向き、小声で問うと足軽達は覚悟を決めた表情で頷く。そして左隣に居る氏康にも問い掛けた。
「氏康、いつでも行けるな?」
真斗からの問いに氏康も小声で答える。
「ああ、いつでも行けるぞ」
それを聞いた真斗は笑顔になり、再び前を向き愛刀の赤鬼を抜き、氏康も小田原北条氏の祖である“北条 時行”の愛刀、“鬼丸”を抜く。
そして一斉に立ち上がり、敵陣に向かって走り出す。
一方、カスティーリャ=アラゴン軍の陣ではグレートヘルムを被ったハーフエルフの中年男性の指揮官が茶色の馬に跨っていた。
「ふむ。敵もなかなかやるな。まっ突破も時間の問題か」
まるで勝利したかの様な楽観した事を言う指揮官に対して彼の左隣で焦茶色の馬に跨り、サレットヘルムを被ったハーフエルフの男性副官が呟く。
「しかし、敵はなぜ少数の騎兵を送って来たのでしょうか?まるで誘っている様な」
そう疑問に思う副官に対して指揮官は笑顔で彼の左肩を手で軽く二回、叩く。
「そんな心配するな副官。恐らく敵は奇襲を仕掛けるつもりだったのだろう。だが失敗した。それだけだ」
「そうですね・・・きっとそうですよ」
指揮官からの憶測に副官は納得した笑顔をした。すると後ろから地鳴りの様な音が霧の中より聞こえ始める。
「ん⁉︎何だ?この地鳴りの様な音は?」
不思議に思った指揮官は同じ地鳴りの様な音を聞いていた副官と共に振り返り、霧の奥に向かって目を凝らする。
そして地鳴りがだんだん大きくなった時には霧の中より真斗や氏康、足軽達が物凄い形相と雄叫びを上げながら走って来た。
突如として後方より現れた未知の敵に、その場にいた指揮官と副官を含めた騎士達は混乱してしまい、両軍が衝突した瞬間、真斗と氏康の足軽隊は次々とカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達を倒して行った。
「てっ!敵だと⁉︎そ!そんな馬鹿なぁーーーーーーーーーーーーーっ‼︎」
後方から来た敵襲に指揮官は驚愕しながらも急いで腰に下げているアーミングソードを抜き、上馬から鬼龍軍と小田原北条軍の足軽達に応戦する。
「くそ!撤退だ‼︎全軍撤退だぁーーーーーーーーーーーーっ!」
指揮官は大声で撤退の命を叫んでいると鬼の様な形相をした真斗が走って来た。
「キエェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼︎」
上段の構えで叫びながら来た真斗はそのまま飛び上がると大きく赤鬼を振り下ろし、指揮官を脳天から真っ二つにする。
少し離れた場所で馬に跨り、アーミングソードで応戦していた副官は驚愕してしまった。
「しょ!将軍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
信じられない光景に手を止めてしまった副官。すると、その隙を見逃さなかった氏康は走りながら鬼丸を横に振い、すれ違う様に副官を腹から真っ二つにした。
他の騎士達も死兵の様になって戦う足軽達の形相に恐怖してしまい、続々と武器を捨て逃げ出して行った。
その光景を見た真斗は大声で氏康に言う。
「氏康‼敵は敗走している!敵が置いてった馬に乗って渓谷内を突き進むぞぉーーーーっ‼」
それを聞いた氏康は頷き、返事を返す。
「ああ!分かった‼者共ぉーーーーーーーっ!その場にある馬に二人一組に乗って陣がある山に向かうぞぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」
氏康の指示に足軽達は和槍を高々に上げながら気合の入った返事をする。
「「「「「「「「「「おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」」」」」」」」」」
そして真斗達は馬に乗り、霧が立ち込める渓谷を東に向かって走り出す。その途中で後方の陣地に砲撃支援を要請に馬で向かっていた騎士と鉢合わせとなったが、走りながら真斗は一人の足軽から和槍を借りて走る勢いに合わせて騎士の首に目掛けて突き出し、まるで日本刀で首を斬られた様に騎士の頭が吹っ飛ぶのであった。
一方、山の付近で足止めを喰らうカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達は日ノ本軍とムガル軍からの攻撃の中で支援がまだかまだかと待っていると後方から馬が駆ける音が響き始める。
「おおぉ!この馬の蹄の音は‼︎我らカスティーリャ=アラゴン王国の勇敢な砲兵隊だ!」
