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あの夏の一球

作者: 緑矢グリーン

灼熱の三次みよし市営球場。


めちゃくちゃ暑い。


気温は35度を越えているはずだ。



1ボール。


「ストライクが難しい。


頼む。ストライクに行ってくれ。」


末次すえつぐ

投げ込んだストレートは

ど真ん中に吸い込まれていく。



そして、、、






筆野東ふでのひがし中学校の野球部で3番打者。


そしてエースを務める末次は

緊張していた。


目立ちたがり屋だが

恥ずかしがり屋で臆病な性格でもある末次は


小さい頃から野球センスが高く

少年野球時代から

地元では有名な野球少年だった。


中学校に入ってからも1年秋には

外野手としてレギュラーを勝ち取り


惜しくも全国中学校軟式野球大会(全中)への出場は叶わなかったものの中国大会ベスト4という偉業を成し遂げた。


そしてついに最上級生として新チームに。


エースとしてこれまでチームを引っ張ってきた。


絶対に負けられない3年生春の海城かいじょう地区大会。

全中に繋がる年に一度の唯一の大会だ。


その準決勝の日は刻々と近付いていた。



授業中も今週に迫る準決勝のことで

頭がいっぱいだった。


「この問題は、、末次。お前分かるか?」


国語教師の出来庭できにわが言った。


「すみません、考え事してて全然聞いてませんでした。」


教室はどっと笑い声で溢れた。


「おいおい、末次。大事な試合を控えとるのは

知っとるけど今は授業中じゃけえのー。一旦試合のことは忘れてから授業に集中せえよ。」


「・・・うっす。」


いやいや、無理だから。

負けたら終わりだし

おれ先発だし負けたらおれのせいだし、まじ無理よ。。


心の中でそう思いながら

末次は随分低いテンションで返事をした。


昨年のチームはエースの上川かみかわと主砲の平本を軸とした精度の高いチームで広島県大会準優勝。

そして中国大会ベスト4と、創部以来最高成績を残したチームだった。


そんなチームの後を託され、更にはエースとして

このチームを勝たせないといけないという

プレッシャーが新チーム結成時から末次の中にはあった。


その期待を背に、新人戦にあたる秋の郡大会、その上の海城地区大会でも優勝という最高の成績を残し

満を辞して全国中学校軟式野球大会、いわゆる全中に出場する為に、この春までチーム一丸となって取り組んできたわけだ。


準決勝の相手は谷坂やさか中学校。

筆野東にとっては格下ではあるが、伝統的に強いチームで

決して侮れる相手ではない。


準決じゅんけつはお前で行くけえの。」


筆野東を率いる若干28才の野球部顧問

松田は試合の1週間前に末次に告げた。


このチームにはエースの末次の他に

新チーム結成前に他校から転校してきた

寺前てらまえという投手もいた。


顧問の松田としては県大会レベルでも通用するであろう

2枚の投手を擁しており

今年こそは去年成し得なかった悲願の県大会優勝。

そして全中への切符を何としても掴みたい思いだった。


県大会に出場するにはまずはこの海城地区大会で

3位に入線する必要がある。


この準決勝を勝った瞬間に県大会の出場が決まるわけだ。


その大事な一戦のマウンドを末次は託された。


ガチガチな身体でマウンドに上がる末次。


ただ、マウンドに上がってからは

しっかりとギアが入り


これまでの努力の結晶を見せつけるような

快投を見せた。


スピードある真っ直ぐと鋭く斜めに落ちる

スライダー。打者のタイミングを狂わせる

スローカーブを混ぜながら

5回までに8三振を奪うピッチングを披露してみせた。  


ただ、相手投手も粘りのピッチングで

なかなかチャンスを作らせてもらえず 

 

