償い
誰が転生者にはチートがあるなどと言ったのだろう。
俺にはチートなんかどこにも無かった。
21世紀日本。
俺が前に生まれた場所。
俺は10歳の頃離婚した両親に双方引き取り拒否されて突然捨てられた。
施設では職員からひどい差別と虐待に遭い、学校では孤児といじめられた。
16の冬、施設を逃げ出してそのままチンピラになった。
とりたてて珍しくもない人生。
弱者から恐喝して金を巻き上げ、女を口説き、めんどくさければ乱暴に扱い、気に入らないヤツは殴り倒した。
口説いた女の家に転がり込み、そのまま飽きるまで居続けた。文句を言われたら殴れば女はおとなしくなった。
そのまま女の家を転々とする生活。
幾つ位の時だったか。たぶん施設を逃げてから10年は経っていない。
いつものように深夜の繁華街を新たな獲物を求めてうろついてた時。
突然後ろから知らない奴に何度も背中を刺された。
もしかしたら過去に俺が大した理由もなくボコボコにした奴かもしれないし、気に入らなければヤクザでも半殺しにしていたので、その報復かもしれない。
刺されると痛いと思うだろう?最初熱いんだ。火傷したかと思う位熱かった。
立とうとしたら体に力が入らず立てなかった。
背中がぬるぬるする。自分の周りに暖かい水溜りができる。
手のひらを見てそれが自分の体から流れ出ている血だと理解した。
体の芯がどんどん冷たくなっていくのが分かる。
ああ、このまま死ぬんだなと思った。
「つまらねぇ人生だったな」と思いながら寝転がっていたら、急に眠くなる。
そこで一度目の人生は終わり。
次に目が覚めたのは白い世界。
目の前には眩しく輝く大きな光の玉。
光の玉は俺にこう言った。
『お前の罪を償え』
俺が何をした。
俺は親に捨てられた。俺を守るべき施設の職員達は俺を虐待した。
親切だった職員のお兄さんはある夜俺を押し倒した。
宿直室に呼び出され押さえ込まれた。
悲鳴をあげたら口を押さえられ腹を殴られた。
顔は殴られなかった。証拠が残るから。
施設の年長者共と同じやり方だった。
それから、薄々感づいたらしい年長者のイサムからも同じようにされた。
呼び出されては押し倒され、拒めば殴られて押し倒される。
周りに隠れて何度も声を殺して泣きながら痛む傷口を冷たい水道水で洗い、神を恨んだ。
神なんてどこにいるんだ。
当時俺はまだ10歳だった。
施設の職員と年長者からの虐待は俺が暴力を覚える15歳まで続いた。
俺よりだいぶ年上だったイサムは先に施設を退所していた。俺はイサムの弟分だった男にイサムにされていたのと同じように虐待されてた。
ある日、隠し持ってたカッターで何度も切りつけた。
あの時の男の悲鳴。
ションベンと血にまみれて這いながら逃げる男の姿。
忘れられるもんじゃない。
小さな子供に何ができた。
じゃあ気が狂うまで耐えれば良かったのか。
それからすっかりおとなしくなった年長者共。猫なで声で俺の機嫌を伺うようになった職員達。
もう学校で俺をいじめてくる奴は誰もいなかった。
それと引換にか不良共から喧嘩を売られるようになり、その度に命がけで反撃していたら、もう周りで俺に暴力で勝てる人間はいなくなってた。
俺は暴力によってはじめて自由を得た。
なのに俺が悪いのか。
俺に暴力を教え込んだのは大人達だ。
俺はそれに従っただけだ。
なのにあんたまで「お前が悪い」と言うのか。
なんであの時小さな俺を助けてくれなかった癖に、俺の罪ばかりをつきつけるんだ。
どうすれば良かったなんて誰も教えてくれなかった。
暴力に暴力で返さなければ、あとは怯えて暴力を受け入れて壊れるか、もしくは逃げるしかない。
真面目に働こうとしたよ。でも頭を下げて頼んでもまともな所はどこも雇ってくれなかったじゃないか。
俺をこうしたのは大人達だ。
だから俺も………俺も………
俺も……ッ
…………
俺も………
……あいつらと……同じに…なっていたのか………
気づいたら膝から崩れ落ちてた。
俺の人生は一体何だったんだろう。
もう立てない。立てる気がしない。
『お前が選択するべき道を今度は間違うな』
光の玉はそう言って
次の瞬間
俺は赤ん坊の泣き声と共に違う場面に飛んでた。
イースランド。
次に俺が生まれた場所。
どこの世界かは知らない。
赤ん坊の頃から死んだ時の記憶を持ってた俺は、周りの言葉を理解すると共に
自分が『前世の記憶』とやらを持った異質な存在であると知る。
俺の親は前世は平凡なサラリーマンだったが、今世の親は貧しい百姓だったらしい。
生まれてから3年位経っただろうか?
