第 肆拾壱 話:大城砦都市鎌倉
忍城が開城される昨日の昼時、織田連合軍と激しい合戦が繰り広げる小田原城。
城の大広間では上座で兜を脱ぎ、甲冑を着こなし胡坐をする氏康が深刻な表情で項垂れていた。
「くそ!ここまで何とか戦って来たが兵糧も武器も底を突きかけている‼落城するのも時間の問題か・・・皆!無念ではあるが、我ら小田原北条氏は信長様に降伏する」
苦虫を嚙み潰した様な表情で決断をする氏康に対して、その場に集まった家臣達が強く反対する。
「氏康様!なりませぬ‼例え兵糧がなくても!使える武器がなくなっても我らに戦う意思がある限り‼城を枕に討ち死にするまです!氏康様‼︎最後まで戦いましょう!」
一人の家臣である諏訪 頼水が死を恐れない覚悟を決めた表情でそう言うが、氏康は逆に落ち着いた表情で首を横に振る。
「頼水、それは出来ない。我ら小田原北条氏が去った後の関東は織田の支配下になる。だが、今まで信じ我らに付いて来てくれた民達は不平不満を募らせ一揆を起こすかもしれぬ」
すると氏康は立ち上がり前に向かって歩き出し、外を見ながら話を続けた。
「そうなっては戦乱の世は、あと百年も続くかもしれない。それを防ぐ為にも我らは潔く白旗を上げよう。未来を思い身を引くのも武士道ではないか?」
氏康はそう言いながら笑顔で振り返ると家臣達の目には涙が溢れており、氏康の誠実にして武士道を重んじる説得が彼らの武士の魂を震え立たせていた。
そして頼水達は涙を手で拭いキリッとした表情で氏康に向かって頭を下げる。
「「「「我ら北行党一同!氏康様の意を信じ‼︎これからも小田原北条氏に仕えます!」」」」
彼らの改まった意思表示に氏康の笑顔で頷く。
「ありがとう皆、感謝する。ではこれより!小田原北条氏は速やかに使者を信長様がおられる石垣山城に向かわせよ!小田原城開城と織田家に下る胸を記した書状は私が書く‼︎全ての戦を止め!開城の準備をせよ‼︎よいか!決して愚かな行いはするな‼︎」
氏康からの改まった厳命に家臣達は深々と頭を下げる。
「「「「ははぁーーーーーーーっ!」」」」
「それとまだ落城していない忍城にも速やかに小田原城の落城と開城を伝えよ。そちらの書状も私が書いておく、よいな」
氏康からの付け加えた厳命に頼水達は頭を下げ、速やかに持ち場へと向かった。
誰も居なくなった大広間に一人、残った氏康は再び外を向き、少し物寂しい様な表情で大空を見上げる。
「義兄上、あなたとの戦を心待ちにしていましたが、それも叶わず申し訳ありません」
遠く離れた忍城の攻略をしている真斗に対して氏康は謝罪の言葉を送るのであった。
それから一時間後、家臣達を連れて自ら石垣山城へ向かった氏康は信長と謁見。
小田原城と関東一帯の明け渡しに関する話し合いの結果、遠江、駿河、安房、相模、武蔵、江戸、下総、上総、安房を家康が統治する事となった。
だが、その一方で旧鎌倉北条氏の中心地であった鎌倉と諏訪盆地の統治を小田原北条氏に任せる事となった。
すべては終わったかに思われたが、賤ヶ岳の合戦で敗走し飛騨まで落ち延び、再建を行い小田原北条氏に組した義昭率いる旧室町幕府軍は氏康からの降伏命令を拒否し鎌倉で激しい合戦を続けていた。
■
秀吉の弟である豊臣 秀長、九鬼 嘉隆、藤堂 高虎、井伊 直政率いる軍は旧鎌倉幕府よりも強固に築かれた城塞都市、鎌倉を落城させようと義昭率いる旧室町幕府軍と激戦を繰り広げていたが、小田原城落城から三日が経過しても落とす事に手こずっていた。
鎌倉から北部の山中に三日三晩の徹夜で築城された鎌倉山中城の即席の中庭で秀長達は軍議を開いていた。
「うむぅーーーーーーーっ予想以上に鉄壁の守りをしておるな鎌倉は」
上座の床几に座り腕を組んで兜を脱ぎ、甲冑を着こなし悩む秀長。目の前にある置楯で作った簡易の机に広げらえた鎌倉の全体図があった。