筆野東も末次自身が打って獲ったタイムリーの1点のみに

封じ込まれ


そのまま6回裏の谷坂の攻撃を迎えた。


あと2回抑えれば県大会出場が決まる。


この1週間、プレッシャーと戦いながら

過ごしてきた末次はここにきて

どうしても勝ちを意識してしまっていた。


ツーアウト2塁。


谷坂打線はここまで末次の切れ味鋭いスライダーに

翻弄されていた。


「今日はスライダーは打たれない。」


末次はこの日のスライダーには

自信を持っていた。


相手の5番の右打者を追い込む。


女房役の仲村雅なかむらまさのサインはスライダー。


末次は渾身のスライダーを放り込んだ。


「まずい。高めに浮いた。」


相手バッターの振り抜いたバットは

絶好のタイミングでボールを捉えた。


そしてその打球は綺麗にセンターの左中間寄りに転がって

いった。


2塁ランナーは3塁を回り

ホーム上はクロスプレーに。


「セーフ!!!」


主審の大きな声が響き渡った。


相手ベンチは全員が立ち上がり

サヨナラ勝ちでもしたかのような

大きな盛り上がりを見せた。


筆野東ナインとベンチは

一気に静まりかえった。



「まずい。この展開で追いつかれてしまった。」


末次は落胆を隠せなかった。


勝ちを急ぎ、決め球のスライダーが

高めのストライクゾーンに浮いてしまった。


7回で試合が決まらなければタイブレーク方式となり

どっちに転ぶかますます分からなくなってしまう。


なんとか最終回である7回で勝負を決めておきたい。


7回表の筆野東の攻撃。


この回は末次には回って来ないので

この裏のピッチングに備えて

末次は準備をしていた。


6番の左バッターいずみがライト前ヒットで出塁。


それを7番西岡が丁寧に送り

1アウト2塁。


そして8番の右バッター立山たてやま

2球目を痛烈なゴロで弾き返す。


セカンドの攻守に阻まれたが

見事にランナーを進める形となり

2アウト3塁のチャンスを作った。


迎えるバッターは9番佐藤勇太さとうゆうた


肩を作りながら末次は佐藤を見守った。


ファールで粘る佐藤。


「頼む。勇太、打ってくれ。頼む。。」


佐藤は保育園の時からの友人だった。

9番バッターではあるが

安定感あるバッティングは

ベンチからの信頼も厚い選手だ。


祈る末次。


次のボールを佐藤は弾き返した。


スコーン!