その年はひどい飢饉だったらしく、俺はまた捨てられた。
今度も孤児院だった。
その年は捨てられた子供が多かったらしく、とにかくいつも寒くて腹が減ってた。
あまりに厳しい状況に、子供も職員もみんなで畑仕事をしている。
そうしないと飢え死にするからだ。
体力が少ない子供から風邪や取るに足らない怪我から死んでいった。
俺は幸運にも生き延びた。
だからなのか、食いもんに余裕のないここではガキ同士のつまらないケンカや小競り合いはあるものの、前世のような大きな虐待やいじめはなかった。
年長者が下の子供を世話しなければ下の子達はすぐに病気になる。とても大人の手に頼れる状況ではない。
子供のことは子供同士で。年長者が下にものを教える。年長者が下の子供を守り、下の子供はそれに従い、早く自分のことを自分で出来るようになること。それがここのルール。
暴力など使えばすぐに死んでしまうだろう。
だからなのかここでの子供同士の仲は悪くなかった。
ただしここは大人がとにかくうるさい。
いつのまにか口うるさい神父見習いがいて、大人しかできない仕事の合間に数人のシスターと共にいつもガキ共を捕まえては説教していた。
俺が11の時に老院長先生は亡くなり、口うるさい神父がそのまま院長先生になった。
13の時だった。
たまに来ては寄付金を置いていく金持ちが泊まっていた。
よく分からない貫禄を出してるこの偉そうな金持ちが俺は苦手だった。
その夜俺はなんとなく眠れなくて、トイレに行くフリをしていつものように真っ暗な敷地内をただ歩き回ってた。
すると、来客のための部屋の明かりからかすかな声が聞こえる。
そっと近づいて外から覗き見たら、院長先生が。
俺が前世でされていた以上の虐待を、あの金持ちに。
はじめて見る院長先生の体はあちこち古傷だらけで、普段は着やせしているのだろう、見た目より筋肉のついたゴツい体が。
院長先生は苦しそうに顔を歪めていた。
俺はそっと離れた。
ああ、ここも地獄だった。
ただ、ここでは俺達は搾取されていなかった。
搾取されていたのは院長先生だった。
翌日、なんでもない顔をして院長先生は金持ちを見送っていた。
よく注意して見ていたら、院長先生は少しだけ具合悪そうだった。
注意して見ていると、金持ちは院長先生の腰や肩によく触れていた。
シスター達はどうやら分かっているのか、院長先生をそっと気遣ってる様子だった。
金持ちが機嫌よく帰ったあと、院長先生は部屋に戻り、しばらくこもっていた。
そして数時間後にはまたいつものように子供達に口うるさい院長先生に戻っていた。
それから少しだけ孤児院の飯が増えた。
相変わらず俺を含めた子供達は朝から夕方まで畑仕事をしているが、以前のような体の弱い子が栄養が足りずに死ぬようなことはなくなった。
観察して見てみると、あれから院長先生は時々あの金持ちに身を差し出しているらしかった。
俺から見たらただのゴツい院長先生でも、プラチナブロンドに宝石のような緑色の瞳、切れ長の瞳、やや上向きの唇、静かにしていれば品のある佇まいは、いわゆる美形なのだろう、男女問わず人気のようだった。
俺がよく院長先生を観察するようになったからだろう、院長先生はそれから俺に時々声をかけてくれるようになった。
「なんだロー、私のことが気になるのか?お前も聖職者になるか?」
「…聖職者にはなりたくない。でも院長先生のこと大人になったら手伝いたい」
「嬉しいことを言ってくれるな。でもまずはお前の兄弟達を頼むぞ。今年の冬も寒さが厳しくなりそうだ。少しでもみんなが元気で冬を過ごせるように、お前が気を配ってやってくれ」
「分かった」
院長先生は微笑んで俺の頭を撫でてくれた。
14になり孤児院を出る時期が来た。
俺は近所の領主の元に奉公に行くフリをしてそのまま孤児院のある町から姿を消した。
隣町で冒険者になった。冒険者と言うと響きはいいが要は使い捨ての便利屋だ。
ここではローという名前を捨てマックと名乗った。
院長先生と同じ名前だ。
なんとなくそう名乗りたかった。
前世と同じように、でも今度は弱者からは搾取しないように。