例の隊長は喜びに満ちた笑顔で振り返ると立ち込まっていた霧が晴れる。だが隊長の期待とは裏腹に現れたのは走る馬に跨り、物凄い形相で旗印を掲げ、迫って来た真斗達であった。
「皆の者ぉーーーーーーーーっ!一兵たりとも逃すでないぞぉーーーーーーーっ!掛かれぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼︎」
大声で命を言いながら真斗は鞘から抜いた赤鬼を指示棒の様に刃先を目の前まで迫ったカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達に向ける。
そして響き渡る真斗の命を聞いていた馬に乗る氏康や足軽達、さらに塹壕に居る源三郎達や足軽達も大声を出す。
「「「「「おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼︎」」」」」
真斗達がカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達と衝突した瞬間、塹壕に居る足軽達も隠していた旗印を掲げ、弓兵隊は持っている日本刀や和槍を手に取り、また鉄砲隊はスナイドルMk.Ⅲ小銃の銃口に銃剣を付けて塹壕から雄叫びを上げながら一斉に飛び出す。
挟撃されたカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達はここで初めて自分達が戦っていたのがムガル軍だけでなく、日ノ本の軍である事を知り大混乱となる。
「ひっ!ジパングの軍隊だとぉーーーっ⁉︎」
「馬鹿なぁ⁉︎奴らはムガルとの行き違いで軍は上陸出来なかったはずじゃなかったのか‼︎」
「ダメだ‼︎とてもじゃないが!奴らを止められない‼︎」
「もう無理だぁーーーっ!逃げるぞぉーーーーーーっ‼︎
意表を突かれ、迫り来る日ノ本の兵士達にカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達は武器を捨てて逃げ出すが、袋の鼠状態であった為、逃げ場などなかった。
一方、山の中腹から見下ろす様に大乱闘となっている地元の光景に近衛隊の士官達は息を飲んだ。
「何て事だぁーーーっ!マサトと呼ばれる武士が出陣してたったの三十分で敵の指揮官を倒し、ここへ戻って来るとは‼︎」
「信じられん⁉︎あれが古くから生き続けるジパングの戦士、武士の底力なのか!」
驚愕する副官の士官、するとそこに馬に乗ったラクシュミーが現れる。
「お前達!何をしているの‼︎敵は全滅寸前よ!すぐに塹壕に居る兵士達を乱戦に向かわせ‼︎敵の息の根を止めなさい!」
厳しさを感じる真剣な表情に近衛隊の士官達はハッとなり、ラクシュミーに向かってムガル式の敬礼をする。
「「「「「「はっ!」」」」」」
その後、ムガル兵の参戦もあり戦闘開始から三時間後には渓谷まで進軍して来たカスティーリャ=アラゴン軍は全滅。一部の騎士は何とか逃げ出せたか、捕虜となった。
戦が終わった時には辺り一面はほぼカスティーリャ=アラゴン軍の騎士達の死体で埋め尽くされていた。
そして馬に乗る真斗は血で刃が汚れた赤鬼を上下に振って落とすと高々と掲げる。
「皆の者よ‼︎敵は全滅した!我らの勝利じゃぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼︎」
真斗が大声で勝利を宣言すると皆は大いに喜び持っている武器を高々に上げ始める。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「えい!えい!おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼えい!えい!おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼えい!えい!おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼えい!えい!おおぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
この“パティム渓谷の戦い”は日ノ本初の異国戦闘で真斗を含めた一部の武将達によるムガル側から出された条件を破った独断専行ではあったが、日ノ本とムガルの関係は良い方向に向かうきっかけとなった。
一方、真斗が生み出し日ノ本軍とムガル軍に勝利を齎した新たな戦術は後に“サソリの毒針戦法”と呼ばれる様になった。