気持ち良く鳴った打球音と共に


ボールはレフトの手前でバウンドした。


3塁ランナーの泉が生還してくる。


下位打線でもぎとった1点が入った。


「よっしゃ!よっしゃ!ありがとう勇太。」


おれが獲られた点を

みんなの力で奪い返してくれた。


末次は嬉しかった。

涙が出てきた。


そしてその裏、末次は渾身のボールを投げ込み

簡単に2アウトを奪う。


そして最後のバッターを迎えた。


「みんな、ありがとう。」


もう打たれる気は1%もしなかった。


渾身のストレートを投げ込むと

バッターの打球はピッチャーマウンド付近にフラッと上がった。


「オーライ!!」


末次は周りの声を制し自分が捕ると声を掛け


そのフライを自らでキャッチした。




その瞬間、筆野東の県大会出場が決まった。


末次はその場で大きなガッツポーズをした。


嬉しさと感動。そして安堵感。


全ての感情が溢れ出ていた。



その後に行われた決勝戦も

高尾たかお中学校を相手に

先発、寺前の好投もあり

6対3で勝利し、海城地区大会優勝という形で

県大会へ出場することが決まった。




県大会までは約1ヶ月の期間がある。


そこまでにいかにモチベーションを高められるか。


チーム力をもう1段階レベルアップしていく

必要もある。


筆野東にとってこの期間は非常に大切だ。



そんな時にある事件が起こる。


チームメイトで同級生の真田が

筆野東の卒業生であり不良グループの

数人に呼び出され、集団暴行を受けてしまう。


「お前、昔から生意気なんじゃ!調子に乗っとんじゃろーが!!!」


顔見知りのグループだったが

真田は下校途中に言いがかりをつけられ

学校の倉庫裏の竹藪で暴行を受けた。


たまたまそれを見かけた生徒からの通報で

事件が発覚し警察も出動する騒ぎとなった。


真田は外野手でありレギュラー争いの真っ只中だった。


レフトのポジションを争う田原たはらが打撃好調の為、レギュラーを譲っていたが

状況によっては真田もスタメンを任される可能性はあり

県大会へ向けて高いモチベーションで競争している矢先の

出来事だった。


暴行を受け、身体中あざだらけになった真田は

翌日、学校に登校してきた。


「守ってあげれずに、ごめん。。」


仲間を守れなかった末次は教室のベランダで

真田と横並びになり、遠くを見つめながら真田に詫びた。


「大丈夫。おれがスエちゃんの立場でも助けれんかったと思うよ。怖い人達じゃけえ、、、無理よ。」


昨日のことを思い出すように声を絞って話す

真田の目からは涙がこぼれていた。


実は末次や仲村を含む数人の野球部員は

真田が暴行を受けているのを知っていながら

顧問の松田や他の先生にも、その事実を伝えていなかったのだ。


その日の放課後の練習は中止となり

松田が理科室に集合をかけ

緊急ミーティングが開かれた。



「もうみんな知っとるじゃろうけど

チームメイトの真田が昨日、うちの卒業生の人間から

暴行を受けた。集団暴行じゃ。そして、それを知っていて

目撃した人間もこの中におった。

でもそれを、通報してくれたのは、、、

チームメイトのお前らじゃなかった。。

野球部とは全然関係のないうちの生徒じゃ。。


同じ仲間がこんな目に遭っとるのに、それを助けるやつがこの中におらんかった。


おれはそれが1番悲しい。。


県大会優勝。


全中出場。


そんなもん何の価値もない。


そんなことの為にお前らを見とるんじゃない。


そんなもんより大切なもんはなんや?


仲間じゃないんか??


なんで誰も真田を助けん?


怖いか?


分かるよ、怖いじゃろーよ。


じゃあなんでおれに一言、声を掛けてこん?


なんで先生達に助けを求めん?


真田はお前らの仲間じゃろ?」


普段はクールで寡黙な松田だが、この時ばかりは

強い口調で野球部全員へ訴えかけた。



あとはお前らで話せと言い残して松田は教室を出た。


キャッチャーでありキャプテンの仲村は言った。


「実際、松田先生も言うようにうちらは真田を助けれんかったわけじゃけえ、それはみんな反省しようや。県大会ももうすぐじゃし、もう一回真田も含めて、県大会優勝っていうのを絶対条件として、それでチャラになるわけじゃないんじゃけど、そこはみんなで絶対達成出来るように頑張ろうや。」


終始下を向きながらも、振り絞って声を出すキャプテンの姿にみな頷き、頑張ろうという声もいくつか出た。


絶対に負けられない条件がいくつも揃い、あと数日に

迫った県大会。


末次は練習が終わり、夕食後も

家の近くにあるバッティングセンターに行き

ひたすらボールを打った。


後から仲村も合流した。


「おー、どしたん?」


「いやー、県大会は負けれんけえね。

心配で来たんよ。」


喧嘩は強くて有名な仲村だが

とても慎重で心配性な一面も持つ。


打ち終わった後、2人はベンチに座り

自販機で買ったファンタグレープを飲みながら談笑した。


「マサ(雅)、19の紙ヒコーキって良くない?」


「いいねー、19って広島出身じゃろ?

ばり良いよね。カッケーよね。」


「有名になりたいなー。」


「あんたはなんか有名になりそうじゃん。」


そうかね?と笑いながら

答える末次。。


その後も少し話した後、2人は別れた。




そして、ついに広島県大会の時が来た。


1回戦の三谷みたに中学校戦は

末次が先発をし、1対0で完封勝ちを収めた。


そして2回戦は竹中たけなか中学校。


ここは、寺前が先発。


3対1でここも押し切った。



そして明日は準決勝。


中国大会には優勝と準優勝の2校が出場出来る。


よって次の試合を勝てば決まるし負ければ終わるわけだ。


昨年はここを勝ち、準優勝で中国大会に進むことが出来た。


今年も絶対にここを落とすわけにはいかない。


怪我で出場することが出来ない真田の為にも。。。



しかし、ここで少し想定外のことが起きてしまった。


準決勝の相手が同じ海城地区の3位で勝ち上がってきた

同じ町内の筆野中学校となった。


まさに想定外の出来事だった。


新チーム結成以降、筆野には負けたことはなく

郡大会でも危なげなく勝ってきていた。


2校には間違いなく力の差があった。


これまでは、、、、



その筆野が県内の強豪を2校も倒して

ここまで上がってきたわけだ。


末次はこれを聞いた瞬間


一気に青ざめるような気持ちになった。


「やばい、筆中ふでちゅうが来た。

正直すぐに負けると思っとった。

全然頭に無かった。


そこにおれが先発するんか?