「高虎殿、今だに西の守りを破るのに手を焼いているのか?」
秀長からの問いに右側の上座近くの床几に座り兜を脱ぎ、甲冑を着こなした高虎は頭を掻きながら困った表情で答える。
「申し訳ありません秀長様。道が狭く城壁の上に作られた櫓から絶え間なく矢が発たれ、えーーーっ上手く城門を破る事が出来ません」
「そっか・・・嘉隆殿はどうだ。上手く鎌倉の浜辺に上陸出来たか?」
秀長は続いて兜を脱ぎ、甲冑を着こなす嘉隆に問いかけると彼も困った表情で答える。
「はい・・・実は秀長様、浜の近くに櫓を備えた城壁が建築されておりまして飛んで来る矢だけではなく海中に設置された大型の杭が進む船舶の邪魔をしていて上陸が出来ないのです」
「そっか・・・直政殿、この状況だと東の突破もやはり・・・」
嫌な予感を顔に出す秀長からの問いに嘉隆の隣の床几に座り兜を脱ぎ、甲冑を着こなす直政は自身の体を秀長に向けて深々と頭を下げる。
「申し訳ありません!秀長様‼︎こちらも敵の鉄壁の守りの前に苦戦しております!」
皆からの報告を聞いた秀長はまるで胃潰瘍でお腹を痛めるサラリーマンの様な苦しい表情で頭を抱える。
「まずい!これはまずいぞ‼︎一刻も早く鎌倉を落とさないといつ各大名が謀反を起こすかもしれん!」
そうしていると慌ただしく走って来た足軽が秀長の前に片膝を着き、一礼する。
「秀長様!良い知らせが来ました‼忍城の攻めをしていました鬼龍軍が村上水軍と共にこちらに向かっています!」
その報告を聞いた秀長達は喜びに満ちる。
「おお!そっかぁーーーっ‼︎」
「それと・・・とても言い難い事なのですが、」
物凄く悩み弱った様な表情で足軽は鬼龍と村上の救援報告とは別の報告を秀長にする。
それを聞いた秀長は少し顔を青ざめながら体をガクガクさせた。
そして二時間後、真斗と武吉は共に鎌倉山中城へ入城し、少し急足で秀長達の前に笑顔で現れる。
「皆様!鬼龍 真斗‼︎只今!馳参じました‼︎」
「同じく!村上 武吉‼︎只今!馳参じました‼︎」
兜と甲冑を着こなしながら笑顔で言う真斗と武吉は秀長達に向かって一礼をする。
「おお!真斗‼︎久しいなぁ!」
笑顔で床几から立ち上がった直政は真斗の元に向かい、共に再会の握手をする。
「久しぶりだな虎松。現状は折り鶴で知ったよ。なかなか落とせないってなぁ」
心配する様な表情で言う真斗に対して直政は少し弱った様な表情で後頭部を搔きながら答える。
「ああ、そうなんだよ。念入りに伊賀の忍び集を使て鎌倉の情報を収集して計画を練ったけど、予想外だった。まさかここまで要塞化しているとは」
「そっかぁーーーっじゃあ俺は秀長様に会って来るよ」
「ああ、じゃあ後で」
お互いに笑顔でその場は別れた真斗と直政。そして真斗は上座で完全に落ち込んでいる秀長に心配そうに声を掛ける。
「秀長様、大丈夫ですか?」
すると秀長は暗い表情で真斗に向かって首を横に振る。
「全然、大丈夫じゃないよ。本来なら鎌倉はとっくに陥落させているのに小田原城が先に落城、いつまで経っても落とせないこの状況に信長様が自ら大軍を率いて向かっておる」
それを聞いた真斗はうわっとした表情で秀長の背中を優しく撫でる。
高いカリスマとリーダーシップを持つ反面で気が難しく気に入らない事があると怒りを露わにする信長の事を知る者にとって先程の別の知らせは精神を病む程のものであった。
鬼龍軍と村上軍が救援の為に来るのと同時に信長が自ら軍を引き連れ鎌倉へと向かっているのだ。
普段は家臣達の働きを信用して、後方での指揮をする信長が自ら前線に出て大軍を率いる事は信じた家臣が望んだ働きをせず、裏切られたと感じた信長の心中の現れである。
真斗や秀長、その他の信長の家臣達にとって信長自ら大軍と共に来る事は命に関わる事なのである。