前世の俺みたいな連中を闇討ちして金を奪いつつ、便利屋稼業で日銭を稼ぐ。
選ばなければ仕事は幾らでもある。選ばなければ。
弱者からはぶん取らないが、それ以外の暗い仕事は大体こなした。
前世のように俺に手を出してくる男はさっさと返り討ちにして売り飛ばした。
でも女に乱暴をするような事はしない。
前世で何度か口説いた女の家に転がり込み、文句を言われたら殴って飽きるまでヒモを続けていたことを思い出す。
小さい頃自分がされたように、自分より弱いオンナに酷くしていた事を思い出す。
もうアレと同じことをする気にならない。
仕事を選ばずこなしていたら、いつのまにか俺は腕も上がりそこそこ使えるヤツになってた。
ある程度金を貯めて早く院長先生の元に持っていきたかった。
19の時にいつもの安宿の一階食堂で夕飯を食べていた時のこと。
見知らぬ冒険者達の会話が耳に聞こえた。
隣町の教会の軍人あがりのマクスウェルという神父を拉致するという仕事。
報酬はそこそこいいらしい。
神父は現役軍人時代相当強かったそうなので腕のいい冒険者複数で。
最悪腕や足を折る位は構わないと。
依頼主はどうも軍の関係者らしい。理由は分からない。依頼に理由など必要ないから。
俺は思わず立ち上がっていた。
「ちょっとその話、俺も混ぜてくんねぇか?俺アイツに恨みがあるんだよね」
俺は急いで孤児院に手紙を書いた。
襲撃の計画。直前でなるべく数を減らすこと。でも他の連中も行くかもしれないので気をつけて欲しいと。久々にローという名前を書いた。
当日、俺のグループは俺が潰しておいた。
でもこれだけの報酬だ、おそらく別グループが必ずいる。
こういう依頼の場合、保険としての別働隊を必ず用意しとくもんだ。
やはり今回もそうだったらしい。
5年ぶりに入った孤児院に子供達の気配はなかった。
院長先生がどこかに避難させてくれてるらしい。
たぶん隣にある教会だろう。
人の争う気配に駆けつけると、そこには少しだけ年を取った院長先生がいた。
今院長先生は幾つ位なんだろうか?見た目は40過ぎのように見えた。
院長先生の周りには何人かの冒険者が倒れている。
最後の一人を背後から締め落としてる院長先生は初めて見る顔をしていた。
ああ、この人は殺しに慣れてるんだと分かった。
でもその顔は俺を見てすぐにいつもの院長先生に戻った。
「ロー…」
「院長先生、お久しぶりです」
「知らせてくれてありがとう。とりあえずこいつらをどうにかしなければな」
「消しますか?」
「お前…いや、そこまでしなくていい。警備隊に連絡して引き渡す」
「分かりました。縛って猿轡噛ませて森の池あたりに転がしておきます」
「それじゃ獣に食われるだろう…お前なかなかいい性格になったな。納屋に投げておいてくれ」
「はい」
「ロー、おかえり」
「はい…」
俺は柄にもなく泣きたくなった。どんな涙なのかは俺にも分からなかった。
夜明けと共に警備隊に冒険者という名のゴロツキ共を引き渡して、俺ははじめて来客室に入った。
警備隊のリーダーが意味深に院長先生とアイコンタクトを交わしていたのが気になった。
おそらく、彼はこの襲撃がどこから来ているものなのかを知っているのだろう。
来客用のティーカップはなんだか照れくさかった。
「お前がどこに行ったか、みんなで心配してたんだよ」
「すみません」
「シスターフラウは亡くなられた。2年前だ。風邪が肺炎になってしまって。最期までお前のことを気にかけてたよ」
「すみません」
「でも元気そうで良かった」
俺は疑問に思っていたことを口に出した。
「院長先生…今回依頼を出してきたのは、いつも寄付金をくれてたヤツですか?」
院長先生は黙った。それが答え。
「俺、消してきますよ」
「ダメだ!」
院長先生がはじめて子供を叱る以外で声を荒げるのを聴いた。
「相手は将軍だ。下手に手を出せば子供達に被害が及ぶ」
「でも…」
「俺の体1つで孤児院が安泰なら万々歳だ。ただ、あの御方がそれを守ってくれるか」
「………」
院長先生は遠くを見つめていた目をこちらに向けた。
「お前、知ってたのか」