負けたらどーしよ。。


絶対勝たんといけん相手じゃん、、、」


こっちに来てから肩の張りも

ずっとあるし、本調子では無い。


「やばい、やばい、、、」


絶対に絶対に負けられなくなった一戦を前に

末次の不安は頂点に達していた。



夜の宿舎。


末次は松田に呼ばれた。


「明日はお前で行くけえの。

中国大会を決めるのはやっぱりエースじゃろ。」


案の定、末次は先発の指名を受けた。


そこまで信頼されていることに

末次は嬉しい気持ちもあったが


それよりも不安のほうが遥かに大きかった。


エースのプライドもある末次はここで


「いや、おれよりテラ(寺)のほうが筆中と相性が良いですし準決勝はテラで行って勝ってもらって、決勝の為におれは準備しておきます。」


なんてことは心の中では思っていても

さすがに松田に対して提言出来るほど

強い性格ではない。


その場ではしっかりと返事をして先発を快諾した。


筆野は少年野球時代に

チームメイトだった選手が後輩も含めて何人もいる。

いろんな情報が入ってきた。


同じ宿舎に泊まる父兄からは

「筆中の賢太朗けんたろうが、末次のカーブは絶対打てんって言いよったで。もう弱気になっとるけえ絶対大丈夫よ。」


そんな激励も含めて、末次にとっては

何の不安解消にもならなかった。


肩の張りもある。


とにかく不安しかなかった。


そんな中でも


刻々と近づく広島県大会準決勝。



筆野東対筆野の戦いは明日。




そして迎えた


準決勝当日。


この日の三次市営球場は

今年に入ってから最高気温に達する予報で

朝からとても暑かった。



ブルペンで末次は肩を使ったが

肩の張りはおさまっておらず

すこぶる重い。


「いや、まじ重いわ。これ投げれるかな?」


「スエちゃん、大丈夫?この試合だけは

何とか頑張ってや。決勝はテラがなんとか

してくれるけえ。」


「うん、、、とにかく頑張ってみるわ。」



そして試合は始まった。


先攻めの筆野東は無得点となり

裏の筆野の攻撃。


案の定、末次は立ち上がりからピンチを迎えた。


コントロールがままならない中で

四球とエラーで塁が埋まったところで

筆野4番の鳥神とりかみにレフト線へ

痛恨の2点タイムリーを浴びてしまった。


初回にいきなり2点を献上。


嫌な不安が的中した。


ただ、同時にこれで


落ちるところまで落ちたという形となり

末次は吹っ切れた。


「もう肩の調子とかプレッシャーとか

どうでもええ。おれの力でねじ伏せちゃる。」


エンジンの掛かった末次のピッチングは

止められないほどの勢いだった。


そこから三者三振を奪い

それ以上の追加点は許さなかった。


筆野の先発はエースの上本継うえもとけい


末次もケイと呼んでいる少年野球時代のチームメイトだ。


安定感あるピッチャーだが


これまで筆野東は上本からもちゃんと点を取って

勝ってきている。


筆野東の攻撃陣に焦りはなかった。


バント、機動力も絡めながら少しずつ

得点を重ね、尻上がりに調子を上げていく

末次のピッチングと同様に

攻撃陣も奮起した。


5回を終わって5対2。


筆野東はいつの間にか試合をひっくり返していた。


6回裏の筆野の攻撃も末次はギアを落とさず

フル稼働。

しっかりと0点に抑えた。


迎えた最終回の7回表。


筆野東は末次からの攻撃。


ヒットで出塁すると


すかさず2塁へスチールした。


炎天下の試合で

ここまでマウンドを守っている

末次の体力は当然大きく消耗していた。


スチールなどせず、おとなしく

次のピッチングに備えることも頭をよぎったが


それよりも末次の中には


「3点のリードじゃ足りん。あと1点欲しい。

4点差あれば絶対に勝てる。みんな、頼む。

この回1点獲ってくれ。」


そんな思いを持っていた。


願い虚しく後続は倒れ、この回その1点は獲れなかった。



「3点差ある。


この回だけ。


この回だけ凌げば


中国大会じゃ。


この回だけ抑えれば。。」


これまでの吹っ切れた気持ちから


ここに来て


勝てるという気持ちが


前に出てしまっていた。


末次は勝ちを急いでしまった。


先頭の打者にストレートの四球を与える。


「まだ大丈夫。3点ある。

まだ大丈夫じゃ。」


ワンボールからの2球目のストレート。


「ボール!!」


「いや、入っとるじゃろ!

低目いっぱいのストライクじゃろ!」


末次は混乱した。


中学校野球はプロとは違い

ストライクゾーンは投手に対して比較的甘めだ。

ある程度際どいボールはストライクを取ってくれる。

これまでもそうだったが

なぜここに来てそうじゃなくなっているのか?