「大丈夫ですよ秀長様。私や長親、それに貴方様の兄上であります秀吉様もいます。何とか手討にしない様に信長様を説得しますので」
真斗が弁解に助力する事に秀長は少し救われた様に感激する。
「ありがとう真斗。それで信長様はいつこちらに来るのお前、知らないか?実は足軽からの知らせでは何も分からなくてな」
秀長からの問いに真斗はドキッとして目を背け、冷や汗をながしながら辿々しく答える。
「あぁ〜〜〜〜っ実は・・・そのぉ〜〜〜〜っあの、ですねぇ・・・」
「私ならもぉーーーとっくにここに居るぞよぉ」
聞き覚えのある声に真斗と秀長はドキッとする。そして目の前の陣幕が外から巻き上がる。
そこには和製南蛮兜を左手に抱えながら背中に赤いマントを付けた和製南蛮甲冑を着こなした信長が笑顔で立っていた。
⬛︎
「「「「信長様」」」」
真斗達は片膝を着いて到着した信長に向かって一礼する。その中で信長は笑顔で秀長の元に向かい、右手に持っている鞭で秀長の下顎を上げる。
「秀長よ、そうとう手こずっているようだなぁ」
秀長は冷汗を流しながら恐怖のあまりで強張った表情で弁解をする。
「申し訳ありません!信長様‼︎鎌倉攻略の命を受けながら小田原城落城後も鎌倉に入れず誠に申し訳ありません‼︎」
真斗もすかさず信長に向かって秀長の弁解をする。
「信長様!秀長様は念入りな準備の元で鎌倉攻略に臨まれました‼︎しかし!敵の戦力が予想以上で!」
「真斗よ。お前からの弁解はよい。これ以上、わしと秀長との間に入るのであれば、この場でお前の首を叩き斬るぞ」
表情が一瞬で真顔となった信長の口から発する一つ一つの言葉と瞳の奥から来る仏すら恐怖してしまう様な殺気に真斗は生唾を飲み込み深く頭を下げる。
「残念だぞ秀長よ。確か三日で鎌倉に入れと意気込んで言ったのに、今もこの貧相な出城で身動きが取れぬとは。全く失望したぞ」
すると信長は鞭で秀長に向かってバシッと叩く。
「まぁーーっしかし、ここまで頑丈な守りを作っていたのは流石に盲点じゃった。秀長よ、本来ならこの場で打首してやりたかったが、今日の所は許す。次は必ずわしの期待に応えよ。よいな?」
信長からの許しの言葉に秀長はホッとし、深々と頭を下げる。
「はっ!」
そして信長は前を向き、大声で命を下す。
「よいか!これより先の戦はわしが指揮をする‼︎よいな!」
真斗を含めた家臣達は深々と頭を下げ、信長の命を迷わず承認する。
「「「「「はっ!」」」」
「真斗よ。わしと一緒に来い。少し話したい事がある」
「はっ!」
信長からの個人的な命に真斗は承知し、立ち上がると陣を出る信長の後に付いて行く。
そして真斗と信長は鎌倉が一望出来る天守閣から東西南北から黒煙が上がる鎌倉を見ながら会話を始めた。
「真斗よ本当にお前はお人好しだなぁ。自分の命を投げ捨てでも友を守るとは、まさに真の武士だなぁ」
笑顔でそう言うながら手摺に持っていた和製南蛮兜を置き、鎌倉を眺める信長に対して左側で真斗は手摺に両腕を置き、腰を少し引かせた状態で鎌倉を見ながらフッと笑う。
「ありがとうございます、信長様。しかし、一体どうしますか?見た感じでは武力で攻め落とすとなると一年半はかかると思いますよ」
すると信長は腰に提げている酒の入ったひょうたんを手に取り口を封する栓を口で抜き、一口飲み笑顔で答える。
「心配するな真斗、秀吉と家康が鎌倉を落とす素晴らしい策を持参して来た。明日は少し忙しくなるぞ」
そう言うと信長は持って飲んでいた酒の入ったひょうたんを真斗に渡し、ひょうたんを受け取った真斗は酒を一口飲み笑顔で頷く。
「はい、信長様。お任せください」
それから信長の命によって鎌倉を攻撃していた秀長軍はすぐに戦を停止し、全軍は速やかに後方へと下がるのであった。