「…はい。一度見ました」
ため息ひとつ。
「俺は昔閣下の下にいたんだ。
そこで何故か俺に妄執を抱いてしまわれた。
本当に優秀な軍人であられるんだ。
公正で、公平で、尊敬できる御方だった。
なのに俺に対してだけあんな風におかしくなってしまう。
俺が身を引けばいいかと思っていたが…」
「でもそうならなかったんですね」
院長先生の目に暗い陰が差す。
「…あれからどんどん閣下の俺への妄執がひどくなってしまわれてね。
とうとう先日、孤児院をやめて自分の所に来いと。
来ないと孤児院に迷惑がかかるぞと遠回しに脅された。
今日の襲撃はそのデモンストレーションだろう。
襲撃規模を見る限り、俺に返り討ちにされることを想定されている。
次から本気で来られると思う。
閣下は俺を縛るこの孤児院を憎みはじめている」
「ならこれからどうするんですか」
院長先生は困った顔で微笑んだ。
「ロー、お前に頼みがあるんだ」
俺は院長先生から孤児院の運営を託された。
院長先生からすべてを引き継いた最後の日、院長先生は俺の手を握りしめて言った。
「ロー、頼むぞ」
俺は黙って頷いた。
院長先生は、もう一度、グッと俺の手を握り締めて、それからあのクソからの迎えの上等そうな馬車に乗り込んだ。
こちらを振り返ることはなかった。
それから1年後、
院長先生はクソと一緒に事故死した。
おそらくクソは、院長先生が逃げないように、院長先生の古巣であるここを潰そうとしたんだろう。
院長先生は身を挺してこの孤児院を守ってくれたんだろう。
そう思っているのはおそらく俺とシスター達だけで、
それが本当かどうかは誰にも分からない。
俺は死ぬまで孤児院の運営に携わった。
院長先生から託されたこの孤児院を、誰にも渡したくなかった。
孤児院を脅かすヤツが来たら隠れて暴力で排除した。
シスター達はたぶん気づいてたんだろうと思う。でも何も言わなかった。
新しく赴任した隣の教会の若い神父に、時々院長先生の為に祈ってもらった。
墓には行かなかった。
あのクソが残した遺言で、あのクソと一緒に入っているらしい。
そこにあるのはただの骨だ。院長先生じゃない。
神様、神様、どうか
あなたがいるなら、
院長先生の魂を救ってやって欲しい。
俺の選択が正しかったかどうか分からない。
でもあの人が死後も苦しむのならあんまりだ。
どうか、あの人の子供達を守る為にした自己犠牲を汲んでやって欲しい。
あの人が天国で幸せになれますように。
それだけを祈って教会の隅に座っていた。
それから数十年が経ち、俺はある冬風邪で肺炎をこじらせた。
もう俺の周りにかつての俺を知ってる人はいない。
若い職員の一人が献身的に俺の世話をしてくれたが、最後はそれも断った。
体力が無くなれば死ねばいい。
俺は罪を贖えたのだろうか。
俺は地獄に落ちてもいいから、あの人を。
そう思っていつものように眠気に身を委ねた。
不思議なことがあるものだ。
俺はまた記憶を残したまま生まれ変わった。
次はあの白い眩しい光の玉は見なかった。
2度の過去世。
そして不思議なことは続くもので。
3度目の生は21世紀の日本。
これはどういうことだ?
いわゆる並行世界というヤツなんだろうか?
今度は両親は離婚しなかった。
俺は捨てられず、両親の元で平和な暮らしができた。
でも俺の中ではこの平和な日々を甘受する感覚になれない。
あの孤児院に帰りたかった。
いつもする仕事がたくさんで、いつも子供達の笑い声と泣き声で騒がしくて、いつも大人が口うるさく子供達を愛してくれていたあの空間へ。
平和で静かな日々は『ここじゃない感』が常にあった。
もう暴力とは縁のない生活。
使おうと思えばいつでも使える気はする。でも使わない。
その必要がないから。
高校3年の春、新しい教師が来た。
「はじめまして。
今度このクラスの担任になりました新倉勇と言います。
1年間よろしくお願いします」
そこにいたのはマクスウェル先生。
顔も形も違う、でも俺の心のどこかが叫んでいた。
ああ。
ああ。
神様。
あなたは本当にいたんですね。
俺ははじめて、神様に向かって泣いた。