そして、次のボール。


ほぼ同じ位置に決まる。


「ボール!!」


「いや、待ってや。なんでそこを取ってくれんのん?

なんでや?」


明らかに主審のストライクゾーンが変化している。

末次はパニックに陥った。


唸るような暑さ。


灼熱の太陽に照らされるグラウンド。


尋常じゃない汗が末次の顔を覆っている。


そのまま二者連続の四球となり

たまらずキャッチャーの仲村はタイムを取り

末次のもとに向かった。


「なんであれがボールなんや?」


「いや、おれにも分からん。あれは入っとるよ。

でもここは一旦冷静になろう。まだ3点勝っとるんじゃけえ

絶対大丈夫よ。」


仲村からどんな言葉を掛けられても今の末次は

審判の判定のこと以外耳には入らなかった。


怒りと悔しさが末次の感情を支配していた。


そして次のバッターは2年生の6番バッター

村松。


彼も以前のチームメイト。


打たれるバッターじゃない。

ストライクさえ入れば打ち取れる。


際どいボールはストライクを取ってくれないと

鷹を括った末次は

完全に置きにいったストレートを投げた。


振り抜いた村松の打球は高いバウンドでショートに転がった。

ショートの3年生、たちが処理に向かったが

途中バウンドが変わりハンブル。


どこにも送球出来ず、オールセーフ。

痛恨のエラーがここでも出てしまった。


「いや、やばい、やばい、、、」


相手の筆野スタンドは父兄らの応援で

大盛り上がり。

まさか勝てると思ってなかった

相手にもしかしたら勝てるかもしれない。


そんな声が所かしこから

マウンドの末次に向かって聞こえてくるような

感覚だった。


「ここでテラへ継投という線もある。」


末次は3塁ベンチの松田のほうに目をやったが

ピクリとも動く様子は無い。


間違いなくこのまま続投だ。


末次には分かった。


8番バッターを迎える。


ボール。


ボール。


ストライクが入ってくれない。


その後2球続けてなんとか

ストライク。


ただ相手バッターも制球を乱している末次に対して

バットを振ってこない。


打つ気なく2球見逃した。


そして次のボール。


また外角低めいっぱいの力ある真っ直ぐが

突き刺さった。


「ボール!!」


末次は空を見上げた。


ついに筆野に1点が入った。


初回以来の得点にベンチも大きく沸き上がった。


5対3。


ここまできたら

末次はこの主審に対して

諦めを悟った。


「この審判はもう無理じゃ。

三振じゃなくて打たせてアウトを取るしか方法はない。」


しかしながら

どんどん追いついてくる雰囲気の

筆野の勢いと


ストライクすらまともに取れない今のピッチングに

大きな不安が募る。


9番バッターに対しても

カウントを悪くしてしまい

痛恨の2者連続の押し出しを与えてしまった。


5対4。


ついに一点差。

なおもノーアウト満塁。


迎えるバッターは

1番吉野。


ここまで3打数3安打。


間違いなく筆野の中で

今日1番振れている

最悪なバッターに回ってきてしまった。


大量にこぼれ落ちる汗を

腕で拭う末次。


「負ける、本当に負けてしまう。。

やばい。」


もはや完全に相手の勢いに呑まれてしまっていた。



そして初球。


仲村のサインはカーブ。


「いや、まずい。

初球カーブでストライク取れんかったら

また押し出しの可能性が高まる。

まずは甘くてもいいけえストレートで

とにかくストライクを取りたい。

こんな調子じゃ、ファーストストライクは

吉野も見逃してくるじゃろう。」


そう考えた末次は首を振った。


「いや、吉野は絶対初球から振ってくる。

しかも絶対ストレート待ちじゃ。

これまでの打席でも末次のストレートに

ちゃんと合わせてきとる。

ストレートは絶対危ない。」


キャプテンで心優しいキャッチャーである

仲村が珍しく末次の意思を飲み込まず

続けてカーブのサインを出した。

これまでの試合の中でも極めて珍しいことだった。


それでも末次はまた首を振った。


「いや、カウント悪くしたら

また押し出しじゃ。もう押し出しだけは

勘弁してくれマサ。大丈夫。絶対ストレートで大丈夫よ。」


仲村もそれ以上は反対せず

末次の要求通りスッとストレートのサインを出した。


頷いた末次は真ん中をめがけて渾身のストレートを放り込んだ。


真ん中低めにスピードあるボールが

ズバッと音を立てる。


吉野はギリギリのところで

バットを止めて見送った。


「ボール!!」




「なんでやー!!」


末次はマウンドから声を荒げた。


仲村もこれはストライクじゃろう?と

いった大きなジェスチャーを見せた。


それでも主審は何事もなかったように

淡々と試合を遂行する。


またもボール先行。



灼熱の三次市営球場。


暑い、気温は35度を越えているだろう。


打席を見ると気温以上に燃えたぎっている吉野が

こちらを見つめている。


末次は仲村のサインを見る。


カーブ。


仲村は再びカーブのサインを出した。


初球の吉野の見送り方。間違いなく

ストレート待ちというのが仲村には分かった。


そしてこの主審。

際どい判定は全てストレートだった。


もしかしたら変化球なら際どいボールも

ストライクを取るかもしれない。


仲村はサインを出す右指に力を込めて


「絶対カーブじゃ!来い」


吠えるかのように末次に伝えた。


末次は首を振った。


「いや、ボール先行でカーブは無理じゃ。

ストライクを入れる自信がない。

ストレートで行かせてくれ。」


「駄目じゃ!絶対カーブじゃ!これで来い!」


さっき以上に指に力を込めるように

仲村は再びカーブを要求した。


「いや、無理じゃマサ。ここはストレートしか

ない。ストライクを入れておきたい。行かせてくれ。」


末次は仲村の要求を頑なに拒んだ。


こうなると仲村の選択肢はストレートしか残らず

それを要求する。



「頼む、入ってくれ。ストライクになってくれ。」


末次はストレートを投げ込む。


今度は力のない球だった。


ストライクを取りに行った力ないボールが

ど真ん中に吸い込まれていく。


狙っていたストレートを吉野は力いっぱい

フルスイングでボールにぶつけた。


ジャストミートした。


サヨナラを警戒して前進シフトを敷いていた

センターの西岡は打った瞬間に半身で後退していく。


マウンドからその打球を見つめる末次。


打球は西岡の頭上を大きく越えた。



それを見つめた末次は帽子を深く被り

涙を見られないように顔を覆った。


そして大粒の涙をこぼしながら

マウンド上にひざまずいた。



試合が終わった。




筆野が筆野東をサヨナラで破った。


整列の際も

筆野東のメンバーはそのほとんどが泣いていた。


筆野のメンバーは喜びながらも

ほとんどが顔見知りということもあり

筆野東にも気を使うように笑顔をしまう

選手もいた。


「ごめん、ごめん、ごめん。」


末次は泣きながらチームメイトに

謝っていた。




その後の松田によるミーティング。


帰りの車の中。


はっきりと覚えていない。


松田がしきりに


「技術で負けたんじゃない。


最後の最後、気持ちの部分で


おれたちは筆中に負けたんよ。」


と言っていたことは覚えている。



そして、ラジオで強豪の安佐高校が県大会コールド負けをしたという情報も流れていた。


「あー、今日同じように

最後の夏を迎えた人達がいるんだな。」


末次は車の中でそう感じていた。



「もう、ピッチャーはやめよう。

中学校野球でおれのピッチャー人生に区切りを付けよう。

精神的な部分でおれはピッチャーとして上ではやれない。」


末次はその日のうちに決断していた。


高校野球は広島の名門、舟入商業に行くという夢がある。

そこはブレていないが、ピッチャーではなく野手1本で勝負することを心に決めた瞬間だった。




夏休みが明けて、2学期が始まった。

末次はある同級生の女子生徒から手紙を受け取った。


家に帰って読んでみた。


「スエちゃんへ。

県大会に負けて中国大会に行けんで

スエちゃん達が球場で泣いたって聞いたとき

ウチも家でめちゃくちゃもらい泣きしたよ。


野球部が本当にこの大会に懸けてたの知っとったし

ウチもずっと応援しとって、今年は絶対勝てると思っとったけえほんまにショックだった。


でもね、スエちゃんなら絶対高校行っても野球で

成功すると思うし、プロ野球選手にもなれると思う。


本当に本当に辛いじゃろうしウチが想像する何倍も

悔しいじゃろうけど、これからも絶対頑張ってね。


ずっと応援しとるよ。  江里子より。」


近所で幼馴染の中瀬江里子からの手紙だった。


末次はその手紙を


2度、3度読み返してから


棚の中にそっとしまった。




〜完〜





























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